17話 「幸せのかたち(後編)」
今回は前回からの続きとなります。こちらを読む前に、「15話」から読むことをお勧めします。
エリスと過ごすようになり、僕は今までとは違う暮らし方に苦労していた。本来はメイドたちが料理や洗濯、掃除などをしているが、ここではそういった人はいない。エリスも「自分でデキないとだめよぉ?」と変に厳しいせいで、僕も家事を自分でしなければならないのだ。恐らく母さんはこれも見越して僕とエリスが一緒に過ごすのを認めたんだろうと今更ながら感じた。これは色々な意味で良い社会勉強になりそうだ……。しかし、慣れないことをするのはとても疲れる。中でも……。
「ボク君頑張ってるねぇ~?後でご褒美にちゅーしてあげる!」
「い、いいです……。それより休ませて……。」
疲れているときの彼女からのからかいは余計に疲れる……。僕は彼女からのご褒美よりゆっくりくつろぐ時間が欲しかった。
寝静まった夜、僕はトイレに行きたくなり、目が覚めた。エリスは僕に抱きついて寝ていたが、そんなに強く抱きしめてはいなかった。彼女の腕をゆっくりどけると、突然彼女は寝言を言い始める。
「……ョエル……。」
僕は誰かの名前だろうかとその時思った。彼女の元恋人か、友人か、親族か……。
「くふっ、僕はヴィトだよ。」
エリスの頭を撫で、僕はトイレに向かった。彼女の寝言が少し気になったが、いずれ話してくれるだろうと思い、やはり気にしないことにした。
それからも毎日掃除に洗濯、料理まで、時にはちょっとした買い物も、僕は汗水たらして働いた。もちろん、自分が生きていくために大切なことだが、毎日するのは大変だった。これからさらに仕事をするのだから、大人たちはどこにそんな体力があるのか不思議でたまらない。エリスもこれらの家事はこなしていたが、僕が来てからはちょっかいを出すほうに精がでているらしい……。
「ねぇボク君、お姉ちゃんおなかがすいちゃったなぁ。ボク君のこと食べちゃってイイ……?」
「はいはい、いま昼ごはん作るからおとなしく部屋にいてね!」
エリスにあれこれ言われ、余計に忙しくなるが、しかしこれも僕が1人で生きていけるようにしていると思うとあまり反故にできない。ただ、卑猥な発言は本当に勘弁してほしいものだ。
一通り仕事が終わり、ようやく落ち着いたところで、僕は本棚の魔術書を適当に取っては読んでいた。時々難しい言葉や専門用語のせいで理解が途切れ途切れだったが、色々な本を照らし合わせながら読むと分からなかった言葉も理解できるようになった。アウロラがいない今、僕の趣味はエリスの魔術書で勝手に自分流の勉強方法を編み出し、余裕があれば時々自分も魔法が使えないかと魔術を実際にやることだった。もちろん、全くできなかった。
「ボク君、それよりもお姉ちゃんとエッチしようよぉ~♡」
「まぁそんな都合のいい話はないよね。」
「え、何のこと?」
「ううん、ただの独り言。」
この時、実は少しずつ僕はエリスが気になり始めているのが分かっていた。時々見せるだらしなくも、劣情を催しそうになる体つき。アウロラが許してくれたら……。いいや、僕はアウロラ一筋だ。僕の意志は今でも揺らぐことはなかった。
しばらく本を読んでいると、人の絵が描かれた紙が挟んであるのを見つけた。鉛筆で描かれた可愛らしい女の子の絵で、まるで童話に出てくるお姫様のようだった。
「あれ、この絵って何なの?」
僕はエリスに訊くと、彼女は今までのふざけた態度から一変、目を見開いて絵を見ていた。
「……何処にあったの?」
僕は絵が挟んであったページを彼女に見せた。
「そう……。どうりで見つからない訳ね……。」
