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1-⑤



 暗闇の中、鼻と髭の感触を頼りに前に進む。

 夜目は利くが、何分、光の差さない排水管の中だ。光源が全く無い場所では、目よりも他の感覚器官の方が頼りになる。

 髭で空気の流れや振動を感知し、嗅覚で近くに存在する物体の種類を判断する。目が見えている状態と比べれば不便だが、暗闇である事を考えれば随分上等だろう。鼠の感覚器というのは実に大したものだ。


 ネロがその嗅覚で何かを感知したようだ。

 糞尿の臭いの中の、僅かな獣臭。

 行先に別のネズミが潜んでいる。

 息を殺し、こちらの様子を伺っている。

 おそらくは同じ『灰色ドブ鼠』の一個体だろう。

 灰色ドブ鼠は、全書に記載されている通り個体数の数が尋常ではなく多い。下水を進んでいるだけでもう何匹も遭遇した。

 どうやら、連中には同族意識などはないらしい。出会った個体は片端から襲い掛かってきた。連中の思考は極めて単純だ。どこが自分の縄張りか、相手は自分より弱い強いか、腹の足しになりそうか、苛めて気晴らしになりそうか、その程度のものだ。

 ネロは衰弱していたこともあり、体も小さく見えるため、連中からすれば格好のイジメの対象だ。

 数間先に居るこちらを待ち構えている鼠も、ノコノコやってきた間抜けな鼠を嬲り殺してやろうと舌なめずりをしている。

 ネロは、『自らを待ち受ける運命に気づいていない哀れな小鼠』のフリをしながら、歩みを進めていった。


 自分の射程範囲に入るや否や、鼠はすぐさまネロに踊りかかった。

 鼠の雑菌まみれの齧歯げっしが首筋に迫る。


「体当たりだ! 経験値にしてやれ!」


 俺の号令と共に、ネロは鼠に向かって弾丸のような勢いで殺到した。舌なめずりをしていたのはこちらの方だ。

 ネロは自分よりも一回りも大きい鼠のどてっ腹に体当たりをかまし、その勢いで鼠を数メートル先まで吹き飛ばした。

 アバラを何本かやったのだろう、自分の身に何が起きたのかわからない鼠はキィキィと鳴いて目を回し、苦しそうにヨタヨタと歩き回った。

 ネロが音もたてずに鼠の傍へと距離を詰める。鼠からすれば、突然ネロが現れたように感じるだろう。鼠は飛び上がって驚き、そのまま逃げ出そうと駆け出すが、足がもつれて中々前に進まない。

……鼠じゃもう相手にもならないかもな。


「キィ! キィ」


 鼠は逃げ出すのを諦め、何とも哀れそうな声を出して命乞いをしてみせた。地面に頭を擦りつけ、腹を見せて服従のポーズだ。

 弱い者苛めしようとしておいて、自分が弱い立場になると、一転して許しを請うというのはまったく都合のいいことだとは思うが、鼠相手に倫理を説いたところで何の意味無い。

 

 止めを刺すか刺さないかはネロに任せるとしよう。

 ネロは鼠に一瞥を投げかけて排水溝の奥へと進み始めた。

 ふむ。

 見逃すか。

 同じ『灰色ドブ鼠』なのに他と比べネロは残虐性が少ないように思える。さすがは俺の支配魔獣。心優しき鼠なのだ。


「うおっ!」


 ところが、見逃された鼠はネロが背を向けた途端、隙をついて襲い掛かってきた。

 なんというテンプレ通りの悪役ぶり。


 見事に騙された俺と違い、ネロは余裕をもって攻撃を回避。攻撃してくるのがわかっていたかのようなスムーズな動きだ。同じ鼠だから行動パターンがわかっているのだろうか。

 渾身の一撃を回避され、たたらを踏んだ鼠の横っ腹に、ネロはもう一度先程の弾丸体当たりを見舞った。

 ズギャン! と効果音でも鳴りそうな一撃が腹に再び突き刺さり、鼠の身体は宙を舞った。再び数メートル跳ばされる鼠。

 鼠は今度は起き上がることもできず、痙攣を起こしピクピクと震えるばかりだった。

 ネロはそこへ駆け寄ると倒れて動けない鼠目掛け、更に弾丸体当たりを見舞った。

 放物線を描き宙を舞う鼠。しかし、今度は壁に当たり跳ね返り床に落ちた。

 鼠はもう痙攣すら起こしていない。ネロはそこに駆け寄ると、動かなくなった鼠目掛けもう一度弾丸体当たりを敢行した。鼠の身体が宙を舞い……おいおい。


 ネロの残虐性が少ないっていうのは勘違いだったようだ。敵対者にはまるで容赦がないぞこいつ。その後、明らかに死んでいる鼠に用心深く止めを刺し、肉体の美味しい部分だけ頂いていた。同族だろうがお構いなしだ。さすが鼠。

 ネロが鼠の生肉を咀嚼する感触が俺に伝わってきたので、俺は思わずえずいてしまう。

 

「うえぇ、それは勘弁……」


「おい、あいつさっきから何をブツブツ言っているんだ……?」

「わかんねぇ、頭がおかしくなったんじゃねぇのかな。不気味だから黙らせるか」

「よせ、下手に関わるな、上に目つけられたら俺らの首が飛ぶぞ……」


 見張りの男達が俺の様子に違和感を感じたのか、小声で何か話している。

 俺の様子がおかしいのは確かだ。

 今まで、まるで檻から抜け出しネロと一緒にいるかのような口ぶりだったが、実は俺は未だに拷問部屋の檻の中に閉じ込められており、そこから出れないままでいた。

 だが、俺の意識はネロと共に塔の下水施設の中を探索している。

 先程解放された新能力、『感覚共有』の御蔭だ。


* 


 『感覚共有』は名前の通り、魔物の五感を自分の感覚として捉えることができる機能のようだ。

 鼠の感覚を人間の俺が感じるというのは中々面白いものがあった。四足歩行である鼠の感覚に慣れるのには少し時間がかかったが、小動物の視点という体験したことの無い世界が広がっていた。

