29 ダンボールに入れて捨てられていたのは、スライムでした
冬休みも終わり、学校も通常に始まった。
朝の通学路に、子供たちの声が木霊する。
元気に登校する小中学生がいる中、げっそりとして登校する女子高生がいた。植木香澄だ。
香澄は宿題が終わっていなかったのか、冬休みぎりぎりになって信に助けてもらっていた。
そのせいか、彼女は徹夜明け。なんとか課題は終わったものの、一睡もできていない状態だった。
毎度のことだが、香澄はいつもぎりぎりになって、信に宿題の手伝いを頼む。信の頭の良さだけは信頼しているのだ。
信も信で人が良いので、可愛い妹の為、宿題を手伝ってやっている。
信は香澄の筆跡をまねて、数学の問題集を埋めていく。香澄は香澄で、煙を噴きながら英語の長文読解をしていた。
信は余裕で問題を解くが、香澄は一時間かかっても一ページ進まない。頭の出来だけは、植木家で圧倒的に良い信。そこだけは香澄も、手も足も出なかった。
二人が宿題をこなしている中、扇子を持って応援しているスライムがいた。ポポだ。
触手を使い、扇子を二つ持っている。ハチマキを頭に巻いて、ポポは応援の舞を踊っている。
フレーフレー香澄! フレーフレー信! 宿・題・終わらせろー!
ポポは体を伸び縮みさせながら、部屋の中をぐるぐる回っていた。
応援しているつもりなのだろうが、二人にとっては気が散って仕方なかった。
「お兄ちゃん、あのスライムどうにかして」
「あのスライムって言うな。愛菜、いや、ポポだろ」
「だって集中できないよ、あんなに扇子を振り回して」
ポポはゼリーの体をタブタブ揺らせて、舞を披露している。
「集中しなくても香澄は答えを間違うんだ。応援してくれてるんだから、我慢しろ」
香澄は扇子を持って踊りまくるポポにげっそりしていた。
「それにしてもお兄ちゃんってさ、頭がいいのに、馬鹿なことばっかりしてるよね」
「香澄は俺に手伝ってほしくないのか? 悪口を言うならやめるぞ」
「あーごめん! ウソウソ! 手伝ってくださいお願いします!」
「だったら無駄口叩かないで終わらせろ」
香澄は「はい、すみましぇん」と言って問題に向き直る。ため息をついて問題を解く香澄に、ポポはさらに応援の舞を激しくするのだった。
★★★
信と香澄は学校に行き、家を空けることが多くなる。二人の母である香奈は、家事に追われる生活が続いていた。
ポポは香奈の手伝いをすることで、二人が帰ってくるまでの時間、精いっぱいに過ごしている。植木家で飼っている猫の世話も、ポポが率先して行っている。猫たちはポポに慣れたのか、ポポによく飛びついて遊んでいる。
ポポが来てからいろいろと変わったが、いつもの日常を取り戻し始める植木家。
そんな中、植木家の大黒柱、植木幸太郎も変わらない日常を送っていた。普段通りに仕事をこなしている。
彼は一級魔法建築士だ。個人事務所を持っているし、業界では顔が広い。仕事の依頼はかなり多い。客からの注文はひっきりなしに来ていた。
幸太郎も幸太郎で毎日が忙しいが、その合間を縫って自分の研究もしている。彼は今、プライベートの電話回線を使い、一人の男に連絡していた。
「オーギュスト君、ポポの花びらの成分は分かりましたか?」
『いえ、私の持っている機材でもさっぱりわかりません。ギルドでもエリクサーではないか、という推測にすぎませんし、まだまだ時間はかかりそうです』
幸太郎はフリーランスのテイマー、オーギュストに電話していた。実は彼は、幸太郎の知り合い。
「ポポについては私も調べているんですが、かなり難航していまして」
『幸太郎さん、ポポちゃんのことと関係があるか分かりませんが、面白い事件があります。世界で数件、強大な魔物が現れ、人間になついているようです』
「強大な魔物?」
『アメリカでは、新種のドラゴンが人間の子供になついたという話が来ています。しかもなついた子供は、まったくの一般人。魔法素養がない者です』
魔法素養がない? ドラゴンがそんな子供になつくのか? というより、どこから新種のドラゴンが現れた?
『ドラゴンは、住宅街の中に突然現れたとか。まだ幼体で小さいらしいですが、なついた子供のもとへ突然現れたようです』
突然現れた。それはポポみたいことでしょうか?
『他にも未確認ですが、似たようなことが世界で発生しています』
「似たようなこと。そうですか」
調教もしていないドラゴンが、人間になつく?
摺り込みでもないのに、いきなりなつくんでしょうか? もしかして、信と似たようなケースが、世界で起こっている?
