13 信の技術力
オークのバネッサとミノタウロスのカレン。
二人とも亜人で、能力は高い。純血ではないため、魔物としてのオークやミノタウロスとは違うが、魔力、身体能力は、人間をはるかに凌駕する。
オークの亜人バネッサは、膂力と頭が賢い種だ。特に鼻が良いのが特徴である。
豚は土の中のトリュフを探し当てるほど嗅覚が優れている。
オークもまた嗅覚が優れている。さまざまな魔力の匂いさえ、嗅ぎ分ける。戦闘になると、その能力はめっぽう強い。
対してミノタウロスは頭がよくない代わりに、オークやオーガを超える膂力を持つ。恵まれた体躯から放たれる一撃は、サイクロプスすら倒す。
豚は睡眠時間8時間程度だが、牛は3時間しか寝ない。ミノタウロスも牛の遺伝子を持っている。彼らはなんと一日平均4時間しか寝ない。個体によって異なるが、大体4~5時間程度で疲労、魔力が全快する。けがの治りも早い。デメリットは食物の摂取量。
ミノタウロスは一日に4キロもの食物を必要とする。燃費が悪いのである。
魔物や亜人に詳しくない信。ある程度は知っているが、突っ込んだところは知らない。バネッサが試合の準備をする間、信は香澄からオークやミノタウロスの特徴を聞いていた。
「お兄ちゃんわかった? オークやミノタウロスってのは、生まれた時から強いの。ハンターとしては優遇されるのよ」
「そうなのか。さすが香澄だな」
「当たり前でしょ?」
「おう。見直したぜ」
えっへんと胸を張る妹。香澄はおだてていれば機嫌がいい。信は妹にごまをすっていた。
信と香澄が今いるのは、闘技場の観客席ではない。試合をするためのステージ横にいた。香澄が試合開始の合図と、試合停止の緊急ボタンを持っているからだ。
今回はVR戦闘ではなく、リアルな模擬試合だ。迫力ある戦いが生でみられる。
とはいえ、他のハンターたちはかなり離れた観客席での観戦となる。信たちとは別だ。だが、ビールやおつまみなども買って、彼らは完全にお花見気分だ。
「まったく。ギルドに来たのはこんなことをする為じゃないんだけどな」
信は興味のない試合にうんざりしている。ファクターの研究やポポの許可証を得るために来たのだ。それがなぜこんなことになるのだ。がっかりしているが、これも経験だと良い方向に考える。
「まぁいい。こんなことは人生初めてだし、楽しむしかないな」
信は簡易的な魔力測定用の眼鏡をかけ、バネッサたちの戦闘を観察することにした。
この一戦は、人間の魔法使用に関する研究、ファクター(魔装具)の開発や調整に役立つかもしれない。せっかくだし、高ランクハンターの能力とやらを見ておこう。
試合のルールだが、金的、目つぶしなどの急所攻撃は禁止。魔法の能力も制限される。
ヘッドギアと、防御魔術が組み込まれたナイロン製のアーマーも着込まなければならない。安全確保のためだ。これで打撲や捻挫といった怪我まで、大体防ぐ。
最後に、戦闘する者は、模擬用の武器が与えられる。
バネッサは模擬戦用のロングソードを持つ。
カレンも模擬戦用の斧を持っている。
試合場所は、ボクシングリングのようなステージだ。ただそれがボクシングとは違い、円形で、大きさも5倍以上あるステージだ。
「香澄さん。試合開始の合図をお願いします」
用意が整ったようだ。
「はい! では両者ステージの端に立ってください。試合開始の合図をします」
香澄は学校の授業で何度も模擬試合をしている。簡易的なものだし、作法は慣れている。
「両者、戦闘態勢。武器を見える位置に。ファクターのスイッチを入れてください。用意はいいですか? では、模擬戦始め!!」
試合開始の合図で、ミノタウロスのカレンは雄たけびを上げた。
「うあぁぁあああああ!!!!」
カレンのファクターは首のチョーカー。のど元の付近に魔石が組み込まれた端末が付いている。6級のハンターが身に着けるには、かなり安物のファクターだ。
カレンは身体強化の魔法を発動させ、猛牛のように突っ込んでいく。
バネッサは突っ込んでくるカレンに、片手で剣を握るだけ。だらりとした脱力態勢。
カレンは間合いを一気に詰め、斧を振りかぶる。
「いけぇ!!」
このまま直撃すれば、たとえ剣でガードしても、体ごと吹き飛ばされる。凌いでも、武器の差で剣が砕ける。
