◇私はこの世界の主人公なの/登場人物メモその1
三人称→登場人物の名前と性格の軽いメモ→一人称というややこしい構成になっています。登場人物メモは殆ど既出の情報なので読み飛ばしても大丈夫です。
シルカは、ぼんやりとベンチに座っていた。
その膝の上には、もふもふとした獣が眠っている。
仔犬ほどの大きさのそれを撫でながら、獣を受け取った時のことを思い返す。
―――
ハルド・ロードラーザがシルカのもとへ来るのは、大抵シルカが一人の時だ。
特に、シルカが何かをやらかしてどうしようもなくなっている時には、必ずと言っていいほど現れる。
「全く貴女はまた……」
仕方がないなと呆れながらも、深い落とし穴にはまって動けなくなっているシルカを優しく引き上げる。
「……ハルド、様……」
すみません、と身を縮ませる。シルカの魅了が効かないハルドには、シルカの失敗はただ迷惑なだけだろうと申し訳なくなる。
ハルドはその冷たい美貌を緩めるでも歪めるでもなく、ただ気にするなという風に首を振った。
「それにしても、何故こんなところに落とし穴が……明らかに生徒に落ちろと言わんばかりの場所ですね」
軽く眉をあげて、ハルドはその場に屈む。そのまま手を落とし穴の縁に触れた。
静かな水の流れの音と密やかな闇の気配が僅かの間したかと思うと、ハルドはため息をつきながら立ち上がる。
「またあの悪戯好きな双子の仕業ですね。何度この魔力を除去させられたことか。この間きっちり絞られたと聞きましたが、懲りていないようですね」
あっという間に犯人を特定したことに、シルカは手に滲んだ汗を握り込んだ。
いつシルカの罪が暴かれてもおかしくはない。ハルドの力を目にするたび、シルカは震えていた。
シルカを振り返ったハルドは、その様子に眉をひそめた。
「……シルカ嬢?どうなさいました」
「い、いえ……」
シルカが首を振ると、ハルドは眉をひそめたままだったが追求はしてこなかった。
「それにしても、貴女は目を離すとすぐに危機に陥りますね」
私が仕掛けるまでもなく……と小さく呟かれた言葉は、幸か不幸かシルカの耳には届かなかった。
「突然魔力が無くなるという事件も起こっているようですし、心配なので貴女に預けておきます」
恐縮しきりのシルカに、ハルドは仔犬ほどの大きさの毛玉を差し出した。
ふかふかとしたそれを受け取り、シルカは首を傾げる。
「これは……?」
「魔獣です」
「まじゅっ!?」
丸まっていた毛玉がもぞもぞと動き、にょき、と顔が飛び出す。
「う、ウサギ……?」
横にまっすぐ伸びる長い耳、つぶらな瞳、栗色の毛。少し犬歯の鋭い兎のような姿のそれが、シルカをきょとんと見つめる。
「魔力は補充したので、いざとなったら彼が貴女を守ってくれますよ」
「えっ、でも、こんな……預かれない、です」
「気に入りませんか?」
シルカは魔獣を見つめた。正直なところ、可愛いと思い始めていたが、しかし、シルカはハルドにここまでしてもらうことが申し訳なかったのだった。
「私が友人を勝手に心配しているだけなので、貴女が気に病む必要はありませんよ」
「友人……」
シルカは噛みしめるように呟いた。ぎゅ、と魔獣を抱く腕に力を込めると、ちろ、と鼻を舐められた。
「きゃ、」
「……彼も貴女を気に入ったようですね?」
ハルドの言葉を発した途端、何故か魔獣が小さくぶるりと震えた。
「あの、この子……名前はなんて?」
「あぁ………………、貴女が決めて構いませんよ」
不自然な長い間のあと、ハルドはにこりと笑んでそう言った。魔獣が何故か暴れ出したので、シルカは慌ててその頭を撫でて宥める。
「じゃあ……ぴょん太くん?」
「ぶふっ」
ハルドが突然吹き出し、魔獣改めぴょん太くんはぴしりと固まった。
シルカはその様子に眉を下げた。
「……すみません、名付けのセンスがないんです……」
「い、いえ……っ、素敵な名前だと思いますよ」
肩を震わせつつも優しげな笑顔でハルドは頷いた。
少し話して、ハルドは予定があると言って立ち上がった。
「あの、」
「はい?」
こくりと唾を飲んで、シルカは小さく、
「ありがとう、ございます……いつも」
と言って、微かに笑ったのだった。
―――
ゲームの中にはなかった出来事だ。
シルカには分かっていた。ほんの些細な差異であれば、現実とゲームの違いだと思える。しかし、隠しキャラで、二周目以降にしか起こらないはずのハルドとの邂逅。ハルドの過去に纏わる魔獣を預けられるというゲームにはなかった展開。
