1-③
残酷な描写、血なまぐさい描写があります。
苦手な方、好まない方は閲覧をお控えください。
「あ゛あ゛あ゛ぁぁっ! 離せっ!」
俺の絶叫が部屋に木霊した。
あの後すぐに別の男達がやってきた。傷口に布を当てたあと、肘のところを縄で縛り血止めをするという乱暴な治療を施すと、男たちは俺を牢屋から連れ出した。
連れていかれたのは石造りの塔の上部だった。階段を上り扉をくぐると、据えた臭いが鼻についた。部屋の中には元の世界のどこかで見たような器具がそこかしこに置いてあった。
磔台、がらんどうの金属製の牛の置物、足のサイズにフィットする万力、ギザギザに作られた石の板。
あれらの器具がどうやって使われるのか、一体誰に使われたのかはわかるわけもない。だが、この場所が何のための場所なのかについては考えるまでもなかった。
拷問部屋なのだ。こんな場所に連れてこられて、誰がまともな神経でいられるだろう。
俺は赤子か幼児のように喚き散らした。
体は椅子に固定されており、暴れる度に打撲の傷が痛む。半分を失った右の手の平からもじくじくと血が流れ続けている。
何故、どうしてこんなことになったのだ。
いくら考えても答えは出てこない。
「黙らせてください。話ができません」
アリシアと呼ばれた女は、例の烏のマスクを脱ぎ素顔を晒していた。
こちらを見下すような、冷めた切れ長の目。百八十を超えるだろう長身の背丈。片分けにした藍色の長髪。鼻筋の通ったその容貌は美しくはあるが、どこか無機質な印象を感じさせる。
ハンカチを口元に当てており、『こんな汚い場所に居たくない』と、あからさまに態度で表していた。
「はい、アリシア様……、えへ、へ、こりゃすごい、本物だ、エヘ」
アリシアの命令に応えたのは、黒髪長髪の陰鬱な雰囲気の女だ。顔は前髪で隠れており、髪の隙間から真紅の目が時折見える。この女は初めて見る。牢屋にいた三人のうちの一人ではあるまい。女は興奮した様子で近づいてくると、俺の口に丸めた布を押し込み、その上から布できつく縛った。口の中に何とも言えない雑巾と汚物の味が広がる。
「えへ、へ、静かになりましたよ。アリシア様」
アリシアはそんな女には目もくれず、ふん、と息を吐いてみせた。
「こちらの注文は理解しましたね」
「えへ、はい、アリシア様。総て仰せの通りに致します。ええと、『殺さない』で、『聞き出せ』ばよろしいのですね?」
呆れの混じった溜息。
「殺さないのは当然ですが、『傷つける』のもダメです。余計なことをすれば司教がうるさく言ってきますから。聞き出すのは『何者か』、『誰の手引きか』です。期限は五日。失敗すれば首がとびますよ」
「はい、はい、アリシア様。おおせの通りに致します、おおせの通りに……」
黒髪の女はこちらを窺うように見ると、「ひぃっひ」と引き攣った笑い声を上げた。何だこの女は、まるでホラー映画の女幽霊のような見た目だ。気持ち悪い。
何が目的なのかわからない。何故俺はこんな目に遭わなくちゃいけないんだ。
「やり方なら色々と、有りますよぉ。傷を付けないやり方も沢山有りますよぉ」
こんなのはどうでしょう。と、女が引っ張り出したのは、犬が入るような小さな檻だ。
「吊り籠? あなた、話は聞いていましたか? 期限は五日と私は言いましたが、こんな物では何日もかかるでしょう」
「これは特製ですのでぇ、ひ、ヒッ。大丈夫ですよぉ。私の見立に間違いはありませんよ、これを使って三日と保つ人間は居ません」
「……それはあなたの領分ですので。血生臭い器具の話など興味がありません。ただ、前任者と同じ轍を踏まないよう気をつけなさい」
「えぇ、ええ、あの卑劣な悪魔信奉者の末路は当然の報いですよぉ」
連中は何やら恐ろしい責め苦の算段をしている。
顔色も変えずにそんな話ができる神経が信じられない。ここの世界の人間は他人を害することに何の躊躇も持たないのか。
