円滑な人間関係には深呼吸が不可欠
「な、なんだよお前ら!何するつもりだ!」
「まぁまぁ落ち着いてらして?少しこちらにいらしてくだされば良いのよ?」
「そうよ、少しお黙りなさい。カルバーナ様のお耳が穢れてしまうでしょう」
「カルバーナ様、お連れ致しましたわ」
「ありがとう。もう行って良いわよ」
私は一つ頷いて、彼女たちにお別れの挨拶をする。
「あ、あの……でも私たち」
「行って、良いわよ?」
「はいぃ!」
とても良い返事をして、ABCDたちが帰って行く。
やはりこういうややこしい時は権力のゴリ押しに限るわね。私はひとり頷き、彼に向き直った。
「イビール様、でしたわね?ほんの少し小鳥の囁きをお聞きしたいのだけれど」
「……あ、あなたは、この間の……」
イビールは少し眉をしかめた。
私はそれににっこりと微笑み、彼に話を持ちかけた。
―――
そして大会当日である。
初日は魔法闘技大会。私は闘技場へ向かう傍ら、当初の予定通りターナス様に張り付くべく、彼を探していた。
登校時は一緒だったのだが、一度クラスごとに集まるため逸れてしまったのだ。
最近、ターナス様とシルカが一緒にいる場面を見ることが少なくなった気がする。
それは大歓迎なのだが、その理由が分からないことには安心できない。元々学園に通う間も王宮に戻り仕事をしていたりするため、忙しいひとであるのは確かなのだが……。
そういえば、先日ターナス様に自分を大切にしろと窘められてしまったが、具体的にどうすればいいか未だによく分かっていない。また怒られてしまうかも知れないが、滅多にない機会なので存分に怒られたい気もする。
兎にも角にもターナス様を見つけなければ。
目を皿のようにして闘技場へ続く人の波を見回していると。
「あ、ターナスさま。おはようございます!」
「あぁシルカ、おはよう」
少なくなったと考えた側から、嫌な場面を見つけてしまった。これはいただけない。
私は彼らの方へ猛スピードで歩いた。
「あらターナス様。小鳥のさえずりが心地いい朝ですわね」
「シルカ嬢ではないですか。おはようございます」
私の言葉に重なるようにして発された声の方を向くと、にこやかな笑顔のロードラーザ様がいた。どうやら彼も同じ時に見つけたらしい。
私たちは目配せして、同時に彼らをべりっと引き剥がした。
「は……ハルド……様……?」
「キーラ……?」
困惑する二人にそれぞれで笑いかけ、反対方向へ向かう。
(時が来るまでは絶対に逃がしたりしないでくださいね)
(こっちの台詞よ)
大体そんな感じのことを目で伝え合い、私たちはそれぞれの獲物をしっかり掴みつつ引きずって行った。
「……あれ、キーラ?いつの間に……」
かなり離れたところで、やっと正気に戻ったらしい。ターナス様がぱちぱちと瞬きをしながら、私を見て首を傾げる。
「ターナス様、お疲れですか?ずっと一緒だったではないですか」
「そう……か?」
納得いかないように首をひねりながらも、頷く。
私は彼の腕にしっかり腕を絡め、しがみつきつつ、無事に引き離せたことにほっとしていた。
シルカは元のシルカに戻っていたようだった。あの異常な様子はなんだったのだろう。なんにせよ、ターナス様に害がないのならば問題ない。
そういえばロードラーザ様はシルカの前だからか、表情から完全に毒を消していた。あの性格でどう誑かしているのかと思ったが、シルカに対しては妥協しないらしい。逆に気持ちの悪い男だ。
「ターナス様。この大会は一緒に見て回りましょう」
「ああ、そうだな。君は闘技には参加するのか?」
「いえ。私は準備に参加しましたので、評価は既に頂けていますから。ターナス様はどうなさるんですか?」
「そうか。僕も特に予定はないな。飛び込みの技芸会に参加するのでも良いが……」
「まぁ!」
私は手を叩いた。技芸会は闘技大会の種目の中で唯一の純粋な技術を競う競技だ。しかも、この競技は事前に決められたチームで戦う他の種目と違い、当日、個人で飛び込み式で参加し、その技術点を更新していく仕組みになっている。
ターナス様の魔法の技術は素晴らしい。
彼の得意とする光魔法を始め、水魔法や生物魔法を絡めた美しい魔法と魔法の絡み合いを魅せる巧みさとセンスは見る者に必ずため息をつかせる。
「それは素敵ですね!ぜひ見たいです」
