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1-⑨



「魔素の塊ね……」


 包帯を巻かれた右手を見詰める。

 魔素って言葉があるからには、この世界に『魔法』は存在するのだろうか。

 ぼんやりとそんなことを思う。


 ネロには奴らの後を尾けて貰っている。

 奴らがのんびりと庭先で紅茶を飲みながら四日後の打ち合わせをしているのを、一言漏らさず聞いている。

 アレクサンドロスは折を見て、側に控えるアリシアに何事かを告げていた。

 ふむ。

 茶会の場から離れるアリシアの後をつけるよう、ネロに指示する。

 一応目立たない様隠れながら後をつけた。だが、鼠に尾行されていると考える人間はそう居ないだろうな。


 アリシアは城に入ると、長い廊下を歩き始める。

 廊下は隠れられる場所が少ないから嫌だな。などと考えていると、前方から女中が歩いてきた。女中はアリシアに気付くと端に避け、頭を下げる。そして、その姿勢を、アリシアが通り過ぎてからも崩さない。

 今通ったら気付かれるな。距離が離れても嫌だし。

 上を使うか。

 三角飛びの要領で、壁を蹴り、壁上部の装飾にとび乗る。少し音がしたため女中が怪訝な顔で廊下の先を見たが、そのまま女中の頭上を通過した。

 ネロの身体能力は、既に鼠のそれを大きく逸脱している。そのため、このような挙動は容易く行えるのだ。


 また、前から人がやってきた。

 今度は鎧を着た中年男性。

 そいつの鎧は、俺が普段見かける兵隊よりも上等に見える。

 お互い会釈ですれ違うが、アリシアが声を掛けて少し話し込んだ。内容は大したことのない世間話。こいつは違うか。

 

 城中を歩き回り、結局何事もなくアリシアの執務室と思われる部屋までたどり着いた。道中、何人かとすれ違ったが、こちらに気づいた様子はない。

 執務室の扉が閉じられる。

 ふむ、参った。さすがに鼠の体では、扉を開けられない。入れる隙間はなさそうだし、悠長に開くのを待つのもな。


 よし。


 ネロに思い切り扉に体当りするよう指示を出す。

 扉に三回程ぶつかり音を立てた。丁度、誰かが扉を蹴飛ばすような音に聞こえるだろう。 

 しばらく扉の前で待つと、様子を見に中の人間が顔を出してきた。廊下を見回しているその隙に足元から入る。楽勝だった。


 部屋の中では四人の人間がそれぞれの机に座り、何か書類にペンをはしらせていた。こちらに気づいた人間は誰もいない。

 とりあえず本棚の上に隠れておこう。

 

 アリシアが書類仕事をしている初老の男に話しかける。


「失礼、アレクシスが切り落とした右手に覚えは有りませんか」

「アレクシス様……? あぁ、悪魔の。あれならシニストラリが持っていったと記憶してますが」

「シニストラリ……? 何のために?」

「さぁ、わかりません。いかがわしい呪術にでも使うつもりなのでは? 恐らく、奴に宛てがった部屋にまだあるでしょうな。女中に持ってこさせましょう。おい、きみ、誰か呼んできてくれ」

「助かります」


 シニストラリ? 誰だ。

 しかし、ビンゴだ。

 お偉いさんが自分で動くわけはないから誰かに頼むと思ったが、すんなりうまく行った。あとは場所を聞き出して女中より早く取りに行けば済む話だ。

 俺の失われた右手、誰のものでもない俺の物だ。





「うわぁあ!」


 甲高い叫び声によって、意識を引き戻された。

 ここは独居房の中だ。

 

 一体だれが叫んだんだ? 叫び声は隣の房からする。

 猿人のサンダーか。

 わぁわぁと女みたいに騒ぎ立てるサンダーにダークエルフのテディが声をかける。

 

「おい、何だよ、何があった」

「ねっ、ねっ」


 ね?


「鼠だ! 鼠が出やがった!」


 はぁ、と誰かがため息を吐く。


「馬鹿野郎、鼠くらいできゃあきゃあ喚くな。俺の姪っこでもそんなばか騒ぎしねぇ」

「違う! ただの鼠じゃない! この鼠は病気を運ぶ鼠だ! こいつに嚙まれると三日もしないうちに高熱が出て、皮膚が黒くなって死ぬんだ!」


 皆がぎょっと眼を見開く。


 あれだろうか、灰色ドブ鼠だろうか。

 確かに『汚い菌をまき散らす』と書いてあったし、病気になってもおかしくない。


「そっちに逃げたぞ!」


 サンダーの一声と共に、地下牢は騒然となった。

 鼠はあちらこちらの牢屋に逃げ込み、逃げ込まれた牢屋の囚人は飛び上がって驚き叫びだす。

 無暗に騒ぐから、刺激された鼠も興奮して駆け回る。大騒ぎだ。

 

「イヌイ、イヌイ! お前の房に入ったぞ!」


 牢屋の中に飛び込んできたのは、『黒色』の鼠だ。

 灰色ではない。

 地下牢の騒ぎを他人事のように聞いていた俺は、座り込んでいて咄嗟のことに対応できない。

 黒色の鼠は牢屋の中をひとしきり駆け回ると、鼻をくんくんとさせて俺の方にゆっくりと近づいてきた。

 俺の臭いを嗅いでいる。俺の右手に気が向いているようだ。

 ……右手?

