命の危機はともあれ意識改革が目下の目標
ターナス様の演技は沢山の拍手に包まれて終わった。
綺麗に一つ礼をしてから降壇する彼の元に駆け寄る。
「ターナス様!最高でした!とても美しい技芸でしたわ!」
「それなら良かった。精霊が応えてくれたお陰で助かったな」
ターナス様はくす、と軽く笑って、私の頭を撫でてくれる。
「私、ターナス様の魔法も……」
「ターナス、久しぶりだな」
私の言葉に雑音が混じった。
「シャルク」
ターナス様の微笑みが雑音の源に向いてしまう。私は舌打ちしそうになるのをこらえつつ、二人の会話に身を引いた。
シャルク様は絶妙に人を苛つかせる自信に満ちた笑みを浮かべながらターナス様を労う。
「中々良い演技だったじゃないか。まさか精霊魔法が成功するとはな」
「ああ、今日は彼らの気分が良い日だったらしい。僕も安心したよ」
「そうだな。お前はそういった危険は避ける性質だと思っていたが……セルテを裁いたことが自信に繋がったか?」
シャルク様の発言に、ターナス様は苦笑した。
セルテ・シャードレ。先日ターナス様を侮辱し綺麗にしっぺ返しを食らった木偶の坊である。その名を聞いただけで腹が立つ。
眉をひそめる私の横で、ターナス様が瞼を伏せる。
「……セルテのことは……残念だった。才能ある男だったが……」
シャルク様は呆れたように鼻を鳴らした。
「才があっても益が無ければ意味がない。少なくともお前に益がある人間じゃなかっただろう。だから言ったんだ、あれは第二王子派だと……」
「シャルク」
ターナス様が咎めるような声でシャルク様を呼んだ。
私は、今聞いた単語を頭に浮かべ直し、眉をひそめる。―――第二王子派?
落ちた沈黙に、シャルク様が首をひねる。
「……なんだ、キーラには教えてないのか」
「……」
口をつぐむターナス様。私は彼に詰め寄った。
「どういうことですか、ターナス様。『第二王子派』とは一体?貴方を差し置いて、第二王子殿下を推す声があるとでも?」
「……キーラ、君は気にしなくていい。僕の不甲斐なさが原因だ」
「不甲斐なさ!?そんなはずありません、私が直接その方々にお話して―――」
「キーラ」
強い口調で遮られ、私は口をつぐむ。
「……君は、この間僕が言ったことをもう一度よく考えるべきだ。…………今の君には、僕は何も話すことが出来ない」
きっぱりと言い切られる。
強い瞳が私を突き刺す。言葉が出なかった。
「……お、おいターナス?何もそこまで……あ、おいキーラ!」
私は、自分の役目も忘れてふらふらとその場を後にした。
拒絶された。
ターナス様に……出会ってから、初めて。
何も話せないときっぱりと言われてしまった。
何がいけなかった?私は、何を間違えてしまったのだろう。
この間、ターナス様が言ったこととは、どれのことだろう。
考えなきゃ。考えなくては……嫌われてしまう。
確かターナス様は……そこまで考えて、どん、と何かにぶつかった。
「おっと失礼。大丈夫かい?」
どうやら人だったらしい。謝ろうと口を開きかけて、その顔を見上げて思わず絶句する。
今日はシルカの取り巻きに縁のある日なのだろうか。
軽薄そうな笑みを浮かべてこちらを見る男―――ソルティダ・リーンスルトが、そこにいた。
「……あら、私ったら少し小鳥が空を舞うのに気を取られて……失礼いたしました」
よそ見をしていましたごめんなさいとだけ言い残し、その場を辞そうとすると、かく、とつんのめってしまう。
何故か足を出され転ばされかけた。
その足の主である男は、いかにも心配そうにさっと私を支えた。
「……っと、体調でも悪いのかい?そんなふらふらした様子では一人だと心配だ。僕で良ければ、付き添っていてあげよう」
「……いえ、結構で」
「さあこちらへ、一緒に闘技でも見ていよう」
「いえあの」
「ああ、闘技は趣味じゃなかった?それなら中庭を散歩でもしようか」
私の控えめな否定を全く聞かず、彼はさっさと話を進めると、中庭に向かう。……私の肩を支えたまま。
厄介なことにこの男、シャルク様のように悪気なく人の話を聞かないのではなく敢えて聞こえないふりをしているようだった。
厄介だし、面倒だ。嫌な予感がする。
けれど……あまり頭が働かない。
先程のターナス様の言葉が頭の中を巡って、目の前の男に意識や興味が向けられない。
確か、ロードラーザ様がこの男に関して何か言いかけていて……チェナが、引っかかることを言っていた気がする。
思い出そうとするけれど、繰り返し思い出されるのはターナス様の声。私には何も話せないと言った。いつの間にそれほど信用を失ってしまったのだろう。
やっぱり、ターナス様に隠し事などするべきではなかった。
でも、どうして言えるだろう?
