1-⑦
俺がこの世界に来てから三日目。
その後、俺は最初に入れられていた地下牢に戻された。
あの酷い悪臭と耐えがたい環境の土牢である。
懐かしいような、胸が悪くなるような妙な気分だ。
「チ、チッ」
ネロが下水道から戻ってきた。
さすがに大蛇戦はきつかったようだ。
消耗した様子で俺の膝の上に乗っている。
あの下水道で大蛇以上の敵は出てこないだろうが、何があるかわからないから一旦戻って来てもらった。再探索は万全を整えてからにすべきだろう。
それに、やりたいこともあったしな。
大蛇を殺すことで、鼠をいくら殺しても得ることのできなかった経験値を得ることができたのだ。
『配分』の時間だ。
メニューを開き項目を調べる。
『貯蔵マナ2 ・ネクロファティマス所有マナ13 (選択)マナを活性化する』
ほぉ、13。
おお、いいな。前回使ったのは確か10マナだったか?
10マナ使ってレベル7まで上がったから……、これ全部使ったら12レベル位いくかもしれないな。
「ふふふ」
こういう作業は実に楽しい。至福の雑用だ。
一体何レベル上がるのだろうか、楽しみだ。
『→ マナを活性化 選択』
『デデデテン』
電子音のファンファーレが響いた。
『ネクロファティマスはレベルが上がり レベル8になった!』
……。
うんん、それだけか。
待てどもそれ以上のファンファーレは鳴らない。
ふむ。少しがっかりした。
メニューを開き、『支配下』項目を開き、ネクロファティマスのステータスを確認。
『名前:ネクロファティマス LV:8 生命力:4 素早さ:8 力:2 特力:2 次のLVまでに必要なマナ:- 』
次のLVまでに必要なマナが『 - 』。
ははぁ。
これはあれか。成長限界ってやつか。
これ以上の成長は見込めず、レベルも上がらない。
『灰色ドブ鼠』としての種族の限界点。
まさか、ネロの成長がこれで終わりという訳ではないだろう。
何か他に出来ることはないかと項目を粗方当たってみる。
『ネクロファティマスを進化させますか? Yes_No』
「おぉ……」
来たよ。これだよ。
強敵の後の成長。経験を積んだことによる進化。
おや・・・? ネロのようすが・・・! というやつだ。
『進化』というワードで心躍らない男子は、果たして存在するだろうか。
するわけがない。俺はすかさず『Yes』を選択した。
変化は突然やってきた。
俺の膝に乗るネロは、突如ゴム毬のように膨張し始めると、歪な硝子細工を作るときのように、その一部を溶かし、また他の一部を膨らませながらその形を変貌させ始めた。
いや、大丈夫かこれ。
全身が沸騰し泡立ち始め、ネロの身体が真っ赤に染まり膨れ上がる。血の赤だ。
「ネロ……!?」
不安に思ったのもつかの間、泡が弾けて消えた。
そこに居たのは、真っ白な体毛を持つ赤目の小鼠だ。変化の残滓か、全身はピンク色の体液に濡れている。
「おお……!」
すかさず、『魔獣全書』を確認する。
灰色ドブ鼠のイラストから伸びている矢印の先の一つが明かされていた。
描かれているのは白い鼠。
『番号32 白色ドブ鼠 体長5~40㎝ 重さ50~2000グラム
灰色ドブ鼠が成長して白く姿を変えた なんでも齧り穴をあける 意外にもきれい好き』
進化というより、色が変わっただけなのではという思いもなくはなかったが、ステータスを見ればその疑念も消えた。
『名前:ネクロファティマス LV:8 生命力:5 素早さ:12 力:3 特力:3 次のLVまでに必要なマナ:6』
進化前と比べ、一回り程強くなっている。
素早さなんか1.5倍だ。
ふむ。どのくらい成長したのか試してみたい。しばらくしたら下水道に試し斬りしにいくか。
大体システムが見えてきたな。種族で頭打ちするまでレベルを上げて、進化条件を整えると進化が可能と。レベルは据え置きのようだし、レベルである程度の強さの目安になるな。
「おい」
どこかから声がした。
牢屋の前には誰もいない。
「……あんたさぁ、さっきから何ブツブツ言ってんだよ」
あぁ。
そういえば隣の牢屋に誰かいたんだったか。
「あぁ、うるさかったか悪いな」
「いや、それは別に……かまわないけどよ」
やっぱり改めて聞いても幼い声だな。
「あんた、連中に連れてかれてったろ、大丈夫か?」
「心配してくれるのか?」
意外だ。
確か前回は、話をしようと思ったら舌打ちされて会話を打ち切られたんだったか。
「は? 心配なんかしてねえけどよ。けどよ、あんた色々騒いで連れてかれたじゃねえか。手切られたって聞いたしよ、流石にな」
心配してんじゃないか。なんだそのツンデレ。
俺は切断されて包帯の巻かれた右手を見る。あまり意識しないようにしているが、時折傷が疼き、我慢できないくらいの痛みが走る。
「まぁ、平気とは言えないな……」
「同情するよ、あの後も連中にこってりやられたんだろ」
右手を弄繰り回され骨を切り刻まれた事は今考えても腸が煮えくり返る。思い出すだけで全身の毛が逆立つ気分だ。
でもそれ以降は大したことされてないんだよな。
あの女に一つ意趣返しする事もできたし。
……まだこの右手の借りを返したとは思えないが。
「なぁ、あんた本当に悪魔なのかい」
少年は唐突に質問をしてきた。
悪魔。
この世界に来てから散々言われているが、未だその言葉の意味を理解していない。
その言葉が何を指すのか、俺とどういう関わりがあるのか。
「悪魔? 何言ってんだよ。どっからどう見ても人間にしか見えないだろ。」
「アンタこそ何言ってんだよ。黒髪黒目の人間なんて、立派な悪魔じゃねーか」
……この子は一体何を言っているんだ?
