4 植木家、緊急会議する
信はリビングに連れて来られ、ソファーに座らされた。ポポは相変わらず信から離れようとしない。ぴったりと抱きついている。
「ポポ、悪いけど話しづらい。降りてくれ」
信のジャージをギューっと掴む触手を優しく剥がす。抱きついたポポを何とか引っぺがし、膝の上に乗せる。膝の上に乗せても、触手は信の腕に絡まったまま離さない。
ポポは父、幸太郎がなぜか怖いらしい。震え方が違う。微振動している。
腰を抜かしていた母、香奈だが、見事復活しみんなのコーヒーを入れていた。ポポを安全な魔物と認識したようだ。魔物をペットにするような現代社会なため、ポポもペットだと勘違いしたみたいである。
香奈が朝食はどうしようかしらと、スカスカになった冷蔵庫を覗いている頃。信は父幸太郎に質問攻めにあっていた。当然説教も混ざっている。
どこでスライムを拾ったのか。スライムはどうして信に懐いているのか。入れてきたダンボールはどこにあるのか。幸太郎は質問し続ける。信はすべて答え、その後質問が終わると説教にシフトしていく。
魔物についての危険度の再認識。日本における暗黙のマナー。家族への報告、連絡、相談。簡潔で短いが、まとめられた説教である。信はそれを真摯に受け止め聞いていた。
信も大学三年生だが、まだまだ子供。若いころから成功を収めてきた父には、逆立ちしても敵わない。父親を尊敬している信は、素直にその言葉を聞いている。
「信、貴方も20歳を過ぎた大人です。私も長々とお説教はしたくありません。それにこの原因は私にもあります。忙しいと言う理由で、信と香澄にはあまり時間を割いてあげられませんでした。学校以外の教育を怠ったのも事実。これ以上は止めておきましょう。問題は、そのスライムをどうするかです」
丸いメガネをクイッと上げ、幸太郎は目を光らせた。
ポポは鋭い視線にビクリと震え上がる。
「父さん、俺が責任を持つから、この家で飼わせて欲しい。お願いします」
ソファーから立ち上がり、頭を深く下げる信。
一度拾ってきた以上、最後まで面倒を見るつもりだった。もしも飼えないなら、里親を探してもいい。それまで保護だけでもしたい。香澄が拾ってきた子猫たちのように。
「信、私は貴方を信じています。この家で飼うことも、まぁ心配はしていません。問題は、国が認めるかどうかです」
国? え? そこまでの話しなのか?
「信は魔物に詳しくないようなので、教えておきます。香奈もこっちに来て聞きなさい。寝ている香澄は……、まぁあとでいいでしょう」
香奈は「はぁい」と言って、コーヒーを持ってきてテーブルに並べる。
彼女はそのままソファーに着席すると、起きてきた猫二匹が香奈の膝に飛び乗った。猫は三毛猫と黒猫である。スライムがいるのに、少しも動じないところがすごい猫たちである。
よしよしと猫たちを撫でながら、香奈はニコニコ笑った。
「スライムの話しをこれからします。香奈、きちんと聞いてくださいよ」
「うん。そのスライムちゃんの話しよね。どんな話なの?」
香奈はポポが危険でない魔物と完全に理解したらしい。スライムちゃんと言ってポポにに手を振った。
ポポは微笑んだ香奈に母性を感じたようだ。触手を振って返事をしてみる。するとポポの行動に気づいた香奈もまた手を振りかえす。ニコニコしながらスライムと香奈は手を振り合っている。
大事な家族会議だと言うのに、香奈とポポはお花畑の空気を作り上げる。
その様子を見て、内心ため息をつく幸太郎。まったく香奈は……。
「ええそのスライムです。名前はポポでしたか?」
「うん、そうだよ。頭にタンポポが一輪生えているから」
信はそう言って、タンポポを撫でた。さわり心地は植物同然。体はおっぱいみたいなのに、ここだけ植物とは、不思議である。
「タンポポ、ですか? それが……?」
幸太郎はじーっとそのタンポポを見る。ポポはあわててタンポポを触手で隠した。取られると思ったのかもしれない。
「まだ分かりませんね。しかし私は、昔から魔物に嫌われるんですよね。猫にも懐かれませんし。そのタンポポもまた後で調べますが、今はスライムの話しです」
幸太郎はスライムの危険性を二人に説く。
スライムはダンジョンで生まれる生物で、繁殖力が細菌並に高い。知能がとても低く、食欲と子孫を残すと言う単純なプログラムしかされていない。思考能力は皆無で、人間に懐いたことがない。物理攻撃に強く、水に親和性がある。強大なレベルの個体が多く存在する。
「端的に言うと、スライムの飼育は研究所レベルです。多くのハンターがスライムを従魔にしようとしましたが、失敗しました。ですが100年前、思考能力を持つスライムが確認されました。それは莫大な魔力を持つ、魔王クラスのスライムだったとの話で、討伐は出来なかったとのことです」
父の話を真剣に聞く信。それが本当なら、ポポはスライムなのか? 別の魔物?