僕が読んでいた本は、魔術の基礎的な知識に関する本だった。僕がこの本を手に取った時は少し埃をかぶっていて今のエリスにはもう必要ない物なのかもしれないのであろう本だった。
「この絵に描いてある女の子は誰?」
僕はエリスに絵を渡し、彼女はじっと絵を見つめていた。
「これ、私なの。」
「本当!?とても可愛らしいね。誰が描いたの?」
すると、突然エリスは涙を流し始めた。
「よかった……。見つかって……。」
彼女は絵を抱きしめ、号泣していた。僕はしばらく彼女の様子を伺った。
「……ごめんね、突然泣いちゃったりして。」
「ううん、大丈夫だよ。もしかして悪いことしちゃったかな?」
「いいえ、むしろ見つけくれてありがとう。失くしちゃったかと思ったわ。」
エリスは涙をぬぐい、僕の胸に飛び込んできた。僕は一瞬どうしようか戸惑ったが、彼女をゆっくり抱きしめ、頭を撫でた。
「この絵……。」
エリスは僕から離れ、僕のズボンのポケットからハンカチを取り出し顔を拭った。もちろん、勝手に取ったことは気にしていない。
「そうね、この前のお話の続きなんだけど、実は私、弟がいたの。2歳年下の。その絵は弟が私に誕生日プレゼントで描いてくれたの。」
「そうだったんだ。弟さんは絵が上手なんだね。」
「ええ、あの子は絵が上手だったの。でもね、私以外の人や物の絵は大して上手くなかったの。なぜか聞いてみたら、“お姉ちゃんばっか描いてたから”だって言うのよ。」
エリスは楽しそうに笑顔で話した。先ほどまで泣いていたのがまるで嘘のように。
「弟さんはエリスのことが大好きだったんだね。」
「そうね。私もあの子のことが大好きだったわ。」
「ちなみに名前は何て言うの?」
「“ジョエル”よ。かっこいい名前でしょ?」
“ジョエル”。どこかで聞き覚えがあった。そう、夜中彼女が寝言で呟いていたあの名前。あれは弟のことだったのか……。
「その、弟さんは今どうしてるの?」
「……。」
エリスは口を閉ざしうつむいた。
「あ、ごめん。言いたくないなら大丈夫だよ。」
すると、エリスは僕の方を見上げた。
「ううん、ボク君にはちゃんと話すわ。」
僕は緊張していつの間にか正座になっていたのを忘れていた。しかし、今更胡坐で話を聴くのも失礼だと思い、正座のまま聴くことにした。
「ジョエルには生まれたときから病気を持っていたの。その病気は魔法でも完治させることはできなかった難病だったわ。彼がボク君と同じ歳の時、医師から“余命は半年”って言われてね。家族も必死で治す方法を探して、更にはアリシア達も協力して探してくれたわ。」
「母さんも協力してくれたんだね。」
「でも、それでも完治する方法は見つからなくて、私はついにこの前ボク君に話したあの本の魔術を試したの。」
「それで、どうなったの……?」
僕は唾を飲み込んで結果を待った。
「実力が足りなくて、あと一歩のところで失敗しちゃったの……。」
「そうだったんだ……。」
「実はね、私の誕生日は彼の余命より先で、彼はその時まで私のために生きてくれて、しかもその日までにこの絵を描いてくれたの。私の為に……。でも誕生日から2日後、ジョエルは静かに息を引き取ったわ。」
エリスはまた涙をこぼした。しかし、彼女の表情は笑顔にあふれていた。
「彼は死の間際に私に告白してくれたの。“大好き”って。私も好きだよって言ったわ。そしたら最後に“ありがとう、お姉ちゃん”って言ってくれたわ……。ジョエルの最期の言葉は今でも覚えてる……。」
エリスは僕の方を見た。
「ボク君はね、もしかしたらジョエルの生まれ変わりなんじゃないかって思ったの。あの子に似た雰囲気を持っていたから。でもボク君はボク君。それに……。」
一瞬、彼女は言葉を詰まらせた。しかしそれは決して否定的な意味ではないことはすぐに分かった。
