◇思わず呻くのも無理はない
……え?四ヶ月前?まさかまさかそんなそんな。
ブックマークしてくださった方々、ありがとうございます。そしてすみませんでした。
前回同様ロードラーザが面倒そうに語っています。
ここのところ、授業になるべく出るようにしている。
クラスメイトから情報を得るため、それと、シルカと話せる時間を正確に把握するためだ。
授業に出ずに適当に過ごしていると、時間感覚が曖昧になって鐘の音も何度目か分からなくなってくる。煩わしいことは覚えない主義なので時間を覚えておくより授業に参加してしまう方が楽なのだ。
シルカとは、放課後、あのベンチで会っている。今更彼女に世間体も何もないので二人で会っても問題は無いが、念のため周囲の確認は怠らない。今の段階で、私とシルカが親しくしている事実が知られるのはどう転ぶか判断がつかないからだ。
放課後に想いを馳せながら、自分の席に座り、ため息を吐く。
面倒なことになった。
割と自分に似た性質を持つと思っていたが、流石はあの堅物王子の婚約者。頭が固い。そう言えばきっと「あなたの頭が緩すぎるのよ!」と文句を言われそうで面倒なので黙っているが。
正直、噂や風評などに構っている暇は無いのだ。シルカの中でゲームはとっくに始まっている。そして、ゲームに沿って展開を動かそうと無理に魔力を使えば使うほど、シルカは確実に沈んでいく。彼女の心が壊れるのが先か、彼女が国に裁かれるのが先か。どちらにせよ、そう遠くは無い話だ。
だが、確かに頭の固いどこかの誰かの言う通り、シルカの足場を固めることは重要だ。それに、今協力せずにヘソを曲げられたら、さらに面倒なことになる。協力を頼んだ以上、私も協力せねばならないのだろう。面倒くさい。
確か、サゼーナ・ウェルニーと言ったか。
過去に共同研究をしたことがあった。生粋の研究馬鹿だったと記憶している。そこまで婚約者に執着するようなタイプではなかったはずだが。
……婚約者か。彼女の婚約者は、そう言えば誰だったか。
彼女の問題を解決しようとする以上、婚約者にかけられた魔法は解除しなければならないだろう。
シルカが不安定になるだろうが、むしろその隙をついて自分に心を開かせれば問題ない。
取り敢えずはその婚約者を調べて、どの程度の魔力が必要になるかを調べるべきだ。私は重い腰を渋々上げた。
授業が終わったようだ。一応の礼儀として開いていた教科書を閉じ、荷物を手早く纏める。配布された魔道具である指輪は、殆ど研究し尽くしてしまった。その際弄りすぎて大変な代物が出来上がってしまったので自室に封印している。
この学園は、概ね前世の自国の高校と大学が混ざったような雰囲気だ。クラスは決まっていて好きな教授や授業は選べないが席は自由、教授は各々学園に研究室を持っていて魔法研究に没頭している。
個人的にはところどころに違和感を感じるが、この国は価値観の違いがありふれている国柄だ。その違和感にも慣れた。そういう点では、この国はまだ前世の記憶を持つ者に住みやすい国だとも言えるだろう。
さて。隣を見て、少し考える。同じクラスで、いくらか関わりがある彼は、いかに面倒臭がりで人の顔と名前に興味がない自分でもシルカの取り巻きの中にいれば気づくものだ。
情報の得方というものがさっぱり思いつかず面倒になったため、取り巻きに直接当たってみることにしたが、さて、また煩く言われるだろうか。
もうお分かりだろう。私は勉強は出来る方だと自負しているが頭脳戦には向いていない。所謂、勉強の出来る馬鹿というやつだ。
考えればそれなりに出来るのだろうが、正直魔法に関するもの以外に頭を使いたくはないし面倒なので今の所その予定はない。
……ところで、話をしたことがあるものの名前を思い出せない人間には、どうやって話しかければ良いのだろうか。