バネッサはその猪突猛進な攻撃に、不敵な笑みを浮かべると、一言。
「遅い」
斧の攻撃が直撃するかと思われたが、甲高い金属音とともに、カレンの斧が跳ね飛ばされる。
「な!?」
バネッサの剣は一瞬で、振った瞬間すら見えなかった。
気づいたらカレンの斧は跳ね飛ばされていた。跳ね飛ばされたと同時、間髪入れずにカレンの巨体は宙を舞う。
「え?」
まるで落ち葉のようにひらひらと、ミノタウロスの体が宙を舞った。
信と香澄はその光景を間近で見て、茫然である。
宙を舞ったカレンはステージの床に叩き付けられる。受け身を取れずに背中から落下したので、横隔膜にダメージを受ける。呼吸が数秒間停止し、息ができなくなるカレン。
「かはっ」
あっという間の攻防で、観客も唖然としてしまう。
一応だが、信は観察用の眼鏡をかけていたので何とか動きを追えた。
バネッサは顔面に突っ込んでくる斧の刃を、力で跳ね返すのではなく、合気で吹き飛ばした。叩きつけてくる斧の速度と等速で受け流しつつ回転させ、斧を剣で巻き込んで跳ね飛ばした。人間の目では負えないスピードで、その早業をバネッサは行った。
その後、合気道の入り身という技でカレンの懐に入り込み、腕を掴んで足の重心を崩し、軽い力で投げ飛ばした。
すべてが完了するまでに0.5秒足らず。いつの間にかカレンを空中に投げ飛ばしていた。
「す、すげぇ」
体重差など全く無視。大きなミノタウロスが宙を舞った。
カレンは床で倒れたが、斧を取ってすぐに立ち上がる。
「貴方たちはタフさがウリなのだから、この程度で倒れるとは思っていませんよ」
「こんなにも、こんなにも差があるのか。すごいな、上には上がいる」
カレンはバネッサの強さに当てられ、ワクワクしだす。それと同時に、絶望もしていた。自分の力では勝てない相手がいると。
「今見せたのは単なる技です。もしこの技を突破できたら、あなたの土俵。膂力でお相手しましょう」
「言ったな!!」
カレンはギラギラとした目で笑うと、斧を構えて猛突進。今度は斧に風の魔法を纏わせて攻撃するが。
「まだまだ遅い」
バネッサの高速剣で、斧は簡単にいなされる。
「くそ! まだまだぁ!」
圧倒的なバネッサの強さを見て、観客たちは大騒ぎ。6級のハンターであるカレンは、知名度こそ低いが、6級というだけで中堅クラスのハンターだとわかる。その6級のハンターが、手も足も出ない。
「やっぱすげぇ!」
「あれが高ランクハンターか!!」
「だけどよ、見たことはないが、バネッサさんの剣は“激剣”だ。早い剣じゃねぇらしい」
「そうだな。噂だが、とんでもない力技だとか」
「業と力だよ。ドラゴンの鱗をただの鉄剣で切り裂くんだぞ」
本気のバネッサはすごいらしい。
「これが高ランクハンターの実力。すごい」
香澄はバネッサの力に感動しているが、信は少し思う。
ありゃ強すぎだろ。ファクターの力をほとんど使っていない。
確かに純粋な力、強さに憧れはあるが、なんでもやりすぎはよくない。
今は平和だし、魔物暴走も多くない。鍛えすぎると、嫁の貰い手がなくなりますよバネッサさん。
信は余計なことを考えた。
「だけどあれだな。カレンさんか? あのミノタウロス」
「え? カレンさん? そんな名前だったっけ?」
「ああ。あのカレンさんの肉体支援の魔法。挙動がおかしいぞ」
「うん? そう? 別に普通だけど」
信はバネッサの強さよりもミノタウロスのカレンが気になった。
カレンの身に着けているファクター。首に巻いた、チョーカータイプのファクターだ。これが信は気になった。
なんか、魔力の放出タイミングがおかしいぞ? 魔法を発動してから、放出するまでタイミングが遅い。あれでは本来の出力の半分だ。カレンが身に着けているのはチョーカータイプの超小型ファクターだ。ブランドものかどうかはわからないが、性能は腕に巻くファクターよりも弱いだろう。
信は特別な魔力測定メガネをかけていることで、ファクターの異常に気がついた。魔装具研究者ならではの視点だった。
しかしどうするか。戦闘の最中にわざわざ申し出て、直せるものかな? 直したらカレンの動きはよくなるのだろうか? どうせ結果は変わらないだろうし、無駄に声をかけてもなぁ。
信は悩むが、カレンの目を見るとまだ死んでいない。バネッサに一発でも入れようと、諦めていない目だ。
