1-①
最近の異世界物って、主人公が異世界に跳ばされることになった経緯とか、異世界に行く前の主人公の生活とかを描く作品が少なくなってきたように思える。いや勿論、経緯を描いてる作品なんていっぱいあるし、それを描かないことを非難しようなんて気もさらさら無い。むしろ俺は描かない方が話が早くて好きだし、元の世界の事なんかあんまり興味を持てない部類だから、気付いたら異世界に居ました支持派と言える。
だから、例えこの身に唐突な展開が起きようとも文句なんか言うつもりは無い。
いや、訂正しよう。『無かった』。
「死ね!」「死ね!」「死ね!」「死ね!」「死ね!」「死ね!」「死ね!」「死ね!」「死ね!」「死ね!」
拳大の石礫が肩にヒットする。
痛い。
腐った生ゴミが顔面に投げつけられる。
臭い。
俺が顔をしかめて口に入った生ゴミを吐き出したところで、湧き上がる罵声と不快な歓声。
「死ね!」「死ね!」「死ね!」「死ね!」「死ね!」「死ね!」「死ね!」「死ね!」「死ね!」「死ね!」
汚い老婆が近寄ってきて、何やらヒステリックに喚きながら手に持った杖で俺を叩いた。老婆は感情が昂っている様子で涙を流しながら俺の体を執拗に叩いた。俺は困惑していた。老婆の力だから大して痛くもないが、この老婆は一体何故こうも必死に俺を殴るのだ。俺がまるで、誰かの仇であるかのようだ。
「お前のせいで、くぁwせdrftgyふじこlp! お前のせいで、くぁwせdrftgyふじこlp!」
何を言っているかわからない。
そもそも、お前のせいも何も、覚えが全くない。
俺は新発売のゲームをやろうとして、家のベッドでゲームの電源をつけていた。柄にもなくワクワクしながら。ゲームの名前はそう、『月と太陽』。国民的ゲームの最新作だ。それで、ゲームをやってるはずが、気付いたら見知らぬ場所の見知らぬ町外れに佇んでいて、現状を把握する間もなく兵隊に囲まれこの有様だ。今俺は理由もわからず手枷をかけられ街中を引き回されている。
だから婆ちゃんよ、俺を杖で叩くのは筋違いってもんだ。いい加減体中痛いんだ。そろそろやめてくれないか。
だが、老婆は俺を叩くのをやめない。
「死ね!」「死ね!」「死ね!」「死ね!」「死ね!」「死ね!」「死ね!」「死ね!」「死ね!」「死ね!」
うっせー、誰が死ぬか。絶対に生き残ってやる。バーカ。とそんな感じのニュアンスの言葉を言い返したら、投石の勢いが強まった。
頭に石が当たり、血が流れ始めた。
傍にはまだ老婆が居て、俺を杖で殴っている。
いや、危ないだろ、石投げてきてるからどっかいけよ。何考えてるんだ。
石投げてる連中もお構い無しだ。何なんだお前ら。
言ってるそばから石が老婆に当たりそうだったので、咄嗟に老婆の体を引き寄せたが、兵隊はそれを見ると口汚く罵りながら俺を棒で叩いて老婆を引き離そうと試みた。
「それを離せ悪魔め!」
兵隊は棍棒で老婆ごと俺の体を叩いた。いや、それ婆も叩いちゃってるから、お前の棍棒婆にも当たっちゃってるから。結果として俺が庇って更に俺が叩かれることになる。何なんだ一体。俺が庇っている老婆は庇われているくせに、まだヒステリックに俺のことを殴っていた。
「死ね!」「死ね!」「死ね!」「死ね!」「死ね!」「死ね!」「死ね!」「死ね!」「死ね!」「死ね!」
本当、何なんだ。
*
そこは牢獄というより、肥溜めとか、糞尿保管所って言ったほうがしっくりくるくらい臭くて汚らしいところだった。
壁は煉瓦造り、地面は慣らした土のまま。地面からは濃密な糞尿の匂いがする。
採光する場所はなく、もちろん換気をするところもない。
家具の類も無く、排泄物を入れるためのちょっとした穴があるのみだ。穴は掃除されている気配がない。その縁にネズミの死骸が落ちている。
劣悪と表現するのに、これ以上の環境があるだろうか。
俺はその排泄物を入れるための穴の近くで横になり蹲っていた。
好き好んでそんな場所に横になっていたのではなく、兵隊達は俺をその場所に放り投げてそのまま出ていってしまい、俺自身は体中が痛んで動き回る気力もなかったというのが主な理由だ。
受けた傷はじくじくと血を流している、手当をしなければならないが、そんな道具も気力もない。どの道、こんな所にいたのでは病気になって長くはないだろう。
「飯だ」
そう言って一杯の粥を持ってきた男は、粥の中に唾を吐いて出ていった。
出て行く前に一体何で俺がこんな目にあっているのか聞いておくべきだった。答えてくれないかもしれないが。
唾のことは忘れて粥を啜る。
おおよその予想のとおり不味い。
粥冷めきっており、塩すらはいっていなかった。だが、殴られたときに口の中を切っていたので丁度良いかもしれない。
横になりながら考えを巡らす。
まずは状況を把握しなければ。
俺がこの世界に飛ばされて奴らに捕まったとき、奴らはなんて言っていただろうか?
