1-④
この拷問部屋ときたら、この世界の人間の醜悪な思考を映し出したかのようだった。
雑然と置かれた肉体を損壊させるための器具の数々。余り掃除は行われていないのだろう。黴の臭いと埃の匂いが部屋中に染み付いている。加えて、漂うのは獣脂の蝋燭と松明から出る煤の臭い。それと、腐った有機物の臭いだ。これが一番我慢ならない。何の腐った臭いなのかは考えたくもない。
二人の見張りが待ち構えている部屋唯一の扉の傍には、鉄で出来た拘束用のベッドが置いてある。鉄の枠組みだけの寝台はその全面に錆が浮き出ており、器具の管理のおざなりさが表れている。寝るだけで身体を悪くしそうだ。
まぁ、その寝台については実はどうでもいい。大事なのは寝台の足元に潜んでいる、鶏卵よりも少し小さい位の小動物のことだ。
この世界の初めての友人。
この世界で唯一の俺の味方。
そして俺の支配魔獣であるところの、『灰色ドブ鼠A』だ。
いい加減名前をつけてやりたいところだが、今はそれどころではない。ここから脱出した後、たっぷりと時間をかけて格好いい名前を考えてやろう。
鼠一匹きてくれただけで、万軍の味方を得た気分だ。
俺は早速ここの脱出方法に考えを巡らせた。
この建物は石造りの塔だ。部屋は塔上部に位置するため、窓からの脱出は難しい。そもそも人が出れる窓がない。だが、そのお陰で部屋の中は暗く、鼠が見つかる恐れはほぼないだろう。部屋には兵士が二人控えている。ゲームなどでは、大体見張りに飽きて遊び始め、その隙を突いて脱出する等の展開が多いのだが、下の二人は職務に忠実に油断なく周囲に視線を巡らせている。
厄介だ。
まったく出れる算段が思いつかない。
「くそ、変な体勢だから首痛いな」
さすがに首を90度曲げた状態で体育座りは辛くなってきた。膝も伸ばしたいし、身動きがとりたい。まだ檻に入れられて三十分も経っていない。
まずはこの檻を何とかしなければならないだろう。90度首を曲げた状態で、更に首を捻り、目をかっと開いて後ろを見やると、檻の天辺の様子を目の端で辛うじて捉えることができた。
蓋を止めているのは鉄で出来た一本の閂のみだ。閂に錠前などはつけられていない。
これを何とかすれば、この檻から出ることはできる。加えて首もずっと楽になるだろう。ああ、糞。『狭苦しいだけで大した拷問ではない』と言ったが、誤りだ。やられてみると、これは中々の苦行だ。
蓋を開けるにしても、見張りがいることだしあからさまにやればすぐ気づかれてしまうだろう。ただ、先程言った通りこの部屋は相当暗い。扉横の松明と、机の上の数本の蝋燭だけがこの部屋を照らしている。元の世界の電灯に比べれば、光源としては頼りない。天井付近にある窓は換気用であることだし、採光の用途としては不十分だろう。
結論として、こっそり少しだけ蓋を開けていれば気付かれないということだ。蓋が開けられれば体にかかる負担も減る。
問題の蓋の開け方については……ご協力を願うとしよう。
視線を下にやり、見張りに気づかれないよう「チュッチュ」と口を鳴らして見せる。
灰色ドブ鼠はそれに反応し、檻を吊るしている縄を器用に駆け上ってきた。
みるみるうちに天井の滑車にたどり着き、そこからポテッと俺の頭の上に落ちてきた。
やるじゃないか。
鼠はクシクシと頭を掻いた後、誇ったように胸を張って見せた。先程死にかけていた鼠とは思えない程の軽業だ。
「どうだ? その閂、外せるか?」
小声で鼠に話しかける。
そういえば、鼠に言葉は通じるのだろうか。ある程度の意思疎通は出来るようだし、通じるかもしれない。だが、鼠が閂という単語の意味を理解できると思うのは期待のし過ぎな気もする。
俺はまた首を限界まで捻り、目を剝いて閂に視線を送った。苦しい。
「それ、外す、……俺、嬉しいぃ……」
野人っぽいしゃべり方になったのは、首をひねって気道が圧迫されているせいだ。
鼠は俺の意図を察してくれたようだ。なんて賢い奴なんだ。閂に鼻を当て、髭を揺らしながらしきりに臭いを嗅いでいる。
何度か頭を当てたり、蹴りを入れたりしていたが、鼠の力で閂を開けるのはは難しそうだった。
「それなら腕の方を頼む」
俺の手は後ろ手に縄で縛られている。縛られてさえいなければ普通に手を伸ばして閂を外せる。
鼠はキィキィ言いながら、俺の後ろに回り込むと、数分かけて縄をかみ切ってくれた。
さすが鼠。コンクリートの壁すら穴を開けると言うし、縄程度なら大した障害でもないのだろう。
……しかし、縄が切れていたらよく見られればバレてしまうな。それまでに決着をつければいいか。
「偉いぞ、いい子だ」
手を伸ばし、閂を外して若干の余裕を作ると、そのまま右手の人差し指で鼠の頭を掻いてやった。
本当に助かった。こいつは実に頼りになる奴だ。
時間があるときと言わず、今名前を付けてやろう。俺にできる感謝の気持ちだ。
どんなのがいいだろうか……。
あの傲慢な烏の仮面に一度邪魔されたが、「ピ」から始まるあの名前は悪くないな。「ミ」から始まるマウスの名前もあったな。甲乙つけがたい。さすがに次元を超えて版権云々は言ってこないだろうし、やりたい放題だな。
しかし、ふと思う。この鼠はこの世界で俺の唯一の味方だ。俺の身を案じてこの部屋まで追ってきてくれた、俺の大事な中間である。この鼠が来なかったら、俺は未だ失意の中にいただろう。
だから、この鼠に感謝を表すために、既存のものではなく世界に一つの名前を送るのはどうだろうか。
