1-②
進行上、しばらく残酷(あまり残酷ではない)な描写が続きます。
苦手な方、嫌いな方は閲覧をお控えください。
「誰? そこに誰かいるだろ」
こんな場所には似合わない幼い子供の声が響いた。心なしか、声が少し掠れているようだった。
「あー……、まぁ、ご同輩みたいなもんだ。よろしくしてくれ」
無視するのもなんだ。
この牢屋に入れられているということは、近い境遇の人間だろう。適当な形でぼかしておく。
子供に用心するつもりではないが、いかんせん、俺はこの世界のことに疎すぎる。
「同じ? 亜人かお前。種族は?」
亜人。人に似た人ではない存在。エルフとか狼男といったファンタジー世界ではお馴染みのワードだ。成程、この世界に亜人はいるのか。話の流れから言ってこの声の持ち主も亜人なのだろう。
「いや、俺は亜人じゃない」
「はぁ?」
「俺は……旅人だ。ここに来たばかりでいきなり連中に捕まってここに閉じ込められたんだ。君は亜人なのか? なぜ捕まったんだ?」
何か少しでも事情がわからないだろうか。会話を続けるために彼の事情を聞いてみる。子供だからあまり詳しい事情はわからないかも知れないが、何も聞かないよりマシだ。
「チッ」
……。
待てども少年からそれ以上の返事は帰ってこなかった。何かを擦る音が聞こえるが、それだけだ。何かまずい事を言っただろうか。亜人ではないと言ったのがまずかっただろうか……。久しぶりに会話ができると思っていたので少し切ない思いだった。まぁ、こんな悪辣な環境に入れられて気が立っているのかもしれないし、放っておくのがいいだろう。
指先をちょいちょいと回すと鼠が近づいてきて鼻をクンクンと鳴らし、頭のあたりをクシクシと撫でつけた。 ……鼠は相手をしてくれるのだ。人間はしてくれないのに。
「お前は癒しだな」
と鼠に話しかける。
完全に頭がおかしい人の図である。
まあ、やることは他にもある。無理して人と話す必要もない。
メニュー調査の続きだ。片手で鼠の相手をしながら意識を別のところに向ける。
*
『番号30 灰色ドブ鼠 体長5~30㎝ 重さ50~1000グラム
この世で最も数の多い この世で最も下等な生き物 弱い者イジメで憂さを晴らし 汚い菌を撒き散らす』
俺は魔獣全書を開き、灰色ドブ鼠の欄を見直していた。
「うーん」
見返してみても相変わらず酷い内容だ。
まぁ、図鑑の説明文についてはどうでもいい。気になるのは別の部分だ。テキストの上にはイメージ画像というか、デフォルメされた鼠のドットイラストがモノクロで描かれている。往年の色のついていない携帯ゲームを思い出すタッチだ。中々可愛く描けているんじゃないだろうか。
そのドットイラストの横にはイラストから伸びている矢印が二つに枝分かれして伸びており、矢印の示す先には其々(それぞれ)クエスチョンマークが描かれている。
これは、あれだ。ゲームをやっている人間だったら勘が働くだろう。アレに間違いない。
「進化、エボリューション」
割と大きな声で呟いたら隣の牢でビクリとした気配がした。
ゲームで一番楽しい瞬間といえば、はがねの剣を買う時と、レベルカンストしてラスボスフルボッコにする時と、森で粘って初めての手持ちが進化した瞬間だ。
どれも似たようなものだが、微妙に違うのだ。誰かわかってくるだろうか。
俺の独り言を聞きつけて、指さきに絡みついて遊んでいた鼠もピタリと動きを止めていた。驚かせてしまったようだ。こんなに手の平より小さい鼠も進化を続けていけば俺よりも大きくなるんだろうか。何だか楽しみだな。鼠は一瞬動きを止めていただけで、またチョコチョコと俺の周りを駆けずり回り始めた。
