美少女は空から降ってくるものと決まってます
夕方から開始した退魔だったが、廃病院の建物と敷地のお清めを終えた斎司郎が帰路に就いたころにはもうとっぷりと陽も暮れていた。魔物や悪霊の活動が活発になるのは陽が落ちてからのことなので退魔や除霊の仕事はどうしてもこの時間になってしまう。陽が高いうちから跋扈する魔物や悪霊もいないわけではなかったが、そういった魔物や悪霊は極めつけで強力な存在なので斎司郎みたいな生半可なものの手にはとてもではなかったが負えなかった。
「そういえば、ここも人が住まなくなってからずいぶんと経つけど」
家路を急いでいた斎司郎は通りかかった建物を足を止めてふと見上げてみた。
それは横浜や神戸の高級住宅地ならともかく、帝都東京近郊のこんななんの変哲もないつまらないベッドタウンにしては珍しい本格的な洋館だった。屋根の天辺に十字架が立っていることからその洋館が教会だと見て取れる。
だが、斎司郎が見上げた二階の窓には『X』字形に板が打ちつけられ、門灯にも灯りが点っていないことからもその洋館には誰も住んでいないことが一目でわかる。
「この辺りは駅からも遠いしお店もないから、住むには不便だもんなぁ」
なにせ病院が潰れてしまうくらいだから、この辺りは住んでいる人も少なく家も疎らだ。まして日本では信者の少ないキリスト教の教会に、こんな辺鄙なところまで足を伸ばす人がそうそういるとも思えなかった。
「まぁ、ぼくには関係ないけど」
よく整った美形の顔立ちだったが、線が細くてちょっと頼りなげな感じがする割には斎司郎も案外と冷たい性格かもしれない。それもそのはずで、白い小袖に浅黄色の袴といういでたちからもわかるように、裏では退魔や除霊の仕事をやっているものの、斎司郎の表向きの顔はとある神社の宮司の孫だったからだ。いわば教会は斎司郎にとっては商売敵みたいなものだったのだ。
―――――パリんっ!!
「―――――なっ……!?」
だが、再び家路を急ごうとして見上げていた顔を前に戻した途端、頭上からガラスが砕け散る音が響いてきた。驚いた斎司郎が顔を上げてみると、先ほどまでちょうど見ていた窓に打ちつけられていた板が内側から吹き飛ばされて宙を舞っているのが目に入ってきた。
「誰も住んでいなかったはずじゃ……? ―――ま、まさかここも魔物かなにかがでたとか……!?」
あまり歓迎できない考えが頭に浮かんで斎司郎の表情が愕然としたものになった。確かめようとしてガラスが砕かれた二階の窓にじっと目を凝らす。
「―――えっ!? 人なの……?」
斎司郎が食い入るように見つめている先で、ぽっかり開いた闇い窓の内側で人影らしきものが動いているのが目に入ってきた。
「そんな、無茶な……!?」
その人影は折れ残っていた窓の桟とそれにくっついたガラスをものともせずに体当たりするように突き破ると、二階から宙へ身を躍らせた。二階とはいっても本格的な洋館だったので、普通の一戸建てやマンションの二階よりかなり高い。
「―――――ほぇ……!?」
斎司郎が間の抜けた声を上げて二階を見上げたまま固まってしまったのも無理はなかった。スカートの裾をばたばたと風に翻しながら女の娘がこちらに向かって舞い降りてくる姿が目に飛びこんできたのだから。
「―――って、ぼけ~っと見とれてる場合じゃないよっ!?」
街灯の光を受け女の娘のつま先が鋭い輝きを放ったのを見て我に返った斎司郎は慌てて転げるようにその場から飛び退いた。アニメだったら、かっこいい主人公なら女の娘をお姫さまだっこで抱きとめ、ラッキースケベタイプの主人公だったらもつれ合って転んで胸を触ってしまうなりスカートの中に頭を突っこんでしまうなりする場面だったが、男にしては小柄な斎司郎では女の娘に踏み倒されるのがおちだろう。
ずしんっ―――――!!
