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鋼鐵の女豹  作者: 月野原行弥
第一章
7/28

ビールがこんなにも美味しいものだったとは知りませんでした

「―――はい、家の斎司郎がたまたま拾ったようでして」

『―――――』

「かしこまりました」

『―――――』

「はい、それはもう重々承知いたしておりますので」

『―――――』

「夜分にお騒がせして申し訳ございませんでした。それでは、失礼いたします」

 女の娘を案内して斎司郎が茶の間へ足を踏み入れると、斎之進はどこかへ電話をかけているところだった。黒電話を前にして直立不動で立ち見えない通話相手にしきりとぺこぺこと頭を下げているところを見ると、よっぽど頭が上がらない相手と話をしているようだった。

「祖父さま、お連れしました」

 受話器を戻してから斎之進は額の汗を拭った。やれやれと疲れ果てたようにため息を吐いてちゃぶ台の前に腰を下ろす。

「長い話しになるやもしれんから、飲みものでも用意せんか」

「お茶でいいの?」

「気が利かんやつじゃ。こんな真夜中に茶など飲んでおられるか! 酒に決まっておろうが!!」

 女の娘に座布団をだしてあげていると斎之進が顎をしゃくってきた。お茶でいいかと聞き返したら怒鳴られてしまった。

「あなたはなにがいいですか?」

 斎司郎が女の娘にも訊ねると、黙ったまま首を小さく横に振って見せる。

「遠慮しなくてもいいですよ? どうせ、祖父さまに用意するついでだし。それに、なんだか長い話しになるかもしれないので、飲みものくらいないと間が持てないですよ?」

 斎司郎が重ねて勧めると、女の娘は俯いたまま「どんな飲みものがあるのかよくわからないのです……」と小声でぼそっと呟いた。

「おい、司郎。そちらにもなにか酒をおだしするのじゃ」

「えっ!? 未成年に呑ませちゃまずいでしょ……?」

「かまわんからごちゃごちゃいうておらんで、酒を持ってくるのじゃ!」

「はいはい、わかりましたよ……」

 背は高いし西洋人は日本人より大人びて見えるとはいうものの、やはりその女の娘はまだ成人しているようには見えなかった。酒を出すのを渋っていると、また斎之進から怒声が飛んできた。祖父さまに逆らってもむだだと覚った斎司郎は台所へ足を運んだ。

「外人さんだと日本酒は口に合わないかもしれないから、ビールのほうがいいかな……?」

 ワインでもあればそちらのほうがいいだろうが、あいにくとそんな洒落たお酒は用意してなかった。あるのは、ビール、日本酒、焼酎くらいだ。この中から選ぶのならやはりビールが一番無難な選択かもしれない。

 斎司郎は冷蔵庫からビールの大瓶を二本取りだし、ついでに中を漁って漬物やチーズ、ハムなど簡単な肴を見繕った。用意したものをお盆の上に載せ隣の茶の間へと運ぶ。ちゃぶ台の上に運んできたものを並べビールの栓を抜く。斎之進は洒落たタンブラーよりガード下の赤提灯で使っているようなビールメーカーのロゴの入った安っぽいコップで呑むほうが好きなので、斎之進と女の娘の前のちゃぶ台に置かれたのもそういうコップだった。そのコップに黙ったまま斎司郎がビールを注ぎ始める。

「せっかく別嬪さんが目の前におるというのに、お酌のお前ではのぅ……」

 斎之進はわざとらしくため息を吐いたが、斎司郎はさらりと聞き流して女性のコップにもビールを注いだ。

「こりゃ、司郎よ。お前も呑まんかい」

「いいよ、ぼくは。それに明日は普通に学校だし」

「つき合いの悪いやつじゃ……。つべこべいっておらんでさっさとコップを持ってこんかい! それにお前がビールくらいで酔うわけもなかろう?」

 しばらく無言で斎之進の顔を睨めつけていたが、やがて諦めたように小さくため息を吐くと斎司郎は隣の台所からもう一つコップを取って戻ってきた。

 酒好きの斎之進の孫だけあって斎司郎もかなり酒に強い体質でビールを四~五本呑んだくらいでは顔一つ赤くせずけろっとしている。もっとも、酒がなくては一日たりともいられないくらいの酒好きな斎之進とは違って、酒に強いだけで呑まなければいられないというほどの酒好きではなかったのだが。