「そうですか。ありがとう。それで、信と接触して、それから連絡は?」
『まだありません。彼も忙しいのでしょう』
「分かりました。これからも調査を頼みます、オーギュスト君」
『了解しました』
そういって、オーギュストは電話を切った。
幸太郎も受話器を置いて、机に戻る。
「何かの兆候でなければいいが、問題が起こるようなら、昔の仲間に声をかけなければね」
幸太郎は、不敵な笑みを浮かべた。
★★★
大学での講義が午前中で終わったので、信は午後から、ミノタウロスのカレンに連絡を取った。
ギルドでのクラン契約をするためだ。
ギルド長から話もきている。一気に用事を済ませたい。ポポの正式な従魔契約の許可が下りたらしい。
信はカレンとポポで、一緒にギルドへ向かうことにする。カレンだが、信とポポの護衛も兼ねているため、家まで信を迎えに来てくれた。
迎えに来てくれた時、対応したのは植木香奈。信の母である香奈は、ミノタウロスのカレンを見ると変な勘違いをした。
「まぁまぁ! 信が彼女を連れてきたわ! 信の好みは年上のお姉さんだったのね! さぁ上がって!」
「あ、いえ。私は信君とポポちゃんの護衛です。一緒にギルドへ行きますので、長居をするつもりは」
「いいからいいから! 美味しいケーキがあるの。食べていって!」
「は、はぁ」
カレンは大きな胸を揺らし、香奈の強引さにタジタジ。ポポはポポで、カレンを見ると警戒の色を示す。信が取られるとでも思っているのかもしれない。
信は用意を済ませてリビングに降りると、いつの間にか来ていたカレンにびっくり。しかも母と仲良くお茶をしている。ポポも混ざってケーキを食べている。
なんの集まりだと思っていたら、香奈が言った。
「信もやるわね。こんな美人さんを捕まえるなんて。しかも亜人さんね? 異種族との結婚は素晴らしいことだわ! どんどんやりなさい!」
香奈は亜人迎合派。差別などまったくしない。
「な、いつのまに来てたのカレンさん! しかも母さんなにか勘違いしてるだろ! なんだよやれって!」
「え? 違うの?」
「違うよ! カレンさんは仕事仲間だよ! 今日はポポの護衛! 今日でポポの正式契約だから、それまでの護衛だよ!」
「あらそうなの?」
香奈はちょっと残念そう。
「申し訳ありません。私はただの護衛ですので」
カレンは言うが、香奈は引き下がらない。
「でも、信はどう? 細くてナヨナヨしてるけど、顔は良いでしょ? よければもらってやって?」
「はぁ!? 仮にも母親が言うこと!? それは!」
「だってぇ!! 信ちゃん全然彼女連れてこないでしょ!! 私だって心配なの!!」
「えぇ!? なに言い出すんだよ母さん! カレンさんいるんだぞ!」
グダグダな親子関係をカレンに見せることになる植木家。カレンはカレンで笑ってみていた。ほほえましい家族だなと。
ポポはポポで、カレンの分のケーキも貪っていた。
★★★
閑話休題。
信はカレンとポポを連れてギルド長室に来ていた。
そこにはエヴァが当然いて、パソコンのキーボードを一心不乱に叩いていた。ダボダボのパーカーを着ており、ラフすぎる格好だ。
「ん」
エヴァは信とカレンを見て軽く会釈。カレンも会釈した。
信はギルド長とエヴァに挨拶すると、すぐに本題に入った。
「俊也さん、ポポの許可が下りたとか」
「ああそうだ。それとすまんな信君。今日はゆっくりしていられん。緊急の会議が入った。とりあえず、これが書類と、正式なドッグタグだ。これでポポ君は君の正式な従魔だ。国外へ連れ出すことも可能だ。しかし、依然としてポポ君は貴重な魔物。誰かに狙われるとも限らん。仲間と行動することを心がけなさい」
かなり早口なギルド長。本当に忙しいらしい。
「はい。分かりました」
「分かってくれればいいんだ。それよりも」
俊也はそういって、カレンを見る。
「すでに優秀なハンターを見つけたようだね? 君の名は?」
「カレンです。まだまだ若輩者ですが、信君とクラン契約したいと思っています」
ギルド長の俊也はそうかそうかと言って、楽しそうに笑った。
「バネッサを君の専属護衛につけるつもりだったが、彼女がいるなら今はいいだろう。エヴァも定期的に信君の面倒を見るように言ってある。心配はしなくていいぞ」
「なにからなにまですみません」
信が頭を深く下げる。
「ははは。気にするな。それよりもすまんな。時間だ。あとはエヴァにでも聞いてくれ。私は会議に行く。ではな信君」
俊也は言うだけ言って、嵐のように去って行った。かなり忙しいらしい。
信は残ったエヴァに補足事項を聞いて、クラン契約の受付まで案内してもらう。
「私も仕事があるし、今日はここでお別れ」
エヴァも何だかんだで、仕事が多い。彼女も信と長くは話せないらしい。
「エヴァ、ありがとう」
「何かあればすぐに連絡して」
「わかった」
「それじゃ、バイバイ」
エヴァは無表情で、片言に話す。何も考えていないように見えるが、エヴァはエヴァで信とポポの身を案じているのだ。手を振って、ギルドの奥に去って行った。
