1-⑧
俺の体調は最悪だった。
唐突だが、吐きそうだ。
「うええ!」
ていうか、吐いた。
「おい、大丈夫かい、あんちゃん」
心配そうに声をかけてきたのは、向かいの房に入れられているテディ。麻黒い肌の痩せぎすの中年で、その耳は尖っている。いわゆる、ダークエルフというやつらしい。灰色の髪の毛に銀色の目をしている。
「おい、看守さん! 看守さんみてやんな! イヌイが調子悪そうにしてるじゃねえか。あんたがしっかりしないで誰かイヌイの面倒を見てやるんだい!」
口喧しく叫んだのは、左の房のサンダー。全身が毛むくじゃらで、猿のような顔をした猿の亜人。
猿人という種族だと言っていた。髪の毛は全身を覆う体毛と同じく茶けた赤色をしており、その瞳は明るいブラウンだ。
――――あの後すぐ、俺が入れられている地下牢は人で満杯になった。
入ってくる人間は皆、誰も彼も俺の姿を見ると驚いたように目を見開き、顔を綻ばせて俺に話しかけてきた。
やぁ、俺は○○の△△。亜人狩りにあってこの樣さ。君も連中にとっ捕まったのかい、災難だったね。ところで、その髪と目はどうしたんだい、まるで、お伽噺の悪魔みたいだ。
牢へ入って来るときは、どいつもこいつも鼠に噛まれただけで死んじまいそうな青白い顔をしている癖に、俺の顔を見た途端、宝くじに当たったみたいに元気になる。
要するに、『悪魔』が居るから、四日後の祭りで殺される心配はなくなって一安心というわけだ。
連中は白々しく、俺を気遣うように声を掛けてくる。
大丈夫かい、体調は悪くないかい、お腹はすかないかい、その手痛そうだねぇ、切られた? それは大変だ。
この世界に来て、こんなに温かい言葉をかけられたのは初めてだ。元の世界でだって、見ず知らずの他人にこんなに心配されたことはない。
だというのに、俺はその言葉を聞くたびに、心が温まるどころか、薄ら寒気がしてくる思いだった。
連中が俺を気遣うたびに、俺の気分は段々と悪くなる。挙句の果てに嘔吐だ。
だってそうだろう、ニコニコして俺の身を案じる素振りを見せようとも、結局のところ奴等は、
俺に死んで欲しいのだから。
「出ろ」
看守が無機質な声で牢屋から出るように告げる。
今度は何だ。
◇
一体、どこへ連れていこうとしているのだろう。
また拷問部屋に連れていかれるのかと思いきや、俺は塔の外へと連れ出された。
外に出ると、そこには兵隊が四人ほど待機しており、俺はそのむさ苦しい男たちに取り囲まれながら何処かへと連れて行かれた。
折角外の空気が吸えたというのに、これじゃあ気分がますます悪くなる。
塔の傍らに真っ白なテントが張られていた。連れてこられたとき、こんな物あっただろうか?
テントの前まで来ると、兵隊達に止められた。
コバルトブルーの冷たい無機質な目が俺を射る。
「脱げ」
「は?」
「脱げ」
何を? 服を?
牢やに入れられた時に渡されたボロ布を?
何言ってるんだこいつは。
脱ぐ訳ないだろと身構えていたら、後ろに居た兵隊が俺の服に手を掛けて一気に引き上げた。もう一人の男がズボンに手を掛けて引きずり降ろそうとする。
「な、なにをする」
手を伸ばし抵抗するとドサクサに紛れて何発か殴られた。
四人がかりで俺の服を無理くりに脱がそうとしてくる。
なに、なんだこの展開。
兵隊達のゴツゴツした指が俺の身体に触れる。
いや、マジでなに。
男達が裸でもつれ合うマニアックな展開か?
