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1-⑥

 本流にたどり着いてから数分、水の流れに沿って進み続けると、ひときわ大きい空間にたどり着いた。


 どうやら、ここが本流の合流地点らしい。今まで辿ってきたのと同じ大きさの下水が二方向から流れ、合わさって一方向に流れ出ている。


 なら、出口があるとすれば下流だな。

 下流に足を向けたその時だ。ネロの感覚が何かを捉えた。


「……また鼠か?」


 問いかけるとネロは前脚で頭を掻き始める。

 大体わかってきたが、ネロが時たまやるこのサインは『肯定』の意味合いを含むようだ。


「よっしゃ、今まで通り経験値にしてやろう」


 経験値(マナ)にはならないが。

 まぁ、何となくだ。


歩みを進めていくと、周囲の隙間という隙間から、キィキィという甲高い耳障りな鳴き声が聞こえ始める。


「うおっ……」


 突然、まるで濁った水が溢れ出てきたかのように、壁に空いた穴から鼠が湧き出てくる。

 尋常ではない数だ。十や二十ではきかない。

 百、二百に及ぶ鼠が穴から跳び出し、ネロの方へと殺到してくる。

 

 一対一では余裕の勝利を見せたネロだが、多対一、しかも相手が百単位となれば勝つ以前に戦いになるかも怪しい。鼠が脅威となるのはそもそも個体の戦闘力ではなく、数に物を言わせ集団で襲い掛かる犠牲上等の自殺戦法こそが真骨頂の筈だ。飢えた鼠の大群は一匹の猛獣より余程恐ろしいというし、食糧さえあれば犠牲が出たところで二月もあれば数は元通りである。群体としての鼠は個体としての鼠とはまるで脅威が段違いだ。

 となれば、この場で打てるのは逃げの一手のみで――


 違う。ネロが見詰めた先は、鼠が飛び出して来るその向こう側だ。

 殺到する鼠はネロには目もくれずに、横を駆け抜けて我先にと奥へと逃げていく。

 押し合い、へし合い、転んだ鼠は捨て置き、踏み付けて。先へ。

 

 鼠たちを狂乱へ追いやった存在が壁の穴からゆっくりと姿をあらわにした。




 穴の中からゆっくりと姿を見せたのは、『猫のような図体の巨大な鼠』を、頭から丸呑みにしている『黒の斑紋はんもんに縁どられた大蛇』だった。

 

 ……でかい。

 人間の体で見下ろせばまだわからないが、鼠の小さな体躯から見上げれば、戦う気も起きないほどのでかさ。

 ……当然俺もこいつと戦う気はない。十中八九こっちの負けだろう。そんな賭けをする気は毛頭ない。


 足を痙攣させる大鼠を美味そうに飲み込むと、ぽっこりと膨らんだ腹を抱えて、大蛇は舌をちらつかせながら此方(こちら)に首を向けた。

 『デザートには丁度いい』。

 そんな意図が垣間見える視線だ。ゾワりと思わず身が震える。

 

 鼠の身からすれば、こいつは出会ってはいけない上位者。完全なる『地下の支配者』だ。

 参ったな、クソ。

 鼠はともかくとして、こんなのが居たのでは脱出ルートとしては厳しい。惜しいが別のルートを探した方がマシだ。

 撤退するようにネロに念を送る。


 だが、俺の意思と裏腹にネロの足は一歩も動かなかった。蛇がこちらに近づいてきて、既にこちらを射程に収めてしまっているが、ネロは逃げ出そうとする気配もない。

 蛇に睨まれ、恐怖のあまり動けなくなってしまったのか、そんな考えが頭をよぎる。


 大蛇は鍵状に体を折り曲げてゆっくりと攻撃態勢を整えている。まずい、もう逃がすつもりはないようだ。目はこちらを見据えて動かさない。

 俺の背を冷汗が流れる。

 逃げろ、逃げるんだ、ネロ。一体何故動こうとしない。何考えているんだお前。


 まさかとは思う。

 あり得ないことだと思うが、お前――

 

る気か?」


 ネロは愛くるしい仕草で頭を掻いた。

 マジかよ。


 折り曲げ、溜めを作った体勢から、蛇は全身を使い鞭のように飛び掛かった。

 蛇という種族が自然淘汰とうたの中で磨き上げた動き。常人の感覚では捉えることすら出来ない。

 だが、ネロの感覚はハッキリと大口を開け迫りくる大蛇を捉えていた。

 

 目視で軌道を確認して横っ飛びで回避。


 一撃で決めるはずの攻撃が空を切った大蛇は、攻撃が空振りしたことに戸惑っていた。外した、目測を誤った。下位者である小さな鼠に攻撃が回避されたことには思いが至らない。

 

 ネロは無防備な胴体目掛けて躍り掛かる。鼠相手に見せた体当たりではない。

 齧歯類げっしるい最大の武器であるその前歯を剥き出しにして蛇の鱗へと突き刺した。


 鱗を貫き、肉を削ぐ感触。

 蛇特有の生臭い味が口の中に広がる。

 だが、肉の深部に辿り着く前にこちらに気づいた蛇が体をのたくらせて振り払いにかかった。

 こちらを数十倍上回る質量が暴れれば、それに抗えるはずもない。


 ネロは巻き込まれないよう飛びのき、すぐに蛇から距離を取った。


 蛇の肉体には先程敢行した攻撃の跡が見て取れた。巨大な蛇の肉体に少しの傷跡。皮膚は抉れて中身が見えているが、重要な部分までは達していない。全体の面積から言えば微々たるものだ。

 ……これは有効な攻撃なのか?