女は俺に近づくと、俺の体を見回していたが、右手の怪我に気づくと顔を上げ言った。
「おや、手の平がありませんねぇ、……どうしたんですかぁ?」
「アレクシスの馬鹿者が斬ってしまったのですよ。傷つけるなと言われているにも関わらず」
「ぉゃおや、それは可哀そうにねぇ……」
女は老婆のようなノロノロした動作で革巻きの道具袋を拡げると中から、ガラスの小瓶を取り出した。
「こ、この傷は塞いでおきましょうね」
女は近づくと、俺の腕を椅子に固定し、傷口にあてられていた布切れをそっと取り外した。
布切れについた乾き始めた血が、はがす時にベリベリと傷口にくっつき、傷口の肉を引っ張り剥がれる。
「――――ッッ!!」
言葉にならない絶叫。
脂汗が全身から噴き出てくる。
ああ、糞ったれ。布の下にあったのは俺の手だ。見間違いでも気のせいでもなく、人差し指と親指と掌の半分しかない歪な形。切り落とされた中指と薬指と小指は、斜めに切られた掌から突き出た骨だけがその名残だ。肘を縛られたせいで、手首から肘にかけて青黒く変色している。手からはみ出た肉のせいで、まるで自分のものではないかのようだ。ピンク色の肉と、突き出た白い骨と、真っ赤な血糊が傷口から覗いていた。俺の体の内側はこんなにも色鮮やかに作られていたのか。他人事のように場違いな事を考える。自分の鼓動が煩い。誰か、誰か助けてくれ。
誰も助けてくれない。目をギュッと瞑る。
傷口に硫酸を掛けられたかのような痛み。
「――――――! ンィ、ンィィィッッ、ッ!!」
女は透明な液体を傷口に振りかけていた。酢?硫酸?
傷口が溶けるように痛い!
痛い、痛い痛い! 痛い!
脂汗が滝のように湧き出てくる。血圧が上がる。涙が溢れる。猿轡を噛み締めて耐える。雑巾の味。
「えへぇ、お、女の子みたいに泣いてますよ、この人」
女は可笑しそうに笑ってみせた。
「ぇへ、へ、まだ、痛いのはこれからなのにねぇ……」
その言葉を聞いて俺は眩暈がする思いだった。いつまで続くんだこの苦痛は。
女は俺の傷口に手を伸ばすと、傷口の断面を素手で掴んで、肉を奥へと押し込んだ。
骨に付いていた肉が剥がれ、血が吹きでる。
「――ンギ、ギィィ、ッ、ンギィィ!!」
バチバチと、火花が飛んだように視界が明滅する。
神経を直接触られる。骨を直接触られる。その苦痛に耐えられる人間なんていない。
叫んで暴れようと試みるが、椅子が少し軋んだだけだ。
「な、中指の、骨の収まりが悪いですねぇ、エヘ、き、切っちゃいましょうか」
何を言っているんだ。この女は。
切る? 何を? なんで?
その疑問の解答を俺の頭が導き出す前に、女が取り出した器具を見て頭の中は真っ白になった。
鋸。
片手で持てる手の平サイズの鋸だ。
「ン、ゥンーー! ゥンーーーーーー!!!」
女は俺の手のひらを椅子に押し付けると、傷口から出た骨に鋸を当てて一気に引いた。
ゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリ
意識を保てたのはそこまでだった。
*
……。
「ほら、瞼がピクピクしてますよお、これ、目を覚ます前兆なんです、ほら」
ほら、目を覚ました。そんな言葉が耳に入る。
意識を取り戻した時、状況は何一つ変わっていなかった。体は椅子に縛り付けられたまま。俺を取り囲む連中は相変わらず俺に冷たい侮蔑の眼差しを向けている。指先も失われたままだ。……いや、先ほどとは違い綺麗に包帯が巻かれている。肘に巻かれた血止めの縄も解かれている、……血が滲んだ様子はない。
「きっちり縫っておきましたよぉ、えへ、気絶するから、縫うのも簡単でした。……随分と痛がりなんですねぇ、悪魔なのに」
女はそう言い、俺の猿轡をはずすと、厭らしく笑った。
悪魔。また言われた。
「ヘ、これからなのに、先が思いやられますよぉ」
もう言葉を返す気力も無かった。