「―――う、うわっ……!?」
『舞い降りる』と表現したのは訂正したほうがいいかもしれない。
一瞬前までまさしく斎司郎が立っていたところへ女の娘が着地した途端、地面が揺らいだような気がして斎司郎はつんのめってしまった。
「…………」
なんとか足を踏ん張って体勢を立てなおしてみたが、膝を曲げて着地の衝撃を和らげていた女の娘が立ち上がると、斎司郎の額に冷や汗が滴った。しゃがんでいたときにはスカートに隠れて見えなかったのだが、女の娘の足許を中心として歩道のアスファルトに放射状に亀裂が入っているのが目に入ったからだ。
「あなたは、いったい……?」
「――――――――――!!」
だが、目を見開いたまま女の娘とその足許の歩道の亀裂を交互に見遣っていた斎司郎はこちらへ向かって腕を伸ばしてきたその女の娘にいきなり突き飛ばされてしまった。
「うわぁ―――――っ!?」
確かに斎司郎も男子高校生にしては小柄だったが、女の娘のほうもすらっとした見かけによらず腕力が強かったようだ。斎司郎の足は完全に地面から離れて宙を舞い、少し離れた電柱に背中を打ちつけられてやっと止まったくらいだった。
「―――――っかはっ……」
背中を強打してしまったおかげで肺の中の空気が口から漏れ、息が上手くできない。なにがどうなっているのかまだよくわかっていなかった斎司郎は、電柱につかまってよろよろとなんとか立ち上がった。
「―――――えっ……!?」
息を整えてなんで自分のことを突き飛ばしたのかその女の娘に問い質そうとした斎司郎はその場で凍りついてしまった。突き飛ばされる前に自分が立っていた場所に穴が空いているのが目に入ったからだ。その穴は表面のアスファルトを完全にえぐって地面にお椀状にぽっかりと開いていて、まだぷすぷすと煙が上がっているようにさえ見える。それに比べたらアスファルトに亀裂が入ったことなど生易しく思えるくらいだった。
(そうか、あの娘、ぼくのことを助けてくれたんだ……)
その穴を見て、斎司郎はなんでその女の娘がいきなり自分のことを突き飛ばしたのかを理解した。
「あの、ありが―――――……」
びゅっ――――――――――!!
「―――――!?」
斎司郎が助けてもらったお礼をいおうと口を開きかけたたとき、なにかが想像を絶するような速さで風を切るような音が微かに聞こえてきた。その音は女の娘の耳にも届いていたようで表情を引き締めると立っていた場所からひらりと飛び退いた。
ぎゅるるるるるるぅ―――――っ!
「えっ……!?」
斎司郎の目には一瞬だがなにか白いものが女の娘が立っていたアスファルトの上に突き刺さるのが見えたような気がした。次の瞬間、そこからモーターかなにかが高速で回転しているようなかん高い音が響いてきたが、同時に白煙が吹き上がって視界を遮りなにが起こっているのかを隠してしまった。
「………………」
白煙が晴れると、そこには先ほどと同じお椀状の穴がぽっかりとアスファルトをえぐって空いているのが目に飛びこんできた。斎司郎の額にまた冷や汗が滴り、言葉が喉に貼りついて上手くでてこない。
「Scheisse!」
女の娘は斎司郎にはよく聞き取れない言葉で吐き捨てると、自分が躍りでてきた二階の窓を切れ長の目で睨みつけた。すると女の娘の周囲が陽炎のようにゆらゆらとゆらめきだしぼんやりと巨大な台形のなにかが輪郭を顕し始めた。しかし、そこで女の娘がなにかを思いだしたようにはっとすると陽炎は瞬く間に消え失せてしまった。
「なにやってんですか、逃げますよ!」
得体の知れない攻撃を仕掛けてくる相手に向かって反撃を試みようとしたように見えた女の娘の片腕を斎司郎はつかんで振り向かせた。
「あんなのとまともに遣り合ったら命がいくつあっても足りないですよ?」
もう片方の手で懐から護符を取りだすと、それを人差し指と中指の間に挟んで構える。
「ここは、三十六計逃げるにしかず、です」
