少年の敗北
目の前の緋色の髪の女を睨むと、相手は静かに刀を構える。こっちも両腕に多くの魔力を集め、獣の爪のような魔力を纏った。背中を大きく曲げ、手が地面に着くか着かないかのギリギリまで脱力する。
俺の戦い方は獣人の腕を模した魔力で、殴り合うスタイルだ。師匠の義母さんが獣人の為、獣人流の戦い方を教わっている。魔法も使えなくはないが、相手の魔法を相殺する程度だ。あくまでこのスタイルの武器は、パワーとスピード!
「らぁっ!」
「本当に獣のようだね……」
小さな女に地を這うような低姿勢で迫っていく。目の前で頭を跳び越す程に跳び上がり、右手の魔力爪を振り下ろす。当然これは刀で防がれたが、地面に両足で着地してから両腕で1度ずつ引っ掻いた。これも刀で防がれてしまったが、気にせずに魔力爪での乱打を押し付ける。
昔、ヤパンの刀を使う賞金首と戦った。刀は鋭くよく斬れるくせに、かなり攻撃を叩き込んでも中々折れない。大して全く強くない使い手の刀でも、へし折ってやるのは相当に苦労した。この女は相当な実力者、刀を折られるような攻撃の防ぎ方はしないだろう。
「余裕、ぶってんじゃ……ないぞっ!」
「……う、うわー。なんてこうげきー」
両手で荒ぶる獣のように引っ掻き、時に蹴りやフェイント、一度離れてから高速で部屋の天井や壁を蹴ってからの強襲も全て防がれてしまう。
くっ……コイツ、攻撃の防ぎ方が上手すぎる! 刀は軽いから連続した力強い攻撃は防ぎ辛く、防御を崩しやすかった筈。今までの使い手はそうやって倒してきたのに……コイツの防御は全く崩せる気がしない。
「……うん、じゃあ今度はこっちから」
「……がぁっ!?」
今まで防御にしか使われていなかった刀が振るわれた。気が付けば腹に痛みが走り、部屋の壁に叩き付けられている。痛みをこらえ直ぐに床へと転がり、追撃を躱す。体勢を立て直して顔を上げた瞬間、頬に鋭い痛みが走り床へ這いつくばった。
こ……攻撃が見えない…………まだ動ける程度のダメージだが、コイツの攻撃が弱いわけでも俺が上手く防御できているわけでもない。手加減されているだけだ……その証拠に腹も顔も斬られずに、殴られている。コイツがその気なら、一撃目で内臓まで斬られて終わりだ。か、勝ち目が無い……!
「……っ、ぐぅ……」
口の中で血の味がしてくる……血を床に吐き捨て、ゆっくりと立ち上がり女を睨みつけた。俺が立ち上がった事に驚きもしない……むしろ、立ってくれなきゃ困ると言うような冷めた目で俺を見定めている。
身体強化に費やす魔力を増やすか……? いや、駄目だ……今の俺じゃ身体強化は魔力爪と高速化のやつの2つが限界だ。これ以上身体強化を増やせば、体が耐えきれない。
「まだ、まだぁっ!」
「はい、真っ直ぐすぎ……」
「なっ!?」
再度、上半身の力を抜き、脱力した構えを取る。飛び掛かろうと踏み出した瞬間、視界が真っ白な物で覆われた。急な視界の変化に止まる事は出来ず、柔らかい物に顔を埋めてしまう。予想外の感触に足が止まり、視界を戻そうと柔らかい物を顔から引き剥がす。
「次は大きく吹き飛ばす……!」
「くっ、がはぁっ!?」
枕を投げ捨てると、女が目の前で大きく拳を振りかぶっていた。俺の身体能力では回避が間に合わないと判断し、両腕を交差させて防御の姿勢を取る。ガードの上から無理矢理殴り飛ばされ、窓を突き破り庭まで吹き飛ばされた。
結界は俺の魔力だから、俺はすり抜ける事が出来る。だがアイツは窓から出てくる事は出来ない筈、今の内に治癒魔法を……!
「油断、大敵……!」
「うわぁっ!?」
アイツの声が聞こえ、見上げると刀を振り下ろそうとしているのが月光に照らされていた。情けない悲鳴を上げながら、地面を転がって刀を避ける。そのまま手足を地面に着けた獣の体勢で女の次の動きに備えた。
そんな……俺が部屋から追い出されて数秒しか経ってないのに、もうこんな所まで!? 窓に俺の結界は残ってる、結界をすり抜けるなんて不可能だし……屋敷から走って出てくるなんて光速に到達できるピグマおじさんでも難しいだろう。だとすれば、コイツは……
「お前、まさか……空間転移してるのか?」
「あったりー……!」
目の前で女の姿が消え、背後から気の抜けそうな声が聞こえてくる。頭で判断する前に前へ転がった。俺が居た場所には刀が刃の無い方から振り下ろされている。
空間転移……高位の魔法使いが10人程揃えて、大掛かりな魔法陣を用意して何時間も魔力を注いで起動させる大型魔法の筈。こんな1人で、しかも短時間に何回も使えるような魔法じゃないのに……!
「本気でやってる? ちょっと拍子抜け……」
「おい、ユウキ! 何があった!?」
部屋で叩き付けられて、窓まで突き破ってたら流石に騒ぎになってしまった。女が屋敷の方を向き、小さく溜め息を吐いて俺を見つめてくる。最後に一撃と足に力を込めて全力で飛び掛かるが、真横に転移され背中に手刀を喰らい、無様に叩き落された。
「っ……ぐぅ……!」
「騒ぎになったから、私は消える。最後に大人しく聞いてね?」
静かに頭を撫でられて、立ち上がろうとする気力を失ってしまった。この優しく諭すような撫で方……義母さんの撫で方に似ている。
まあ、話だけなら……聞いてやっても良いのかもしれない。急に襲ってきたけど、殺意は無かった。おかげで俺の弱点も少し分かってきたしね……
「私は、ヤパンに居る……未来を視る者の妻」
「……ここに来たのはその人の差し金か」
「そう。貴方の未来を視ているから、私はここにやって来た。急に攻撃を仕掛けたのも指示通り……ごめんね」
未来を視る人の妻、か……声や見た目から俺と同い年位じゃなんだろうかと思っていたら、まさか既婚者だったなんて……もしかすると、俺よりかなり年上? ぐっ……何か俺の頭を抑える力が、少しだけ強くなった気がする。
「ヤパンに来る事は、貴方の人生を大きく狂わせる。私の夫にも見えないくらい……複雑に捻じ曲がっていく。目的の人物と出会う事は無く、道半ばで命を落としてしまうかもしれない。自分の大切な人と離れ離れになってしまうかもしれない。それでも、ヤパンに来る覚悟はある?」
「悩む必要も無いよ。当然……俺はアイツを殺す」
誰に何と言われようと、俺はそこだけは揺るがない。どこに隠れていようと見つけ出し、どこに逃げようと探し出し、そして……どれ程強くても、その強さを乗り越えてこの魔力爪で心臓を引き裂いてやる。
「……そう」
残念そうな声が聞こえ、頭の上に乗せられていた手の感覚が消える。立ち上がり、周りを見渡してみても、既に女の姿は無かった。
多分、俺をヤパンに来させたく無かったんだろうな……未来が視えるなら、俺の本当の目的を知ってるから。ヤパンであの男の捜索は、今までと違う結果になりそうだ……!