8話 「ヴィトの冒険(前編)」
エリスからもらった本は、僕が見てきたどの文献にも記載されていない情報や、一部の定説を否定する事実が載っていた。なぜこの本が魔女の一族以外の手に渡ってはいけないのか、十分理解できた。もっとも、僕もこの本はアウロラ以外の人に渡すつもりはない。特に母さんは、少し信用できない部分もあるので、注意しなければいけない。
「しかし、ここまでくるとエリスが僕のことを好きだっていうのも、冗談に聞こえないな……。こんな危険を晒してまで、僕のことを気にかけているなんて……。」
この間から時々、エリスのことが頭に浮かんでくる。普段はかなりエッチだが、時々見せるあの寂しそうな表情。過去に何かあったのだろうか……。それとも何か我慢していることでもあるのだろうか……。僕の疑問は一層膨れ上がった。
「うーん。こうなったら、エリスに会いに行ってみようかな?」
疑問は直接本人に聞くべし。そう思い、僕はこっそり出かける準備をした。アウロラには内緒でエリスのもとへ行くことにした。もちろん、今度こそお菓子を持って……。
出かけようとしたものの、一つ関門があることを思い出した。それはこの城から出る唯一の手段が「正門」しかないということだ。正門には常に門番が2人以上いる。しかもその見張りは、軍隊ならいくつも勲章を貰っているような精鋭ばかり。とても素直に通してもらえそうもない。アウロラがいてくれれば……。
「いいや、ダメだ。自分で何とかできるようにしないと。」
これも母さんが過保護なせいだ。僕だって人間だ。一人で色々なところへ行ってみたいという欲求もある。どうせスラム街でもなければ襲われる心配なんてないのだが……。
「仕方ない。何とかして切り抜けよう。」
僕は堂々と正門へ向かうことにした。
正門には門番が2人いた。まだ経験の浅い無口な青年と威厳のある古参。2人の門番は仁王立ちしたまま、ここは通さんと言わんばかりの気迫が漂っている。僕も、力ずくでも通させてもらうという気迫で立ち向かった。勝てるかどうかは別として……。
「お、坊ちゃん。これからどこへ行くんだ?」
古参の門番が声をかけたとき、一瞬僕の緊張がゆるんでしまった。
「あーいやぁ、友達に会いに……。」
「ん?確かこれからメイド長と授業のはずだが……。」
青年の門番がそう告げた。そういえば授業のことを完全に忘れてしまっていた。これは大きな誤算だ。
「あーそうだった。友達に会うのは明日だったっけ?」
僕は感付かれないよう何事も無かったかのように去ろうとしたその時……。
「おぉ、こんなところにいたかサボり魔。」
この声はアウロラだった。やはり僕の計画は始まる前に終わってしまった……。
「ち、違うんだアウロラ!これは……。」
アウロラはもう逃がさないという気迫でこっちに向かってくる。
「今日はメイド長から、私がお前の面倒をみるよう言われている。」
「へ?ということは……。」
「それで、どこに行こうとしていた?」
「それは……。」
「正直に言ったほうがいいぞ、少年。お前の考えは全てお見通しだ。」
「うっ……。」
とても言い逃れできる状況ではなかった。僕は正直に話すことにした。
「え、エリスの所に行こうとしていた。聞きたいことがあったから。」
そう言うと、アウロラは少し深いため息をした。
「そんなところだと思ったよ。別に私に隠す必要もないだろ?」
「いや、それは……。」
「まぁ良いさ。一人で行きたかったっていうのは分かる。しかし、運の悪いことに、最近盗賊どもがあちこちで暴れまわっているという情報もある。悪いが、どうしても行くなら私もついていく。」
そう言われると、断れなかった。なんと間の悪い悪党どもだ……。
「分かった。一緒に行こう。その代わりちゃんと僕を守ってね。」
