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86 転移先

 かっは!! なんだこりゃ!?


 紙で手を切ったような、鋭い痛み。ジンジンとして、いつまでも引かない痛みが信の体を駆け巡る。まるで紙の剣でめった切りにされているような、ひどい痛みが全身を襲う。


「がはっ!」


 なぜか、口から血を吐いた。信はたまらず、膝をついて倒れてしまう。周りを確認する余裕など、まったくない。


 一体、どうしてしまったのか? なぜ、自分は倒れたのか?


 毒か? ガスでも吸い込んだか?


 呼吸すら苦しい状態で、倒れてから数秒。信はこの現状を理解する。


 信とポポが転移した先は、極寒の世界だ。


 北極や南極など遥かに超えた、凍てつく世界だった。


 転移した瞬間、動くことすらままならない、冷たい環境だったのだ。だから信はいきなり倒れた。転移された瞬間、倒れて動けなくなったのだ。しかも人間の活動限界を余裕で超えている為、倒れた状態からまったく起き上がれない。


 髪の毛や鼻毛が、瞬時に凍りつき、息を吸い込むと、肺まで凍りつく。そしてまばたきする前に、目が凍りつく。


 口から水分が吹き飛び、信の体は瞬間冷凍される。


 あっという間に意識は奪われ、目の前がホワイトアウトしていく。


 朦朧とした意識の中、信は死の恐怖を感じる。


 し、死ぬ! 


 間違いなく、死ぬ!!


 魔法を使わず、この冷気を防御するのは不可能だ。体をめぐる魔力を使っても、たかが知れている。魔法を使わないと、死んでしまう。


 ファクターを起動するため、指を動かそうと思うが、動かない。すでに信の体は凍り始めている。推測でしかないが、今の気温はマイナス100度を優に超えている。エヴァが探索したダンジョンのエリアよりも、さらに気温が低い。防寒対策をしていない人間の信であれば、一分と耐えられない。


 やべぇ。言葉に出来ないくらい、やべぇ。


 信は体が凍りつく刹那、スーパーコンピュータ並みの速度で思考した。走馬灯など見ている暇はない。生きるために、必死で考えた。


 そこではじき出した答え。


 ポポ!! 俺の魔力神経と同期させて、全開放させろ!! 副作用など関係ない!!


 近くにポポがいるのは分かっている。すぐそばに、温かい魔力を感じる。


 ポポが必死に信を助けようとしてくれている。ただ、助け方が分からず、あたふたしているのは、信には何となく伝わっていた。


 だから助かる術をポポに教え、命じた。


 触手で俺の体を包み、魔力を解放するんだ!! 早くしてくれ!! 死ぬ!!


 信は最後の力で念話を飛ばす。これで伝わらなかったら終わりだが、直後、ポポから小気味よい返事を聞いた。


 らじゃー!!


 触手を上げて返事をするポポ。


 うんこをするような感じで踏ん張ると、ポポは信の体を包み込んで魔力を全開放。


 高まった魔力が圧縮され、部屋の温度が上昇する。まるで瞬間湯沸かし器のように、凍った世界を沸騰させた。


 凍り付いていた部屋はあっという間に溶けだし、水浸しになる。エネルギーは圧縮させると熱を放つので、ポポの圧縮した魔力も熱を発して氷を溶かしたのだ。


 ポポの触手に包まれていた信は九死に一生を得て、なんとか復活する。凍り付いていた体は解凍され、動ける状態になる。手や足、内臓に深刻なダメージを負ってしまったが、いつも持ち歩いているウェストポーチにポーションを入れていたので、それを取り出して飲んだ。


 コルクの蓋を抜くと、ゴクゴクと飲み込んだ。


 味の良し悪しは関係ない。体の回復を優先させる為、酸っぱくて苦いポーションを一気飲みした。リポビ〇ンDのような、そんな飲み方である。


「ゴクゴク、ぷはっ! 死ぬかと思った!!」


 青色のポーションを飲み干し、信はようやく起き上がれるまでに回復する。ポーションは即効性のある薬品なので、信の体もすぐに癒えてくる。ただし、上級のポーションではないので、完全回復はしない。ポポの魔力同期も相まって、信は軽度の凍傷で事なきを得た。


