それはある種のまじっく・えりくさ
かちゃ、かちゃりと。
暗闇の中、白い手が軽快な音で小瓶を奏でる。
今夜は今後の運命を分ける大舞台。
身の振り着物の飾り、小物の一つまで気を抜けない。
ましてやすべての決着をつけるための鍵となる小瓶だ。
吟味に吟味して、最高に気分を盛り上げるものでなくては。
私は、やっと見つけた怪しくも美しい精緻な意匠のそれに、鮮やかな桃色の液体をつるりと流し入れた。
「キーラ」
「ごめんなさい、突然呼び出して」
「構わないけど……ここは?」
呼び出したのは、学園の森の端。人目を忍ぶのに最適な木々に守るように囲われた小さなベンチだ。
暗い夜空に映える純白のテーブルクロスと、月明かりを含んで輝くティーセットはすでに完璧に真夜中のお茶会の様相を呈している。
「少しね、ウェルニー様とゆっくりお話したくて……秘密基地みたいで、面白いでしょう?」
しぃ、と口元に人差し指を当てて軽く片目をつむる。
ウェルニー様もくすりと笑って席に着いた。
「……お話の前に。その、ウェルニー様というのはやめて欲しいわ。サゼーナで良いのよ」
「ふふ、じゃあ……サゼーナ」
サゼーナは嬉しそうに口元を緩め、一口。ティーカップに口をつけた。
私も一口飲んで、軽く唇を湿らせた。和やかに会話を続けたあと、私は切り出した。
「お話というのはね。……サゼーナに本当のことを聞きたくて」
「本当のこと?」
きょとりと目を瞬かせるその様子に、嘘はなさそうだ。本当に気が付いていないのか。それとも。
「あなたの、婚約者のことよ」
サゼーナが息を飲む。
「……キューズロンダ様の?」
「ええ、彼本人というより、あなたの、彼への気持ちのこと」
「……」
やはり、気が付いていて、無意識のうちに蓋をしていたのかもしれない。
よくわからないというように眉をひそめながらも、その先を聞くことに怯えているように見えた。
「本当は……いいえ、きっと研究のことも本当なのでしょう。でも、サゼーナは、彼を単なる研究者としてのパートナーだとは思っていないのでしょう?だって、研究ならロードラーザ様とでも出来るはずだわ。それに、元々評価にも成果にも興味がなく研究することそのものが好きなあなたが、『世紀の大発見』なんてものに興味を持つはずがないもの」
「……」
「あなたは、彼のことを、政略結婚の相手でも、研究者としてでもなく……」
そこから先は、あえて言わずに濁した。
返事は待たず、話題を変える。
「あなたも、疑問に思ったでしょう?私もあの子にターナス様を奪われているのに、それで良いのかって」
「……ええ」
「良くないけれど……大丈夫なの。必ずあの人は戻って来る。そう確信が持てる秘密があるの」
「ひ、秘密……?」
サゼーナの瞳が揺れる。その奥にどこか縋るようなものを感じて、私は微笑んだ。
「そう、秘密。あなたには教えてあげても良いわ。だって私にも分かるもの、あなたの気持ちが。
……でもね、一つだけ条件があるの」
「条件って?」
震える唇が問うのに、優しく答える。
「本当の気持ちを、話して?」
それが決定打になったのか、サゼーナは揺れる瞳のままぽつぽつと話し始めた。
「わ、私、わからないの。だって、あなたの言う通り研究は結果を出せないことなんてざらだったし、研究の協力者だって彼以外にもいたわ。もちろん、政略的なものとはいえ婚約者である私を差し置いてって、女として悔しいというのもあるだろうけれど……」
「……」
「怒り、だけじゃないの。悲しくて、苦しいの。……辛い。憎い、私からあの人を奪ったあの子が……!」
サゼーナの瞳の端から、ぽろりと雫がこぼれた。
