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色のない街  作者: 宮崎 白子
4/4

スクラッチ

かりりっ…


部屋にただ静かな音が響いていた。


ただ曖昧に、今はいつで、ここはどこなんだろう、なんて考える。ただ考えるだけで、帰りたいだとかは思わないけれど。


うっすらと目を開けると、辺りは甘い蜜色の光が射し込んでいて、ところどころ机が反射して光っている。画材の匂いがつんと鼻についた。両肘をつくようにして体をあげる。ずり落ちた眼鏡をぐいと上にあげ、金具が押さえつけられた箇所がじんじんと痛んで思わず顔をしかめた。ふと机上に目をやると、画用紙があることに気づいた。鉛筆画だ。慌てて飛び起き、滲んだ箇所がないか確かめる。


「……あれ…?」


特にこれといって滲みは見られず、ホッと胸を撫で下ろしつつも、よくよく見れば…、……いや、見なくても、私の手の中にいるのは紛れもなく凛斗だった。そんな彼は、自分を画用紙という狭い空間の中に閉じ込めた私を恨んでいるのか、まっすぐにこちらを睨みつけているようにも、何か伝えたいことがあって、声の代わりにその目で伝えようとしているようにも見えた。何より、竹刀を持った時の凛叶によく似ていて、ーーあぁ、きっと私はずっと、この表情を描きたかったんだとなんとなく思った。だって私は彼を見るたびにシャープペンシルを、筆を、鉛筆を握りたくなったのだから。


「なんだ、起きてんじゃん。声かけろよな。」


いつのまにかずっと聞こえていた紙の上を鉛筆が走る音が消えていることに気づく。顔をあげると前の席には黒木が椅子の背もたれに肘をかけて、振り返って私を見ていた。……、さっき会った黒木とは、あまり違いが分からない。


「お前さぁ、授業中寝るのやめろよ。しょっちゅうやってっけど、さっきちょっと悲しそうな顔してたからな、鮫島(さめしま)。今日短縮授業だし、掃除免除でそのまま描きあげて帰らせるっていってたぜ。」


黒木はくるくると鉛筆を回しながらそう言って笑っている。

鮫島先生、美術の先生だ。


「へ?ちょっとまって、今私何年生だっけ。」

「……はぁ?何いってんだよ…、2年生だろーが、自分の年まで忘れたのか?お前。」


怪訝な顔でそう答える黒木を見て、もう一度画用紙に目を落とした。そこには相変わらず凛斗がいる。と、いうことは…、


「…ただ寝ちゃっただけじゃん…、ばかぁ…、」


なに、寝ぼけてんの?お前…、という黒木の呟きを聞き流しつつ、頭を抱えこむ。それならもう少し、凛斗との会話を堪能しておくべきだった。ただ私は自分の眠気に従って眠っただけだったのか。なにがタイムスリップだ。というか、起こしてくれなかった周りの女子やこいつらは何なんだ。ちょっと酷いんじゃないか。


「おい、落ちてんぞ。」


そんなお門違いな恨み言を口の中でもごもごと呟いていると、黙っていた黒木がいつのまにか机の下へと落ちてしまった私の画用紙をひらりを拾い上げた。ぼんやりと彼の長い腕が動くのを見ていたが、その表情を見て、氷を飲んだかのようにひやりとする。その怒っているような、なにかを悲しんでいるような顔を、私は知っていた。


「……、なんで凛斗なんだ。」


ヒュッと、息が止まる。


ゆっくりと、ただゆっくりと顔をあげた。風を立てないように、その風が、彼の心に傷をつけてしまわないように。

起きたばかりだからなのか、口の中が変に粘ついて、何か言わないといけないのはわかっているのに、声が出ない。


あぁ、なるほど、これは変わらなかったんだな。こんなに過去(・・)が変わったのに、こいつの気持ちも、私の気持ちも変われはしない訳だ。


「あ…、ごめん。」

「なんで謝るんだよ、お前は悪くないだろ。」


胸が痛かった。ずきずき、ずきずき、嫌な痛みだ。窓から差し込む夕焼けの光が鬱陶しくて、思わず俯いて目を瞑る。胸の奥の心臓のような、何か大切な塊が、誰かの大きな手に握られたかのように、(つた)にまとわりつかれ、ぎゅっと締め付けられてるかのように、息苦しい。