 この攻撃を何百と繰り返せばいつかは蛇を殺せるだろうが、向こうの攻撃は一撃でも喰らえばそれでお終いだ。 あの牙に捕えられれば抜け出す術は無いだろう。


 蛇は傷つけられたことに驚きと怒りを覚えたらしい。用心深く身を縮こまらせると、「シューシュー」と口から吐息を 漏らし此方を隙なく窺い始めた。

 ネロを敵と認識したのだ。


 次のような不意打ちがまた通じるだろうか。

 どう考えても分が悪い。だが、それにも拘わらず、ネロは歯を剥き出しにして威嚇し徹底抗戦の構えだ。逃げる意思など欠片も見出すことはできない。


 やれやれ。しょうがないな。


 ネロが死ねば、俺も死ぬ。

 この小さな鼠と俺は一蓮托生だ。

 やる気なら最後まで付き合おう。行くならとことんだ。

 覚悟を決めて向き直る。


 蛇は攻撃の仕方を変えてきた。体を大きく動かし、回り込むようにしてこちらを囲い込む考えだ。

 こちらも動きの隙をつき、何度も攻撃を仕掛けるが、やはり肉の浅い部分までしか届かない。


 ネロは移動し、囲まれないように位置を変え立ち回る。しかし、鼠を狩るのに長けた蛇の動きによって次第に行動範囲が狭まっていく。まるで、ハンデ山盛りの陣取りゲームだ。

 次の逃げ場を探しているうち、蛇が尻尾付近の空間を空けた。すかさずそこへネロが足を向ける。


「違う! そこは罠だ」


 ネロの反応が間に合わない。

 蛇は鼠の捕食者だ。動き方を熟知している。

 わざとらしく隙間を空けて、そこへ踏み込んだところへ尻尾の殴打を食らわせるつもりなのだ。


 空いた空間に移動した瞬間、待ってましたとばかりに蛇の尻尾がとんでくる。

 蛇が長年の狩りで生み出した動き。理詰めで計算し尽くされたそれは、反射神経で避けられるような生半可なものではない。


「――、ぐはっ!」


 ネロの矮躯に痛烈な殴打が叩き込まれる。

 感覚を共有している俺にも思わず肋骨が折れたかと思うくらいのほどの衝撃が走る。

 体勢を崩したところへ、畳みかけるように蛇が大口を開け迫ってきた。

 まずい、まずい。


「ちいっ!」


 ネロはまるで反応出来ていない。

 衝撃で意識を揺さぶられている。蛇の顎が迫るのを認識していない。

 蛇の大口がすぐそこまで迫る。

 

 だから、俺が代わりに体を捻る(・・・・・・・・・・)

 紙一重で蛇の攻撃を避ける。


「危ねえ!」


 蛇は渾身の一撃を躱され、勢い余って体勢を崩す。


 今、本当に一瞬だけだが、俺はネロの体を『操作』した。


 コツを掴むのが難しいが、『感覚共有』は、体を動かすこともできるのか。

 自分の体のようにとはいかないが、『ゲームのキャラクターを動かす』程度の動きならできる。


 蛇から距離を取る。改めて向き直り呼吸を整えた。


 ……もう一度できるだろうか?

 

 逃がすまいと追い縋る蛇の、噛み付きとも体当たりともとれる攻撃。

 ネロは勢いをつけて回避しようと、脚に大きく力を溜める。

 違う、そうじゃない、そんなに大げさな回避は必要ない。

 敵は強大で、一撃喰らえば命に関わる。

 だが、どんなに凶悪な一撃だろうと、当たらなければどうということはない。


 力むネロの脚を掌握し、最適化した動きが出来るよう調整する。

 ネロを支配するのではない。一番いい動きをするように補佐するだけだ。

 肉弾が迫る、そのギリギリのタイミング、必要最小限の距離だけ避ける。

 蛇の顎がすぐ傍らを通り抜ける。ネロの体毛が蛇の鱗と擦れて切れる。

 感覚が鋭敏化して蛇の動きがスローモーに見える。

 すぐ傍には通り抜けようとする蛇の顔。その歪んだのまなこが手を伸ばせば届く距離にある。

 ネロの前歯が蛇の瞳を捉えた。

 鋭い歯が瞳を串刺しにする。目の切れ目から透明な水が噴き出て、床に零れ落ちる。

 蛇は何が起きたかわからずに暴れ悶えた。


 ネロはのたうつ蛇の身体に当たらぬよう動物的な勘を働かせ動き回る。

 俺はどこに移動するのが『最適解』かを意識する。

 一つの身体に二つの意識。それぞれが役割をこなせばいいのだ。

 ネロが規則正しく無駄の無い動きをするよう、俺は力を添えるだけだ。

 このままネロの動きを制御しつつ、蛇の身体から鱗を全部剥ぎ取ってやる。


 片目を失った蛇の死角に回り込みつつ、攻撃を加えていく。

 一ヵ所、二ヵ所、蛇の身体に前歯をたてて肉を削ぎ落とす。

 蛇がたまらず体をのたうち回らせた。

 『猫のように大きな大鼠』を飲み込んで、まだ消化されていない膨れ上がった腹。

 それが目の前で無防備に晒されていた。

 そういえばこれがあった。

 