「……ハルド?なに、じっと見て」
考えているうちに、向こうの方から声がかかった。元より陰鬱そうな雰囲気のある男だったが、意思の一部を支配されている今は目の奥に光が無く、いっそう陰鬱な印象になっている。
「いえ、少し聞きたいことがありまして」
そうにこやかに言いながら、彼にかかった魔力を探る。問題はどこまで思考が残っているか、だ。恋心に関する部分に隙はないとして、生活する上での全ての思考を何人分も一度に支配することはシルカの脳が数個ない限り不可能だろう。
しかし、仮にシルカについて探る言葉を話すとシルカ本人に知られるような仕掛けがされていれば、情報を得るのは途端に困難になる。何より、彼女が私に対して不信感を覚えてしまうだろう。それは良くない。
「ふぅん。……どうでもいいけどさ。もしかしてまた僕の名前忘れてない?」
私が笑顔のまま無言を貫くと、彼はがっくりと項垂れた。この辺りのやり取りはいつも通りだ。シルカがこのくだりを知っているとは思えないし、やはり日常会話に干渉しているわけではないのだろう。
何となくほっとするのを感じ、自分が思っていたよりも彼との会話を気に入っていたことに気づき少し意外に思った。
「いつになったら覚えるの……トト・カナーラだよ、成金カナーラの息子」
「ああ、そういえば」
彼……トトは、自己紹介をする度に皮肉げに成金を強調する。卑屈な男だ。そうは言っても富豪で将来有望なのには変わりなく、彼も今はこんな有様だが商売となると営業スマイルや営業トークであっと言う間に商品を完売させる実力を持っている。
「そういえばって……」
溜息を吐きながら机に額をつけるが、小さく「まぁ、君のそんなところに救われているんだけどさ」と呟く。
「それで、何。聞きたいこと」
「ああ、最近シルカと仲が良いですよね?」
「…………シル、カ?」
トトは一瞬顔を歪め、次いで上げたその顔は、奇妙に笑っていた。
「シルカは天からの使いだよ。こんな僕にもいつも優しくしてくれる!笑顔が可愛くて、明るくて、誰にでも優しい、あんな娘初めて会った!」
誰にでも優しくて明るい、天からの使い、ね。
自分の中のシルカとは真逆な印象を語るトトに、苦笑が漏れる。この文言はゲームのままなのか、はたまた彼女が自分で考えているのか。後者だとしたら一体どんな顔で考えたのかを想像して、つい吹き出してしまう。
「……何。文句ある」
「いいえ?」
スイッチはやはりシルカの名前のようだ。シルカに情報が伝わるような仕掛けがされている様子もない。続けて尋ねる。
「随分とご執心なようですね。確か婚約者の方が居ませんでした?」
「……婚約者なんて、名目だけだ。君も知っているだろう?この学園にはそんな関係ごまんとある」
「ですが、君は婚約者を蔑ろにするのを良しとする性質ではないでしょう。関係も、悪いものではなかったと記憶していますが」
その質問に、トトの顔が歪んだ。
「……悪いものではない?蔑ろにされていたのは、こっちだ。あの娘はいつも、僕を馬鹿にしていた」
私は目を丸くする。彼女は……名はなんと言ったか、数度会った限りでは、確かに素直ではなかったが決してトトを見下しているようには見えなかった。トトを振り回したり尻に敷いているようにも見えたが、蔑ろにしているとまではいかなかったように思う。
むしろ、俗に言うツンデレ気質なのではと思っていた。それにトト自身も彼女が貴族なことに引け目を感じてはいたが、彼女自体を憎んでいるようには思えなかった。
「僕がシルカとどうなろうが、プライドが傷つく以外にどうとも思ってはいないよ」
コンプレックスと悔しさの入り混じったそんな顔は、もしかすると彼の心の奥の奥にしまってあった闇だったのかも知れない。それとも、これが元のシナリオで、シルカがなぞるように操っているのだろうか。