「お前の名前は今日からネクロファティマスだ」
ネクロファティマスとは、ギリシャ神話よりも古い、失われた神話において、死と影を司ったとされる九大神の一柱の名前だ。『一神』との戦いに敗れ、悪魔の位に追いやられたが今も冥府において絶大な力を持ち、地獄の魔王達が地上に出ていかぬよう、目を光らせている……という設定の、俺が中学生の頃ノートに書き散らした、キャラの名前なのだ。
ネクロファティマスは、怖いもの知らずだった頃の俺が神話の神様から適当に寄せ集めて作った名前だ。俺が作った、ということでおそらく世界に一つしかあるまい。世界に一つの名前は、今これ以外に思いつかなかった。
ネクロファティマスは、膝に乗り無反応を貫いている。ピクリとも動かない。嬉しさのあまり感極まってしまったのだろう。かわいいやつだ。こいつが強くなったら、時期を見て『頽廃の君主』の字名をつけてやるとしよう。もっとかっこよくなるぞ。
『頽廃の君主 ネクロファティマス』。
めちゃくちゃかっこいいな。
ガッツポーズしたくなるかっこよさだ。
これからもよろしく頼むぜ、ネクロファティマス。
ネクロファティマスは死んだように固まって動かない。
ネクロファティマスは長いので、普段は『ネロ』と呼ぶことにしよう。
ネロと呼んだら、ネクロファティマスはしきりに頭を擦っていた。
さてと、首回りも楽になったことだし、次は何をしようか。
――――そう思った矢先のことだ。
『この世界には無い筈の音』が聞こえた。これで二度目だ。
8ビット電子音の安っぽいファンファーレが結構な音量で流れている。
見張りの兵隊達は「今のは何だ?」というように辺りを見回していた。……ちょっと笑えるな。というより、自分以外にも聞こえる仕様なんだな。
本当に、どこで音が鳴っているのか……。
『月と太陽』のメニュー画面がポップアップされる。これはさすがに見張りには見えないだろう。
どこか変わったところがあるのか。
名前をつけたことで音が鳴ったから、名前関連か?
項目『支配下』を選択する。
どうやら当たりのようだ。
前回見た時は『灰色ドブ鼠A』の名前があったが、今回はしっかりと『ネビロナータュス』と記載がある。
これで名実共に『ネクロファティマス』になったというわけだ。
それと、表記が一つ追加されていた。『名前:5/6』。うん、これは……わからん。名前を付けられるのは六匹まで、ということかな……?
『ネクロファティマス』の項目を選択すると、別の画面に移った。これには見覚えがある。所謂ステータス画面だ。
ステータス画面には次のように記載されていた。
『名前:ネクロファティマス LV:1 生命力:1 素早さ:1 力:1 特力:1 次のLVまでに必要なマナ:1』
わかりやすいことこの上ない。HPが無いが、現実世界で表すのは難しいからだろう。
まぁ、数字については見事に初期スライムという感じだな……。オール1とはまた、すごい。
ネクロファティマスは膝の上で両足立ちして万歳のポーズをとった。もしかして怒ってるのか。
「すまん」
そうだな。今は弱くても、これから強くなればいいのだ。
メニュー内の『持ち物』、それから『配分』。
これについてはまだ見ていなかったはずだ。
『持ち物』は大体想像がつく。『配分』というのはなんだろうか。とりあえず選択してみる。
これにはあまり見覚えがないな。
『貯蔵マナ1 ・ネクロファティマス所有マナ10 (選択)マナを活性化する』
文字に起こしてみてもよくわからない。とりあえず試しに選択してみるか……?
『→マナを活性化 選択』
またもや、電子音。
それから、テキストボックスがポップアップして出てきた。
『デデデテン』
『ネクロファティマスはレベルが上がり レベル2になった!』
『デデデテン』
『ネクロファティマスはレベルが上がり レベル3になった!』
『デデデテン』
『ネクロファティマスはレベルが上がり レベル4になった!』
マジか。
なんで上がったんだ今。
電子音が鳴ること計六回。
ネクロファティマスはレベル7になっていた。
……そういえば、電子音は他の人にも聞こえるんだったか。
見張り二人が気味悪そうにこちらを見ている。
凝視されて様子に気づかれても困るな。
誤魔化しておこう。
「……今変な音しませんでした?」
「……」
相変わらずの無視だ。
上手く誤魔化せなかったようだ。
さて、どのくらいステータスが上がったのだろう。
ステータスを開示してみよう。
『名前:ネクロファティマス LV:7 生命力:3 素早さ:7 力:1 特力:1 次のLVまでに必要なマナ:3』
おお、結構いってるじゃないか。
素早さなんか7もいっている。上限と相場がわからないので、凄いのかどうか判断が難しいところだが、レベル1の頃と比べ一気に七倍だ。
凄いじゃないか。
続けて、またも電子音が鳴り響いた。
今度はレベルアップの音とは違う、大袈裟なファンファーレだ。
一体今度は何だ……。
項目を探してみると、『支配下』の中に新しく項目が出来ていた。
「へぇ……」
いや、これが予想通りの機能を発揮すれば凄いんじゃないか?
追加された機能の使い方に思いを馳せる。
……これを上手く使えば、ここから脱出することも不可能ではないかもしれない。
12/08 次の話につながらない為、末部に加筆しました。
12/09 「読み方が謎です」との声を頂いたため、鼠の名前を『ネビロナータュス』から、『ネクロファティマス』に変更しました。