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鋼鐵の女豹  作者: 月野原行弥
第一章
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除霊のご依頼はぜひ当神社まで

「また祖父(じい)さまに一杯食わされた……」

 一百野(いおの)斎司郎(さいしろう)は小さくため息を吐いた。

「あれ、下級だけど人の精を吸い取る悪魔の類いだよ……。ぼくの手に負えるようなレベルじゃないよ、まったく……」

 ぼやきながら、もの陰からそっと目だけを覗かせて辺りの様子を窺ってみる。

 灯りは点いていないが、ガラスが一枚も残っていない窓から射しこんでくる外の街灯の光で床一面に散乱したなにかのガラス器の破片、脚の折れたストレッチャー、カバーが破れ中のウレタンがはみ出したマットレスなどが目に入ってくる。遊園地によくある廃病院をモチーフにしたお化け屋敷もかくやのおどろおどろしい雰囲気を醸しだしていたが、一つだけ違っていたのはここがほんとうの廃病院だったということだ。

「護符でこちらの気配を消していられるうちに方をつけないと……」

 向こうにこちらの気配を覚られでもしたら、あっという間に一滴残らず精を吸い尽くされて殺されてしまうのがおちだ。こちらの霊力よりあちらの魔力のほうが圧倒的に強力なので、まともに遣り合っては勝負になる道理がない。

「久し振りの餌にありつけると思ったのに見失っちゃったからかなり機嫌が悪そうだよね……」

 見失った斎司郎を捜しているのだろう、瓦礫を蹴り飛ばしたりストレッチャーを放り投げたりしてもの陰を探っている。人が身を隠せそうにもないところまで手当たり次第なところを見ると、あまり知能は高くはなさそうだった。

「まぁ、そこにぼくがつけ入る隙があるんだけどね」

 そう独りごちると、斎司郎は白い小袖の懐から一枚の護符を取りだし軽くふっと息を吹きかけた。そうして口の中で小さく(しゅ)を唱えてから指先を当てて護符に自分の霊力を流しこむ。

「上手く引っかかってくれるといいんだけど……」

 その護符を人差し指と中指の間に挟み、手首のスナップだけで軽く宙へ飛ばした。斎司郎の手を離れた護符は悪魔の目の前までふわりと漂うと、そこで誘うように空中でぴたりと停止した。

「よし、かかった!」

 護符に吹きかけられた息から気配を感じ、悪魔にはその護符が斎司郎であるかのような幻覚が見せられている。目の前に不意に顕れた餌を見て、悪魔は嬉々とした咆哮を上げると獲物を捕らえようと腕を伸ばした。

「後は罠のところまで上手く誘いこめれば」

 わずかにだが注ぎこんだ霊力によって斎司郎はその護符を離れたところから自在に操ることができる。悪魔の手には捕まらないように、それでいて焦らしつつ誘いつつ、斎司郎はその護符を巧みに操って一本の長い廊下へと悪魔を誘いこんだ。

「よし、後もうちょっと」

 この廊下は左右に部屋の扉が並んでいて窓がなかったので、ほとんど闇に閉ざされていた。その(くら)がりの中で斎司郎の霊力によってぼんやりと青白く光を放った護符が、廊下の突き当たりにぽっかり口を開いた部屋の中へふわふわと吸いこまれてゆくのが廊下への曲がり角から様子を窺う斎司郎の目に入った。

「―――――!?」

 護符に釣られて悪魔がその部屋へ足を踏み入れると、部屋の突き当りと左右の壁、天井と床の五箇所にあらかじめ貼っておいた護符が目映い輝きを放ち始めた。霊気を宿した輝きに悪魔がたじろいだのを確認すると、斎司郎は小袖の懐から新たな護符を抜き放ちながら廊下の奥へ向かって一気に走りだした。

「今だ!」

 開いていた分厚い防音扉の内側に手にした護符を素早く貼りつけると、その扉を叩きつけるようにぴったりと閉ざす。間髪をいれず(しゅ)を唱える。廊下の突き当たりの部屋は窓もなく出入り口は正面の一箇所だけで頑丈な作りという、罠を張るのにはぴったりな手術室だった。