「だって、あの人だけだったの。魔法に溢れたこの学園で、魔法ばかりに興味が向くこの学園で、私の好奇心に付き合ってくれたのは。一緒に研究してくれたのは。独りだと思っていた私の、そばにいてくれたの。それに、研究だけしかなかった私に、研究以外の楽しみも教えてくれた。……あの人がいなくなったら、私にはまた研究しかなくなる。それどころか、最近はそれすらも楽しめなくなった。もう、あの人なしに、何を楽しみに生きていけばいいのかすら、わからないの」
「……そうね」
やはり、似ている、と思った。
『キーラ。楽しめないなら、無理に楽しまなくていい』
あの日私の世界を変えて、今も私の世界の中心にいるあの人を。
失って、生きていけるはずもない。
だから私は。
「……じゃあ、もう分かるでしょう?あなたの、本当の気持ち」
「私の……」
「あなたは彼をどう思っているの?」
「私は……」
「彼を、愛しているの」
私は、柔らかく、柔らかく微笑んだ。
「そうよね。愛しているわね。なら、シルカを憎んでしまうのも仕方ないわ」
「仕方、ない」
「そうよ。だって彼が欲しいんでしょう?」
「……欲しいわ。あの子なんかに、あげたくない」
「彼を取り戻したいわよね?」
「……取り戻したい、たとえ何をしてでも」
―――言質を取った。
「ふふ、正直に話してくれたから、私も正直に話すわ」
そう言って、私は指輪に触れた。
「とても簡単なことなのよ―――『1』」
「1」には授業で必要なもの以外を収納できる。開いた手のひらの上に、軽い風と共に念じたものが現れる。
現れたのは羽が瓶を包み込むような意匠の凝らされた小瓶。透明なその瓶の中の桃色の液体が、夜の闇に怪しい美しさで光る。
「綺麗……」
見惚れるように呟いたサゼーナに、私はそっと笑む。
研究好きといえども、単なる一人のか弱い女の子だ。
「これを、ほんの数滴……いいえ、一滴でも良いわ。彼の口に触れさえすればそれだけで」
「これ、を……?」
戸惑うように、その瞳が揺れる。サゼーナが我に返りそうになるその前に、瓶の蓋を取って、彼女に香りを嗅がせる。
「どう?いい香りでしょう?」
「ええ、素敵な、甘い……」
「この素敵なものを、彼にあげる、たったそれだけで、彼は貴女のものになるわ。簡単でしょう?」
「私の、ものに……」
ごくり、とその白いのどが鳴る。
「……あとは、貴女次第。それはあげるわ。お友達だから、特別よ?」
じっと手の中の瓶を見ていた彼女が、小さくそれを握りしめたのを見て、私はひっそりと笑った。
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「―――完璧ね」
「見事な魔女ぶりでしたね。尊敬します」
棒読みで、適当な拍手を送られ少々苛立ったが、まあいい。今は解放感で一杯だ。
「あとはサゼーナがあの瓶の中身を使った瞬間、ちょちょいと魔法を解けば、あの色と香りのついた水の効果だと勘違いしてくれるでしょう」
「それで、法を外れた薬を使ったと思い込んだ罪悪感で、彼女は貴女に強く出ることもうるさく言うこともなくなり、恩を売ったためにもしもの時に味方となるかもしれない、と。悪徳ですねえ」
「我に返ったキューズロンダ様にサゼーナのことで弱みを握って口をつぐませようとしている貴方だってなかなかじゃない。私と違って貴方の場合、心変わりしない限りこれから先も続く弱みだし」
「いえ、それ程でも」
「まだまだ私なんて」
「はははははは」
「ふふふふふふ」
ざまあみろバカップルどもめ!恨むならお互いの想いの強さを恨むがいい!!
恋愛絶不調の二人の心の恨みの叫びが、その瞬間見事に重なった気がした。
研究馬鹿娘ことサゼーナ篇、ひとまず完結。