 右手を見ると、巻かれた包帯にうっすらと血が滲んでいる。

 先程殴られたとき、少し傷口が開いたのか。

 俺はしゃがみ込み鼠に人差し指だけが残った右手を差し伸べる。

 鼠は鼻を鳴らし俺に近づく。こいつは血の臭いに惹かれているのか。『血の匂い』なのか『俺の血の匂い』なのか気になる。

 窺うように歩みを進める鼠の、鼻先が右手に触れそうになったその時だ。


「逃げろ、イヌイ! 噛まれたら死ぬぞ!」

 ガシャン、カランカラン


 鼠を追い払おうとしたのか、テディがゴミを投げつける。

 驚いた鼠は唐突に俺の右手に噛み付いた。


「ちっ」


 余計な事なことしやがって。

 左の足で鼠を踏みつける。

 さすがに耐えられないのか、鼠は手足を踏ん張れずに潰れた。足の裏から嫌な感触が伝わる。


 だが、まだ生きているぞ。


 足の下で黒鼠はもがいている。骨は何本か折れたはずだが、大した生命力だ。鼠が逃げ出さないよう足に更に力を入れる。


「おぉ、いいぞイヌイ! そのまま殺しちまえ!」


 向かいのテディが声援を送ってくる。うるせぇ。

 声援には舌打ちを返して、鼠の様子を見る。


 鼠の色は黒だ。灰色でも白でもない。

 片手間で『項目』を開き、『全書』を確認する。

 『番号33 黒色ドブ鼠 』

 お、名前が解放されている。

 やっぱり別の種類か。

 このまま殺してしまうのは何だか忍びないなぁ。

 どうにか手持ちに加えられないだろうか。

 未だに手持ちはネロしかいない。

 でも、手持ちへの加え方がわからないんだよなぁ。


 確か、ネロの時は、死に掛けているネロにお粥を与えたんだっけか。

 手持ちに入れる要件が、『死に掛け』か『食事』のどちらかだとわかりやすくて助かるな。

 あ、でも今手元には食物がない。

 参った。


 このまま殺すしかないのか、少し可哀そうだ。


 ん、待て待て。

 一つ思いついた。

 女司教が言っていた『悪魔の体は魔素の塊』という言葉を思い出す。

 丁度試してみようかと思っていたんだ。


 右手の人差し指を犬歯で噛みきり、指先から血が滴る位の小さな傷を付ける。

 痛い。

 そして、指を下に向けて鼠の口元に血液が落ちるようにする。

 ポタリ、ポタリと。

 うーん。届いてるかな。


 しばらくそうして鼠に血を垂らしていると、後ろから視線を感じた。振り返ってみると、テディが怪訝な顔で俺を見詰めている。

 なんだよ。


 

 デーンデーンデー テテテテテテテー


 おお、聞こえたぞ。

 例の電子音のファンファーレだ。

 ということは捕獲成功という事か。

 『支配下』を確認すれば、『黒色ドブ鼠A』の文字が入っている。お、まじか。


「……」


 一応言っておくべきだろうか、ケジメとして。

 ……ゲットだぜ!


「今の音はなんだ?」

「?」

「おい、鼠はどうなったんだ?」

 

 踏んづけていた足をどける。

 あ、待て、このまま俺が鼠を従えた様子をテディに見られるのはまずい。血を飲ませているところも見られたことだし、このまま殺したことにできないだろうか。

 たのむ、そのまま死んだフリしといて。『感覚共有』で呼びかけようとするが、繋がらない。

 おかしい、ネロならすぐに繋がるけれども、何故か繋ぐことが出来ない。

 鼠が空気を読んでくれる筈もなく、解放された黒色ドブ鼠Aは折れた足を抱えて、檻の中から出て行った。


 檻の中はまたぞろ大騒ぎだ。

 ただ、向かいの房で俺の様子を唯一見ていたテディは何か言いたげな顔で俺を見ていた。

 俺は口元に人差し指を当て、『黙ってろよ』のジェスチャー。

 テディは目をそらし、視線を彷徨わせた。

 今見たことを黙っているだろうか。 

 黙ってないだろうな、こいつは。


 まあいい、『悪魔』のレッテルを貼られている人間に、こいつが邪悪な魔術を~なんて言いだして得をする人間は、まずいないだろう。もうすでに役満。殺す日まで決まってるのだ。好きにさせておこう。


 とんだハプニングがあったが、それらは後に回して、今はネロの動向に集中しよう。



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