 大きく顎を開き渾身の力を込めて膨れ上がった腹目掛け歯を突き立てる。脚を踏ん張り肉を喰い千切る。

 また同じところ目掛け歯を突き立てる。喰い千切る。喰い千切る。

 内側からの圧力で膨れ上がった腹の皮膚は、他の部位より固く弾力があったが、それは前歯が皮膚を突き破るまでの話だ。

 空気をパンパンに入れた風船が破裂するように、腹に溜められた圧力は逃げ場を見つけて皮膚を裂き、その穴を広げるよう肉を食いちぎってやれば、中身が噴き出すように零れ出てきた。

 声にならない蛇の悲哀の声。発声器官が無いはずの蛇の絶叫が確かに聞こえた。


 あとは、語るまでも無い消化試合だ。

 片目を失い、腹が破れ中身が零れ落ちている蛇を狩るのは、そう難しい事ではない。

 死角に回り先程のように攻撃を繰り返す。十撃目程で動きが鈍くなり、十八撃目で動かなくなった。


 勝利。

 粉う事なき完全勝利だ。


 息を吐いて全身の力を抜いた俺と違って、ネロは油断しない。

 齧歯によって頭蓋骨を割り、脳味噌を破壊し、きっちり止めを刺していた。

 まったくよくやる。

 ネロお待ちかねの食事タイムだ。ネロは美味そうに蛇の脳みそを頬張る。

 もっちゃもっちゃごくり。

 蛇の臭みが口の中に広がる。ネロは夢中で蛇肉に食らいついている。

 もっちゃもっちゃ。


 ……俺は我慢しきれずに『感覚共有』を切った。

 しばらく後でまた接続するとしよう。

 




「あれ?」


 眠りから覚めるように元の肉体に戻ってきた。

 だが、様子がおかしい。

 吊るされていると思ったのだが、いつの間にか檻から出され縛られて地面に転がされている。


「一体どういうことですか、これは」

「ぃ、いぇ、その、違うんです、そのぉ」

「何故縄が解かれ檻の蓋が開いているのですか。あなたはきちんと閉めたのではないのですか」

「……し、閉めました。確かに閉めました」

「なら何故開いているのですか。見張りはこの者は何もしていないと言っていますよ」

「そ、そんなはずは……」


 なんだなんだ。なんか面白いことになってるな。

 ていうか、縄切ったのバレたか。集中しすぎたようだ。


「公爵様は半魔のお前にも目を掛けてくださっていたというのに、獣のように恩を仇で返すとは」

「ち、違います、私はこの者に手心を加えようとは」

「嘘を吐きなさい、私が見に来なければこのままにしておくつもりでいたのでしょう。大体、初めから生ぬるい手を使うとは思っていました。貴様ら薄汚い『信奉者ピカトリクス』のやり口はよく心得ています」


 違う、違うと否定し続けるのは例の拷問吏だ。冷血女アリシアに問い詰められている。拷問の責任者だから、俺が縄解いて蓋開けてスヤスヤしてたから怒られているのか。

 ……まぁ、正直勝手にやっててくれ。

 

 拷問吏はわたわたと言い訳しながら挙動不審に此方に視線を送ってくる。見た目も相まって完全に不審者だなこいつ。

 なんでチラチラこっちを見る。

 もしかして、俺に助けを求めているのか? 

 俺が何かして自力で拘束を解いたとここで証言すれば、確かに疑いは晴れるな。


 ふむ。


 俺は拷問吏にだけ見えるように、意味ありげに微笑んで見せた。

 

「……あっ! こ、こいつ!」

「今更何を言おうとしているのですか、言い訳が通用するとでも思うのですか」

「ち、違います、こいつが自分でやったんです!」

「衛兵、連れて行きなさい。 ……そうですね、この売女をその檻にでも入れておきなさい。自分がやったことの罪の重さを知るでしょう」

「ぃ、ぃやだ、ゃ、やめてくれ、ゎ私は悪くない、こ、こいつ、こいつが」


 どもり過ぎだろ。

 内心でツッコミを入れつつ、俺は拷問吏が檻に詰められ連れていかれるのを眺めていた。

 いい気分だ。

 右手の借りは少しは返せただろうか。

 

 冷血女アリシアが振り返り俺を見た。

 ――――そいつは、下水で出会った蛇よりも冷たい目をしていた。

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