「私は今のボク君が好き!!」
そう言って、エリスは僕にまた抱きついてきた。その時の僕はむしろエリスに飛び込んできてほしいくらいだった。
「うん、ありがとう、エリス。僕もエリスのこと大好き……。」
小屋の外は静かで心地よいそよ風が吹いていた。何か特別なことがある予感。いや、何か曇りかかっていたものが晴れて、すがすがしい気分。偶然その日は外が昼間にも関わらず少し暗く、しかし外は雲一つない澄んだ空。僕はこの現象に出会ったのは生まれて初めてだった。これは魔女たちにとっての“夜明け”を意味するものだというのは僕は知っていた。この自分が特別であるという気分に浸れる時間。それは僕にとっては夢現の世界に入り込んだような心境だった。その下で、僕とエリスは身分や歳の差を超え、互いに愛し合っていた。恋人よりも尊い、家族のような、深い愛情だった。
その夜、僕は完全に舞い上がっていた。昼間のことが頭から離れず、もはや恥じらいの気持ちすら無かった。
「ねぇ、エリス。今夜は僕のこと好きにしていいよ……。」
ベッドの上で向き合い、僕は言うと、エリスは人差し指を僕の唇に当てた。
「ありがとう。でも、ボク君にはアウロラちゃんっていう婚約者がいるでしょ?初めては彼女にあげて。その後ならボク君が満足するまで付き合ってあげる。もちろん、私が満足するまで離さないんだからね♡」
「そうだね。それにアウロラだったすぐバレちゃうし……。」
「うんうん、友達を悲しませる男は嫌いだゾ。」
「分かったよ。アウロラも、母さんも大切にするよ。」
「よちよち、偉いね。もしどうしても我慢できなかったら、私のこと見ながら自分で慰めてもいいわよ♡」
「うっ、それはやめておくよ……。」
僕とエリスは笑いあった。
「もうそろそろ寝ましょ?だいぶ疲れたでしょ?」
「うん、そうだね。じゃあ、もう寝るね。」
僕は仰向けになり、目を閉じた。するとつい彼女を呼んでしまった
「エリス。」
「ん?」
考えなしに呼んでしまったが、まだ言えていないことがあるのを思い出した。
「……ありがとう。」
「……どういたしまして。」
エリスは笑みを浮かべ、そのまま眠りについた。僕もやはり疲れていたのか、ぐっすり眠った。
誰かがドアをノックする音に僕は目を覚ました。エリスもどうやら目を覚ましたようだ。外は明るくなっていたが、夜が明けたばかりか、空の向こう側が茜色だった。
「出てみたら?」
エリスが言うと、僕はベッドから起き上がり、ドアを開けた。外には懐かしい美人が凛々しく立っていた。
「夢から目が覚める時だ。忘れ物はないか?」
アウロラは眠そうな顔一つせずいつものように迎えに来た。
「ううん、僕は大丈夫。エリスは?」
エリスは眠そうに目をこすり、着崩れた寝間着のまま歩いてきた。
「ううん、いっぱいボク君のこと食べられたわ。」
アウロラはまたいつものかと思い、鼻で笑った。
「そうか。ここで待っているから着替えてこい。」
「あら、もう行っちゃうの?ゆっくりしていけばいいのに。」
「すまないが、私も忙しいのでね。それに……。」
アウロラは僕とエリスを交互にじろじろ見た。
「いや、何でもない。ヴィト、早くしろ。アリシア様も待っている。」
「分かってるよ、急がせないでよぉ。ったく、こんなんだったらエリスの所にずっといたいよ。」
「大丈夫よ。アウロラちゃん、こう見えて寂しかったんだからね。」
「……貴様にだけは私の心は読まれたくないな。」
僕は思わずアウロラを挑発した。ちなみに支度はもう終わっている。
「寂しかったのは否定しないの?」
「ほう、ついに私に挑むようになったか。ぜひお前の成長した姿を見てみたいものだな?」