次第にカレンの動きが鈍ってくる。ミノタウロスの体力はあるが、ファクターの力で運動能力を底上げしているのだ。疲れるのが倍速だ。対してバネッサは魔法をほとんど使用していない。
「はぁはぁ」
「もういいですか? カレンさん。私との力の差は分かったはず」
「はぁはぁ」
「聞いていますか?」
「はぁはぁ。聞いてるよ」
息を整えながら、カレンは考える。
斧も体術も魔法も何も通用しない。低級以上の魔法戦はこの試合会場では行えない。特殊防御魔法の展開に、ギルドへ予約が必要だ。カレンは考える。
どうすれば一矢報いれる。どうすればいい。
カレンはない頭をフル回転させていると、外野から声がかかった。
「ターイム!! バネッサさん! 少しタイムです!!」
止めたのは、まさかの信。香澄ではなく、信である。
何事かとバネッサは信を見る。香澄も隣にいた兄の奇行に驚く。いきなりなんだというのだ。
「どうしたのですか? 何か問題が?」
「少し、あちらのカレンさんに話があります。5分ほど、時間をください」
「話? あちらのカレンさんと? いったい何を?」
「いや、少し見過ごせないものを発見したんで」
「見過ごせないもの?」
「すいませんが、今は聞かずにお時間をください。面白いものを見せてあげますから」
バネッサは「面白いもの?」と首をかしげるが、問い詰めても回答は得られそうにない。すぐに分かったといって、休憩を取る。
観客も何事だとみているが、信はもう目立っても構わない。ここまで来たらどうでもいい。研究者魂に火が付いたのだ。
信はステージの上で座り込むカレンに近づくと、気さくに声をかけた。
「カレンさん。ですよね? 俺、植木信です。ファクターの研究をしています。さっきの試合、魔力測定グラスで見ていたんですが、カレンさんのファクターの魔力放出がおかしいです。多分、どこか壊れてます」
カレンはその言葉に目を丸くする。確かに、最近調子が悪い時があった。魔力を込めても出力が上がらないことがあったのだ。たまにだったので、放置していた。
「どうして気づいたんだ?」
「いや、だからこの眼鏡で見えるんですよ。魔力の色が。俺は病気で魔力航路がないから、こういう道具を使って魔石を鑑定したりするんです。アルバイトで、人間や亜人の魔力鑑定も、簡易的にしますし」
「へぇ。君みたいな若い男の子がね。それで、一体なぜあたしのところに? あんた、バネッサさんと一緒にいた子でしょ?」
「うーん。まぁ理由と言われると答えにくいですが、カレンさんはバネッサさんに勝ちたいんですよね?」
「勝ちたいとまでは、思わない。ただ、私が強くなるために彼女と戦いたかった」
「そうですか。なら、強くするためにファクターの修理をしてみましょう」
「修理? どうしてあんたがあたしなんかに?」
どうしてと言われてもわからない。ファクターの研究者としてのサガか、ただの善意だ。
「あぁもういいです。話はあとで! とにかく、早く見せてください。時間がないんで」
信は疲れて動きが鈍っているカレンにさっと近寄り、チョーカー型のファクターを外した。まるでブラのホックをはずすような早業だった。
「あ? ちょっと!」
「いいからいいから、って、うわ。びしょびしょだ」
預かったチョーカーは血と汗でぐっしょり汚れていた。ただの汗だけではなかった。
信は「うわぁ、きたねぇ」と思ったが、口にはせずに素早く分解を始める。
チョーカーには四角い小さなモジュールがある。ステンレス製の小さな箱だ。表面にはアクセサリーのように名前が彫ってあるが、この中には魔導機械が詰め込まれている。
信は携帯用のドライバーでねじを回し、蓋を開ける。信は走査魔法を使用して、モジュール内部の回路を検査すると、案の定クオーツが焼き切れていた。
魔力を過剰に流し続けたので、中の魔石振動子が負荷に耐えきれなかったのだ。安物ということもあり、使われていたパーツも過剰魔力で壊れ気味。
信は携帯用の工具入れに、汎用品のクオーツを2個持ち歩いている。カレンのものと型式は違うが、上位互換のクオーツなので、きちんとはめ込めるはずだ。しかも性能はアップすると予測される。
簡単なパーツ交換なのですぐに終わる。一応焼き切れていた配線も特殊な導線シールで保護し、汚くなった端子を磨いておく。ここでは大したメンテは行えないが、十分だろう。
