08『心夏』
突然の邂逅。
生じた驚愕は、しかし目の前で混乱している友人の姿を見ることで、急速に波を引いていく。
「え、……え、ええっ!?」
「落ち着け。とりあえず、ほら、立て」
にわかに恐慌状態に陥った心夏へ、俺は言って、手を差しのべた。
心夏は「あ、うん」と素直にその手を伸ばし、俺の助けを借りて立ち上がった。
普段はそんなに殊勝な奴ではないのだが、さすがに混乱しているらしい。
だがそれは俺も同じだ。今はただ、《目の前で自分より慌てている奴がいると逆に冷静になっていく法則》とでもいうか、そんな感じの精神効果が働いているだけ。
脳内は完全にこんがらがっていた。
……なぜ、心夏がここにいるのだろう。
彼女の名前がオンラインになっていないことは、既にこの目で確認していた。だから、彼女がここにいるはずがないのだ。
それとも、あのオンライン表示は、巻き込まれた人間を示しているわけではなかったのだろうか。
俺はすぐさま脳内の情報画面を呼び起こし、フレンドリストを参照する。
果たして、――心夏はオンラインになっていた。
前に見たときとは変わっている。それも、心夏だけじゃない。よく見ると、先程までは二割程度しか点灯していなかったオンラインを表すマーカーが、今は五割程度までが色を映している。
「……逢理、よね?」
どういうことかと思案していたところへ、恐る恐るといったように、心夏が声をかけてきた。
「ああ、そうだ。――おまえ、何でここにいる?」
「な、なんでって……知らないよそんなこと! ほんと、気づいたらこの場所に立ってて……」
「いつ来た?」
「え、……ついさっき、だけど」
「そうか……」
「……ねえ。ここ、どこなの?」
心夏は怪訝な表情でこちらを見上げてくる。
ともすると、俺が仕掛けたドッキリだとでも考えているのではなかろうか。
残念ながらそうではないことを、さて、俺はどのように説明すれば信じてもらえるのだろう。
「――心夏。落ち着いて聞けよ」
「……なに?」
「実は――ここはゲームの中の世界なんだ」
結局。
俺はただ、ありのままを言葉にした。
他にいい説明の方法など見当たらなかった。
「…………」
さすがに絶句する心夏。
そりゃそうだろう。ノリのいい奴なら「いい精神科を紹介するよ」と言い、そうでなければ肩を竦めて「おまえ、疲れてるんだよ」とでも休暇を勧められる。いずれにせよ、本気の言葉だとは誰も捉えないだろうし、まして事実だと思う人間なんているはずがない。
「……そうなんだ」
と思ったら、いた。
「いやいや。信じるのかよ」
「なに、嘘なの?」
「や、まあ嘘じゃねえけど。嘘みたいな内容ではあるだろ」
「別に。逢理が嘘ついたら、わたしには判るから。今の逢理は嘘をついてなかった。てことは、少なくとも逢理が騙そうと思って言ったんじゃないでしょ。なら信じるってだけ」
「……あ、そう」
これだから付き合いが長い奴は怖ろしい。
心夏は俺にとって、ほとんど兄妹のように育ってきた相手だ。そんなことを口に出して言ったことはないし、これからも永久に言うつもりはない。まして心夏からすれば、俺のほうが弟であるとか思っていそうだけれど。
それでも、それだけ近しい関係であることは事実だと思う。
「――それに。こんな光景、それこそゲームでもなけりゃ、あり得ないって思うでしょ」
「まあ、……確かにな」
俺は頷いた。
空は暗く、しかし視界は良好。
明るくないのに暗くない。そんな矛盾を孕んだ世界は、周囲の崩壊具合を差し引いたとしても、それだけで現実離れしていると言えた。こんな風景、地球のどこを探したって存在しないだろう。
まるでSF映画にでも出てくる、文明が滅亡した後に残った未来風景のようだった。
恐らくは、ゆえの《廃都》なのだろう。
……そういえばSoCは、地球ではないにしろ、繁栄した人類が魔物の出現によって衰退し始めた、そんな世界が舞台なんだったかな……。
俺はふと、普段はあまり意識することのない、このゲームの根本に当たる設定を思い返していた。
「……、」
――いや。
今はそんなことを考えている場合じゃない、か。
「ねえ、逢理。いったい何がどうなって――」
「悪いが話しは後だ」
俺は、いくぶん冷静に戻ったらしい心夏の言葉を、遮って言った。
今は、心夏の疑問に答えてやれる余裕がない。