しかも、本来起こるはずのイベントの大半が行われずに、魔力盗難事件が始まっている。攻略を進めるどころか、事件にすら関われていないのがシルカの現状だ。
その違いの大きさは重大だ。
けれど、シルカは、明確な違いの証であるはずのぴょん太くんをぎゅうと抱きしめた。
「シルカ」
呼ばれて、はっと顔を上げる。魔法という力技で攻略した男達がぞろぞろと近寄って来たのだった。シルカは慌ててぴょん太くんをベンチの下に隠す。
「どうしたの?みんな揃って」
シルカがいつも通りの笑顔で迎えると、それぞれが声を上げた。
「心配だった」
端的に言うのはアークス・キューズロンダ。ゲームでは硬い無表情の奥に孤独を隠したキャラクターだった。
「最近変な事件が起きてるでしょ、一人になっちゃダメだよ」
心配そうに眉を下げるのはトト・カナーラ。ゲームでは商才に恵まれながらその生まれに強いコンプレックスを抱いていた。
「特に君のような美しい女性は、事件なんてなくとも一人になるべきではないね」
シルカの手にそっと口づけを落とすのはソルティダ・リーンスルト。ゲームでは女誑しの女好き。ただし一筋縄ではいかない面が人気だった。
「シルカには俺がいるだろう?何かあれば真っ先に頼れ。こんな腰抜けどもではなくな」
居丈高に笑うのはシャルク・スペータ。ゲームでは自信家で俺様。殿下とは従兄弟で幼馴染なため、気安く言葉を交わす。
「シルカ。君が望むなら、俺が君の剣となろう」
騎士の礼をとるのは、セルテ・シャードレ。ゲームでは情熱家でシルカを女神のように崇めていた。
いつもの通りの耳慣れた台詞。しかし、不意にシルカは固まった。
「……ターナスさまはどうしたの?」
とりわけかかり辛く、何度も厳重に魅了を施し学園では殆どシルカの傍にいるはずのターナス・ストロレイジの姿がなかった。
これまでもそういったことはなくはなかった。が、今、この場にいないことが何故か妙にシルカの心を揺らめかせた。
「ああ、殿下は仕事だそうだ」
アークスが淡々と報告する。
仕事。仕事で、いない。普通のことだ。
しかし、その普通のことが、シルカには大きな綻びの予感がしてならなかった。
シルカの頭に、あの令嬢の顔が浮かぶ。
何度も打ち消した、嫌な予感の根源だ。
頭が揺れて膝が震えている気がしたが、シルカにはどうすることも出来なかった。
笑うことも出来ず、ただ震えていると、ソルティダが訝しげに声をかけてきた。
「どうかしたかい?」
声が出ない。シルカは開いた口を震わせた。
不確かで不明瞭。何の根拠もない不安が、シルカから冷静さを奪っていく。
それを止めることが出来るのは、甘い言葉を囁いて来る目の前の彼らではない。
その時、突然シルカのふくらはぎにあたたかく柔らかい感触がした。
ベンチの下で、ぴょん太くんが頭をぐりぐりと擦り付けていたのだ。
ふ、と全身から強張りが解けた。ぴょん太くんと、彼をくれた男の気配がシルカから余計な力を取り除かせた。
「……ううん。なんでもないの」
何も考えていない、明るい笑顔を浮かべ、シルカはやっと皆に笑みを振りまいた。
――――――登場人物メモ―――――――
キーラ・カルバーナ
第一王子ターナスの婚約者で身分の高い貴族令嬢。基本的にターナスのことしか考えていない。
ターナスの天然ボケとマイペースに振り回されてきたので若干ツッコミ気質。よく自分のことは棚にあげる。性格悪い
ハルド・ロードラーザ
『ゲーム』の隠しキャラと同姓同名のそこそこ身分のある貴族令息。魔法を生きがいにしている。シルカがお気に入り。
転生の記憶のせいでかなり歪んでいる。神が嫌い。ものぐさなのは前世から。割とすぐ開き直る。性格悪い
ターナス・ストロレイジ
第一王子でキーラの婚約者。今のところ操られているのでそんなに性格が目立たない。キーラ視点では盲目なフィルターを通しているのでものすごく人格者扱いされている。照れ屋でちょっと変人気質。性格良い方
シルカ・サーテライン
平民だが高い魔力で学園に途中編入してきた少女。根は内気でネガティブ気質に近いほど謙虚。
転生と魅了のせいであまり良くない家庭環境の中育った。演技力はそこそこある方。性格は普通
チェナ・ミランネ
キーラほどではないがそこそこ身分のある貴族令嬢。噂話を集めるのが好き。ただし無闇に広めることはない。
仲のいいキーラには気前よく情報をあげる。そこはかとなくスペックが高い。性格は悪くはない
サゼーナ・ウェルニー
キーラと並ぶか少し低いくらいの家柄の貴族令嬢。研究馬鹿。ロードラーザやシルカの知るゲームにはいなかった。甘えたで子供っぽいところがある。今一番人生が楽しい。性格は良くも悪くも無邪気