そういえば、こいつにも名前をつけてやらなきゃいけないな。鼠の魔獣だからそれらしい名前がいいだろう。鼠の名前といえば、なにかいいのがあっただろうか。
ああ、丁度いいのがあった。
「ピッカ……」
「この牢か。相変わらず汚らしいな」
俺の呟きは別の声に掻き消された。声のあとに続いて、複数の人間の足音。
また誰か来たのか。
訪問者は不躾に足音を鳴らしながら俺の牢の前までやってきた。
……今回は俺に用があるようだ。
俺は鼠を背後に隠しながら訪問者に向き合った。
そいつらは実に奇妙な格好をしていた。
大して寒い訳でもないのに、テカテカに磨かれた革の外套を羽織い、革の頭巾と長い嘴をもった烏の仮面を被り、一分の隙もなく素肌を覆い隠していた。
この恰好は、元の世界のペスト医師が身に着けていたものに似ている。
確か、中世ヨーロッパにおいて病原菌の感染を防ぐため、細菌の知識がなかった医師が考え出した装具だったはずだ。嘴の長い烏の仮面は嘴の先に吸気口があり、嘴の中に殺菌作用のある野草を通すことで感染の危険性を抑える役割があり、おどろおどろしい鳥の相貌は、病気の悪魔を退散させると信じられたそうだ。原始的な構造だが、効力については一定の成果を挙げたと聞く。
……なんでそんな格好をしてるんだ。
「はっ、これはたまげた。前に奴隷商が連れてきた染め物をした紛い物とは違うな。実に見事だ。話に聞く通りの容貌だ」
「はい、市井の者も信じ切っております、閣下。」
一番先に口を開いたのは、三人いるうちの真ん中の男だった。烏のマスク越しに喋るせいで声は籠っており、表情も見えない。だが、尊大な態度と喜色を浮かべた調子で喋っている事は見取ることができた。それに応じたのは、向かって右隣りに位置する無機質な声色の女性だ。
左の人物は一言も発さない。こちらをジッ、と見つめているのみだ。
こいつらは一体俺に何のようがあるのだろう。
「これなら充分だ。うん、きっと司教も納得する、いいぞ。ふん、これはいったい誰が見つけてきた? 実に見事な功績だ。その者に褒美を取らせてやろうじゃないか」
「いえ、わかりません、閣下。警羅の者が町外れで見つけたと聞いておりますが」
「まさか、降って湧いたわけでもあるまい。どこぞの奴隷商が秘境に踏み入り見繕ってきたのだろう。構わんぞ。私は身の程知らずの強欲者に情けはかけんが、実を伴うものには相応に報いる」
「あのー、お話中のところ申し訳ないんですが」
無理やりなタイミングで手を挙げて捻子こんだ。
あの、あなたたち俺に用があるんじゃないんですかね。閣下だか何だか知らないが、全く無視されて話が進んでいる。本人を目の前にして無視して仲間内だけで話すとか、どうなんですかね、それって。いい加減にしてくれ。
マスクを着けた連中は話を止めてこちらを注目してくれている。
これはチャンスだ。
「ゴホン。いや、不躾ですいません。どうもこの土地に来てから状況に流されてばかりなもので。こっちとしてもいい加減に状況の一つくらい把握しておきたくてですね。あの、よかったら幾つかお聞きしてもいいですか」
なるべく穏便に話が進むように促してみた。
訳も分からず牢屋に入れられているのため文句の一つも言いたくなるが、一体何が原因かもわからない。
「俺は乾盈といいます。身分は証明するものは有りませんが、異国からの旅人と思ってくれれば話が早くて済みますかね。あの、貴方達のお名前を聞かせてもらってもいいですか?」
お互いの立場がわからないので、まずは自己紹介から始めよう。
爽やかに笑顔を浮かべつつ、三人に語りかけた。
反応のほどは。
「……」
「……」
何か言えよ。
