07『世界震』
――もしHPがなくなったらどうなるのか。
それは、この世界に来てしまってから数時間、俺がずっと考えてることだ。
無論、そんなことを試すわけにはいかない。考えたくもない。
だが――だが、仮に。
もし仮に、HPがゼロになった瞬間、自分が死ぬとしよう。
ゲームのように街の教会で復活することもなく、かといって元の世界に帰れるということもなく。
自分の存在が、消えてなくなってしまうとしよう。
はっきり言ってしまえば、消えた後のことを考えるのはナンセンスだ。
考えるべきは「死なないためにはどうするべきなのか」という点であり、死ぬことを前提で思考すること自体が間違っていると俺は思う。
けれど――。
その仮定に立ったとき、しかし何より間違ってはいけないのは、「HPがゼロになったら死ぬ」という事柄が、必ずしも「HPがゼロにならない限りは死なない」などという保証をするモノではあり得ないということだ。
そこを取り違えてはならない。
現実世界にはなかった《ヒットポイント》という設定に思考を囚われてはならない。
どれほどゲームに近しい世界であろうと、――それでもこれはゲームではない。
少なくともそんな確証はない。
俺たちは、HPがゼロにならずとも、普通に死んでしまう可能性があるのだから。
たとえば、先刻。
俺は戦闘時の被ダメージを確認するために、敵モンスターの攻撃をわざと受けたとき。
今から思えば、俺はあのとき、それだけで命を落としていた可能性だって皆無ではないのだ。
あんなデカいオオカミの突進を受ければ、本来の虚弱な俺ならば、全身の骨がバッキバキに折れていた可能性を否定できない。それぐらいひ弱であるという、いらない自信が俺にはある。
無論、それなりの推測というか、確信があっての行動ではあった。
向上していた自身の身体能力、当たりどころに関わらずモンスターを一撃で倒せるナイフの威力。
そういった、なんというか“ゲーム的な”要因が下地にあっての行動だった。
だが、それでも確信と確証は違う。
俺があの一撃で致命的な傷を受けていた可能性は――ゼロでは、ない。
まあ、結果として、少なくとも物理的な外傷はほとんどHPで換算されるということは判明した。
けれどそれでも――たとえば餓死とか、あるいは溺死とか、もしくはショック死とか、はたまた病死とか――外側から傷を受ける以外の死因まで、この《HP》というシステムがカバーしてくれる確証なんてどこにもない。
俺たちは、上昇した自分の身体能力を過信してはならない。
惑わされてはならないのだ――。
キリッ!
……みたいな。
そんなようなことを、俺は考えていたのだけれど。
「いやー、なんか楽しくなってくるねえ、これ。あはははは!」
「ランナーズ・ハイってヤツですかね。あんま走ってないですけど。……ふふふふふ」
「よしっ! 喰らえっ! あはははははっ!」
「ふ、ふふふふふっ。……死ねっ。死ねっ!」
なんかもう、いろいろブチ壊しだった。
「……………………」
――あの後。
なんやかんやでフィールドまでやってきた俺たちは、とりあえずツルギとサイスの二人を戦闘に慣らすために、適当なモンスターと戦い始めたのだが……。
いや。
あははははって。
死ねって。
正直、二人のテンションが上がりすぎてて恐い。
そりゃ気持ちはわかるけれども。ヴァーチャルリアリティが実現されたかのような戦闘には、俺だって感動すら覚えたけれど。
俺が長々と思い続けてきたシリアス感が、なんかもう、全部無に帰ったって感じだ。
ぱー、って感じ。
頭とかが。
「いやー、もう、楽しいなあ。こういうのってアレだよね。一度は夢見るよねー」
「ですね。私も刀を好きなだけ思いっきり振り回すという夢が、遂に叶いました」
どんな夢だ。内容が怖すぎる。
……しかしまあ。