「信。ギルドに行きなさい。ポポちゃんの元の飼い主がわかるかもしれない。それに、信が“ファクター”を研究し、“妖精石”を追い求める限り、ギルドは必要です」
「それは……」
信はギルドにいい思い出がなかった。しかも荒くれ者が集うギルドは、優しい信には不向きな場所だった。
「国へのペット手続きも代行で行ってくれます。私がギルド幹部と知り合いなのは知っていますよね」
「知ってるよ。俊也おじさんでしょ?」
幸太郎は「そうです」と言って、自分の持っている名刺に一筆入れた。
「この名刺を受け付けに渡しなさい。待たなくて済みます」
信は父から名刺を受取る。改めて父のすごさがわかる。ギルド幹部とコネクションを持つことはとても強みになる。“時化”の時も安全に避難できる。
「しかし、スライムを見た時は一瞬焦りました。家の中で爆炎魔法を使わなければならないのかと」
え?
「スライムは炎に弱いです。一回で殺し切るには、上位の爆炎魔法が最も有効です。スライムを殺すのに家が大火事では大変ですよ」
スライムを殺す? 信は冷や汗をかいた。危ないところだったと。
確かにそうである。スライムは人間の敵。従魔になるのは本当にごくわずか。ならば討伐されるのが当たり前。路上に捨てられていたのも危険だったが、家の中でもスライムは殺されそうになっていたのだ。
スライムのポポは、幸太郎から「殺すところだった」と聞いて、震えあがる。人間の言葉を理解しているポポ。
殺すという言葉にプルプル震えだし、体色が緑色から青色に変化する。終いにはポポの頭に生えているタンポポの花が、ひらひらと数枚散った。
まるでハゲ親父から髪が抜け落ちるように、タンポポの花びらが落ちたのだ。どうやらストレスにかなり弱いようだ。
「ポポ!?」
それを膝の上から見ていた信がびっくりする。
「だ、大丈夫か!?」
信はポポを抱きあげる。抱きあげられたポポは、素早く信のジャージに潜りこんだ。
「ちょ、うわ! 服の中に入るなよ!」
コーヒーを飲み、信とポポをやり取りを見ていた香奈は感心する。
「へ~、出会ったばかりでずいぶん懐かれているのね?」
信は確かにそうだなと思った。この子はとっても懐く。これだけの知能だと、必ずなんらかの教育を受けている。前の飼い主が気になるところである。
「信、今日は家の中から出ないように。明日にでも俊也に会えるようにアポを取っておきます。さすがに私の名刺だけでは、俊也も仕事を切り上げられないでしょうから」
「……うん。分かったよ」
信は素直に父親の言うことを聞いた。多分、それがベストだから。ギルドにもいつか行かなければならないことだったのだ。信の就職先がどこにもなければ、コネを使ってギルド職員へ就職だったのだから。
信はまったく離れないポポをなんとか剥がし、落ち着かせる。優しく撫でていると、コーヒーをすすっている母、香奈が言った。
「信。タンポポの花言葉。知ってる?」
「花言葉?」
「タンポポの花言葉はね、“真心の愛”っていうの。もしかしたら、そのスライムちゃん、信が好きで会いに来たのかも」
え? まさか、そんな。
信はポポを見る。ポポは別段変わらない。体色は緑に戻ったが。
スライムをまったく恐れない猫たちを見て、信は思い出す。
「……母さん、それって昔、香澄によく言ってたやつだろ? 子猫を拾った時に言ってたやつ」
「あれ? そうだっけ?」
「そうだよ。子猫を拾った香澄に言ってた。この子猫たちは、貴方に会うために生まれてきたのって、よく言ってた」
「あはははは、そうだったかしら」
香奈はコロコロ笑っている。それに苦笑した信も、ポポを見て微笑んだ。
★★★
信とポポは自室に戻った。部屋の掃除やポポのベッド作りがあるからだ。
香奈は朝食の買い出しにコンビニに行った。弁当を買ってくるらしい。
長女の香澄はまだ部屋でぐーぐー寝ている。香奈があれだけ騒いだのに起きてくる気配がない。すごい女である。
最後に幸太郎だが、彼は今日珍しいことに仕事が休みである。たまの休日、家でゆっくりするかと思ったが、彼には仕事が出来た。ポポのことだ。
幸太郎は一人リビングで、黄色い花びらを見つめていた。ポポが落としていった花びらである。どうやらポポにはすぐに新しい花びらが生えてきたらしいが、それは今は置いておく。
「これはタンポポじゃないですね。何かすごい魔力を感じる」
信がスライムを拾ってきた話を聞いても、幸太郎は信じられなかった。信が言っていることは真実でも、通常は電柱の下にスライムが捨てられていることなどありえない。
例え捨てられていたとしても、スライムなら一匹で生きていける。誰かを待つ必要などない。
「世の中には面白いことが起きるものですね」
幸太郎はその小さな花びらをハンカチにくるむと、地下の工房に降りて行った。