 相変わらず俺の肉体は檻に入れられ責め苦を受けていたが、ネロの感覚に集中すれば元の肉体の苦痛を忘れられた。むしろ、鼠の感覚が新鮮過ぎて熱中し過ぎているというのもあるか。


 暗所から暗所へ、人の死角に回り込んで見つからないように塔の中を動き回り。俺を捕らえるこの塔を探索して回った。


 動き回るのはネロ自身だが、俺が人間の思考を先読みして人間に見つからないようネロに指示している。気分的には友達がプレイしているゲームを横から口出しする感覚といったところだろうか。

 『感覚共有』は状況を把握するのにぴったりだ。……排水管の臭いと鼠の死骸を食べる感触だけは勘弁して欲しい。


 ネロにはテレパシーのように念話を送ることができた。指示を出したり、離れていても意思疎通ができるというのは非常に便利だ。念話の内容をついつい口でも話してしまい、先程のように見張りに気味悪がられてしまう。それだけが問題だ。

 余り注視されて手の縄などに気づかれても厄介なので抑えめで行こう。

 考えてみれば檻に入れられ拷問を受けている人間が、「いけ、体当たりだ!」とか、「うおっ、ビックリした……。」とか、「あー、こうなってんだー」などとゴニョゴニョ言っていれば何だこいつと思うのは当然だろう。


 現在は今俺が閉じ込められている塔を探索している。

 塔の全容から整理する。退屈な作業だが、衛兵を殴って脱走するわけにもいかないため、必要な工程だ。

 塔は石造りで円筒状の構造をしており、全四階層から構成されている。俺が居るのが最上階の四層目、拷問部屋と物置が数室ある階層だ。部屋を出ると銃眼をしつらえた外壁に囲まれている。


 その下の三階層目は二部屋に分かれている。気味の悪いあの女の居室、それからもう一つの部屋には兵隊が数人おり、寝台で寝ていた。その下の二階層目は一つの大部屋で構成されている。主に兵隊達の詰め所として使われているようだ。食事用の折り畳み式のテーブル、装備一式を仕舞う戸棚、武器棚、ちょっとした食料等が置いてあった。防寒目的からか、床には藁が敷き詰められ壁には毛皮が掛けてあった。……火をつけたらよく燃えそうだ。

 この塔の唯一の出口が第二階層の大広間に作られていたことが少し気になる。広間に作られた扉を出ると木造の外階段が設置されており、そこから出入りをすることになっていたが。何故出入り口を二階に設置したんだろうな。


 そして、一階が最初俺が入れられていた土牢だ。当然のように出口はない。この場所から外に出るには、厚い土壁と塔の外壁を崩さなくてはいけない。それはあまり現実的ではない。

 土牢を捜索しても益はあまりなさそうだったので、探索はそこそこに切り上げようと思っていたが、ネロが風の流れを感じ、土で覆われた地面の下の今は使われていない排水溝があるのを発見したのだ。


 始めに見つけたのはネロが入れる程度の拳大の穴だったが、奥に進んでいくと『人間が這って進める』ほどの大きさに広がっていることが分かった。

 ここまでくれば誰でもピンとくる。

 入口の土さえ除けてしまえば、その排水溝から城の外まで出ていくことができるかもしれない。

 念願の脱出ルート候補を見つけることに成功したのだ。

 正直なところ、二階の広間から正面突破か屋上からダイビング位しか思いつかなかったが、色々と探ってみるものだ。


 というわけで、今はネロに排水溝がどこに通じているのか調べてもらっている。

 

 使われなくなって数年、数十年だろうか。

 意識しなければ気付かないくらいの勾配がついた真っ暗な下水管が延々と続いている。

 この下水管はどこにも続いていないんじゃないかという若干の不安があったが、ネロの鼻は先から流れてくる下水の臭いを確実に捉えている。ネズミの嗅覚というのは鋭敏だ。人間の脳には少し刺激が強すぎるぐらいで、俺は先程からくらくらしっぱなしだ。

 およそ六十メートルほど進んだところで広々とした『下水管の本流』にたどり着いた。


 成程、人間の血管みたいなもので、小さな支流をいくつも作り、それをまとめて本流に流すのか。確かに、各所にいきわたらせるにはそういったやり方が効率的だろう。現代でもこういうやり方をしているのだろうか、気になるところだ。

  

 下水を進む途中何回も『灰色ドブ鼠』の襲撃を受けた。

 連中は非常に縄張り意識が強いらしく、近づいただけで必ず攻撃を仕掛けてくる。

 一撃で返り討ちに遭い、命乞いからの奇襲コンボは最早お馴染みだった。

 もしかして一連の技なんじゃないかと思うほどの発生頻度だ。その度にネロの弾丸タックルが火を噴く。ネロは六匹目あたりから飽きてきたのか普通に止めを刺し始めていた。

 飽きんなし。


 ちなみに、鼠をいくら倒してもレベルアップに必要な『マナ』とやらは手に入らない。……実に残念だ。

 もっと大型の敵でないとレベルアップは難しいのだろうか。

 

 とりあえず目的地はまだまだ先だ。

 用心深く歩みを進めていこう。



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