「君がそう言うなら参加してみようか。しかし、最近はそういった練習もしていないしな……あまり期待はしないでくれるとありがたい」
照れたように笑うターナス様に頷いて、私たちは闘技場内の技芸会を行っている一角へと向かった。
会場を進みかけて、私は足を思わず止めた。
「どうした?キーラ」
「いえ……」
ターナス様に聞かれ、私は止めていた足を進める。
正直、あまり近づきたくない。
技芸会をやっているあたりには人が集っている。その中心、今まさに技を披露している二人。
シャルク・スペータと、トト・カナーラ。二人とも、それぞれ別の方面で顔を合わせたくない人物だ。
カナーラと顔を合わせたくない理由は言うまでもない。彼は今は正気なのか、穏やかな……というよりは、ものすごくやる気のなさそうな陰鬱な表情で料理を作る妙な植物を生み出している。うねうねした枝を奇妙に操り、卵を焼く謎の植物。審査員を務める大会運営委員の生徒が、とても微妙な表情をしていた。技術点はともかく、見た目の優美さを評価する加点は期待しない方が良いだろう。
一方、その隣からは高らかな笑い声が聞こえる。きらきらした細かな光の粒が空に帯を描く。火の粉がはじけるようにそこかしこで花開き、会場に色を添えた。技術も美しさも惚れ惚れするほどだが……いかんせん、笑い声が邪魔だ。率直に言ってしまえば、煩い。常の自信満々に上がった口が、さらに誇らしげに吊り上がって表情も煩い。無駄に派手な身振りで魔法を使うその仕草も煩い。全身が煩い。存在が煩い。
「ん、ああ……シャルクか。あいつはこういう魔法が得意だったな。ふ、ますます上位を狙うのは難しそうだ」
「……そうですね、魔法は、綺麗ですからね」
楽しそうに笑うターナス様に、相槌を打つ。
私の顔を見たターナス様が、小さく吹き出した。
「そうか、キーラはあいつが苦手だったな」
「ええ」
はっきりきっぱり頷く。
そう言えば、彼もシルカの魔法の餌食になっていた。関わりたくないけれど、後々は関わる事になるのだろう。
会話をしているうちに審査が終わったようだ。案の定、カナーラには加点が付かず、スペータ様はこれまでの最高得点をたたき出していた。カナーラは肩の荷が下りたように息をつき、スペータ様は当然だと言うように顎を上げにやりと笑っている。
「暫定一位は、シャルク・スペータ様です。次の挑戦を希望する方は受付にお越しください」
「あ、ターナス様、受付だそうです」
「ああ、じゃあ行ってくる。少し待っていてくれるか?」
「はい」
頷くと、ターナス様は笑顔で軽く私の頭を撫でて、受付に向かっていった。
ああ。心が浄化される。ターナス様素敵。少し話しただけで、身勝手無精万能男に振り回されたり、自由姦し暴走研究娘に耳をやられたり、無表情常識人風研究馬鹿娘バカのバカップル的振る舞いを見て疲労感を覚えたりその他噂やら階段から落とされかけたりやらで苛々していた気持ちが穏やかになっていく気がする。自由でアクが強く我が道を行く人々に囲まれているせいで、ターナス様とのちょっとした気遣いに満ちた会話が身に沁みる。
しかし……幸せというものは、何故こうも儚いものなのだろうか。
「む?キーラじゃないか?」
「…………」
振り返りたくない。
が、それで気のせいだと諦めてくれるような気遣いは、彼にはないことは分かりきっていた。
渋々振り返ると、案の定。先程話題にのぼったシャルク・スペータ様が立っていた。
「ああやっぱり。同じ学園に通っているのに、久し振りじゃないか?」
「…………」
私は無言で微笑んだ。挨拶さえしなければ、会話をしないで済む。
そんな私の微々たる抵抗を意に介さず、独りで話を進めるシャルク様。
「ああターナスが出ているのか。奴もこういう場は得意だからな……この俺の次にな!」
「……っ、…………」
もう少しでターナス様こそ一番だと言いそうになるところを、堪える。彼は仮にも王族なので、滅多なことを言うわけにはいかないのだ。
「それにしても……少し様子が変わったか?真面目なのはいいが、俺と違って甘っちょろいところがあるからな。心配していたが、この間は無礼な真似をした馬鹿をきっちり裁いたようだし」
言葉の端々に引っかかるところはあるが、彼なりにターナス様を気にしていたらしい。
「ま、成長しようが、この俺に追いつくにはまだまだだがな」
「……………………」
