8 ギルド長の秘密
突き当りのギルド長室につくと、木製の扉が見えた。
扉には魔法陣が描かれている。魔法陣は青く明滅しており、何かの魔法が起動しているようだ。
香澄が信に小声で聞く。
「お兄ちゃん、あれ何の魔法文字?」
「知らない単語も多くあるけど、古代ガリア語だろう。起源魔法の一つで、とても力がある。多分、この扉には結界魔法が常時発動してる」
信は魔導学専攻の、学者の卵。魔法言語や魔導機械は詳しい。分かる単語だけだが、描写パターンなどから、信は結界魔法だと推測した。
信の言葉を聞き逃さなかった、バネッサは感心したように言った。
「古代ガリア語をご存じなのですか? さすが幸太郎様の御子息」
信は褒められて嬉しくなるが、これだけ厳重な結界はなかなかない。ポポを無事連れて帰れるか不安になる。
香澄は「へぇ~」と聞くだけで、何の警戒もしていない。香澄は魔法は得意なのだろうが、危機的意識が少し薄い。それだけここのギルドが安全だと知っているからかもしれないが、あまりに無防備だ。
ギルド長がいくら幸太郎の知り合いでも、信からすれば赤の他人。子供の時以来会っていない人物である。
もしもの時を考えて、信はいつでも“切り札”を引けるようにしておく。
バネッサは扉に軽くノックをして、信達を連れて来たことを報告する。
「来たか。認証用のファクターを通し、入りなさい」
すると部屋の中から声が響いた。バリトンボイスで、非常に聞きやすい声だ。
分かりましたと言って、バネッサはドアから一歩下がる。彼女は中指にはめ込んだ指輪を、ドアの前にかざす。
指輪は、簡素な鉄のリング。信が見たところ、魔鉄鉱で出来たリングだと分かった。
その指輪は魔力を含むと青色に輝き、ドアの魔法陣と共鳴。明滅が激しくなり、ガチャリとドアから音がする。どうやら鍵が開いたようだ。
「ずいぶん厳重なんですね」
「ええ、ギルド長室ですから」
バネッサが失礼しますと言って、中に入る。信達もそれに続き、挨拶をして入っていく。
部屋の中は普通の執務室、いや、事務室である。
木製の机と本棚があり、コピー機やシュレッダーなどが備え付けられている。ギルド長の執務室というよりは、ただの事務室という感じだ。
ギルド長は椅子から立ち上がり、笑顔で信達を見ていた。
ギルド長は片腕が機械式の義手で、背の高い男性だった。整えられた髭が素敵で、シルクハットとステッキを持たせれば、非常に似合う紳士となるだろう。
部屋の中にはギルド長以外に、一人の女の子がいた。パソコンデスクの前に座り、キーボードを高速で叩いている。
ジーパンにパーカーという、ラフな格好である。年齢的には香澄と同世代に見える。ギルド長室にいるような女の子ではない。
彼女は真っ白な髪に、真っ白な肌をしていた。瞳が真っ赤に輝いており、無表情でパソコンを見ていた。部屋に入ってきた信達には見向きもしない。
そんな無表情の彼女に、信は真っ先に気づく。
え? あの子って……? まさか?
信は彼女を見て、大学で習った殺戮兵器を思い出した。
あの瞳と肌の色、髪の毛、そして魔力……。大学で見たものと同じだ。
見間違いじゃなければ、あの子。
人じゃない。
信は見えた。彼女の瞳に輝く、赤い死者の魔力を。
信は大学の研究室で見たことがある。彼女と同型ではないが、見たことがある。
すでに“稼働は停止していた”が、大学で厳重に保管されていた。
「挨拶をしなさい、エヴァ」
彼女はギルド長の俊也を見て、信を見た。その後に抑揚のない声で挨拶をする。
「こんにちは」
無機質な顔で、彼女は頭を下げた。ボブカットの白髪が、柔らかに揺れた。
信は知っている。彼女は歩く死者。戦争時代の遺物。人殺しの殺戮兵器。
彼女は、ホムンクルスだ。
なぜこんなところにいるのか。動いているのか。
「ようこそ、信君、香澄ちゃん。待っていたよ。久しぶりだね。小学生の時以来か? 香澄ちゃんは以前にあったけど、信君は本当に久しぶりだ。それと、幸太郎から話は聞いているよ」
「お久しぶりです、俊也さん」
信と香澄は挨拶をする。香澄はギルド長の前だからか、少し緊張しているようだ。直立不動になっている。信はホムンクルスのエヴァをじっと見ている。
「信君、君の表情から察するに、エヴァの事は気づいたようだね? 後で説明するよ。その前に、幸太郎から言われていたスライムが見たいのだが?」
「あ。失礼しました。今見せます」
「すまないね。わざわざここまで呼びつけて、その上スライムを隠して持ってこさせて。本来なら一階の受付で飼育許可証を発行するんだが、魔物が魔物だ。国の審査もあるが、私が見よう。そのバックの中かね?」