あの真面目な人に、貴方は気づかないうちに婚約者を裏切っているのよ、だなんて。
ただ、笑っていて欲しいだけなのに。
光に満ちた目で、私を見て欲しいだけなのに。
考えているうちに、彼の足が止まった。
はっとして顔を上げると、いつの間にか中庭の人気の途絶えた一角にいた。
―――まずい。
流石に我に返る。この状況は宜しくない。
「……迂闊な子だね。駄目じゃないか、こんなところで男と二人になるなんて」
リーンスルトは、からかうような口調で微笑んだ。
しかし、その瞳の奥は笑っていない。
男と二人だから、というよりも、命に関わるような危機を感じる。
咄嗟に彼を強く突き飛ばした。じりじりと後ずさり、身構える。
ふっ、と、リーンスルトの顔から微笑みが消えた。
あっと声を上げる暇もなかった。
スラリと抜かれたものは短剣だ。その硬質な光が目を刺す一瞬の間に、私は木のゴツゴツした感覚を背に感じることになった。顔の横には、短剣が深々と刺さっている。
どくどくと振動を感じて、自分の心臓が激しく胸を叩いているのだと気づいた。
人を簡単に傷つけることが出来る刃。そのひんやりとした気配を感じながら、とてもそちらを直視できない。直視すれば、きっと立ってすらいられなくなるだろう。
「…………真意を知りたい」
「…………は、ぁ?」
やっとのことで声を出す。声が掠れていた。私は一つ咳払いをして、相手を睨みつける。
「その企みの正体だ。一体何を考えている?」
「…………貴方、何を言っているの?」
こういう場合、開口一番『何のことだか分からない』と言うのは間違いだ。
まるで異国語を聞いているような顔で聞き返すのが正解だとチェナに聞いた。
相変わらずあの子の知識が底知れないけれど、今はあの子の顔を思い浮かべるだけで、少し心が落ち着く。
睨みつけたまま、「はぁ?」と言い出しそうな顔でいる私を、リーンスルトは目を細めて観察する。
ざり、と擦れる音。きい、と金属の鳴る音がして、顔の横に刺さった短剣が抜かれるのを感じる。
ぎく、と肩を震わしてしまい、悔しさに口を噛む。
その刃が鞘におさまり、懐にしまわれていくのを、我知らず注意深く見届けていた。
「……流石殿下の婚約者というべきか。肝が据わってる。悲鳴一つあげない」
「……あげられたら、貴方が困るのでは?……貴方、何者なの。逆賊だと言うなら、直ぐに声をあげるわ」
「逆賊?」
男はハッ、と嘲笑した。
「何を言ってる。私は……」
彼の次の台詞を、唾液を飲み込むことすら忘れて待つ。
その時だった。
「ああぁああ!!!」
大きく何かが擦れた音と鼓膜を劈くような悲鳴が彼の言葉を遮った。
そちらを見ると、やけにふわふわとした髪の令嬢が、ふわふわと立ち上がるところだった。
その服はどろどろで、先ほどの音は彼女が盛大にこけた音だとわかる。
私は思わず息を吐き出した。彼の方も毒気を抜かれたのか、呆れたような顔で彼女を見ている。
「うぅうー……やっちゃったぁ……あ!ソル!」
「ハーミ……」
「もう!また女の子と一緒にいる!ソルのおばか!うわきんぼ!」
「……ハーミ、今は……」
リーンスルトが彼女を窘めようとすると、ハーミと呼ばれた少女は両手を腰に当て、頬を膨らませた。
「ソールぅー?だ・め!って言ってるよ?本気で怒るよ?」
「…………」
意外にも、リーンスルトは黙ってしまった。特に迫力のない怒り方だが、力関係は彼女の方が上らしい。
「もーソルはおばかさんなんだから。サーテラインちゃんにまでうわきするしぃー」
「……いや、あれは……」
「ソルのおばかさん!」
「…………」
ハーミ様がこつん、と殴る真似をすると、リーンスルトは完全に沈黙した。
ハーミ様はふわふわした足取りのまま、くるんと振り返り、私を見た。
「小鳥さんがお元気そうね!私はハーミ・ユーティアル。ソルがごめんなさいね?」
「……ええ、元気よ。私はキーラ・カルバーナ。……まぁ、気にしてないわ」
彼女は、彼が短剣を出したところを見ていないらしい。あまり騒ぐのも得策ではないだろう。