どちらにしても、その台詞は。
「まるで、どうにか思っていて欲しいと言っているような台詞ですね」
「……っ」
トトが目を見開いて私を見る。コンプレックスだろうが、悔しさだろうが、これほど強い感情は、それこそどうとも思っていない相手には向けない。ゲームでのトトか、実際のトトかは分からないが、婚約者を単なる政略結婚の相手だと割り切れていない証だ。
婚約者にこんなにも執着するトトには、シルカが望む心からの愛情はあげられないだろう。
トトはしばらく混乱したように額を肘杖で支えていた。かすかに、その身に纏うシルカの魔力が揺らぐ気配を感じる。
取り巻きはシルカの魔力を受けて婚約者へは冷たく接するようになった。それが、悪感情を増幅させる類のものか、シルカの綴るシナリオ通りに行動させる類のものかは定かではない。
ただ、 人の心を操る繊細なそれは、魔法の効果が最も現れているその時、心そのものを揺さぶってしまえば多かれ少なかれ綻びが生まれる。
落ちた沈黙を長いため息で打ち消し、トトは話題を変えることにしたようだ。
「……で、なんで急にそんなこと聞くの。君、人のこと気にする性格じゃないよね」
「心外ですね。友人の様子が可笑しければ、普通は心配するものでしょう?」
「……名前も覚えていない友人を、ねぇ」
じっとりと半目で睨めつけられ、軽く肩を竦める。
「……ウェルニー家のご令嬢と共同研究をしようという話がありましてね。彼女の婚約者がサーテライン嬢に懸想しているという噂を聞きまして、まぁ、火種になりたくはありませんのでとりあえず情報を集めようかと」
嘘は言っていない。確かに彼女と共同研究をしようという話はあった。ただそれが既に立ち消えになっているというだけの話だ。
「ふぅん。ウェルニーねぇ……ああ、なら、君も知ってる奴じゃないか」
そうしてトトが出した名前に、私は少なからず驚いた。
アークス・キューズロンダという男は、優秀な男である。
魔法に関することにおいては私やシルカよりは劣るにしても、全てにおいて幅広い知識を持ち、頭は切れる。常に冷静で大抵のことはそつなくこなす。
一言で言えば、器用な男だ。
まぁ、私の主観を交えるとすれば、いけ好かない男、となるが。
未来の宰相候補とまで噂される彼は、知識は広いが潜るほど深くはない。魔法に関しても、そこそこ実力があるにも関わらず、決して極めようとはしない。その点で言えば、努力に努力を重ねるどこぞの真面目王子の方が余程好ましい。
冷めた視線で世を見て悟った気になっている高二病男は、何故か私の神経を逆撫ですることばかりする。
なまじそこそこの頭があるため、私の性格から最も嫌がる事を割り出して実行することが容易なのだろう。
初めは気にもしていなかったが、あまりに羽音が煩ければ蚊にすら殺意を抱くのだ。況や大の男に於いてをや、である。
面倒なことになった。思わず喉からため息がこぼれる。サゼーナ・ウェルニーを黙らせる上であの男にかかった魔法を解くのは必須であろうが、解いた後については確実にどの面においても面倒くさいことになる。そもそも、男に限ったこととはいえ優秀な者にばかり魔法がかけられているからこそ辛うじて表面化しなかったようなもの。宰相候補(笑)のあの男が正気に戻れば早々にシルカの件は国に報告されてしまうだろう。出世のために下手に隠蔽すれば逆に後々の自分の首を絞める、彼はそう考えるタイプの人間だ。
それ以前に、せっかくここの所羽音が無くなったと気分良く過ごしていたところだ。まさかシルカに魅了されていたとは思わなかったが、それを解いてまた煩くされては敵わない。
非常に面倒なことこの上ないが、腹をくくるほかはないようだ。
