サブカルチャーという現象
現在のサブカルチャーの発信源は一体何処なのだろうか。戦後はメインカルチャーがラジオからテレビ、そしてインターネットへと場所を移してきた。もはやサブカルチャーと昔言われていたものは認知されきってしまい、もはやメインカルチャーになってしまっている。いわば『オタク文化』もその一つだ。いつの間にか国を挙げてアニメを海外へ輸出しようなどという流れも出来ている。
今サブカルチャーと言われているものは一体何なのかと考えたとき、ある一つの言葉が思い浮かぶ。それは『オールドカルチャー』である。最早今の媒体や場所にサブカルチャーは存在せず、時間軸をずらし過去のモノを発掘しリバイバルさせるというものが、サブカルチャーになりえているのでは無いか。レコードやカセットテープ、バブル文化などがリバイバルされ、今のサブカルチャーに取り入れられ、一つの特異な文化を創造しているのではないだろうか。近年若者がこぞってレコードを買い漁り、レコード盤から奏でられる音に聞き入るなんて話が珍しくも無くなってきた。
もはやサブカルチャーは海外情報による『変異』や日本独自の『進化』を捨て、昔の良いモノを発掘する『懐古』するものに成り果てたのだ。そう思うと、サブカルチャー自体が保守的になっているとも言えるだろう。
本来サブカルチャーは、メインカルチャーに対する反抗文化であった。メインカルチャーでは到底受け入れられないモノを受け入れる受け皿的な役目を果たしていた。現在サブカルチャーを標榜しているものはもはや大衆化しており、文化の一部として根を下ろしている。サブカルチャーと区切って定義すること自体がナンセンスになっているのかも知れない。恐らくサブカルチャーが大衆化した原因はインターネットの普及があると見られる。多種多様な情報をあらゆる場所から享受出来るようになった。昔は限られた場所・媒体・時間でなければ享受出来なかったものは、今は自らの意思で収集しようと思えば出来るようになった。それによって個人があらゆる文化要素をミックスさせた『一人カルチャー』が出来上がり、たまたま趣味嗜好が合うのであればそれを結合させ大きなコングロマリットを形成し、一瞬で解散していく。その現象を見て我々はたまたま『サブカルチャー』と言っているだけなのかもしれない。