確か、悪魔だか、なんとか。
悪魔か。
通りを引き回されていた時に見た街の様子はお世辞にも繁栄しているとは言えなかった。建物こそは立派だったが、通りの人間たちの頬はこけ、着ている服も薄汚れていた。そこら辺にゴミが散乱していたし、街全体に活気がなかったように思える。
今俺がいる場所はファンタジー世界だと仮定して、時代は中世の暗黒時代といったところだろうか。魔女狩り、異端審問、異教徒狩り、他民族排斥の跋扈する疑心暗鬼と一神盲信の時代。
行きたいファンタジー世界の一つには数えられないな。
じっと身動きせず考え事に耽っていると、目の端で何かがピクリと動いたように感じた。何かと目をやるとそこには先程の鼠の死骸が落ちていた。観察しているとたまに痙攣している。まだ、生きているのだろうか。
鼠は病原菌の塊と聞く。元の世界の中世で猛威を奮った黒死病や、チフス等の病気も鼠を介して広まったことは有名だ。
鼠が起き出して噛み付きでもしてきたら厄介だ。今の内に排泄用の穴にでも落としておこうか。
そう思い、鼠の方に手を伸ばす。
触ったところ体はまだ温かかった。弱弱しく呼吸をしているのが体から伝わってくる。
温かいものに触れたのは久しぶりな気がする。
*
見知らぬ場所にとばされて心細かったのか、理不尽な暴力を受けて心が参っていたのだろうか。それともただの気まぐれか。
しばらく後、俺は鼠に粥を与えていた。
鼠は酷く痩せ細っていて、俺は指先に粥をつけ口元に近づけてみたが、始め何の反応も示さなかった。気長に数分口元に粥を差し出していると、鼠はペロペロと舐め食べ始めた。
始めは指につけた粥を舐める程度だったが、暫くして体力が回復すると、転がっていた陶器の破片に取り分けてやった粥をバクバクと食べはじめた。一体この小さい体のどこに入るのかと思うほどの食べっぷりだ。さっきまでの様子が嘘のようだった。
先ほど、俺は病原菌の事を気にしていたが。考えてみれば、明日も知れないこの状況で、病気がどうのとか気にする意味なんてさほどないように思えてきた。病気になったらなったでまぁ、仕方のないことだろう。
食料を食べ終えた鼠は、向き直るとつぶらな瞳で俺を見つめた。
……うん、何だ。
鼠は無言で俺を見つめてくる。
何か、不安なものが頭をよぎった。
まさか、次は俺を食べるつもりだろうか。確かに、食料としてはお値打ちだ。分量だけなら50数キロはある肉の塊だ。腐ることを考えなければ鼠一匹、余裕で1年は持つ。こいつ、命を救った恩人を食べるつもりか……。
そう思い身構えた時、鼠は俺に向かい、まるでお辞儀をするように頭を下げた。
……お礼のつもりなのだろうか。
いや、まさか。小動物がそんな考えを持つはずがない。だが、ここはファンタジー世界であることだし、あり得ないことではないのだろうか。
鼠は両手をもじもじさせながらこちらを上目遣いに見上げていた。かわいらしい仕草だ。
今まで酷い目に遭い続けていたから、なんだか肩の力が抜ける思いだった。
「はは」
体を動かすと肋が軋んで痛みを訴えてきたが、構わずに手を伸ばして鼠の頭をチョコチョコと掻いてやった。鼠は気持ちよさそうに目を細めると、か細い声で小さく鳴いた。
本当にお礼でも言われているみたいだ。ついつい笑みが漏れてしまった。
唐突に、場違いな音がその場に響いた。
現代に比べれば未開とも言えるこの中世で聞こえるはずもない音。安っぽい8ビットの電子音だ。
わかりやすく言えば、レベルアップをした時に鳴るあのメロディ。一瞬、聞き間違いかと思ったが、確かに聞こえた。何故、こんなところで?
周囲を見渡して音の発生場所を探していると、視界がテレビのケーブルを引っこ抜いたように暗転し、なにも見えない状態に陥った。なんだこれは。
まさか、これは鼠に触ったことで感染した病原菌の仕業か?
それとも、満身創痍と出血多量で幻覚や幻聴に捉われてしまったのだろうか?
