着馴れない浴衣がはだけないわけがない
「うわぁぁぁぁぁっっっっっ――――――――――――――――――――――!!」
思わず口から迸った絶叫で目が覚めた。
身体中からじっとりと冷たいいやな汗が噴きだしていた。
息が上がって呼吸が苦しい。
窓から射しこんでくるぼんやりと薄暗い外の灯りに照らされて見えたのは漆喰の壁が黄ばみがかった小ぢんまりとした部屋だ。
そのほの闇い部屋の中、自分の口から漏れる荒い息の音だけが耳を打っている。
「―――な、なんじゃ、今の大きな叫び声は!?」
どたどたと板敷きの廊下を踏み鳴らして誰かが駆けてくる気配がした。
「あれっ、祖父さま帰ってたんですか? てっきり朝帰りかと思ってたのに」
「ばかもん! わしは呑み歩きにでかけておったのではないわっ!! ご本社さまからの火急な呼びだしで出向いておっただけじゃ」
廊下の奥から斎司郎ともう一人聞き覚えのない嗄れた声が話をしながらこちらへ近づいてくる気配がした。
「それより先ほど声はなんじゃ? 誰かおるのか?」
「それが色々とあって。てっきり今夜は帰ってこないと思ってたので明日話そうと思ってたんだけど……」
襖の外で斎司郎が嗄れ声をした誰かと話しているのが聞こえた。
「あのぅ……。大きな声が聞こえたんですがどうかしましたか?」
「申し訳ありません……。いやな夢を見ていました……」
「開けてもいいでしょうか?」
「はい。問題ありません」
「その前に一つ確認しておきたいんですが」
斎司郎は襖に手をかけながら念には念を入れて訊いてみた。
「服はちゃんと着てますよね?」
「ちゃんとという定義に適っているかわたしには判断できません。このような服を着たのは初めてですので」
「…………」
斎司郎が見ている前で躊躇うことなく一枚残らず着ているものを脱ぎ捨てようとしでかしたのだ。部屋の中でどんな格好をしていようとも不思議ではなかった。襖を開けたら一面肌色なんてことになるのを避けるためにしつこいくらいに念を押す。
(だいじょうぶかなぁ……)
不安の種は尽きないがあんな耳を塞ぎたくなるような声で叫ばれては中を確かめないわけにもいかない。斎司郎はもしものときにはすぐに閉められるようそろりそろりと襖を開き始めた。
「―――――うっ……」
「どうかしましたか?」
襖を細く開いた斎司郎は布団の上で上半身を起こした女の娘と目が合った。目が合った途端にそれを逸らした斎司郎に女の娘はきょとんとした。
しかし、見えてしまったらどこかの自称大作家の元都知事あたりなら大騒ぎしそうなとこだけはかろうじて隠れていたものの浴衣が寝乱れて胸の谷間やらおへそやらあちこちまる見えになってしまっていたのだからしかたがない。ほんとうはスウェットとかジャージを貸したかったのだが、男にしては小柄な斎司郎のものでは長身の女の娘には袖を通すことすらできないだろう。
やむなく浴衣を貸したら思っていた通りになってしまった。
「まぁ、なんともないようなのでよかったんですが……」
「なんじゃ、司郎。わしがおらんと思うて女子を連れこんでおったのか? お前も隅に置けんのぅ」
斎司郎の後ろから顔を覗かせた白髪白鬚の老人がにやにやしながら顎鬚をしごいた。
「―――ち、ち、違うよっ! 祖父さまじゃあるまいし……」
白髪白鬚の老人、この十神社の宮司にして斎司郎の祖父の斎之進にからかわれた斎司郎は顔を真っ赤にして両手を振り回しながら否定した。
「退魔の帰りに偶然出会って訳ありみたいだったから祖父さまにも相談しようと思って家に泊まってもらっただけだから……」
「なんじゃ、張り合いのない。わしがお前さんくらいの歳には毎晩違う女子を取っ替え引っ替えしておったもんじゃがのぅ……」
「そんなんだから、祖母さまが愛想を尽かしてでていっちゃったんじゃないか……」
「ん? なにかいうたかのぅ?」
祖母まで家をでていってしまったから除霊や退魔だけでなく家事まで斎司郎がやらなくてはならないはめになってしまったのだが、斎司郎の厭味くらい斎之進にとってはどこ吹く風だ。
「それにしても、えらい別嬪さんではないか?」
「祖父さま、女の人の寝室を覗くなんて失礼だから……」
目に浮かんだ好色そうな色を隠そうともせず女の娘の身体をじろじろと眺め回す斎之進を、斎司郎は必死になって押し止めようとした。
「けちけちするでないわ! 減るもんでもあるまいし」
「そういう問題じゃないでしょ!?」
それでもめげずにこちらを押し退けようとしてくる斎之進には、さすがに斎司郎も呆れ果ててしまった。
「お嬢ちゃん、お名前はな…………」
襖の前に立ちはだかって押し返そうとしてくる斎司郎の脇からひょいっと顔を覗かせた斎之進が女の娘に名前を訊ねようとした。だが、その女の娘と目が合った途端、斎之進の言葉は不自然に途切れてしまった。
「おい、司郎よ。その女子を茶の間へ連れてくるのじゃ」
「えっ? 話しならこんな夜中じゃなくて、明日の朝でもいいんじゃないの?」
「お前さんが訳ありみたいじゃといっておったじゃろう。それにかかわる話しじゃ」
「―――え!? どういうことなの?」
「四の五のいうておらんでお前さんは黙っていわれた通りにしておればよいのじゃ」
有無をいわせず斎之進は独りですたすたと先に茶の間のほうへ歩いていってしまった。
普段はどうしようもないエロ爺だが斎之進とて伊達に除霊や退魔の世界でこの歳まで生き長らえてきたわけではない。その気になればまだまだ経験の浅い斎司郎くらいではおいそれとは口を挟めないくらいの貫禄を漂わすことは造作もない。
「こんな夜中に申し訳ありませんが茶の間までおいでいただけないでしょうか? 家の祖父さまはいいだしたら聞かないもので……」
「いえ。夜中に叩き起こされることには慣れていますから」
斎司郎が腰を低くして頼みこむと女の娘は特に機嫌を損ねた様子もなく立ち上がって部屋からでてきた。夜中に叩き起こされることに慣れているとは、やはりこの女の娘の仕えていた主人は人使いの荒い人だったんだろうと、斎司郎は気の毒に感じてしまった。