口ではそんな優しいことを言うくせに、そいつはガタンッと乱暴な音を立てて立ち上がった。


「お前に言うのも変なんだけどよ」


黒木も画用紙を持っている。まだ描きかけだ。大雑把に見えるその線は、見方を変えれば、想いを込めたように、一本一本が丁寧なようにも見える。そうだ、私は黒木の絵が好きだった。画用紙に描かれた、柔らかそうな制服に身を包んでいるその人は、気持ちよさそうに眠っている。それをみて、私はまた何も言えなくなる。


「キモいよな、」


次の瞬間、彼は勢いよく画用紙を裂いた。

やたらと耳に刺さる音。画用紙は呆気なく破れていく。できるだけ細かく、紙が、その上を彩るグレーの顔料が、何を形作っていたかなんて誰にもわからないように。


「お前に憧れて練習してた絵も、こんな風にしか扱えない!俺はあいつにはなれない!こんなものに閉じ込めたって、お前は俺のそばにはいてくれない!!!」


オレンジ色に染まり上がった教室に、白い花が舞う。黒木響也が咲かせた華だ。黒木響也が散らせた華だ。動けなかった。瞬きすら忘れるほど、それは美しい光景だった。


私たちはよく似ていた。似た者同士だ。

憧れているものを理想に近づけようとする。

高みへ、さらに高みへ、

自分で自分の手の届かないところへ無意識に追いやろうとする。

よく見ればそれは自分となんら変わらない化けの皮を被った狐なのかもしれないのに。


私は立ち上がって迷わず自分の机の上の画用紙に手を伸ばした。右端と左端をそれぞれの手で握って、上下に大きく引き裂く。軽いような、重いような音を立てて、あれだけ時間をかけて創り上げた私の凛叶は、作り出した私の掌の上で呆気なく壊れていく。紙のザラザラとした手触りが、目に痛い陽の光が、画材の匂いが心地よくて、鬱陶しい。


私は破いた。できるだけ細かく、紙が、その上を彩るグレーの顔料が、誰を形作っていたかなんて誰にもわからないように。

オレンジ色に染まり上がった教室に、白い花が舞う。私が、朝倉巴菜が咲かせた華だ。朝倉巴菜が散らせた華だ。

私たちを覆っていた何かが剥がれ落ちた。自分で塗りたくって、勝手に作り上げた窮屈な皮だ。


ふと顔をあげると、黒木が驚いたような顔をしてぼんやりとこちらを見やっていた。大して気温が高いわけでもないはずなのに、お互いじんわりと汗をかいていた。


とたんに、目を逸らせくなった。誰かにそう言いつけられてるわけでもないだろうに、逸らしてはいけないような気がした。


「私は、響也が思うほど、大それた人間じゃない。凛斗だってそうだ。みんな自分が愛されることが大事で、中身なんて見てやろうとしてないんだ。」


響也は、何も言わずに、ただ目を見開いていた。上下に動いて見えるのは、彼が肩で息をしているからか、それとも私が肩で息をしているからか、


「逆に、私たち、自分を卑下しすぎてたんだ。」


と、彼の顔が少しだけ歪んだ。助けを求めてくるように、ゆっくりと、白い両腕がこちらに伸びてくる。なぜだろうか。やるべきことが自然とわかった。


私が少し歩み寄ると、黒木はやけにゆっくりと、私の体にに腕を回した。ずっと前に嗅いだことのある、懐かしい匂いがした。私も、彼の背中に手を回す。表情はよく見えなかったが、小刻みに震える彼の肩を見て、視界が霞んだ。じっとりとした制服が肌に重なって、気持ち悪いはずなのに、離れられなかった。右頰に当たる濡れた黒木の頰も、足元に散らばった画用紙も、今はどうでもよかった。


そうして私たちはしばらくお互いすがりつくようにしたまま声を殺して泣いた。

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