信は「はいそうです」と言って、ドラムバックからポポを出した。
窮屈なドラムバックで息苦しかったのか、ポポは勢いよく外に出た。ポポは周りキョロキョロと確認すると、ギルド長へ触手で挨拶した。
こんちゃっす。
非常にフランクで、スライムとは思えない。相変わらずのポポクオリティーである。
スライムに挨拶され、俊也は感動。
「おぉ!! 挨拶まで! 君がそうか!! スライムか! よく来てくれた!!」
俊也はまるでポポを人間であるかのように接する。
まったく邪気が感じられないギルド長、俊也。子供の用に目を輝かせてスライムを見ている。
ポポもそんな俊也の心を感じ取ったらしい。怯えや恐れなどがない。俊也を見てピョンピョン跳ねている。
「初めまして。君が幸太郎の言っていた、ポポ君だね? 私は佐々木俊也。ギルド長をしている。よろしく」
俊也はポポがスライムだというのに、まったく物怖じしない。非常に友好的に接する。俊也はなんとスライムに握手を求めはじめた。
ポポもポポで、握手がなんなのか理解している。俊也の左手を握り、ぶんぶん振った。
「おお、おお! まさかとは思っていたが! 素晴らしいよポポ君!」
何やら俊也とポポは気が合うようだ。
一緒に部屋へ入ったバネッサは信達の後ろに控えていたが、驚きを隠せない。
まさかスライムが? 本当に? と言った表情をしている。バネッサは野生のスライムを見たことがあるのだろう。彼女が知っているスライムと、目の前にいるポポが違いすぎるようだ。
「にわかには信じられませんが……まさかスライムが」
信もそれは同意する。魔物知識が浅い信ですら、理解できる。ポポは奇跡のような存在だ。
「信君、エヴァの事もある。許可証を出すのはもちろん構わないが、まずは見てもらいたいものがある。私についてきてなさい。香澄ちゃんも来ると言い、もしかしたら君に懐く子がいるかもしれない」
「なつく子?」
香澄と信は理解が出来ないが、俊也の後をついていく。
「少し狭いが、ここから行くんだ。我慢してくれ」
執務室の角には小さなエレベーターがあり、信達はぎゅうぎゅうになって乗り込む。
エレベーターでさらに地下へ降りると、そこには面白い世界が広がっていた。
地平線が見えるような、大草原が広がっていた。
森や湖もあり、沼地もある。空はどうやったのか、人工的な太陽が昇っている。
信と香澄は唖然とする。人工的な立体映像だろうか? 信はしゃがみ込んで草や土に触れるが、本物だった。
「信君。ここはダンジョンのセーフフロアさ」
セーフフロア?
「安全地帯ってところさ。私が偶然見つけてね。空間が拡張されていたんだ」
ギルドの下にはダンジョンが広がっている。
ハンターがダンジョンで狩りをするためだ。
ダンジョンは国が管理しており、民間企業のギルドに委託されている。魔物の発生はギルドが抑制し、ハンターが駆除する。ハンターはダンジョンで出る鉱物や魔物の素材や食材、宝を得ることが出来る。
信はギルドの下にダンジョンが広がっていることは知っていたが、こんな裏口があることは知らなかった。しかもセーフフロアなる場所まで存在することは、全く知らなかった。
「ここはね、私がもらったんだ。ここのフロアが私には宝だったからね」
「宝ですか?」
「ああ、今呼ぶよ。みんなー!!」
俊也が叫び、ファクターで火の玉を打ち上げる。すると、空、地上、地中。水生成物以外の魔物が、集まってくる。
一体どこにこれだけいたんだというくらい、集まってくる。
信と香澄は圧倒される。集まってくるのは、強力な魔物たちばかり。人間に懐かないと言われる種も多くいる。
グリフォンが初めに到着し、次はスレイプニール、サラマンダーや、大ミミズ。サイクロプスやキマイラまでいる。
強い魔力を持つ魔物が多く集まり、ポポも大興奮。ポポのジャンプが一メートルを超えている。
「幸太郎から聞いているか分からないが、私はテイマーだ。そしてここにいる子たちは、私の従魔たちだ」
従魔。ここにいるすべてが。すごい。もしかして、この空間をスライムのポポに見せたかったのか? だから初めて来たのにここを見せたのか?
「大丈夫だ。ここにいる子たちは皆優しい。危害は加えない。ただ、知らない人間は彼らも怖いんだ。彼らは、捨てられた子たちだから」
「え? 捨てられたとは?」
信が聞くと、それは後ろに控えていたバネッサが答えてくれた。
「ここにいる魔物は、ハンターが従魔を残して先に死んだり、虐待されていた子たちです。ここの子たちは、人間に慣れていて、ダンジョンには戻れなくなった子たちなんです」
え?
