がんもどき
皆が大好きらしいので、書きましたよっ!!
赤提灯で彩られた屋台の椅子に、俺は疲れた腰を落ち着ける。まだ寒い冬の空の下、吹きさらしの店は冷え冷えとはしているが、湯気と熱燗があれば案外暖かいことを、俺はよく知っていた。
いつものように、店主は愛想の良い笑みを浮かべているが、今日に限っては、どこから嗅ぎ付けて来たのか、いつもと異なる酒を注いでいた。
「定年、お疲れさん」
安い売り上げから買ったと思うと気が引けるが、祝いの言葉を口にされたら、断ることは出来ない。
仕方なく、俺は苦手な愛想笑いで、その酒を飲む。味など分からないが、精一杯飲み干すと、一言付け加える。
「まだ疲れるような歳じゃねぇよ」
枯れた声で、俺は何とかそう言うと、店主は可笑しそうに応える。
「現役の頃と比べたら、随分と萎びたもんですぜ? 鏡くらい、たまには見たらどうですかい?」
「……そうだな。もう、そういう時間も取れる」
他人に言われ、少しだけ実感が沸いたせいか、力の抜けた肩を落としてそう呟く。振り返れば、仕事ばかりの人生で、あまり自分にも、家族にも時間を作ってやれなかった。
これから、やり残したことを全て出来るとは思えないが……。
後悔の混じった目で、俺は目の前の男を見る。
「お前を捕まえて、もう何年になるか?」
「ぴったり、40年でさぁ。長いようで、短いもんで」
気楽に答える店主だが、こんな人の良さそうな人物でも、かつてさ凶悪な犯罪者だったとは、にわかに信じ難い。
そう、信じ難かった。
「ほい、"がんも"お待ち」
かたりと音を鳴らし、店主はそっと皿を置く。俺はその光景を眺め、箸も持たずに語りだした。
「未だに、こんな歳になっても、分からねぇことがある」
「はっ。刑事さんに分からねぇことなら、たぶん誰にも分からねーんだろうなぁ」
「いいや」
ふざけた調子を止めるように、俺は少し強く否定する。背を向けて固まる店主に、俺は言った。
「お前の事だよ」
酔っていたのだろう。口がよく回る。
「40年前、お前は誰かを殺した。だが、誰とも分からなかった。ただ顔のない死体だけが、そこにはあった」
「……そのこと、ですかい」
諦めたように店主は呟き、そして俺に向き直る。怒ったというよりは、困ったような表情で俺を見ていた。
「言わねぇですよ」
「ああ、話すのは俺だからな」
決意表明を俺は受け入れる。諦めが早いのは、いつものことだ。
俺は手帳に書いてあることを思い出しながら、ゆっくりと、低い天井に灯った電球を見ながら、俺はぼんやりと口を動かす。
「あの村の、誰に聞いても、居なくなった奴はいないと首を横に振った。だから、俺達は捜査範囲を広げたが、結局ホトケさんの名前は無かった」
そこまで言って、店主の目を見た。
「不思議な話だよな?」
どこか気まずそうに、店主は目を反らして、おでんの世話を始める。
「星が、そこそこ綺麗な夜だったことだけ、それ以外は分からないはずです。そのはずでさぁ……」
菜箸を動かしながら、店主は逃げるような言葉を並べる。しかし、俺は構わず続けた。
「……俺の後輩が、鳥のことを熱心に話すんだ。ほとんどが、雑談にしても下らない話ばかりだったが、一つだけ、妙に耳に残ったものがある」
俺は静かに、黙り混む店主に向かって言う。
「ある鳥は、生まれた兄弟を殺し、残った一匹だけを、親が育てるそうだ」
「私に、兄弟が居たと?」
店主は箸を置き、地面を見ながら声を荒げる。
「そりゃ、いくらなんでも暴論でしょう。たとえ、兄弟が居たとして、誰にも気付かれないと思いますか?」
動揺の色は、話の事実を物語っていた。
「……熱くなるな、お前らしくもない。これは、ただの雑談だ」
そう言うと、はっと我に返った店主は、赤くなった顔を隠すように、俺から背を向ける。しかし、話は終わっていなかった。
「おそらく、双子だったんだ。勉強好きなお前なら、聞いたことくらいあるだろ。『忌み子』なんて古臭い伝統を」
反省したのだと思っていた。罪を悔やんで、真っ当に生きようとしているのだと、俺は勝手に思っていた。
しかし、人は簡単に変わらない。俺がそうであるように。
「お前の村に双子は居なかった。少なくとも、当時から過去百年間、約3000人程の出生データに双子の記録はない。おかしいだろ? 双子が生まれる確率は1%もあるのに」
少なくとも30人という数字は、小学生でも分かる。それでも店主は外見に似合わず、細い声で異論を唱えた。
「そんなの、ただの偶然です」
「……そうかもな。今となっては、証明する術もない。誰も、あのホトケの事を知らないまま、何も無かったみたいに事は運ぶ」
一個人が、職権を乱用して分かることなんて、たかが知れていた。メモ帳は、次のページから別の事件を熱心に追いかけている。
これ以上は、誰にも真実は分からない。だけど、それで良いはずが無い。