「――――――――――!?」

 すると、ほとんど隙間がない防音扉のはずなのに目を覆わんばかりの目映い輝きが溢れだし、耳を塞ぎたくなるような断末魔の絶叫が響いてきた。

「―――お、終わった……」

 扉から漏れていた輝きと叫び声が消えても、閉めた扉が開かないように押さえた姿勢のままで固まっていた斎司郎は、やがて力が抜けたようにずるずると床にへたりこんでしまった。

「―――ふぅ……」

 肺の奥底からため息を吐き、浅黄色の袴に手のひらをこすりつける。いつの間にか両手のひらは汗でびっしょりになっていた。額を防音扉にくっつけ床に手をついてしばらくの間項垂れていたが、やがて「よっこらしょ」と呟いたほうがさまになりそうなくたびれた様子でのろのろと立ち上がった。

「念のため中を確認しておいたほうがいいよね……?」

 斎司郎は懐から護符を取りだすと、右手の人差し指と中指の間に挟んでいつでも攻撃できるように準備してから左手でゆっくりと防音扉を開いた。もの音やなにかが動く気配が感じられないのを確認してから一歩だけ手術室の中へ足を踏み入れる。

「灯り、灯りっと……」

 呟きながら左手で懐から別の護符を取りだし、それを空中へ軽く飛ばした。斎司郎の手を離れた護符はふわふわと手術室の天井へ向かって上ってゆくと、そこで光を放ち始めた。そんなに明るくはなかったが裸電球一つ分くらいの光に照らされて手術室の様子がぼんやりと目に入ってくる。手術台の上には埃が積もり、床にはがらくたやなにかの器機が乱雑に転がっていてここも酷いありさまだった。

「ぼくに霊感があれば、こんなまどろっこしいことしなくても外から確認できるんだけどなぁ……」

 ぼやきながら左手でまた別の護符を取りだした。その護符をなにかの感知器かのように手術室のあちこちにかざして悪魔の気配を捜し回る。

「なんの反応もでないみたいだし、どうやら無事に退魔できたみたいだね」

 斎司郎が左手に持った護符はちょうどリトマス試験紙のように魔物や悪霊の気配を察知すると色を変えて知らせてくれる。霊能力者で除霊や退魔をなりわいとしているのにその気配を感じることがまったくできなかった斎司郎にはなくてはならないアイテムだった。

「それにしても背に腹はかえられないとはよくいうけど、虎の子の護符を六枚はちょっと痛かったな……」

 悪魔を祓ったことを確認し安心して気が抜けたのか、手術台の(へり)にふらふらと腰をかけた斎司郎はまたため息を吐いた。

「また護符に霊力をこめるのにどれだけ時間がかかるのかなぁ……」

 低級悪魔を祓うのにさえ罠を張って待ち構えなければならないことからもわかるように斎司郎の霊力はあまり高くはなかった。だから、手間と時間をかけて霊力をこめた護符を切り札として持ち歩いていないと、命がいくつあっても足りないくらいだ。

 その虎の子の護符を部屋の前後左右上下の六箇所に仕掛けて結界を張り動きを封じた上で護符にこめた霊力を一気に開放して自分より強い魔力を持った相手を祓うというのが今日使った作戦だった。

「―――って、こんなとこでぼやいててもしかたないよね……。後始末して、さっさと帰ろっと……」

 そう独りごちると、斎司郎は手術台から下りて除霊の道具を置いておいたところへと戻った。荷物の中から粗塩と清酒を取りだすとそれを廃病院の中に隈なく撒いてお清めを始めた。こうやって悪魔の霊力の残滓を消しておかないとそれに惹かれて別の魔物や悪霊を呼び寄せてしまうことにもなりかねない。

「すっかり遅くなっちゃったな……。早く帰って晩ご飯にしないとまた祖父さまにぶつぶつといわれちゃうよ……」

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