「もしやこれはビールなのでしょうか?」

 自分の前に置かれたコップの中で金色に輝く液体から白い泡が立つのを目の当たりにした女の娘は、なぜだか瞳の中にきらきらと星を輝かせてどこかうかれた様子だった。

「では、なにはともあれ今宵の出会いに乾杯といくのじゃ!」

Prosit(かんぱい)!!」

「…………」

 三人で軽くコップを合わせると、女の娘はそれを一息で呑み乾してしまった。

「ほほぅ……。いい呑みっぷりじゃのう?」

 斎之進が瓶を手に取ってもう一杯お酌しようとすると、女の娘はそれを手で制して自分でもう一本の瓶をつかみラッパ呑みでごくごくと呑み乾してしまった。

「ぷはぁ~っ!! ビールがこんなに美味しいものだなんて知りませんでした。少尉殿たちがなんでビールの配給をあんなに心待ちにしていたのかがやっとわかりました」

 さすがの斎之進もそれを見て呆気にとられ、自分のコップに手酌しようとしていた手が止まってしまっていた。

 一方、ビールを呑んでうっとりした表情で目尻を下げていた女の娘の顔を見ると、斎司郎は黙って台所からビールをもう三~四本持って戻ってきた。栓を抜きそれを女の娘の前のちゃぶ台の上に置いてあげると、「ありがとうございます!」と嬉しそうに手にとって、またぐびぃ~っと一息で呑み乾してしまった。

「それでお前さんなのじゃろぅ? ご本社さまの蔵から逃げだしたのは?」

 手酌でビールを注ぎ足しながら天気の話しでもするかのようにさりげなく、しかしいきなり斎之進はその女の娘の正体について話しを切りだした。

「―――――ご、ご本社さまの蔵から逃げだしたって……? 祖父さま、なにをいってるの……?」

 女の娘にもう一本ビールの栓を抜いてあげようとしていた斎司郎の手が思わず止まってしまっていた。

「先ほどいうたであろう? ご本社さまに呼びだされておったと。蔵を開けたら中から飛びだしてきたなにかに弾き飛ばされてしまったそうじゃ。腰やら背中をしこたま打ってしもぅてご本社さまはかんかんでのぅ。わしらに蔵から逃げだしたものを捜しだせとの仰せであったわ」

 くいっとビールを呷りながら、斎之進はちらりと横目を女の娘のほうへ向けた。

「ちょっと待ってよ……。あの蔵から逃げだしたのがこの娘だっていうなら……」

 斎之進がいっているのは宝物殿や神輿蔵のことではなく隠し蔵のことに違いない。あの蔵に収められているのは祓っても祓い切れないくらい強いものが憑いていたり、そもそもなにが憑いているのかよくわからないものなど曰くのあるものばかりだ。幾重にも施された強力な結界と分厚い装甲、コンクリートで霊的、物理的に二重に護られたあの蔵を破れるものがいるとしたら九尾の狐のような伝説級の妖怪や悪霊くらいのものだろう。その蔵に閉じこめられていたというのがほんとうなら、この娘の正体はいったい……?

「申し訳ありませんでした……。悪夢にうなされて目が覚めたら光が見えたもので。思わずその光に向かって飛びだしてしまいました……」

 悪霊や妖怪、悪魔の中には可愛い、あるいは美しい女性の姿を装って人間を惑わし呼び寄せるものがいるのことは確かだったがこの女の娘がそんな恐ろしい物の怪の類いだとはどうしても思えなかった。しかし、女の娘が斎之進のいったことを否定せずぺこりと頭を下げたのを見て斎司郎は愕然となってしまった。

「―――き、きみはほんとうに物の怪だったの……?」

 喉がからからに渇いて上手く声がでてこない。斎司郎はちゃぶ台の上からコップをつかむとビールを一息に呑み乾した。

「それで、その後はどうしたんじゃ?」

「はい。取り乱して思わず飛びだしてしまいましたが、外もわたしが居た世界とはなにからなにまで違っていて混乱は増すばかりです。どこかに身を隠そうにもどの建物にも人がいてそれも叶いません。やっとのことで人気(ひとけ)のない使われなくなったような建物を見つけたわたしはそこへ身を潜めようとしたのですが、いきなり攻撃を仕掛けられ撤退を余儀なくされました」

 しかし、斎之進は女の娘の正体が物の怪だとわかってもことさら怯えた様子も見せず、茶飲み話しでもしているかのように手酌でビールを呑みながらのほほんとしていた。

「司郎がこちらさんが訳ありじゃというておったのはこのことじゃな?」

「その通りだよ」

 斎之進に目を向けられた斎司郎は頷いて見せた。

「ぼくじゃ正体はわからなかったけどかなり強力な物理的攻撃力を備えた物の怪だった。あんなのに狙われてたからなにかよっぽどの訳ありかと思ってたんだけど……」

「ふん……。単なる縄張り争いじゃったということじゃろうな。いきなり自分のテリトリーに踏みこんでこられたので先制攻撃を仕掛けたというところじゃろう」

「…………」

 訳ありだと思ったのは勘違いだったようで、斎司郎は頬を赤らめ俯いてしまった。

「まぁ、これも怪我の功名というやつじゃな? なんにせよ、ご本社さまのいいつけで捜さねばならなんだ相手がすぐに見つかったのは正直ほっとするわい」

 海千山千の斎之進でさえご本社さまのことを口にするときには首をすくめるような素振りを見せる。この祖父さまをここまで萎縮させてしまうご本社さまの恐ろしさに斎司郎も身がすくむ思いがしてならない。

