とぅるーす、時に人を疲れさす。
近頃、悪夢ばかり見ている。
最も大事な女性を、傷つける夢だ。
視界の端に彼女の傷つく顔が見えているのに、普段なら直ぐに追いつく感情が、今は膜が張ったように遠い。
僕は思ってもいないことを口から垂れ流し、そうしている間、彼女のことを少しも思い出さない。
じわじわと息苦しく喉が詰まっていく。
目を覚ませば、なにも思い出せなくなる。
それはとても楽で、それでいて理不尽なことだ。
そんな酷い夢を、繰り返し、繰り返し見ている。
___
「結論から言いますと、上の空、という感じでしたね」
「……」
「ちなみに偶然見かけたシルカ嬢を、親の仇かというほど睨みつけていました」
「駄目じゃない」
「駄目ですね」
次の授業へ向かう最中、ばったりとロードラーザ様い出くわした私は、世間話の体で報告を聞くことにした。例の空き教室はターナス様に見つかってしまったので、今は他の場所を探している。
研究に夢中になればシルカから興味が逸れるかと思ったが、未だに彼女らからシルカへの厳しい当たりが収まったという話は聞かない。ただ、私が流したシルカの悲劇の噂は徐々に広まっているらしく、最近は同情的な意見もあるらしい。
「シルカ嬢に声をかけてくる女性も出て来たようです。本人はまだ戸惑いの方が大きいらしく、警戒してあまり話せていませんでしたが」
「シルカの人間不信も筋金が入っているわね。別に男の人でなくとも、好かれたいってだけなのでしょう?ちゃっちゃと友達でもなんでも作って騒動を収めて欲しいわ。噂もすべてが嘘ってわけでもないんだし」
「それができるほど強くて器用なら、初めからこんなことにはなっていませんよ」
「それもそうね」
私はなんとなく隣のすまし顔を見上げる。好意がある、とほのめかしながら、なんだかんだシルカに対して冷静で辛辣だ。甘いだけが愛情とは言わないが、もう少しフォローしても良さそうなものだが。……というより、そもそも今日は何か機嫌が悪そうな……。
「なんです?」
「いえ、なんというか。シルカに対して厳しいような気がして」
「……あまり、心にゆとりが無いので」
端的な言葉に、私は瞬いた。やはり機嫌が悪いらしい。
「……もしかして、妬いてるの?その、シルカに声をかけた女性に」
「…………」
無言は肯定の意である。
「心、せまっ!」
「だからそう言っているでしょう!……シルカ嬢の本当の良さが知れたら、すぐにきちんとした友人や……恋人が、できるでしょうし、私は性格が良いとは言えませんから」
「……ぶふっ」
思わず吹き出してしまい、睨まれる。しかし今のは不可抗力だ。いつも余裕で、ターナス様にすら不遜に振舞うこの変態無精男が。恋に自信を無くしている!初めてこの男に人間味を感じた。恋、凄い。シルカ、強い。
「ふっふふふむっ!?」
口鍵の魔法を使われてしまった。しかし顔のニヤニヤは抑えられない。
「……それ以上笑えば次は生涯笑えない体にします」
低い声に本気を感じ、私は無理矢理笑いを引っ込めた。ロードラーザ様の指がパッと開かれ、口が解放される。
「こほん。……まあ、なんにせよ都合の良い方向に向かっているには違いないわ。ウェルニー様たちは問題だけれど、多勢を味方につけた者が勝つのが定石。この先外部の者にシルカの違反が知られたとして、シルカを守るものがゼロでなくなるなら良いことよ。……まだターナス様が完全に責められなくなるには遠いけれど、以前よりはましになったし、一歩は進めているはずね」
「殿下に関しては、何か、今の悪評を上回るような良い出来事があればある程度収まりそうではありますね。元々、彼は人柄から好かれていましたし。……その分だけ今回の出来事での周囲の落胆は大きかったようですが。
そういえば、貴女は今回の事について何か聞かれないのですか?」
「本人に直接聞こうという勇気のある方は少ないわね。聞くような人には遠回しに人間性批判をしているから余計に聞かれなくなったわ。そのせいで想像ばかり膨らんでいるようだけど、私がけろっとしているからか逆に何か考えがあっての事かという噂もちらほら出始めているわね」
「なかなか強かな……あ、」
急に言葉をとめたロードラーザ様に不思議に思い、視線の先を辿る。
背筋を伸ばし、落ち着いた態度で廊下を歩く男には、見覚えがあった。
「……たしか、例の」
「……アークス・キューズロンダ」
そうつぶやく顔が、目に見えて嫌そうに歪む。心底嫌いなのだろう。この男にここまでの顔をさせるとは、一体何をしたのか、寧ろ興味深い。
私は無言で隣の男を肘でつついた。
嫌そうな目が私に向く。
「……行けと?」
「だって彼にも話を聞いておいて損はないじゃない?どこまで理性があるか定かではないけど、今のどうしようもない状況からは進歩するわよ」