アリシア。こちらを犬か猿のように見つめる冷たい眼つきのあの女は、俺の前に立つと、口元をハンカチで覆ったまま質問を始めた。
気絶したお陰で少し落ち着いてきた。血を失ったせいかもしれない。
こいつらは獣だ。基本的人権とか他人に対する配慮なんてものを期待すること自体が間違っている。
とりあえず、この場では何もできない。隙を伺わなくては。
俺は何も考えず質問に淡々と答え続けることにした。
「名前は」
「乾盈。……言ったと思うけど」
「身分は」
「身分……? 平民。俺の国じゃ一部を除いて全員が平民だ」
「生まれは」
「国の名前は日本」
「……それはどこ?」
「どこって……、俺にもよくわかんねぇよ、世界地図で言うと東の最果ての島国だ」
「どうやってこの国に来た」
「……知らない、何かに連れてこられた」
「この国に来たのはいつ?」
「…………牢に入れられたのと同じ日だ」
「王国の言葉を教えたのは誰?」
「それは……」
またこの質問だ。
なんて答えれば正解なのかわからない。何で言葉が通じるのか俺自身にもわからないのだ。
「わからない、けど、この場所に来た時から話せたっていうか、自力で覚えたっていうか……」
アリシアのマリンブルーの目が細められる。
ああ、自分でも訳の分からないことを言っているのはよくわかってる。
「ああ、言ってることが矛盾だらけなのはよくわかってるよ、でも事実なんだよ。俺はこの世界の人間じゃないんだ。こことは異なる別の世界から跳ばされてきた異世界の人間なんだ。仕方無いだろう。自分が何者なのか、俺自身よくわかってないんだ」
「それは真面目に言っているの?」
「……勿論だ」
周囲がざわついた。周囲に控える兵隊の俺を見る目が少し驚きの色を含んでいた。俺の言っていることを少しでも信じたのだろうか。
だが、アリシアは別だった。無感動だったはずのその眼に怒りを湛えると、驚くどころかハンカチを握りしめて大声で怒鳴った。
「ふざけるな下郎」
まったくふざけてなんかいない。
アリシアは俺の反論も聞かずに背を向けると、俺の手を弄りまわしてくれたあの女に告げた。
「始めろ、拷問官!」
尋問は終わりだ。
期待はしていなかった。
俺は俯いて目を強く瞑った。
*
控えていた兵隊に手足を縛られ、俺は先程の『犬が入るような小さな檻』に詰め込まれた。数人もの男達に力づくでこられては抵抗のしようがなかった。
連中はまず、俺の足を折り畳んで体操座りの格好にさせ、檻の中に入れた。それでやっと檻に体が収まった。それから、頭が支えてを蓋が閉まらなかったので、無理矢理頭を横に捻られ蓋を押し潰すようにに閉じられた。両手は背中の後ろで結ばされた。
……こんなものが拷問?
ただ狭っ苦しい檻に身体を縮こまらせて入れられただけだ。
もっと、こう、切ったり刺したり叩いたりをやられるかと思っていた。
これだったら先程手を弄られた時の方が余程辛い。
檻が縄に繋がれ、滑車で高所へと運ばれていく。
天井近くまで引き上げられた後、檻は止められた。
床まで3メートルといったところか。
……縄が切れて檻が落ちたらケガするな。何とかするとしたら縄より先に檻の方だろう。
アリシアと拷問官、それから俺を檻に詰め込んでくれた兵隊どもは、二人の見張りを残して退出していった。
暫くは放置プレイの腹積もりのようだ。
「はん」
鼻を鳴らして、反抗心を奮い起こす。
ここの連中といったら、不躾で、暴力的で、まるで野獣だ。
礼儀を払おうとせず、こちらの言い分を聞こうともしない。異世界というより、猿の惑星に紛れ込んでしまったかのようだ。
右手の傷がジクジクと痛みを訴えてくる。
この借りはきっと返す。
とりあえずはこの城を抜け出して、奴らの鼻を明かしてやる。追いすがる奴らに嘲りの一つでもくれてやるとしよう。
眼下の拷問器具の物陰に見知った鼠の姿を見つけた。
俺は吊るされた檻の中で、密かに笑みを浮かべた。
12/09 『足を』 修正しました ご指摘ありがとうございます