「はい。直りました」
信は3分で直した。早業である。一応言っておくが、通常の技術者ではこんなことはできない。
「え? もう終わったの?」
「以前よりも出力は1.5倍、いや、2倍ほど上がってます」
「はぁ?」
カレンはウソだろうと思ったが、何も言わなかった。ただありがとうと言って、ファクターを受け取る。
「でも、なんであたしに?」
理由を聞かれても困る。ナンパの口実とか、修理代をぼったくるとか、そんなことは思っていない。本当の善意と好奇心だ。初めて生の試合を見たから、興奮したのかもしれない。
「ただ、なんとなく、かな?」
「なんとなく? それで見ず知らずのあたしに? すごいお人よしだね」
「そうかな? まぁいいですよ。試合、頑張ってください」
信はそれ以上カレンとは話をせず、タイムが終わったことを香澄に伝える。そのままカレンから離れて、置かれているパイプ椅子に座った。
「お兄ちゃん、何してたの?」
「さぁな。だけど、少し面白いもんが見れるぜ」
休憩が終わり、カレンはバネッサに向き直る。斧を正中線に構え、距離を取る。
バネッサは信が何をしていたか遠くで見ていたので、何となくわかった。
あの子、結構使えそうな子ですね。即興でファクターを直すとか、普通じゃないですね。さて、どれだけ力が上がったのかな? 身体強化魔法は調整が難しいですからね。やりすぎれば法律に抵触しますし、今は魔法が制限された試合中ですしね。
バネッサは相変わらず脱力態勢だが、どんな攻撃が来るのか少しワクワクしていた。
そんなカレンは、バネッサに対して打つ手がない。何をしても勝てないので、半ば諦めムード。
とにかく、一撃でも入れたい。ただそれだけだ。
カレンに残されたのは一か八か。こうなればファクターを直した信を信じることにした。
今まで以上にファクターに魔力を流し込み、やけくそで床を蹴った。
相変わらずの突進攻撃だが、その速度は先ほどとは桁違い。まるで弾丸のごとく、高速で突進していく。
う、ウソだろ! これがあたしのファクターの性能? 安物ファクターだよ!?
バネッサとの距離を一足飛びで詰める。
カレンは予想外の速度で突っ込むと、そのまま高速で斧を振り下ろす。カレンの膂力と身体強化の魔法が綺麗に上乗せされ、パワーが加速されている。
これにはバネッサも驚いた。まさかここまで速いとは。
すぐに片手で握っていた剣を両手で握りなおす。先ほどよりも威力と速度のある攻撃を、ぎりぎりでいなした。
「ぐっ!」
さっきよりも段違いに重い攻撃だ。合気で合わせるのが少しだけ間に合わない。
「ふふふ。さすが伝説のハンター幸太郎様の長子(長男)」
バネッサはカレンではなく、信の技術力に驚いた。たったこれだけの短い時間で、ファクターの異常に気づき、しかも短時間で修理した。応急処置なのだろうが、これだけのパフォーマンスはすごい。
「え!? なにあれ!」
香澄は驚いていた。カレンの突然の動きに。
信もこれには驚いていた。高いステータスを持つ人が、性能の良いファクターを使うと、こうも変わるんだと驚いた。今までの動きがウソのようだ。
観客からも、カレンの動きは見えていた。カレンが突進したとき、まるで瞬間移動したように見えただろう。
「す、すげぇ!!」
カレンは調子に乗ってさらにファクターに魔力を込め、速度を上げていく。ファクターには肉体限界のリミッターがついているが、それを破壊せんとするほど、魔力が流し込まれる。この試合でも魔力制限がかかっているので、その限界に達するほどだ。
爆発的な戦力アップで、バネッサも一瞬本気を出すが、すぐに戦闘は終わった。
超速に達する剣と斧のぶつかり合いで、カレンのファクターが限界を超えて壊れたのだ。もともと壊れていたところを応急修理しただけだったので、当然の結果だった。
突然、ファクターによる肉体魔法支援がなくなり、攻撃速度が遅くなる。
バネッサはそれを見逃さず、カレンの腹に掌底を叩き込んで気絶させた。
結局、試合時間は15分もなかったが、観客たちは大いに沸いた。信の突然の行動の意味も何となく理解したようで、ハンターたちはあの男は誰だと言って、その日は持ちきりだった。