勘弁してくれ、キモいわ。
「うえええ」
また吐いた。
兵隊達の舌打ち。
俺は素っ裸に剥かれて床に転がされた。
ところどころで蹴りを入れられた。
いてぇ。
「入れ」
俺は引き起こされると、テントの中に入るよう促された。
素っ裸のまま、扉代わりの布をくぐり中に入る。 ――布には赤い『◎』の刺繍が施されていた。
そこに居たのは、白い僧衣を着た女だ。高い位に位置するのか、豪奢な装飾が服装に見て取れる。
女の顔には裏から糸で固定しているかのような微笑みが顔に張り付いている。
その傍には、褐色の肌の男が佇む。あれは、テディと同じダークエルフか。
ダークエルフの男が静かに告げた。
「奥へはいりなさい」
……あ、はい。
そうですか。
いい予感はしない。
僧衣を着た女は俺の周りをグルグルと回り始めた。
後ろから横から、或いは斜め前から、様々な角度から俺を観察している。
「……何がしたいんだ?」
「隠さないで、手は後ろに」
前を隠していると、ダークエルフの男が手をどけるよう告げる。その口調は有無を言わせぬものだった。
……何なんだ。
隠すなと言われても、普通隠すだろう。
こっちは一糸纏わぬ姿なんだ。フルチンだ。
僧衣の女がダークエルフの男に向かって何事か耳打ちをする。
ダークエルフの男は、わかりました、と相槌を打ち俺に言った。
女は喋れないのか、言葉を発さない。俺の言葉も届かないようだ。
「では、口を開いて、舌を出して」
では、じゃない。意味がわからん。
とりあえず、言われた通りに出す。
口の中を見られる。
はい、オッケーという感じに顎を戻される。
健康診断……?
「いてっ!」
鉄の箸で体毛の一部を引き抜かれる。
体毛はトレイの上に並べて置かれる。
僧衣の女は俺の身体を検分するように隅々まで見渡した。
正直、ひどく恥ずかしい。
ヘソの皺から、毛穴の一つ一つまで見られているようだ。
羞恥プレイか。
「まるで貧相だな」
入口から声がした。
振り返ると、そこには輝く金髪をたたえた、大理石の彫刻のように立派な美丈夫。
俺より頭一つも高い身長の男が諧謔的な笑みを浮かべ、俺を見下ろしていた。
嫌悪を催させるこの声は、確か、
「アレクサンドロス公爵」
アレクサンドロス、烏仮面を被り、塔の地下牢で俺を問いただした男。
僧衣を着た女は顔に喜色を浮かべてその名を呼んだ。
「エウロパ司教。こんな天幕を使わずとも、城の一室をお貸ししましたのに」
「検分は教会の領地で、と決められていますので」
「なるほど、確かに教会の印章が付いていましたな。この天幕は教会の領土というわけですか」
ハハハ、と爽やかに笑ってみせると、アレクサンドロスは俺の近くまで寄り、顎でしゃくった。
「どうです、見事なものでしょう」
「ええ、どこで見つけてきたのですか?」
「裏の畑に成っていたのですよ、時間が無かったので小さいまま収穫してしまいましたが」
ウフフ。アハハ。
……なんだこいつら。
気味が悪い。
僧衣の女は、先程までの無言が嘘のように流暢に喋っている。
「十分ですよ。大きさはどうだろうと、烏豆は烏豆ですから」
「そう言っていただけると有難いですな。司教のお眼鏡に適ったのなら何よりです」
烏豆ってのは俺のことなんだろうな。
「この右手はどうしたのです?」
エウロパと呼ばれた女は俺の右手人差し指を鉄の箸で持ち上げて言った。
「私は無傷で、とお願いした筈ですが」
「申し訳ありませんな。見つけた時にはもうその状態でした。おそらく、興奮した街の者にやられたのでしょう」
アレクサンドロスという男は顔色一つ変えずに嘘をつくことが出来るようだ。
「嘘吐け、お前が手下に切らせたんだろう」
「……」
「……」
時が止まったかのようだ。
アレクサンドロスの表情筋はピクリとも動かない。
エウロパの顔も相変わらずだ。
ダークエルフの男だけが金剛力士像のような顔で俺を見詰めている。
……怖い。
「アレクサンドロス公爵」
「何でしょう、エウロパ司教」
「市民に切り落とされた右手というのは手に入れることができるでしょうか?」
「ゴミ捨て場を探せばあるかもしれませんな。何故です?」
「悪魔の血肉は魔素の塊と聞きますから、証拠として猊下にお持ちしたいのですが」
「成程、必ずや見つけて司教の元に届けましょう」
「有難いことです」
そういえば、来週の祭りの段取りですが、薪の種類は楢と樫のどちらがよろしいか……。などと言って男と女は天幕を出て行った。
俺は素っ裸で残される。
吐しゃ物まみれ、痣だらけ、始めから終わりまで置物のように無視されっぱなしだった。
連中にとってみれば俺という存在はキャンプファイアーで燃やす薪のようなものなのだろうか。成程。薪なら喋るはずがない。無視するも当然か。
ああ。
「ネロ」
天幕の暗がりで赤い目が光る。
「聞いたか、奴等、俺の右手を土産代わりにするんだとさ」
奴等にやるもんなんて何一つない。