アークス・キューズロンダ
代々宰相を輩出している家の貴族令息。器用貧乏に近かった。どこが特化しているわけでもないが大体なんでもできる。今は主にサゼーナに特化している。性格は良くはない
トト・カナーラ
貴族ではないがかなり有力な商家の息子。ロードラーザの数少ない友人(顔見知り?)。貴族に対するコンプレックスが酷い。かなり魔法にかかりやすい。性格は卑屈なだけで悪くはない
ソルティダ・リーンスルト
貴族令息。女好き。性格悪い
シャルク・スペータ
王家の血筋の貴族令息。俺様。性格良くはないけど割と素直
セルテ・シャードレ
代々騎士を輩出する家の貴族令息。情熱家の野心家。かなり魔法にかかりやすい。性格悪い
―――
私はどろどろと震えていた。
気持ち悪さへぐちゃぐちゃだ。頭の中にどろどろで、がたがたな止まらない震えを理解できていなかった。
女の人が近づいてきて、私に言った。優しい笑顔だった。
「あんたがお腹の中にいたとき。二人ですごく喜んだんだ。ずっと欲しくて、出来ないと諦めてたからね。難産だったよ。近所の人ら総出で、大変な騒ぎだった。あんたも私も、死ぬって言われてたね。でも奇跡が起こったんだね。あんたは元気に生まれてきた。これ以上なかった。幸せだったよ」
女の人はにこにこしていた。私はかちかちと鳴る歯で、女の人に手を伸ばした。
震える手は強くはたき落とされる。
「何であの時、奇跡なんて起こったんだい?」
女の人は目を見開いた。唇は相変わらず奇妙に笑みを描いていた。
「どうしてあんたは、あの時、生まれる前に死んでくれなかったんだ!」
私はがたがた、震えていた。
あの時。
生まれる前。
死ぬような痛みの中ぐちゃぐちゃになって魂ごとすり潰されて死んだ日。
どうして私は死ななかったんだろう。
どうして、生まれる前にきちんと死なせてくれなかったんだろう。
あの時味わった痛みはなんだったんだろう。
私が失った大切なものたちはどこへ行ったんだろう。
なんで私は不幸を撒き散らしながら生きているんだ?
何のために、私は、ずっと前の、大切なものたちを忘れられずにいるの?あの苦しみを、身を裂く痛みを心や体に刻み付けられているの?
私は何のために。
それに気づいたのは、それほど早くもなければ遅くもなかった。
初めに出会った女の人と男の人から引き離されて、私は魔法を習う学校に行かされることになった。
親戚だという人たちが、辛うじて後見人になってくれた。
その学校を見て気づいたのだ。
私はこの『ゲーム』の主人公なのだと。
私は笑った。
そうか、ゲームの主人公だからか。
不遇で、健気に生きる主人公。
そのために、あの出来事は起こったのだ。
私はもう一度笑った。
それなら、ならば、私はきっと愛されるのだろう。
愛がなんだったか、どんな意味だったかはあまり思い出せないけれど、とても素敵で、暖かいものだった気がする。
優しい攻略対象者に囲まれて、幸せに暮らすのだろう。
きっと。
私は魔法を使って笑顔を振りまいた。
皆優しい顔をしてくれる。
これが愛されるということだろう。
違う、というのは分かっていたけれどよく分からない。
私は平凡だ。どこも取り柄がない頭も良くない要領も悪いけど主人公だ。
そんな私は現実的に考えたらモテるはずもない馬鹿みたいだけどここはゲームの世界で。
だから魔法を使う使ってもいいはずだだってここは私の世界。
使わなければ好かれるはずがないそんなことないそんなわけないだったらどうしてこんなところに生まれたの。
誰かに愛されたい。
愛されなければ、生まれた意味などない。
誰でも良いから。
……良くない。
分かってないけど、分かっている。
目立つところのない私が好かれるはずなんてない。
実の親を誘惑する汚い私が、格好良い人たちに愛想を振りまく浅ましい私が、あの頭の良い人に好かれるはずがないってこと。
神様。いるんでしょう。私をこうやって転生させたくらいだからいるんでしょう。
せめて返事くらいしてください。
なんで私を殺してくれなかったんですか?
ねぇ、いるんでしょう。私がこうやって転生したくらいだから他にもいるんでしょう。
あの子なの?物語みたいに、あの子が私の世界を壊すの?
壊すなら壊して。
壊さないで。
はやく壊して。
壊さないで。
ずっと、この状態でいられたら、
せめて不幸にはならずに済むんだ。
だからお願い。
それでも。
…………私はあの人だけが良い。