「貴女が行けばいいじゃないですか」
「やあね、面識のあまりない私より、貴方の方が話をしても怪しまれないでしょう?」
本当はターナス様経由で数度話はしているのだが、ロードラーザ様がどう嫌がらせされるかが見たいので黙っておく。
ロードラーザ様は納得いかなそうな顔をしていたが、渋々胡散臭い笑みに戻ってキューズロンダ様に近寄った。
「やあ、未来の宰相閣下ではないですか。貴方も教室移動を?」
「……ああ、そうだが……失礼だが、君は?」
ロードラーザ様の顔が固まる。
私は思わず吹き出した。知らない人扱いとは、高度な嫌がらせだ。ロードラーザ様が物語に出てくる嫌味な小物みたいな扱いを受けている。
「……ハルド・ロードラーザですよ。お忘れですか」
「ああ、成績優秀で、とりわけ魔法に秀でているとか……お噂はかねがね」
「……」
笑いをこらえるのに必死で呼吸困難に陥っている私のもとに、ロードラーザ様が帰ってきた。笑えない体にされては困るので、慌てて表情を繕う。
「なかなか高度な嫌がらせね?貴方には効果抜群じゃない」
「……いえ」
どんな顔をしているかと思えば、意外にもその表情は真面目だった。
「どうやら、完全に私に関する記憶を失っているようです」
「……?どういうこと?シルカの影響は、日常生活に関りはないはずでしょう」
「ええ……それと、ウェルニ―嬢に関する記憶も、ありませんでした」
「それは、分からなくもないけれど……」
いや、それにしたっておかしい。王族で魔力に多少の耐性があり心が強いターナス様はともかく、他の令息たちは皆婚約者をぞんざいに扱うようになった。それは先日のお茶会でひっそり聞いた婚約者集団の愚痴から分かったことである。つまりシルカの魔力は、婚約者に悪感情を覚える方向で作用しているということだ。
けれど、嫌がらせのためでもなんでもなく、本当にきれいさっぱり忘れているというのは、どういうことなのか。
彼にだけ忘却系の魔法を?キューズロンダ様は、それだけシルカにとって特別な存在だということか。
「……孤絶の、宰相候補」
ぽつり、と言葉が落とされる。
訝しくロードラーザ様を見ると、考え込むような表情のまま、ぶつぶつと何かを呟き始めた。
「……もしや、ゲーム内には、いない?……本来、恋敵の筆頭としていたのはカルバーナ嬢、やはりここは全く同じではない……」
どうしたのかしら、変人を通り越して頭がやられてしまったのかしら、と少し心配になっていると。
「……やはり、シルカ嬢がウェルニー嬢に関する記憶を消しているというのが、おそらく正解でしょう」
「どうしてわざわざ?そんなにシルカはキューズロンダ様を独占したいって……」
「はあ?」
物凄く低い声で威嚇された。本当に余裕ないなこの男。
「……できる限りゲームの通りに進めたいのでしょう。……こんなことなら、もっとまじめに聞いておくべきでした……」
何やら勝手に納得して勝手にため息をつき始めた。
「ちょっと待って、そのげ、げーぬ?ってなんなのよ」
響きが新し過ぎて、発音しづらい言葉だ。異国語だろうか。
「……」
ロードラーザ様は私をじっと見て、何か言おうと口を開き、数度顎を動かしたのち、面倒になったようにため息をついた。
「まあ流行の物語みたいなものです。それになぞらえてことを進めようとしている、みたいなあれです」
「……なんだか本質の半分も説明されていないような気がするけれど……どんどんシルカの頭を心配するようになったわ。物語の通りにって、頭に咲いた花に養分でも取られているの?」
「……正直、仕方ない部分もありますが、彼女の頭は半分正気ではないので否定できませんね」
自分で言っておいてなんだが、仮にも想い人相手に随分な言いようだ。
「で、その物語にはウェルニー様は出ていないから、彼女に関する記憶を消したということ?」
「そんなところでしょうね」
「なら、貴方もいないということ?」
「いえ、しっかり出ています。勿論貴女も」
「……なんだか気味の悪い物語ね……」
同じ様な人間がそれだけそろって出ていて、彼女がその物語を心から好きなのだとしたら、確かにその通りにしたくなる気持ちも分からなくも……なくも、ない。いや、やはり全く分からない。
「じゃあどうして……」
彼がロードラーザ様を忘れた理由。彼女が研究に執着しながら、シルカを敵視し続ける理由。
今までの出来事を回想して、はた、と気付く。
「……私、一つ思い当たったことがあるのだけれど」
「……奇遇ですね。私もです。単純で、ある意味とても最悪な想定ですが」
「……」
「……」
私達はとても疲れ切った表情で顔を見合わせた。
―――
「え?そうそう、そうよ。近しいものの中じゃ、有名だったわよ。あの溺愛ぶり」