私が感情を抑えて言うと、彼女は「ふふっ」と笑った。
「知ってる。王子様の婚約者様でしょ?ね。ずっと聞きたいと思ってたの」
「……何かしら」
「あなたはどうしてサーテラインちゃんを許してるの?」
意外な質問に、私は口を閉じる。
少し前まではよく聞かれた質問だ。けれど、シルカの様子がおかしかったあの出来事以来、全く聞かれなくなった。
私がシルカを憎んで苛めていると、誰一人疑っていないと思い込んでいたけれど。
「……許すとか許さないとかではないわ。彼女にも事情があるもの」
「なんで、その事情を信じられるの?だって、私はソルが浮気してるから許さないよ?あの子のこと思いっきりいじめてやりたいもん!」
思いのほか過激な発言に少し驚くが、そういえば、この子もシルカをよく思っていなかった婚約者集団のうちの一人だった。サゼーナやベルクルド様と違って前には出ず、彼女たちが率いていたABCDのような有象無象にすら埋もれてあまり目立ってはいなかったけれど。
「ねぇ、なんで?」
―――そうよ、どうして?
おかしいわ。あの子のことが憎たらしくて堪らないもの。憎まれて当然のことをしてるのよ?
あの子のことなんてどうでもいいじゃない。あの男に言われたからって、それが何?
どうして私が、あの子を気遣ってあげているの?
私の口は、自然に動いていた。
「……私、なりたいの」
ハーミ様が、こてんと首を傾げる。
いつかのお父様のお言葉と、ターナス様が紡いだ綺麗な校歌を耳に聴きながら、私は続けた。
「……ターナス様にふさわしい人に、なりたいの」
それは、これまで生きてきた中でずっと心にあった目標だ。
しかし、今、以前までとは少し形が変わっている。
ターナス様に好かれるためだとか、周りから認められるためだとか、要は、自分の欲求のための手段に過ぎなかった目標。
けれど今は、心から思う。
あの人にふさわしい人になりたい。そうでなければ、何より自分で自分を認められない。
きっと、ターナス様が私の立場だったら、あの子を恨まないのだろう。感情のままには動かない。一度冷静に受け止めて、相手の話を聞いて、全てを丸く収めてから、彼女の謝罪を受け入れるだろう。
先程のターナス様の言葉を思い出す。
きっと、そんな彼の優しさを甘さと捉えた人間が、彼に反発しているのだろう。何でも許してしまう王は、国を揺るがしかねない。
それを彼自身も自覚しているのだ。
彼は、変わろうとしている。
それを認めもせず、支えようともせず、ただ否定する者を排除しようとする妃は、果たしてふさわしいと言えるのだろうか。
それに、きっとそんな妃は周りからの反感を買う。
自分を大切にしてくれと彼は言った。優しい彼は、私のことまで考えて、あえてあの時の私を突き放したのだ。
私が考えに浸っていると、何を思ったのかハーミ様は、「ふふふっ」と笑った。
「なあんだ」
それだけ呟き、くるっと踵を返す。ふわふわの髪が、ふわりと綺麗に舞った。
「ハーミ、」
「ソ・ル!帰るよー」
「しかし」
「だあめ!良いから帰るの!」
「……分かったよ、僕のお姫様」
最後の最後で、もとのキザったらしい口調に戻ったリーンスルトは、私をじろりと一瞥してから、ハーミ様の手を取って去って行……
「あああぅぁあ!?」
「ハーミ!?」
もう一度ハーミ様が盛大に転がってから、去って行った。
……何だったのかしら。
おかしいところはいくつもある。彼の口調の変化、ハーミ様と意外にも仲が良いこと、それから、私を疑う態度。
そして一つ思い出した。チェナはいつかのお茶会で言っていたのだ。『リーンスルトに口説かれたことがある。身分の問題で断り辛かった』と。けれど、彼女の身分は私より少し低い程度。対して彼の家は、低いとは言えないまでも、特別高いわけでもなかったはずだ。
私はしばらく彼らが去った後の中庭を眺めていたが、ふと澄んだ青空を見上げた。
引っかかることは多い。けれど、ともかく今はターナス様と仲直りしなければ。
先程気づいた決心を伝えるのだ。きっと彼は、優しく頷いて頭を撫でてくれるだろう。




