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真夏の夜の夢恋物語

作者: ゆにこーん

七月のある夜。堪らない蒸し暑さで僕は目を覚ました。

枕元の目覚まし時計を見れば、時刻は深夜十二時を回ったところ。

気怠くベッドから起き上がり、カーテンの隙間から外を覗く。

朝から降り続いていた雨は、既に止んでいた。

僕は再びベッドに潜り込むと、眠りにつこうと目をつむる。

しかし、部屋に籠もるじっとりとまとわりつく暑さでなかなか眠りに落ちることはできなかった。

ただでさえ寝付けない夜が続いていたというのに。

こんな時、僕は散歩に出掛けることが最近の習慣となっていた。

寝間着からラフな服装へと着替え、ポケットに携帯電話と小銭入れを押し込むと、玄関でサンダルを足に引っかけて外へと繰り出した。

遠くから鈴虫たちのリーン、リーンという涼やかな音が聞こえてくる。

それを聞きながら、僕はいつもの散歩コースを歩いていく。

住宅街は静寂に包まれていて、サンダルのかかとが擦れる音と鈴虫たちによる演奏会以外は何も聞こえてこない。

まるで、この世界から僕以外がいなくなってしまったかのような錯覚を覚えるほどだ。

ふと、空を見上げる。

まだ雨雲がちらほらと散らばっていたが、その間からは金色に輝く丸い月と川のように流れる星々が顔を覗かせていた。

歩き出して十分ほど経っただろうか。住宅街の中にポツンと設けられた公園へとたどり着いた。

散歩コースの目的地である。

入り口に置かれた自動販売機でサイダーを購入する。

首筋に当てると、ひんやりとした感触が熱を帯びた体に実に心地いい。

僕はそれから奥のベンチへと歩き出す。

そこに座ってサイダーを飲みつつ、適当に時間を潰す。

そうして僕の散歩は終わり、家に帰って再び眠る。

プルタブに指をかけ、フタを開けようとする。

と、既にベンチに誰かが腰かけているのがうっすらと見えた。

こんな時間に、こんな場所に誰かがいるなんて珍しい。

自分のことを棚に上げて、そう心の中でひとりごちる。

僕と同じで眠れない人が涼みに来たのだろうか。

だんだんと近付くにつれてその姿がはっきりと見えてきた。

その人は女の人だった。

それも今まで見たことがない、息を呑むほどに綺麗な美女。

まるで、おとぎ話に出てくる天女のようだ。

「あら、こんばんは」

僕の存在に気付いた彼女は、にこやかな笑顔を向ける。

「こ、こんばんは」

突然話しかけられた僕は、声が裏返りそうになりながらも挨拶を返す。

「キミも涼みにここへ?」

「えっと、そんなところです」

花が咲いたような笑顔で見つめられる。顔がだんだんと火照っていくのがわかった。

彼女はポンポン、と空いている自分のとなりを軽く叩く。となりに座らないかと促しているようだ。

僕は少し躊躇いながらも、お言葉に甘えておずおずととなりに腰をかけた。

そんな僕を見て、彼女はくすくすとおかしそうに笑む。

「ここには、よく来るの?」

「眠れないときに、ここまで散歩に来て一息ついたら帰ってまた寝るんです」

あなたもここへはよく来るんですか? と聞き返すと、彼女はあごに人差し指を当てて悩むように首を傾げる。

「私は……年に一回来るか来ないか、かな」

そう言う彼女の表情は、先ほどと一転して悲しみの色へと染まった。

「本当はね、今日はある人に会いに来たんだ」

「……その人とは会えたんですか?」

気が付いたら、僕はそう質問していた。

「ううん、会えなかった」

「どうして、会えなかったんですか?」

少しの間を置いて、彼女は口を開いた。

「その人と会うためには、川を渡らないといけないの。とても、とても大きい川を、ね」

僕は黙って耳を傾ける。

「だけど大雨で渡れなかった。今年会えるのは昨日だけだったから、次に会えるのは来年かな」

それを聞いて、僕は怪訝に思う。

川を渡らないといけないけど雨で渡れなかったということは、橋がないため船で渡るしかない大きな川ということになる。

しかしこの近くでそんなに大きな川なんてあっただろうか。

寂しそうに語っていた彼女。だが、スグニ最初の笑顔へと戻った。

「だからもう帰らないといけないの。ここには、帰る前にちょっと寄っただけ」

そう言って立ち上がり、僕へと向き直る。

「変なこと言ってごめんね。あと聞いてくれてありがとう」

じゃあね、と彼女は手を振りながら公園を後にする。

「あ、あの!」

僕は勢いよく立ち上がり、その背中に向かって叫ぶ。

「来年は、その人に会えるといいですね」

彼女は一瞬きょとんとして。

「……うん!」

と、今までで一番輝いた笑顔を僕へと向けた。

瞬間、キュッとした痛みが体を貫いた。

去っていく彼女の背中を見送る。ずっと。時間を忘れたてしまったかのように。

思い出したようにサイダーのプルタブを起こして一口飲む。

喉を通るそれは、もう温かった。


あれから五年の月日が経った。

俺は十八歳になり、進学するために日々勉強に追われている。

今でも暑くて眠れない夜には公園へと散歩する習慣は続いている。

今日は七月八日。昨日も日が変わる直前まで雨が降り続いた。

雨が止むのを待つと、あの日と同じく携帯電話と小銭入れをポケットに入れて散歩に出かける。

あのおとぎ話通りなら、彼女にはもう既に相手がいる。

でも、話をするだけでもいいからまた会いたかった。

たった一度、たった数回ほどしか言葉を交わさなかったけれど。

俺はあの日、彼女に一目惚れをしてしまった。

公園へと到着し、足早に奥のベンチへと歩を進める。

そこには、あの日と変わらない姿で、あの日と変わらない笑顔で。

彼女は、そこにいた。

「あれ、久し振り。何年ぶりかな? 大きくなったねー」

俺の、初恋の相手。


「こんばんは。久し振りです、織姫さん」



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