3 植木家の混乱
朝七時、植木香奈は家族の朝食を用意するため、キッチンに来ていた。
寝起きで少し頭の回転が鈍く、ふらふらとしていた。洗面台には向かわず、キッチンの蛇口で顔をバシャバシャと洗う。
「朝はやっぱり駄目ね。眠くてしょうがないわ」
ふらふらしながらも、グラスに水を注いで飲み干す。
肩口までかかった黒髪を、結って留め、気合を入れる。髪はポニーテールのようになり、年齢を感じさせない奥様が出来上がった。
「ふわぁ。お休みの日でもみんなのご飯を作るって、主婦は大変よね」
壁にかけていたエプロンを身につけると、朝食の用意を始める。薄いパジャマの上にエプロンを身につけたため、体のラインが丸わかりだ。豊満な彼女はキッチンに立つだけでも色香を感じさせた。
大あくびをしながら、冷蔵庫を開ける香奈。
何にしようかしら? と言いつつも、頭の中はベーコンエッグしか考えていない。フライパンを用意し、あらかじめコンロに置いておく。
生卵はなんこあったかしら? 一人二個ずつだから、全部で8個必要ね。
香菜は生卵を取り出す数を考えつつ、冷蔵庫の扉を開けた。いつも卵を入れている上段の扉を開けたのだが、香菜の目に飛び込んできたのは、買っておいた食材ではなかった。
中には、大きなゼリーが詰まっているのが見えた。
「え?」
頭の中が真っ白になる香奈。
冷蔵庫に、緑色のゼリーが詰まっている。ぎゅうぎゅうに詰まっている。しかも食材がほとんどなくなっており、庫内の仕切り板もどこかに消えた。
その緑色のゼリーは、冷蔵庫を開けられて外に飛び出た。どうやら自分で入ったはいいが、出られなくなっていたらしい。
ボテンっと、床に落ちるゼリー。
タンポポのような花がゼリーには生えており、触手を伸ばして香奈に挨拶をした。
こんちわ! という軽い感じで、ゼリーは触手を挙げた。
「…………」
わなわなと震えだす香奈。一瞬頭が真っ白になったが、目の前でゼリーが動いているので正気を取り戻す。
「ななななななな……、ここ、これって、これって、魔物?」
香奈はゼリーの正体が分からなかった。魔物には詳しくないし、学校での勉強は忘れてしまっていた。
ゼリーの正体はもちろん決まっている。昨夜、信が拾ってきたスライムであり、名前はポポである。
ポポは香奈に対して、とてもフランクだ。以前から知っていたような態度を取り、触手を伸ばして挨拶をした。冷蔵庫の食材を食い荒らしたのに、ふてぶてしい態度である。
香奈はなぜ冷蔵庫に魔物が入っているのか理解できなかった。家で飼っている猫ならわかる。ほとんどありえないが、間違って入ってしまうかもしれない。それは分かる。
今、目の前にいる魔物はなんだ。なぜ家の中にいる。香奈はこの家に魔物除けの結界が張ってあることを知っている。どうして入ってこれた。あわわわわわ。
香奈はパニックになり、感極まって「魔物がいるわあああ!」と叫んでしまった。
突然叫び声を上げられたポポもパニックになる。何がどうしたと触手をバタバタと振り回す。
「ふわああああああ!」
その場で腰を抜かしてしまう香奈。右へ左へ右往左往するスライム。知らない人が見たら地獄絵図である。スライムが人を襲っているように見えるかもしれない。
「香奈! どうしたんですか!!!」
そこへ車椅子をすっ飛ばしてくる、爽やかなイケメンおじさん。
男の名は植木幸太郎。植木家の大黒柱であった。
「あ、あなた!! こ、これ!!」
「これ」と言って、スライムを指さす香奈。指さされたポポはびくっとして飛び上がる。何か悪いことしたの? どうしよう! という感じで、触手を振り回す。
ポポは悪いことをした感覚がなかった。おなかが空いたから食べ物をもらいに来ただけであった。
「香奈! 私の後ろに隠れていなさい!」
幸太郎はすぐさま香奈のもとへ駆けつけ、後ろに庇う。幸太郎は現状を確認すると、すぐに大方の推測をつける。冷蔵庫の中身が消えていることに関して、何となく分かった。
「どうやって侵入したか分からないが、冷蔵庫の食べ物が欲しかったようですね。だが、この家の探知機に引っ駆らないとはどういうことだろう? それに、このスライム私達を襲いませんでしたね。人間よりも、人間の作った食料を食べるとは、変なスライムですね」
幸太郎は一級魔法建築士である。この資格は上級魔法使いの資格がなければ取れない、国家資格である。彼は魔物や魔法に関する知識は飛びぬけているし、とても強い。魔物関しても造詣が深い。幸太郎はあらゆる経験から、なぜこのスライムがここにいるのか考える。そこで導き出される答えは、かなり少ない。
「スライムから発する、この桁違いの魔力。とてもスライムとは思えない魔力量ですが、その魔力の中に、信の魔力が混ざっている? もしやこれは」
「あなた、この魔物、大丈夫なの?」
香菜は落ち着きを取り戻したのか、慌てるポポをじっと見ている。
「多分大丈夫でしょう。このスライムは安全そうです」
当のポポは相変わらず右へ左へ行ったり来たり。どうしていいか分からない状態。触手をバンザイさせながら、右往左往。頭のタンポポがワサワサ揺れている。
そこへドタドタと足音が響いてくる。足音の主は、植木信。ポポのマスターだった。
「か、母さん! 大丈夫か!!」
信はキッチンに飛び込んだ。すると、へたり込んだ母と、その母を護ろうとする父の姿があった。彼らの前に、グルグルと同じところを回っているポポの姿も見えた。
両親と目が合い、ポポとも目が合った気がした。
あ、これやばい奴だ。修羅場ってやつだ。
信はすぐに悟った。やらかしてしまったと。
ポポは駆け付けた信に気づき、庇護を求めてジャンプ!
「ご主人様助けて!」という感じで信の胸に飛び込み、触手を伸ばして抱きついた。
最高の位置取りで、信の胸に収まるポポ。
両親はその光景を一瞬たりとも見逃さず見ていた。信に抱きつくスライムの姿を、はっきりと見てしまった。まるで子が親を求めて抱きつくような光景であった。
信の父、幸太郎は言った。
「信。話があります。リビングに来なさい」
「はひ」
信はやらかしてしまったことを後悔した。
もう少し魔物という物に関して、配慮をするべきだった。信は魔物とはあまり縁がない為、そこら辺の常識がなかったようだ。なんとかなるだろう。その程度の認識しかなかったのであった。
「ごめんなさい……」
信はリビングに着く前に、腰を抜かしていた母親に謝っておいた。