「次代の王を目指すならば、やはり人間としても、男としても俺を超えてからでなくてはな!」
「とっ……………………」
「……と?そう言えばキーラの声を聞くのは本当に久しくなかった気もするな。まあ俺の威厳に躊躇う気持ちも分かるが、大人しいばかりでは王妃は務まらんぞ。俺は寛容だからな。なんでも遠慮せず言うと良い」
とっくに超えていると口走りそうになってしまった。
私が余計なことを言うまいと黙っているせいで、何か勘違いされてしまっているらしい。
今口を開いたらまずいので、私は黙って微笑む。極力会話はしたくない。
その時、少しざわめきが大きくなった。次の技芸会が始まるようだ。
「あ、ターナス様……」
私はそう呟き、それとなく会話をしないままにそちらへとシャルク様の意識を促した。
「ああ、来たか。さて、お手並み拝見だな」
……よし、今回もなんとか切り抜けた。無駄に疲れた。だからこの人と会うのは苦手なんだ。
とりあえずターナス様の魔法に癒されよう。
軽く魔法を使って調子を確かめているターナス様に目を移して、そっと息を吐いた。
ぽう、と、柔らかな光が宿った。
ゆるく開いた手のひらの上に、丸い光が点々と宿っていく。
ターナス様の魔法は、柔らかい。
人の心を温める色をしている。まるでターナス様そのものみたいだ。
同じ光でも、シャルク様のものとは全く系統が違う。
ターナス様はまるで我が子でも見るような優しい瞳でその光を見て、緩やかに手を動かした。
腕の軌道に沿って、次々に青々とした葉がひらめく。
そのままふわりふわりと落ちた葉が、地面に降り立つと光と共に花を芽吹かせる。
薄桃、蜂蜜色、空色。目に優しい愛らしい花々が、ターナス様の足元で咲き誇る。
光が空に溢れ、地が花で満ちたあと、ターナス様がそれまでとは異なる言葉を唱えた。
「生を生き、生を愛し、生を楽しむ者よ。我が花を愛でる意思があるならば、我が光と遊ぶ心があるならば、姿を見せておくれ」
歌うように紡ぐ言葉は、精霊魔法。
体内の魔力だけを使う通常の魔法と違い、気まぐれな精霊の力を借りるため確実に発動するわけではない。
ターナス様の今の魔法はただ精霊を呼ぶだけの魔法。だが、彼らの本質は悪戯好きだ。悪戯しにくくなるため、姿を見られることはあまり好まない。
「……失敗しやすい精霊魔法か。肝が据わっているのか愚かなのか。このままでも十分な出来だったのに欲をかいたか……」
ああ煩い。心配しているらしいとはいえ、何故隣でこんな上から目線な台詞を聞いていなくてはならないんだ。
ターナス様が失敗するはず無い。あの美しい魔法が完成するさまを、集中して見たいのに。
丸い光が、色を変えていく。ゆるく形を変えていく。
ぱちん、と泡が弾けるように光が弾け、中から小さな人形の生き物が出てきた。精霊だ。
精霊はくすくすと軽やかな笑い声をたてながら、他の光をつついて割っていく。まあるい黒目が、つり気味の赤目が、垂れ気味の緑目が、皆緩やかに弧を描いて笑っている。
ターナス様は慈しむように彼らを指で撫で、それから花へと促した。
「ありがとう友よ。尊敬すべき隣人たちよ。叶うならばもう少し、手伝いを頼みたい」
精霊たちはその優しい指に擦り寄ってから、目配せし合い、次々と花に降り立った。
花が、音を奏でる。
精霊たちが楽しげに花びらを踏むたび、綺麗な音が鳴る。
はじめ不協和音だったそれらが、ターナス様の指に合わせて踊るようになって、一つの音楽になってゆく。
聞き覚えのある音。この学園の者なら誰でも知っている音楽。
校歌だ。
気づいて、私はそれに合わせて歌った。
ターナス様と目が合う。
嬉しそうに微笑まれて、私も笑顔になる。
やがて、一緒に歌う者がぽつぽつと出始め、最後には見ている者全員の大合唱になっていた。
隣で別の技を魅せていた生徒にも、ターナス様は笑って促し、ついには巻き込んでしまった。
皆楽しそうに歌っている。審査員も観客も、戦っているはずの生徒まで。ターナス様の指揮に合わせて、花咲くような笑顔になっている。
ああ、これが、ターナス様だ。
優しくて、穏やかで、そして、強く人を惹きつける力を持っている。
楽しみを知らなかった私に、いつも楽しい気持ちを教えてくれる人。
―――そんな彼を奪った彼女が、憎い。
ふと、思考に不快な色が混じる。
そんな色、この綺麗な風景の前には必要ない。
私は長く、長く息を吐いた。