ギルドではみな忙しそうに動き回っている。職員だけではない。ハンターもそうだ。どんな時期でも、ここはお祭り騒ぎだ。
クラン契約の受け付けは、かなりの時間を待たされた。待たされる間は、ギルドビルにあるレストランでご飯を食べる。カレンと信は今後のこともあるので、いろいろと話し合う。話し合いの中、ポポはバイキングの飯ばかり食べていた。
テーブルにはすごい量の皿が重ねられており、レストランの店員も料理の補充に忙しそうだった。
ギルドでの受け付けも済み、ポポも腹を押さえて満足していた。
「カレンさん、それじゃ帰りますか」
「そうだね」
「カレンさんのファクターの調整は、次の日曜日に話し合いませんか?」
「いいよ。なんだかんだで、もう夜だしね」
気づけば、すでに夜。二人は帰宅することにした。
★★★
車を走らせ、カレンの自宅近くで停車する。
特に少し寄っていく? ということもない。カレンは信に優しくハグすると、車を降りる。
「今日はありがとうね。クラン契約に付き合ってくれて」
「いえ、また日曜に話しましょう」
運転席の窓越しに、信とカレンは見つめ合う。お互いにまだ慣れていないので、気を使いすぎるきらいがある。
カレンは家に寄って行きなよ、と言おうと思ったが、信にも家族がいる。遅くなると悪いと思ったのだろう。何も言わず、ニコニコ笑っている。
信はなかなか「さようなら」と切り出せずにいると、ポポが乱入。見つめあう二人が気に食わなかったのか、触手を振り回して、信の髪の毛を七三分けにした。
「うわ、なにんすんだポポ」
「あはは。信君の髪の毛、おかしなことになってる」
カレンは信と戯れるポポを見て、さらに笑みを濃くした。
「それじゃ、カレンさん、今日はこれで」
「ええ。今日はありがとう」
信とカレンはそういって、車を発進させようとした。
その時、ふと、信の視界に一本の電柱が入った。
何のことはない、住宅街に立つ電柱だ。
夜の為、街灯を照らしている電柱だ。車の少し先の、電柱だ。
「ん? なんだあれは」
電柱の下、陰に隠れるように、少し大きめのダンボールが置いてあった。ポツーンと、置いてあった。
「どうしたの信君」
「いや、あのダンボール、なにかなと思って」
周りの通路には、ゴミらしきものは捨てられていない。空き缶すら捨てられていないので、そこに大きなダンボールが鎮座しているのは、違和感があった。
「カレンさん、この辺で猫とか動物とか、捨てられます?」
「ん、ああ、そういえば捨てる人いるね。たまにだけど。もしかして、あのダンボールに?」
信はどこにでも捨てる奴はいるんだと、げんなりした。ただのゴミ、たとえば粗大ごみとかならいいのだが、捨て猫とかならまずい。冬だし、凍死してしまう。ゴミなら、最悪市の業者が片付ける。
「まさか拾っていくの?」
「見てしまったものは、しょうがないですよ。ゴミならそのままでもいいですけど、動物が捨てられていたら、保護します」
「へぇ~。優しいんだね」
カレンは信のことを見直す。普通なら放置するのに、植木信は違うのだ。ダンボール箱など、ゴミだとおもってスルーする。誰も確認しようなどとは思わない。カレンの、信に対する評価が、また上がった。
「それじゃちょっと見てみようか?」
「ええ」
信はカレンとポポを伴って、ダンボール箱に近づいた。
ダンボール箱には何も書いておらず、物音一つしなかった。
やはり、ただのゴミか。信の取りこし苦労のようであった。
「いちおう、中を見てますか」
「開けるの?」
「開けなきゃ見れませんよ」
「信君って、意外とチャレンジャーだね」
カレンは普段しないことを、率先して行う信に驚いている。そんなことをする人がいるんだと。普通なら近づきもしない。ただのゴミだと思う。
信はダンボール箱の上蓋を開けると、中を見た。
中には、黒いものがぎゅうぎゅうに詰まっていた。
「え?」
黒い、ゼリーがぎゅうぎゅうに詰まっている。
もしその黒いゼリーを表現するなら、コーラをゼラチンで固め、ダンボールいっぱいに詰めた。そんな感じだ。
「うわ。なにこれ気持ち悪い。こんな気色悪いゴミを捨てるなんて誰よ」
カレンはダンボールに入れられたタプタプのゼリーを見て言った。
確かに、黒いゼリーがいっぱいだ。気色悪い。
唯一、このゼリーに反応したのは、ポポだ。ポポは触手を振り乱して信に何かを伝えようとしている。
「どうしたポポ。このゴミに何かあるのか?」
信がポポの方を向いて話した時、それは動いた。
真っ黒いゼリーは、ダンボールを飛び出して、信とカレン、ポポの目の前に着地した。
ゼリーはまん丸に変形しており、ポポのように触手を伸ばしていた。
こんばんワ!
真っ黒いゼリーは、自衛隊の敬礼よろしく、信に挨拶をした。
「へ?」
信、カレン、ポポまでも、そのゼリーを見て驚いた。
「す、すらいむ?」
信は思った。
ま、マジで? う、ウソだろ?
信はポポを見るが、ポポは触手を振り回していた。
ダンボールに入れて捨てられていたのは、スライムでした。
一章 完