「それで結局、この娘の正体っていったいなんなの……? 祖父さまがのんびりお酒なんか酌み交わしてるんだから、あまり危険な存在じゃないとは思うんだけど……」

 それはそうと斎司郎としてはご本社さまのことを考えるだけでも背筋が寒くなってくるのだが、この娘の正体がわからないとどうにも落ち着かないことも確かだった。

「そんなに怯えんでもだいじょうぶじゃよ。この娘さんは九十九神(つくもがみ)じゃからな?」

「―――えっ!?  九十九神さま……?」

「考えてもみぃ。ご本社さまの蔵ほど強力ではないが、家の神社とて結界で囲っておるのじゃぞ? 境内に足を踏み入れるときこちらさんは結界を破るようなまねをなにかしでかしておったかいのぅ?」

「そういわれてみると、確かに……」

 この女の娘は結界に違和感を覚えている素振りは見せていたものの、その結界に遮られることなくすいすいと境内に足を踏み入れていた。それに今は寂れているとはいえ、あのいわれのあるご本社さまの摂社に当たるこの十神社のご神域に足を踏み入れても涼しい顔で大飯をかっ喰らって酒までがぶ呑みしているのだから、邪悪な存在であろうはずがない。そもそも並みの物の怪ならご神域に満ちたご神気に触れただけでも跡形なく消滅してしまうはずだ。

「九十九神はもともとは魂のない器物じゃからのぅ。気が薄いので、わしも近づいてみるまで気づかなんだわ」

 この霊感の鋭い祖父さまが一目では正体を見抜けなかったのだから、たぶん外見や気だけでこの娘が九十九神だと見破れる霊能力者は数えるほどしかいないに違いない。

「祖父さまでもやっと見抜けるくらい気が薄いんじゃ、なにが変化したのかまではわからないよね? あ、でもご本社さまの蔵からなくなったものを調べればすぐにわかるのか」

「ところが、そうでもなくてのぅ」

 コップに注ごうとしたら空になっていたようで斎之進が瓶を振っているのを見て、斎司郎は新しいビールの栓を抜いて差しだした。

「ご本社さまから伺ったお話しでは、蔵から消えていたのはなにかの部品らしき古いメーターだったそうじゃ。記録によればヨーロッパ旅行にいったときに向こうの蚤の市で手に入れたものだったそうじゃが、それを買ってからというもの奇妙な夢にうなされるようになって持ち主が気味悪がってご本社さまのところへ納められたようじゃな」

「ちょっと待ってよ、九十九神さまって長い間壊されず大切に使われてきたものに魂が宿って変化(へんげ)するものでしょ? 部品一つだけだったってことは壊れたってことじゃないか。それが九十九神さまになれたっていうのはおかしいんじゃないの?」

 斎司郎が知る限り九十九神というのはどれもそれ一つで機能するなにかの道具、―――たとえば、人形とか包丁とか傘とか――、などが幾星霜を経て変化したとされる存在だった。人形の腕だけとか、包丁の柄だけとか、そういう一部分だけが九十九神化したという話しは聞いたことがない。

「それはご本社さまも不思議に思っておられてのぅ。じゃから、あれこれ考えておらんでご本人に訊いてみればよいではないか? のぅ、九十九神さまよ?」

「―――――っぶ……!?」

 それまで話しの蚊帳の外で嬉々としてビールをラッパ呑みしていた女の娘、いや九十九神はやぶから棒に話しを振られて咽せてしまった。

「―――だ、だいじょうぶですか!?」

 慌てて斎司郎がその背中をさすった。お風呂で背中を流してあげたときにもいやというほど感じていたのだが、その肌はなにかの器物が変化したとはとうてい信じられないほど柔らかい感触だった。

「―――す、すみません……。だいじょうぶです……」

 さすがに、がっついてビールを呑んでいたのが恥ずかしかったのか九十九神は薄っすらと頬を赤らめていた。

「ところで、話しを戻してもいいじゃろうか、九十九神さまよ?」

「はい」

 それまでのひょうひょうとした振る舞いを引っこめて真顔になった斎之進を前にして九十九神も居住まいを正した。

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