「言われなくても。」
結局アウロラと一緒に行くことになったが、この際エリスに会えればなんでもよかった。それに早くしないと日が暮れてしまう。
「そういう訳だ。門を開けてくれ。」
アウロラは青年の門番にそう告げた。
「わ、分かりました。ところでアウロラ様、エリスというのは……?」
「ん?ああ、ヴィトの親友だ。恐らく初めての。」
そう言うと、古参の門番が感心してこう言った。
「そうですか。それはよかった。おっと失礼、お気をつけて。」
僕は彼に、大丈夫と手で合図し、何とかアウロラのおかげで正門を出ることに成功した。ただし、エリスの所へはアウロラ同伴で行くこととなった……。
「う、何か急に疲れが……。」
実は、エリスのくれた本に夢中になってあまり寝ていなかった。それがここに来て響いてしまった。ここまでくると、自分でもだらしなく思う。
「大丈夫か?少し休むか?」
アウロラは心配そうに僕に声をかけた。
「ううん、時間がないから、このまま……。」
そう言いかけたとき、ついに足元に何かつまづき、転んでしまった。とっさにアウロラが駆け寄る。
「ヴィト、大丈夫か?」
アウロラは僕の体を起こし、抱きかかえた。
「う、どこか擦りむいたかも……。」
見てみると、両方の手のひらと左ひざに擦り傷があった。
「ふむ、傷はそこまでひどくなさそうだが、どこか水があるところまで行こう。」
アウロラはそう言い、僕を抱きかかえたまま、歩き始める。
「え?ちょっ……。」
僕はアウロラに抱かれたままだったのがとても恥ずかしかった。
しばらく歩くと、湖があった。そんなに大きくはないが、水は透き通ったきれいな色をしている。
「うん、ここの水なら大丈夫だろう。」
アウロラはそう言い、僕を水辺に降ろした。
「ヴィト、布はあるか?」
「うん、ズボンの右のポケットにハンカチが。」
「ちょっと失礼。」
アウロラはすかさず僕のズボンの右ポケットに手を入れ、ハンカチを取った。そのとき、彼女の手が僕の股間に少し触れた。彼女は気にしていないみたいだったが、僕は少し感じてしまった……。
「借りるぞ。」
そう言い、僕のハンカチを湖の中に入れ、そして少し絞った。
「少し冷たかったから、傷口が痺れるかもしれん。」
「大丈夫、我慢するよ。」
アウロラは少しはにかんだ。
「強くなったな。」
「いや、そんな……。」
濡れたハンカチが傷口に触れると、ちょっとどころではない激しい痺れが全身を襲った。水は予想より遥かに冷たかった。
「いだぁい!!」
僕は痛さのあまり、つい大声で叫んでしまった。さっき格好つけた自分を呪いたい。これじゃあただのヘタレだ。
「おっと、悪い。そんなに冷たかったか?」
「嘘つき!傷口が凍りそうだったよ!!」
「すまんすまん、もうちょっと日に当てるべきだったな。」
アウロラは笑いながら、僕の左ひざに濡れたハンカチを巻いた。しばらくすると慣れてきたが、あの激痛がまだ体中に残っている。
「そうだ、手も濡らしておこう。」
「あぁ、そうだね。」
僕は湖に両手を突っ込んだ。やっぱり冷たい。まるで凍ったようだった。僕は3秒もたたずに両手をひっこめた。
「ああ、手が違う意味で真っ赤に……。」
もうこの湖に近寄りたくなかった。とは言え、外はそんなに寒くないのに、なぜこんなに水が冷たいのか不思議だった。
「ふむ、しかし珍しい湖だな。そんなに寒くはないのに……。」
アウロラも不思議そうにまた湖に手を入れた。
「とりあえず僕は木陰で休むよ。もう見るだけで嫌になってくるよ。」
そう言って僕は木に寄りかかると、腹からはしたない音が出た。
「ん?腹が減ったのか?そういえば昼飯はまだだったな。」
「言われてみれば、朝食をとってから随分時間が経ってるね。」