そのどれも違ったようだ。
しばらくすると視界が回復し元の状態に戻った。目の前には件の鼠がうろちょろしている。先程までは死にかけていたのに大した回復力だ。だがそれはそれとして、視界には見慣れないPCのウィンドウのようなものが浮かんで取れなくなっていた。
これには見覚えがある。……これは、ゲームのメニュー画面だ。俺が買って、プレイするはずだったゲーム。『月と太陽』のメニュー画面だ。
うん。ここはとぼけないでおこう。
先程は長々と、異世界モノについてうんたらかんたら述べたくらいだ。「一体俺の身に何が起きているんだ……!」等ととぼけるのは、間抜けを通り越して白々し過ぎるだろう。
これは認める他ない。
つまり、そういうことなのだ。
*
なにはともあれ、一体どういうシステムになっているのか、それを確認しなければ始まらないだろう。
チートができるようならこんな状況一気に覆して、反乱起こして国家転覆して、俺好みの国を打ち立てるなり、やりたい放題やってやる。
メニューには次の項目が並んでいた。『魔獣全書』、『支配下』、『持ち物』、『配分』、『設定』の五つだ。
……コンフィグ!?
思わず二度見してしまうくらい意表を突かれる項目名だった。ちょっと、あり得ないんじゃないか。コンフィグって、それはそうだろうけど、ゲーム的にはあるだろうが、この世界観でその項目があるのはおかしくはないだろうか。
記憶が正しければ、ステレオとかモノラルとか、BGMとかSEの音量が調節できるあれのことだろう。ボタン割り当てとかもできたりするのだろうか。やばい、そんなことできたら世界観が揺らぐ。
今まで俺は普通の人生を送ってきた人間だと思っていたが、それは全て錯覚で、そういう記憶を刷り込まれたゲームのキャラクターとかなのだろうか。そんな懸念を抱きながら恐る恐るコンフィグを開く。
現れた項目は、『魔獣の行使権の譲渡(選択)・不許可』、『マナ自動配分・不許可』、『魔獣全書の選択手続きの簡易化(入力有)・許可』等々……、一見して宇宙の法則が乱れるようなものはなさそうだった。少しほっとする。内容については意味の分からないものばかりだが。
とりあえず、後々必要になるかもしれないが、今回は『設定』については置いておくとしよう。
元に戻って上から順繰りに見ていくことにする。
まずは、項目一番上『魔獣全書』だ。
ふむ。
項目を選択すると空白の一覧がずらっと並んでいる。ほかにめぼしいものはない。
だが、これには少し見覚えがあった。
俺がやろうとしていたゲーム『月と太陽』は、魔物を捕まえて使役して世界を救うRPGだった。そしてそのゲームには151匹の魔物の詳細が載っている『ケモノ図鑑』なる機能がついていたのだ。見た目からして、『魔獣全書』は『ケモノ図鑑』に酷似している。
「おお? これは……」
思わず声を出してしまった。
魔獣図鑑を下にスクロールしていると、一つだけ項目が書き込まれている部分があったのだ。
『番号30 灰色ドブ鼠 体長5~30㎝ 重さ50~1000グラム
この世で最も数の多い この世で最も下等な生き物 弱い者イジメで憂さを晴らし 汚い菌を撒き散らす』
……おまえ、魔物だったのか。
目の前の鼠をまじまじと見つめる。
全書では酷い言われようの灰色ドブ鼠だが、目の前の鼠は気にした様子もなくせわしなく動いている。動きには愛嬌があり魔物のようには見えない。ごく普通の鼠だ。
まてよ、さきほど目が見えなくなったり変な電子音がしたのはこの鼠に触れたときに起きたものだ。この鼠が何かのトリガーなのは間違い無いだろう。
『魔物全書』の項目を戻し、『支配下』の項目を開く。
あった。
灰色ドブ鼠Aの名前で一番頭に項目ができていた。
うん。
状況から察するに、俺は灰色ドブ鼠を捕まえた、と。それで何かの機能がアンロックされてメニューにアクセスできるようになったというわけか。ゲームでも最初の一匹を貰うまで色々と制限がついていたし、それを考えるとこの予想で大筋間違いないと思えてくる。
そして、支配下の項目に鼠が入っているということは、ゲーム的に言えば『手持ちに入った』というところだろうか。見知らぬ間に捕まえていたのか。ボールを投げた覚えはないが……。
ここらへんのシステムは色々と調べておく必要がありそうだな。
鼠は動きを止めると、周りの気配を探るように耳を動かしてから入り口の方を見つめた。すると、牢の入口から扉の開く音、それから数人の歩く音が聞こえてきた。
足音は二人から三人だろうか、金属の擦れる音からして俺を捕まえた兵隊達に違いないだろう。
何かされるかと身構えたが、兵隊達は俺の入っている牢の前まで来ることなく、一つ手前の牢で何かした後、何もすることなく出ていった。
相変わらず薄暗くて汚らしい牢獄だ。
静寂ばかりが耳につく。
先程入ってきた時、確か手前の牢獄には誰もいなかったはずだ。
とすると、いま兵隊たちが入って何かしたということは当然、
「……誰が、いるの?」
人の声が聞こえた。
まだ小さい男の子の声だ。
ここまでお読み頂きありがとうございます。
拙文ですがお付き合いいただけたらと思います。
誤字脱字などありましたら、教えていただければ助かります。