取り敢えず魔法を解いた後も煩くされないよう、ついでに国に報告されてしまわないように弱味を握るべく、気に入らない相手の情報を集めるという苦行をこなすことにした。
そうこうするうちに放課後である。今日は報告会はないので真っ直ぐシルカのいるベンチへ向かう。
「ハルド様!」
私の姿を認めたシルカが、表情を緩めてこちらに手を振った。短い時間だが、やはり魔法が効かなかったのが大きいのだろう。シルカとの距離は着実に縮まっている。因みに、名前に関しては半ば強引に呼ばせた。他の友人たちを名前で呼んで私を呼ばない理由はない筈だ。
その点以外では、私は意識してシルカと友人としての距離を保っている。特別優しくしたりだとか、甘い言葉をかけることはない。人に対してやはりどこか壁を作っているシルカに警戒させないため、普通の人付き合いというものを思い出させるため、と理由は多々ある。しかし何より、私自身があの取り巻きたちのような薄っぺらい言動と同列に扱われたくはなかったからである。実質限りなく一目惚れに近いものではあるのだが、それを信じろと言われても今のシルカには難しいだろう。少しずつ、しっかりと信頼関係を結び、シルカの目をこちらに向ける必要がある。
基本的に魔法以外の事には無精気味な自分がこの過程を楽しんでいる事実に、何より重いことだと笑みがこぼれる。
「シルカ嬢、お待たせしてしまいしましたね」
「全然!そんなことないですよ。寧ろ、いつも私なんかのために来ていただいてすみません……ハルド様、忙しいのに」
シルカの発言はいつもどこか卑屈だ。それが彼女の素なのか、それとも環境に歪められた結果なのかは定かではないが、これが今の彼女の性格であることは確かだろう。
ふと、今朝トトの語ったシルカの印象を思い出し、吹き出す。
笑顔が可愛いはともかく、明るくて誰にでも優しければこんな事件を起こす筈がない。天からの使い?むしろ、天によって歪められたも同然だろうに。
卑屈で、弱くて、独り怯えてうずくまっている。これが、本当のシルカ・サーテラインだ。
「……ハルド様?」
不思議そうに目を丸くするシルカに、出来るだけ優し気に微笑を返す。
「すみません、少し、思い出し笑いを」
「ええ?ハルド様が思い出し笑いって、なんか意外です。よっぽど面白かったんですね!」
何故だか自分の事のように嬉しそうに笑うシルカに、しばし見惚れる。いくら魔法で縛られているからといって、普段のシルカを褒め称えている男たちは、見る目がないと思う。あんな作り物染みた錆びた笑顔などより、何倍も魅力的なものを、彼女は持っている。そうしてそれに、誰も……彼女自身ですら、気付けていない。
「……大したことではありませんよ。くだらないことです」
そう。本当にくだらない。ただただ、さもしい感情のまま悦に入っているだけなのだ。
シルカの弱さを思う自分こそ、なにより弱い人間だということくらい分かっている。
シルカは、自分の取り巻きについて話すことはしない。日にあった他愛のない話ばかりで、相談も、頼ることもしない。時折、不安そうにこちらを伺っていることもある。多くの男を侍らせて歩く自分をどう思っているのか、気にしているのかもしれない。
それから、お互いの話をぽつぽつと、小雨のように地面に落とし合った。じんわり染み込むようなそれは、そういえば、前世と合わせても今までになかったような会話の方法だと思った。勢いに任せた軽いものでも、事務的なものでも、重過ぎるものでもない。静かで穏やかな空間だった。悪くない、と思った。
翌日。アークス・キューズロンダ、そしてサゼーナ・ウェルニーの調査の途中経過を報告するための会で、私は亡霊を見た。
「……貴方、同類でしょ、なんとかなさいよ……!」
「……うわあ」
悪役というよりただの性格の悪い人になっています。おかしいな。