「はぁはぁ、ポポ、ありがとう。もう何度助けられたか分からないね。君は命の恩人だ」


 信は泣きそうなポポを見ると、優しく撫でた。


 ポポは体をプルプルさせて信を心配していた。この冷気で、信が死んでしまうのではないかと不安だったのだ。


「ポポ。魔力を使ったろう? 君も飲んでおいてくれ」


 信はもう一つのポーションをポポに渡すと、飲むように言った。


 ポポは渡されたポーションを不味そうに飲むと、「ぺっぺっ」と舌を出すような仕草をしていた。どこで味を感じるか分からないが、ポーションが苦いと、ポポは分かっている。

 

 信はそれからファクターを起動し、風の魔法を発動。温かい空気の壁を、体の周りに作りだした。ポポの周りにも空気の壁を作り、絶対零度の環境に耐える。


「くそ。それにしてもひどい目にあった。ポポは大丈夫かい?」


 信は足元で飛び跳ねるポポに聞いてみた。


 ポポは何も言わず、態度で示した。


 キリッとした表情で、居直っている。自信満々である。


「すごいな。ポポはこの気温でも大丈夫なのか。スライムは凍らないのか? なんでタンポポが無事なんだ?」


 気にはなっていたが、実験の為にスライムを冷凍庫に入れるわけにはいかない。スライムが凍らないならすごい生物だが、それはポポだけかもしれない。


 今度、クロマルやスノーに聞いてみよう。ティアは論外だ。あいつはスライムの皮をかぶった化け物だからな。


「って、そんなことをしている場合じゃない」


 信は体がまともに動くようになったので、周りの状況を精査し始めた。


「ここは何かの施設か? 試験管やフラスコ、巨大な水槽。ボイラーのようなものまであるが……、これはロシア語か?」


 人が入りそうな巨大なガラス管が置いてあったのだが、そのガラス管には、太い文字でこう書かれていた。


『фея』


 読みはフェーヤ。ロシア語で、妖精と読む。


「海外ではホムンクルスを使った妖精の開発をしていたというが、本当なのか?」


 これは別にロシアに限った話ではない。日本もホムンクルスや妖精に関する実験は行っていた。ただ、軍事的に大きくホムンクルスを作っていたのはロシアと言うだけだ。エヴァが造られた国はロシアだと言っていたが、もしかして、ここはホムンクルスの製造所か?


 さらに足元には、魔法陣の絵が描かれている。かなり複雑で、信でもすぐに解読できない。ホムンクルスの千景も見当たらず、近くには四体のキメラが倒れている。魔物とかけあわされて作られたキメラなのか、人の姿をしていない。目が一つしかなく、足も四本ある。アラクネという蜘蛛型の魔物に似ているが、それにしては肌が人間のように見える。ホムンクルスの成り損ないか?


「これ、ポポが倒したの?」


 もちろんなのよ!


 ポポはふんぞり返った。いつものポーズである。


「ここに来た瞬間に、ポポが倒してくれたのか。さすがだな」


 ポポの強さに恐れ入る。転移した瞬間に敵を排除するとは、信じられないスライムである。


「ありがとうポポ」


 信はポポを抱き上げて、よしよしと撫でながら、部屋の中を観察する。


 周りにあるのは、どれもこれも百年以上前に作られた物ばかり。古い器具が並んでいる。パソコンもブラウン管型のディスプレイで、相当古いものだ。


 ただ、床に魔法陣が描かれているので、転移した人間を捕獲するような部屋なのかもしれない。 


「この状況を見るからに、命の危機は去っていなさそうだ。早めにこの部屋を出て逃げるべきだな」


 敵の拠点に転移したのなら、危険すぎる。生きて帰れないかもしれない。キメラも倒してしまっているし、千景もいない。信がここに侵入したことがバレているはずだ。早めにこの部屋を出ないと、敵が殺到してくる。


「ポポ。すぐにこの部屋を出るぞ」


 シュバッ。←ポポが触手を上げて返事をした音。


「じゃぁいくよ。多分、俺の魔法はこの冷気にも耐えると思うけど、もしもの時には頼む」

 

 分かっているわ!


 信はポポを抱きかかえ、不気味な研究部屋を脱出しようとした。


 古びてがたついた鉄のドアを蹴破り、出ようとした。


 しかし。


 そこへホムンクルスの集団が剣や槍、銃器を持って現れた。彼らは全て、顔や手足が崩れた、奇形体のホムンクルスだった。



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