そう言って、アウロラは湖の中に目を向けると、何か閃いたようだ。
「どうやらこの湖に丁度いい魚がいるみたいだ。そいつを喰うとしよう。」
「は?泳ぐの?」
「泳がないでどうやってとるというんだ?」
「正気?ここの水信じられないくらい冷たいよ?」
「これぐらいなら大丈夫だ。死にはしない。」
そう言い、彼女はたちまち鎧を脱ぎ始めた。そして、インナーのレオタードだけの格好になった。レオタードが魅せる彼女の引き締まった綺麗な身体に、僕はつい目がいってしまった。
「すぐ済む。そこで待っていろ。」
そう言い、アウロラは短剣を握って湖へ飛び込んだ。悲鳴一つあげずに。
「うそだろ……。」
僕はすっかり彼女に恐れ入って湖の方を見た。本当は化け物なんじゃないかとすら思い始めた。
1分ほどで彼女はあがってきた。魚を2匹つれてきた。しかも、息継ぎを一切せずに。
「大丈夫!?」
僕はアウロラに声をかけた。
「ああ、問題ない。」
アウロラはそう言い、水辺にあがり、レオタード姿を僕に披露した。そして僕は、水にぬれた彼女の姿に心を奪われた。雫が太陽に反射し、ぬれたレオタードもそのせいで余計にエッチに感じた。何よりも、濡れた髪が彼女を一層美しくしていた。この人は女神だ。そう感じた。
「ふん、予想以上に手間がかかったな。済まない。」
「いやいや、すごいよ。」
どこまでも、アウロラは不思議な女性だ。もしかしたら天然記念物なのかもしれないと思った。
「火を焚けるものはあるか?」
「火打石なら。」
「十分だ。借りるぞ。」
アウロラはささっと魚を焼く支度をした。
「こういうのも慣れてるの?」
「まあな。生きていればいろいろある。」
火はすぐに焚けた。そして獲ってきた2匹の魚を焼いた。
「早くできないかな?」
「そう焦るな。待つのも食事の醍醐味だ。」
アウロラは火が燃えているのをじっと眺めた。しかし僕は、彼女のことがつい気になり、じろじろ見ていた。
「……さっきから私のことをじろじろ見ているが、何か私に付いているのか?」
僕はとっさに目線をそらした。
「い、いや!何でもない……。」
「私の身体などいやというほど見ているのに、おかしな奴だ。」
彼女は僕に体を見られるのは恥ずかしいとは思っていないらしい。そういえば、僕が風呂から出たときに彼女が僕の目の前で服を脱ごうとしていたことがあったっけ……。
「ほら、もう焼けたぞ。十分な焼き加減だ。」
アウロラは串刺しされた魚を僕に渡した。
「あ、ありがと、あちっ!!」
串も当然熱かった。
「おいおい、そんな火傷をするほどでもないだろ?これぐらい我慢しろ。」
「そう言われてもね……。」
彼女は平然として魚を頬張っていた。結構空腹だったみたいだ。僕も早く食べようと獣のようにかぶりついた。
ここの湖の魚は意外と美味しかった。何て言う種類かは分からないが、程よい脂身と食べやすさだった。
「この魚って、町とかでも売っているのかな?」
「ふむ、食べたことのない味だった。おそらく絶滅危惧種かこの湖にしか生息しない魚だったのだろう……。」
「それって、まずくない?」
「大丈夫だ。見た限りここに漁師でも来ない限り絶滅したりはしない。」
「そっか……。」
よく見てみると、数も意外と沢山いて、繁殖力もありそうだった。これなら1,2匹食したところで問題はないと思った。
「さ、そろそろ行こうか。怪我はもう大丈夫か?」
アウロラは、脱いだ鎧を胴体から順番につけ始めた。
「うん、おかげさまで。歩く分には問題ないよ。」
「そうか。辛くなったらいつでもおぶってやるぞ。」
「もう、あまりからかわないでよ……。」
アウロラはくすっと笑い、自然と僕の手を引っ張って歩いた。少し冷たかったので、僕は彼女の手をこすり、温めながら歩いた。
エリスの住処まではあと少しだ……。