「――お客様が、いらっしゃったみたいだからな」
気取ったふうに宣いつつも、俺は心夏を背に庇う。
腰の短刀を抜き放つとき、心夏が小さく息を呑むのを後ろに感じた。
俺はそれを意図的に無視し、握った獲物の切っ先を前方に向けた。
「――――――」
機械音、とでも言うのか。
擬音で表すなら、ガシャガシャ、とか、ピコピコ、といった感じの音を発しながら、現れたのは三体のモンスターだった。
……いや、それはモンスターと表現するには、些か生物的ではなさすぎる外見だ。
端的に言うなれば、それは、ロボット。
頭と二つの眼球――と思しき赤のライト? ――がついているところを見るとヒトガタなのかもしれないが、その脚部はベルトコンベアのようになっている。恐らく、それを回転させることで前へ進むのだろう。腕になる部分には二本の長いアームが設置されており、邪魔な瓦礫を打ち崩し、振り払うのに使っている。全長も、大人の女性ほどにはあり、あのアームで殴られたらかなり痛いだろうなあ、と、他人事のように少し思った。
「……何、あれ……?」
「さあな。まあ見ての通り、モンスターだろ」
心夏の問いに、俺は何でもないというように、刃物を握っていない左手を軽く振って答えた。
――別にはぐらかしたわけじゃなく、それくらいしか答えられなかったのだ。
俺は、このステージに来たのは初めてだ。というか《廃都》ステージに来たのは、恐らくは俺と心夏が、全プレイヤーの中で一番最初だろう。
廃プレイを続ける先頭集団ほどとは言えないが、俺とて正式サービス開始から続けてきた初期プレイヤーだ。けれどその経験の中に、こんな機械そのものような敵はいなかった。つまり、弱点も攻撃手段も何もわからない、ということ。一番近いのはゴーレム系だろうが、さすがに見た目からして違いすぎる。参考にはならないだろう。
俺は目を細め、敵の情報を脳内で読みとる。
名前:ガードナー。
種族:機械。
レベル――87。
「……やっべ」
――強い。あのカマキリやオオカミたちとは、もう比較にもならない。
レベルの差13ならば、こちらに対して十分攻撃が通る。一撃で仕留め切れるとも思えない。
もし俺が一人なら、それでも転移晶石まで凌いで逃げることはできたと思う。
問題なのは――
「よお、心夏さん」
「……何よ」
「今、レベルおいくつ?」
「はあ? レベル?」
「SoCのレベルだよ! ここはSoCの中なんだ」
「…………。75だけど」
「わお」
だいぶピンチだ。
果たして守りきれるだろうか。
「って、果たしても何もない、か……」
どうあっても、守りきる以外の選択肢などない。
神殿で復活するだなんて、そんな願望に命を賭けるわけにはいかないのだから。
「……」
ちらり、と心夏の顔を見る。
格好がコスプレみたいになっていることを除けば、背も顔も、現実の心夏のものだった。唯一の違いは、髪の色が若干赤みを帯びていることか。これは心夏が《赤》属性だからだろうか?
それにしても、心夏がこれということは、俺の顔もほぼ現実と同じなのだろう、と今さらのように納得した。
似合わないコスプレでナイフを構えている今の俺は、外から見たら、さぞや滑稽に映ることだろう。そんな想像に、場合も弁えず苦笑が漏れる。
「……なに笑ってんの?」
「いや、別に」
近づいてくる敵に顔を戻し、俺は誤魔化すように話題を変えた。
「さて――心夏。今から俺たちは、あの敵を突破して転移晶石まで戻る必要がある」
「……まあ、そんなことだろうとは思ったわ」
「察しがよくて何よりだ。だが相手のレベルはどれも80後半ほど。おまえじゃまだ戦うのはキツいだろう」
「どうするの?」
「俺が戦うに決まってる。だから、おまえは何もするなよ。普通にしてれば、憎悪値は間違いなく俺のほうに集まるはずだからな」
「ちょっ、そんなの――」
「いいから。無理なんだよ。これはゲームと違う。身体を満足に動かすには、それを相応の慣れがいるんだ。ただボタンを押せばいいゲームとは――違うんだよ」
「――っ」
「不満は街に戻ってから聞く。今はただ俺の後ろにいてくれ。頼むから」
「……カッコつけやがって」
「ん、格好ついてたか? ならよかった」
俺は、あえて不敵に笑ってみせた。
まったく先程から恥ずかしい台詞ばかり吐いている。こんなところ、他の誰にも見られたくはない。