俺はゆっくりとした口調で、店主に言った。
「最後だ。お前の兄貴について、教えてくれないか?」
本当に、最後のつもりだった。通い始めて何年も、隠し通されたのなら、追及するのは無意味だから。
店主は小さく溜め息をついて、力のない笑みを浮かべた。
「負けましたよ。……根比べで勝てるはずがないんだ」
店主は俺のグラスに酒を注ぐと、周囲に誰もいないことを確認してから、話始めた。あの夜のことを。
「私は、刑事さんの言うとおり、双子として生まれました。伝統というものは怖いもので、生まれただけで鬼だの、悪魔だの、そんな事を言われる村に住んでいたようです。
母は私を隠し、一人息子として、兄を紹介して回りました。『自慢の息子』等というのは、窓の無い部屋で独り、よく聞いた台詞です。私と同じ顔なのに、変な話でさぁ。
しかし、そんな囚人みたいな生活でも、楽しみがありました。夜な夜な、母も父も寝静まった頃、兄と散歩することは、あの歳にしては奇妙なことではありますが、生き甲斐と呼べるものでした。
兄は、たまに私と入れ替わってくれました。服を変え、表情さえ変えれば瓜二つですから、それは容易で、学校や遊園地に、兄の代わりに楽しみました。自慢の兄でした」
心から言っているのであろう。自然と穏やかになる表情は、次に緊迫した。
「だけど、ある晩のこと、父にそのことがバレました。鬼の形相で追いかける父から、兄と二人、転げるように逃げ出し、そして捕まりました。子供の足ですからねぇ、仕方の無い話でさぁ。
父は、私を殺そうと、崖に私の背中を押した。死ぬかと思いましたが、死んだのは兄でした。
兄は、私を庇って崖から落ちて、頭を強く打って死にました。怖くなった父は、その場を離れ、私は急いで兄の元に近寄ったのです」
店主の拳に力が入る。まるで、届かなかった腕を握り直すような、無意味な手は、だらりと地を向いた。
「冷たくなる手を握り、兄の名前を呼びました。……まあ、ご存知のとおり兄は死に、私は生き残りましたが」
冗談のつもりなのか、店主は無理に笑みを作る。しかし、真っ直ぐと、目だけは笑わずにこちらを向いていた。
「そして、あることを思い付きました。兄が居ない今、私が兄に成り済ませるのではないかと。顔も言葉遣いも、兄とほとんど同じ。そして、悪魔のような行動に体を動かしたのです。
顔を潰し、指紋を削り、血液もほとんど掻き出した。兄を、少なくとも記憶の中から殺した」
そこから先は知っていた。小さく溜め息をつくと、店主は俺に言う。
「そこで、刑事さんに捕まった。……これが、真実です」
彼が言うのであれば、そうなのだろう。たとえ偽られていたとしても、気付けるとは思えないが。
俺は店主に尋ねる。
「どうだった? 兄に成り代わるのは」
「ふっ……。こう言うのも酷いものですが、辛かったですねぇ」
自嘲気味に店主は答える。そして、皿の上で手付かずの料理を見て言った。
「言うなれば、"がんもどき"のような生活でした」
「がんもどき?」
「はい。名前の由来は、雁という鳥のモドキ、いわゆる偽物。体は同じでも、性格は兄ほど優しくはない私は、所詮兄モドキに過ぎません」
低い天井の、揺れる電灯の光を追いながら、店主はか細く声を鳴らす。
「どれだけ似せても、偽物でした」
その目には、今は居ない兄を見るようで。
「……鏡を見ると、思うんです。もし、兄が生きていたなら、こんな顔なのかなと。だけど、違うんです。鏡は左右対象の、自分モドキを写すだけ。もう二度と、あの顔をこの目で見ることはないと思う度に、兄は死んだんだと思うんです」
ふと視線を俺に戻し、店主は尋ねた。
「……手錠、かけ直しますか? 死体損壊や、身分偽造とかで」
その問いに、俺は腰に手を当てる前に答える。
「いいや、手錠はもう置いてきた。あと、それは全て時効だ」
「そりゃあ、残念だなぁ……」
本当に残念そうに、店主は嘆いていた。償い足りないのだろうが、牢屋はそこまで広くない。
俺は二杯目の酒を仰ぐ。
思ったよりもすっきりしない頭を晴らすように、思い切りグラスを傾けた。
三杯目を飲もうとしたとき、店主にグラスと酒瓶を奪われる。
「そろそろ、帰って下せぇ」
「いつもより早いな。用事か?」
どこか晴れ晴れとした様子の店主に、俺は怪訝な面持ちで尋ねると、大きく首を振られる。
「いえいえ。最後まで見守ってくれた奥さんを、たまには労うのが定年の日ですから。……ほら、さっさと食べてください」
人を気遣う様は、いつまでも変わることはなかった。
見たこともない彼の兄の面影を見たようで、俺はなんとなく笑みを溢した。
二度と聞かない酒の肴を忘れるように、俺は手近に用意されていた割り箸を手に取った。
「お前らしいな」
頬張ったこの店のがんもどきは、やはり美味かった。
こんな感じです。絶対連載はしません。