端的に答えを示されて、私はますます肩を落とした。
「……つまるところ、私達はまんまとあのバカップルに振り回されたわけね……あの鈍感研究馬鹿娘め……」
「ば、ばかっ……?」
バカップルとは馬鹿なカップル(男女)、とくに恋人達のことを言うらしい。妙にしっくりくるのでつい口をついて出てしまった。どこの言語かは知らないが、あの無精男、無駄に博識である。
「表向き、常に冷静で国や家、仕事のためにばかり尽くしていたけれど、まあそれも一つの事実として、実際は婚約者のウェルニー様を第一に考えて行動する方だったようよ。まあそれも一方通行のことが多くて、肝心のウェルニー様は研究研究。確か、その関係で一時期はロードラーザ様とばかり親しくしていたようね」
「……それで、キューズロンダ様が嫉妬してロードラーザ様に嫌がらせしてたってわけね」
「あら、よく知ってるわね。珍しい」
私の口から何とも言えない息が漏れる。ロードラーザ様との関わりの原因が全てウェルニー様にあったのなら、記憶もなくて当然である。今回ばかりはあの無精男にも同情せざるを得ない。
まあ、割と簡単に弱みが見つかったと遠い眼をしながら喜んでいたし、良しとしよう。
「で、その一方通行のはずのウェルニー様が、今はシルカに嫌がらせをしている、と」
「まあ、それも、単純に本人が気づいていないだけで……という感じらしいわ。親しい人たちはそちらはそれほど疑問でもないらしいわよ」
その親しい人たちの中でのことを、どうしてチェナが知っているのか、と指摘したい気もするが、いつものことなのでやめておこう。
ウェルニー様の言葉は、初めから矛盾していた。あまりに強烈な研究馬鹿っぷりに騙されていたが、研究馬鹿だからこそ、シルカに執着するのはやはりおかしいのだ。
初めから両想いの茶番カップルが、シルカの魔法で引き裂かれ、それを解きさえすれば丸く収まる。それだけの話だった。
―――
「で、どうします?」
ロードラーザ様の問いかけに、私は眉間をもみながら答えた。
「……まあ、回り道をした中で、私達の世間知らずぶりを学べた、ということで取り敢えずそれは置いておきましょう。……そうね……」
「恩を、売りましょうか」
「弱みを、握りましょう」
私達は再び顔を見合わせて、にやりと笑った。
―――
私には研究だけが全てだった。
それで良かった。
良かった、はずだった。
代々続く筋金入りの研究家族。その長女として生まれた私も、例に漏れず研究を生きがいとしていた。
研究、特に薬草に関する実験的研究に特化していた私は、他の貴族から眉をしかめられるくらいには、一日を草原の中で過ごしていた。
まるごと研究所のような学校。家族代々が通うその学校に入学することを夢見ていた。憧れの研究施設、ありとあらゆる研究に対応した、学者を育てるための学校。
当然、そこに入るものだと思っていた。
けれどあっさりその期待は裏切られた。
ただ、ほんの少し魔力があっただけで。
魔力適正のある者は、須らくこの学園に入るべしと、この学園にだけ特別に設けられた法律のせいで。
家族は抵抗してくれるものだと、そう思っていた。
けれど意外なほどあっさりと入れられて、家族に役立たずの烙印を押され見放されたように感じた。
実際にはどうだったかわからない。
けれど、魔力適正を認められて以降、よそよそしくなったのは紛れもない事実だ。
私は余計に研究にのめり込むようになった。
その種類は問わず見境なくなるようになった。もっと。もっと研究しなければと。
結果さえ出せば認めてもらえると。
家族の一員に戻してくれると、そう思った。
婚約者が学校にいると知っても、初めは何も思わなかった。
それまで挨拶程度の関わりで、ほとんど私的な話はしていなかったからだ。
しかしあるとき、薬草を摘んでいる時に声をかけられた。
彼も研究に興味があると知って、味方がいないと思っていた魔法学園に同じ研究好きがいると知って、ただ嬉しかった。
彼との共同研究は楽しかった。
彼は頭が良くどこまでも深く話せたし、それについてきてくれた。
どんなものでも研究でき、ただ見境なかっただけのものが、より楽しく節操ないものになっていった。
宰相になりたいのだと、父のようになりたいと言う彼を応援したいと思った。
家族の背中を追う姿が、自分と重なった。
それが、突然見放された。
一人になったようだった。
あのきらきらした瞳はどこにもなく、恋に浮かされた虚ろな瞳で、研究のかけらも見えない頭の悪そうな女への愛を語る。
馬鹿らしい。
私は初めから一人だったのだ。
憎らしい。
私と同じだと勘違いさせた。
そしてまた独りに突き落とした。
研究のなくなった、彼なんて。
……寂しい。