「私はね、魔物を保護しているんだ。ハンターが魔物を狩るのに、魔物を守ろうとするギルドマスター。ははは。矛盾しているだろ? でもね。私はテイマーだ。魔物の味方だ」
香澄もギルドマスターの言葉に驚いている。ハンターを募集し、魔物を駆除するギルドが、魔物を守ろうとしている。そんなことがあっていいのか。
香澄は何かを言おうとしたが、一匹の魔物が香澄の足もとに寄ってきた。
片目を失った、大型のキラーウルフだった。
キラーウルフは香澄の匂いを気に入ったのか、しきりに香澄の足にすり寄っている。
「え? ちょっと」
「おや? どうやら気に入られたようだね」
「え? そんな、気に入られただなんて」
香澄は慌てるが、キラーウルフは尻尾をパタパタさせている。
「言っただろう? なつく子がいるかもしれないと。みんな、愛されることに貪欲なんだ。ここはセーフフロアと言ったが、特に何もないさびしいところだ。食べ物はあるが、楽しいことなどない。一度従魔になった魔物は、虐待されても人間が好きなんだよ」
香澄は片目を失ったキラーウルフを見る。真っ黒で、モフモフな狼だ。片目の深い傷を見ると、過酷な環境で生きてきたことがわかる。
香澄はキラーウルフを撫でると、グルルルとウルフは唸った。気持ちいいらしい。
「でも、私はキラーウルフなんて上級の魔物、従魔になんてできませんよ?」
「別に従魔にしなくてもいいさ。ペットでもいいし、無理ならここに遊びに来てくれるだけでもいい。そうすればウルフに限らず、みんな喜ぶ」
グリフォンや、スレイプニール、たくさんの魔物が香澄を見つめていた。みんな、楽しいことをしたくてうずうずしている。ハンターと冒険に出かけられる日を待っているようだ。
「そうですか。ギルド長がそういうなら」
香澄はウルフをモフり続ける。
ポポは香澄とウルフの事を見ていると、我慢できなくなったらしい。信の頭に飛び乗ると、触手を伸ばして信をグルグル巻きにする。
「うわ! なんだ。ポポ、やめろ。動けないじゃないか!」
ポポは触手で信の体を撫でさする。ポポの精一杯の愛情表現だった。
俊也はポポと戯れる信を見て、終始笑顔だ。
「私はね、彼らを保護し、研究している。どうやれば人と魔物が暮らしていけるかをね。犬や猫ですら殺処分される世の中だ。魔物ならなおさらだ。戦争が終結して長い。魔物との付き合い方も考えなくてはいけない。我々人間がね」
俊也はポポを見た。そして、無表情のホムンクルス、エヴァも。
エヴァは、人間に作り出されたが、彼女も従魔契約が可能だ。人に使役されるために生み出されたのだから。
俊也は、スライムであるポポに、新しい可能性を見出していた。
「信君。ここに招いたのはほかでもない。私の右腕として働いてもらいたい。もちろん、ポポ君も一緒だ。香澄君も、よければ私の力になってくれ。キラーウルフも、君を気にいったようだ。従魔契約も無料で行おう。どうかな?」
信は俊也にいきなり言われ、困惑。こんな秘密のエリアに誘われた事自体、すごいことなのだ。今ここで答えを出せるような問題ではない。将来すら左右する一大事だ。
「分かっている。今すぐにとは言わないさ。後で構わない。そうだな。まずはポポ君を少し調べさせてくれ。もちろん、危ないことは一切ない。MRI写真や、採血などをするくらいだ。それから飼育許可証を出そう」
信はポポに触手でグルグル巻きにされ、一瞬悩んだが、「お願いします」と答えた。
「ありがとう。私を信じてくれて。決して悪いようにはしない」
俊也は重ねて言った。
「エヴァやここにいる魔物たちと仲良くしてほしい。もしかしたら君にもテイマーの素質があるかもしれない」
「僕にテイマーの素質が?」
「すでに君はスライムの第一人者だよ? テイマーの素質は少なからずあるだろう。ここの魔物たちも一緒に可愛がってあげてくれ」
俊也はニコニコと微笑み、近くに寄ってきたグリフォンの頭を撫でていた。
「わかりました。それでいいかポポ?」
ポポは信に聞かれ、シュパッと一本の触手を上げた。意味の分からない行動に見えるが、信には分かった。
「大丈夫みたいです」
「そうか。よかったよ」
俊也は、スライムに懐かれる信を見て思った。
スライムがなつけば、危険な魔物がまた減る。愛くるしいスライムが人間に懐けば、人に対してのイメージアップになる。
俊也はポポに可能性を感じた。