「……これは、たまげた」
暫くの沈黙の後、心の底から驚いたような声色で男は呟いた。
「驚いたぞ、貴様、言葉はどこで、いや、誰に教わった?」
「そんなに驚くことですかね。言葉なんて、生きていれば自然と身に付くでしょう」
多分、言葉が通じるのはお馴染み異世界転移の特典の御蔭だと思うが。こればっかりは、言っても通じないだろうから、誤魔化すしかない。
それはそうと、名前はどうした。こっちは名乗ったのに無視ってそりゃないだろ。
「いや、いや、とぼけるな。貴様のような者と、言葉を交わそうとするものがこの国のどこに居る? そんな者居るわけがない」
「はい?」
自分が余程魅力的な人間だとは思わない。どういう評価されても別に構わないが、流石に『口を聞く人間が居ない』は言い過ぎではと思う。流石に傷つく。
男がどういう意図でそんなことを言うのがわからない。この男は俺の何を知っているというのか。
男は一歩ずい、と前に出ると烏のマスクを近付けて低い声で囁いた。
「お前は一体何者だ? 何を考えている、何が目的だ」
「……はい?」
何かがおかしい。違和感がある。男は構わずヒートアップしてしゃべり続けた。
「お前は誰の差し金だ? 忌々しい伯爵か? 纏めて火炙りにしてやった異端派の連中か?
……悪魔崇拝の邪教徒ではあるまいな? さあ、答えろ! 一切の偽りも許さんぞ!」
男の喜色ばんだ雰囲気はどこへいってしまったのだ。代わりに姿を現したのは、怒りだ。男が最後の一言を告げたとき、その言葉には殺意じみた憎悪が含まれていた。
背筋に氷を突き刺されたかのような悪寒が走る。
「邪教徒、悪魔崇拝? 一体何のことだ?」
聞いたこともない訳の分からない単語だった。俺は思わず反射で答えてしまった。何も考えず馬鹿正直に。だが、他にどう答えようがあったのか。
男がニヤリ、と笑う気配がした。
マズい、何がマズいかわからないが、とにかく、マズい。
この男は邪悪だ。顔も見ていないのに俺にはそれが分かる。言葉を交わしただけで俺はこの男の邪悪さの片鱗を理解した。この男は傲慢で邪悪。ただ、それだけの男だ。
冷汗が噴き出る。
失敗した。俺は返答を間違えた。
「いや、待ってくれ、本当に何のことかわからないんだ。あんたは一体、何の話をしようとしているんだ」
「アリシア、この部屋は空気が悪いと思わんか!」
「はい、思います、閣下」
向かって右隣りの女が答える。
もう、男の視線はこちらを向いていない。
「『断魔祭』まであと一巡りもある。こんな穴倉に七日も居たら体が悪くもなろう。アリシア。これに外の空気でも吸わせてやるといい」
「はい、陛下」
男は踵を返して元に戻ろうとした。
ちょっと待て、待ってくれ。
話を聞いてくれ。
思わず、格子越しに手を伸ばした。
鈴が鳴るような、涼やかな金属の擦れる音がした。
熱い!
手のひらに、焼けた鉄を当てられたような鋭い熱さを感じた。
思わず手を引っ込める。
「この方をどなたと心得ているか、下郎!」
ああ、どこかの副将軍の時代ドラマで聞いたことあるようなセリフだ。と思いながら熱さを感じた掌を見ると、掌は真っ赤な液体で染まっていた。血だ。
赤くて、ぬるぬるして、乾いたところからベトベトになっていく。抑えても抑えても溢れ出てくる。
一体どこから溢れてくるんだ。
ああ、そういえば無い。
あるはずの指、見慣れた手の形がどこにも無かった。
人差し指と親指を残して、それ以外の三本の指と掌の半分が無い。
「うわあああ!!」
堪らず絶叫を上げた俺には目もくれず、三人の男たちは牢屋を出ていった。
汚らしい牢屋には、叫び続ける俺と、無残に切り落とされた手の平だけが残された。