そういうや否や、腕を振りぬいて手にした護符を鋭く飛ばした。風を切って飛んだ護符は狙い違わず二階の窓の中へと吸いこまれた。すると、その窓から目も眩むような目映い光が閃くのが目に入った。
「―――――きゃっ……!?」
「さぁ、今のうちに逃げますよ?」
悪霊にしろ魔物にしろ、この手の存在は光には弱いものがほとんどと決まっているので足留めするだけなら霊力の弱い斎司郎でもなんとかできる。
護符が閃光を放ったとき窓から魔物らしからぬ悲鳴のような声が聞こえた気がしたが斎司郎は気にも留めなかった。魔物の中には美しい歌声などで惑わし人間を呼び寄せるようなものも珍しくないからだ。
かまわず斎司郎は女の娘の手を引いて走り出していた。
(それにしても、この娘……)
ようやくと難を逃れて一息吐けた斎司郎は改めてその女の娘の姿をまじまじと見つめてみた。
最初に気づいたのはその背の高さだ。おそらく190センチは軽く超えているだろう。小柄な斎司郎よりは頭一つ分以上は確実に高かった。
次に目についたのは金色の髪だった。ショートで癖毛気味だったが、街灯の疎らな仄闇い中でも夜目にもくっきり見えるほど美しい輝きを放っている。
碧眼の瞳は眼光鋭く、くっきりとした眉。
肌はどこからどう見ても日本人では有り得ない白さだが、外人に有りがちなきめの荒い肌ではなく、絹のように滑らかそうな肌。
身に着けていた衣装がまた変わっていて、ビアホールのウエイトレスが着ているような胴衣でウエストを締め上げたドレスを着ていた。斎司郎は知らなかったがそれはディアンドルというドイツ南部やオーストリーのチロル地方の民族衣装だった。灰色がかった緑の生地は厚手で見た目にも上等なのが一目でわかったが、不思議なことにウエストエプロンを身体の前ではなく左右の脇に一枚ずつ着けるという妙な着こなしをしている。
そして、一歩一歩地面を踏み締めるたびにそのヒールがアスファルトにずっぽりと穴を穿っているどう見ても鋼鐵製にしか見えない鈍色に輝きを放ったハイヒールの靴。
(―――――が、外人さんだっ……!?)
自分が手を引いて走っていたのがどこからどう見ても白人の女の娘だったことに気づいて斎司郎は今さらながらうろたえてしまった。
ごく一般的な日本人なら誰しも一度は経験がありそうなことだが、街中で地図やガイドブック片手にもの問いたげな外人さんと目が合いそうになってしまったらついっと目を逸らした記憶が斎司郎にもあったからだ。
それにもめげず話しかけられでもした日には「あいきゃんとすぴーくいんぐりっしゅ」といい残してそそくさと立ち去ってしまったくらい英語も外人も苦手だった。
「ここまでこれば一安心かな……?」
かなり走ってから斎司郎はやっと速度を緩めた。もうさっきの教会はここからでは見えなくなってしまっている。
これだけ走り通しだったというのに華奢な見てくれの割りに斎司郎は息一つ切らしてはいなかった。伊達に除霊や退魔をなりわいにしているわけではなかったようだ。
(目眩ましをかけてから、一度も追撃を仕掛けてこなかったけど……?)
あれほどの攻撃力を備えていながら、こちらを追いかけてきている様子がないことが斎司郎にはどうにも解せなかった。光によっぽど弱い質だったのか、それとも地縛霊の類いであの教会から動くことができなかったのか?
(あんな物理的な攻撃力を備えた地縛霊なんてぼくは聞いたことはないけど……)
腑に落ちないことは多かったのだがともかく命拾いはできたようで斎司郎はほっとため息を吐いた。
(―――といっても、悪霊だか魔物だかはわからないけどあんな危険なのをほっとくわけにもいかないから、明日にでも祖父さまに霊視で正体を探ってもらわないといけないよね?)
誰かから依頼されたわけでもなくただ働きになるので祖父さまはいい顔をしないだろうがほっておくわけにもいかない。これも職業病のようなものだ。