アウロラは自信満々に僕を見た。もちろん、僕じゃアウロラにはどうあがいたって勝てない。
「い、いや。やめておくよ……。」
「ふふふっ、この感じ。やっぱりボク君にはアウロラちゃんがお似合いね。」
エリスが傍で笑っていた。それにつられ、僕もアウロラも笑ってしまった。
「それじゃ、行こうか。」
僕はアウロラの傍まで寄った。
「ああ。歩きだが、大丈夫か?」
「うん、平気だよ。この数日間で少しは体力がついたんだ。」
「なら、道中に土産話でも聞こうか。」
「まぁ、アウロラが驚くようなものはないけどね……。」
小屋を出る前に、僕はエリスの方を向いた。
「どうしたの?ボク君?」
「い、いや、あの……。」
僕は落ち着いて深呼吸をした。
「本当にありがとう、エリス。また来るね。」
エリスは少し間を置き、僕に笑顔を見せる。
「うん、ずっと待ってる。貴方のことを、ヴィト……。」
エリスが僕の名前を呼んだのはこれが初めてだった。それは今まででとてもうれしかった。この日を忘れることは決してないだろう。僕はアウロラの手を握り、エリスの小屋を後にした。
帰る途中、アウロラにエリスとの暮らしをあれこれ話した。しかし、エリスの弟のこと、エリスと夜伽をしそうになったことは伏せている。アウロラはもう気づいているのかもしれないが、決して自身から話すことはなかった。彼女はまるで全てを視ることができる神様のような人だ。
「ヴィト。」
「え!?何?」
不意に彼女に呼ばれ、つい大声を出してしまった。
「どうした?ここで私を襲おうとしていたのか?」
「い、いや。そんなことないよ……。」
アウロラは僕を少し怪しいと思っていた。
「ヴィト。」
「なに?」
「……私はいつでもいいぞ。」
アウロラの言いたいことはすぐに分かった。彼女も恥ずかしそうな素振りはせず、堂々としていた。
「うん。でも、できれば僕がもっと大人になってからね。」
「ああ。」
アウロラはエリスのようにべったりという訳ではなかったが、僕に体を密着させていた。握る手も、ただ握るのではなく、指を組むように握っていた。僕がいない間寂しかったのだろう。またいつもの日常に戻るが、この経験で僕は女性の考えていることを少し理解できたせいか、異性との接し方が変わっていることに気が付いた。これがどういう方向に向かうのか心配な部分もあるが、きっとアウロラが正しく導いてくれるだろう。僕は彼女を信じ、彼女に認めてもらえるように成長することを決心した。そして必ず、彼女を幸せにする。それがエリスとの、アウロラとの約束だ。
ご覧いただきありがとうございます。今回の話は前々から構成は練ってあったのですが、いざ話を繋げようとするとしっくりこなかったので色々創意工夫しました。その結果がこのストーリーですが、他にも違う展開にできたんじゃないかなと後々考えたりもします。中でも一番感じたのは、私自身「ファンタジーに疎い」ことを痛感させられました。世界観や時代考証ももしかしたら滅茶苦茶になってしまっているんじゃないかと思いますが、そこは生暖かい目で見守っていただけると有り難いです。
さて、以前からお伝えしていましたが、この作品はあと3話で完結させることになりました。ただし、別れとかそういった展開ではなく、残り3話は日常系に重点を置いた構成にするつもりです。初めから読んでいただいた方々、今回初めて読まれる方々など、皆さんのおかげでここまで来れました。自分の中では早めに終わるのではないかと思いましたが、予想以上に多くの方々に見ていただいて大変光栄です。後残り3話、ぜひお付き合いしていただけたらと思います。ここまで読んでいただきありがとうございました。