ともあれ、
「っし、――行くぞ!」
※
「――っ、らあ!」
俺は飛び込み、一番手前の《ガードナー》を、まずはナイフで殴りつけた。
頑――、という硬質な音が響く。
硬い。
脳の端で確認したところによれば、減少した敵HPは三割強といったところだ。
「くそっ、こいつら斬撃はあんま効かないか……!」
叫ぶ。
反撃が来る前に距離を取るため、俺はガードナーの腹、のような部分を思いっきり蹴り飛ばすことでバックステップの反動を得る。
攻撃と回避を一体にするその動作で、さらに敵のHPを奪っておく。ゲーム画面からの操作では到底できない、この世界ならではの手段だった。
しかし、
「……っ!!」
その際、アームの回転攻撃が、胸の辺りに僅かに掠った。
――思った以上にリーチが長い。
大したダメージじゃない。けれど、テナガザルより不格好な長い腕は、その実かなり厄介な武器になっているようだった。
「……邪魔だな」
――まずは腕を落とす、か。
脳内の画面から、とあるスキルを選び出し、発動する。
「……、」
俺は左手の指を二本立て、す――、とナイフの刀身をなぞった。
灰色の、見ようによっては刃と同じ銀にも見える燐光が、ナイフの周囲を淡く囲い。
――灰属性スキル、《鋭利な鈍色》。
一定時間、武器の威力を上昇させる効果を持つ技だ。
「さて――」
と、ナイフを構える。
まずは一番近い一体に狙いを定め、俺は地を蹴った。
腕関節の細くなっている部分、そこを目掛けてナイフを振るった。
ガギッ――という金属同士が触れ合う音が一瞬だけ響き、しかし拮抗はせずアームを断ち切る。
落ちる腕パーツ。一瞬だけ地面に跳ね返るが、すぐに光の粒子となって消え去った。
「っし!」
あるいは、接続部が弱点だったのだろうか。ガードナーのHPが、一気にごっそりと減ったことを視認する。スキルの効果だけではないように思えた。
長いアームも、一本になってしまっては隙が多い。
俺は返す刀で道を薙ぎ、その一撃でガードナーのHPをゼロへ帰した。
「……ったく、これじゃ全然違うゲームだよな……」
光となって霧散する機械の破片を尻目に、俺はぼやきながら二体目を狙う。
スキルの効果はまだ持続中だ。
切れ味の上昇した短刀は、元々のレベル差もあってか、やすやすと鉄の身体を持つガードナーを刻んでいく。
二体目をまた光に変えたところで、俺は叫んだ。
「今だ、逃げんぞ心夏!!」
言葉と同時、瓦礫の影から心夏が飛び出してくる。
――目的は、あくまで逃げることであり、戦うことではない。
ツルギたちとの訓練もあって、俺のSPは、残り五割を切ろうとしていた。来る敵来る敵、全てを相手してはいられない。
「走れ!!」
「わかってるって!」
声を掛け合いながら遁走する俺と心夏。
――その背後で。
三体目が突如、その行動パターンを変えた。
「――あ?」
近づいて、殴る。
それだけの攻撃パターンしか持っていないと思われたガードナーが。
突然レーザー撃ってきた。
「痛い、ってか熱いッ!?」
腕に当たった。
HPがべちょっと減少し、反射的にナイフを取り落としてしまう。
「あ、ヤベッ……」
慌てて拾い上げようとしたところへ、
――バシュッ!
と。
二発目のレーザーが飛来し、
ナイフが蒸発した。
「……って嘘やん!?」
耐久度の概念はどこいった!?
てか何だ、その攻撃!! おかしいだろ!?
「ちょっ……、何やってんのアイリ!?」
「知らんわ! てか止まんな! いいから走れ!!」
心夏の背を蹴っ飛ばして逃亡を促す。
瓦礫を掻い潜り、ジグザクを心掛けながら必死で逃走する俺と心夏。
走る途中、なんか別の敵にも見つかったりしながら、とにかく必死で奔走する。
そうしながら俺は、頭の中で様々な考えを巡らせていた。
……嘘だ。
何も考えられてない。ただひとつの思考に囚われ、猛烈に混乱していた。
――いやいや、ちょっと。
武器、なくなっちゃったんですけど。
……どーすんの……?
※用語集※
○ガードナー【モンスター】
廃都ステージに登場するロボットのようなモンスター。
約75~90ほどの高レベル帯に登場する。がまあ、その中では弱いほう。
長いアームと、目から出すレーザーで攻撃する。
ちなみに、ナイフが消滅したのは、別にレーザーの特殊効果ではない。詳細はまた、いずれ。