もしかしたら俺も、さっきまであんな感じのテンションでフィールドを駆け回っていたのかもしれないのかと思うと、なんというか、もう、
「余計にいたたまれない……」
誰かこの二人を止めてくれ、と思う。
この二人には、いきなり異世界に飛ばされた的な焦燥感とか、悲壮感とか、そういったモノがまるで見当たらない。
どころか超楽しそう。超調子に乗ってる。
いやまあ、元よりそういう奴だと思って話しかけた(ツルギは向こうから来たけど)のだから、それで問題ないといえば問題ないのだけれど……。
「……やっぱり、街で恐慌してた奴らの方が、人間の反応としては正常だったのかもな……」
今更ながらにして思う。
――コイツら、変。
「……なに人のことを変な目で見ているんですか」
と。
あらかた敵を倒し終えたツルギが、こちらに向き直り言った。
「……別に、変な目では見てねえよ」
「いいえ見てました。『うわコイツ、テンション上がっちゃってキモッ』みたいな目で」
「そこまで酷いことは考えていなかった……」
ていうか。
自覚あったのか。
「やれやれ。せっかく私たちが楽しんでいるというのに、一人で陰気な顔をして。空気の読めない男はモテませんよ?」
「余計なお世話だっつーの。つーか何でチョイチョイ毒舌混ぜてくるの?」
「えー……、キャラ作りです」
「すぐばれる嘘をつくな。明らかに素じゃねえか」
「てへっ」
「かわいくねえよ棒読み」
「――チッ!」
「舌打ちには感情が籠もってるんだな……」
不毛な会話だった。
「さて……、ひと通り確認はできたかな」
サイスが言う。
サイスの色は《白》。俺と同じ特殊三色の内のひとつで、とにかく長期戦に特化した色だ。特徴はスキルの数が少なく、しかも弱いことにある。それじゃ駄目じゃん、と思うかもしれないが、きちんと秘密はある。《白》属性のスキルは、一度の戦闘で使うたびに威力や効果がどんどん上がっていく、という特殊仕様なのだ。最初は弱くても、攻撃をするたびに同じ技のダメージや速度がどんどん上昇していく。街に戻ったりしない限りは。
白、黒、灰の特殊三色は、どれもピーキーな性能をしている。
ちなみに、使用武器はオーソドックスな片手直剣。アバターネームがアレなだけに鎌でも振り回すのかと思ったが、特にそんなことはないようだった。
「そうだな……それに、例のNPCモンスターが出てこないのは幸運だった」
俺はサイスに答える。
「実際に見ておきたかった気もしますけれどねえ」
二刀を軽々と振り回しつつ言うのは、ツルギだ。
ツルギの色はスピードに特化した《紫》らしい。《黄》と並んで壁型二色と呼ばれる、主に敵のヘイトを稼ぐ色なのだが、どうやらツルギは攻撃重視なようだ。手数で攻めるタイプと見た。
「死んだらどうなるかわからない以上、あまり冒険はするべきじゃないと思うがな」
「死んだら――ですか。やはり王道としては、現実世界でも死ぬ、って感じですかね」
「まあ、ゲームや漫画ならそうだろうな」
とはいえ実際、その“ゲームや漫画のような状況”に陥っている以上は、ツルギが言うような想像も一笑に付すことはできない。そこまで楽観視できるほど、平穏な状況ではないだろう。
「……王道、か」
現実世界の自分がどうなっているのかはわからない。こちらの世界に来ると同時に、向こうの自分の存在が消えてなくなってしまったとか。あるいは、今この瞬間も、現実世界には“別の自分”が同時に存在しているとか――。
SF小説なりファンタジー漫画なりにかぶれたような世代の俺だ、想像するだけならいくらでも可能だった。だが証明も確認も現状では不可能だ。
その場合、最悪を想定しておくべきだろう。
「さて、どうする? いったん街に戻るか?」
俺は問うた。
そろそろ街も落ち着いてくる頃合いだろう。これから先どういう流れになるか、見ておく必要があると思う。