「アンタ、ずっと遠い他所から来ただろ。……ま、本物な訳ないか。この国では、いや、『聖典教』の及ぶ地域総てで、黒髪黒目の人間は『悪魔』として扱われるんだよ」
「……なんだって?」
確かに俺は生粋の日本人で、親戚に外人もいないから黒髪で黒目だ。だが、そんな程度で悪魔?
「本当に何も知らないのか? それは、まぁご愁傷様だな」
「いや、待てよ、黒髪黒目の人間なんて珍しくもないだろ、そこらへんに一杯居るはずだろ」
「居ねーよ。黒髪黒目なんて、生まれた瞬間殺されるよ。もし、教会にバレれば一族郎党火炙りだ」
何言ってんだ、火炙りって、意味が分からない。
「な、何で?」
「悪魔だから」
少年はその言葉に続けて言った。
『悪魔』とは、聖典の『救世主』を殺した黒髪黒目の裏切り者である、と。
聖典によれば、町に疫病が流行っているのも黒髪黒目の『悪魔』の仕業であり、人間が盗みや殺しを行うのも『悪魔』が誘惑したせいであり、国の転覆を企む崇拝者達が暗躍するのも『悪魔』が唆したせいであり、魔物が人里に降りてきて人間を食い散らかすのも勿論、『悪魔』の仕業である。
その他、此の世の総ての悪行の根源は悪魔の内より出でたものだ。
即ち、『悪魔』とは、『此の世の全ての悪』を指す。
――らしい。
ただ、一言いいたい。
「あのな、俺そんなんじゃ無いから」
「いや、まぁそれは何となくわかるよ、アンタ普通に人間だし、それに何か抜けてる感じするもんな」
その評価もいただけないが。
しかし、なる程。
何となく、自分の置かれている状況がわかってきた気がする。
何故この世界に来て碌に言い分も聞かず牢屋に入れられたか、人々は石を投げつけたり罵倒してきたのか。そして、あの烏仮面が俺に言葉を教えた人間を知りたがったのか。黒髪黒目という存在自体が禁忌とされる世界なら、言葉を教えた人間は何がしかの思惑があってのことなのだろう。
待てよ、俺に拷問を加える前、『傷一つつけるな』と言われていたのはなぜだろう。傷を付けるのを躊躇う理由が思いつかない。
「一つ聞いてもいいか?」
「何」
「俺はこの後どうなるんだ」
「……」
「解放、……はされないにしても、一生このまま幽閉されるのかな」
「……」
何で黙る?
そういえば、あの烏仮面は言っていなかったか。
司教がうるさいから傷はつけるな、とか。
『断魔祭』まであと一巡りはある、とか。
「なぁ、『断魔祭』って、なんだ? 何の祭りなんだ?」
「……」
何か言ってくれ。
何で黙ってるんだ。
「なぁ教えてくれよ、頼む。『断魔祭』ってなんだ? 祭りっていうからには何かの祭りなんだろ? 何する祭りなんだ? 字面からすれば、魔を断つ祭りって意味にとれるけど」
聞くまでもない。聞くまでもなく答えは明白だ。
だが、少年は意を決したように答えてくれた。
俺の考えを補足してくれる形で。
「『断魔祭』は、『悪魔』を磔にして、その後生きたまま火炙りにする反吐の出る祭りさ。普段は悪魔の代わりに死罪人と亜人が何十人も殺されるけど、今回は」
少年は申し訳なさそうに言った。
「あんたがいるから一人で済むかもな」