それに、あまり長々いると、また例のNPC型モンスターが出てくるんじゃないかと、正直俺は戦々兢々だった。襲われたのがちょっとトラウマになりつつある。
一応、念のための保険はある。《帰還符》というアイテムだ。
これを使うと、一瞬で最寄りの転移晶石までワープすることが可能だ。最初に襲われたときは、そもそも存在を忘れていたが、これを使えば高い確率で逃げられる。
連続使用はできないのだが、これがあるから、SoCではあまりPKが流行っていない。仮に襲っても、使われたら逃げられてしまう。転移晶石のすぐ付近は戦闘禁止区域なので、待ち構えて襲撃することもできない。
まあ、初手《麻痺》攻撃からのハメ殺しなど、PKに纏わるテクニックもいろいろとあったりはするのだが。そもそもエリアによって《PK可能域》と《PK不可能域》もあったりして。絶対、という手段は存在しないのが現状だった。
けれど。
例のNPCモンスターは、あくまでモンスター扱いなのだ。
確認はしていないけれど、恐らく。
つまり、PK不可能エリアという縛りを、軽く貫いてきてしまうという可能性があるということ。それが恐ろしい部分だった。
ともあれ、閑話休題。
「――そうですね。そろそろ動きにも慣れてきましたし。戻りますか」
俺の言葉に、ツルギが同意してそう言った。
サイスもまた頷き、
「僕も同意するよ。少し疲れてきたしね」
「では」
と、ツルギが帰還符を手の中に出す。
アイテムは全て、念じれば手の中に出すことができた。そこからさらに使用を念じれば、それぞれの効果を発揮してくれる。
俺もアイテムを具現化しようと、ナイフを腰に戻したところで、
――――世界が、揺れた。
「な――!」「わ、」「――ひゃっ!?」
三者三様のリアクション。
だが俺は、他の二人に構うような余裕を失くしていた。
最初は、地震かと思った。
巨大な揺れ。だが、すぐに地震ではないことを俺は悟った。
揺れているのは地面じゃなく、あくまで世界、空間そのものだった。
転移晶石を使うときの酩酊感を、何倍にも大きくしたかのような激しい振動。たまらず、俺は口元を手で押さえた。
気持ち悪い。吐きそうだ。
いや、吐きたい。身体の中のモノを全て、外側に出してしまいたかった。
時間にすれば、きっと数秒ほど。
しかし感覚の上では永遠とすら思えるほどに引きのばされた刹那の後で、突如、足元の地面が青い光を発し始めた。
「なん――!?」
眩い輝き。
青いのはここが《海》だからだとすれば、これは転移晶石の光だろうか。
だが、この場所に石はない。
「アイリさんっ!」
ふと、名を呼ばれた。
声の方向に目を遣ると、二刀を地に投げ捨てたツルギが、こちらへ向かって必死に手を伸ばしているのが見えた。
「ツルギ――!」
名を呼び返しながら、俺もまた手を伸ばしてそれに応える。
互いの指が、触れ合おうとする――数瞬前に。
俺の意識は暗転した。
※
ふと、目を覚ます。
と同時に、俺は強烈な不快感に襲われた。
「――――――――、っ」
胃の腑の底から怖気と虫酸ががせり上がる。食堂を逆流し、口腔から外へ飛び出そうと走るそれを、俺は咄嗟に口と胸へ手を当てて抑え込んだ。
転移のたびに感じる嘔吐感。感じるのはこれで三度目だが、今回のは今までで一番キツかった。数をこなせば慣れる、というわけでもないのだろうか。……嫌だな、それ。
これには個人差があるらしく、《海》に向かう転移のときも、サイスは多少ふらつきは感じるようだったが、それでも俺のように一度でグロッキーになるということもなく、数秒の間に回復していた。ツルギに至っては、まったく平気だという。本気で解せない。
今回も俺は、なんとかギリギリのところで堪えることはできた。
だがさすがに、しばらくは動きたくない。
俺は近くに見えた、崩れかけて瓦礫寸前の壁へと背をもたれた。
そうして深く息をつき、別れてしまったツルギとサイスのことを思う。よくよく思い返してみると、転移の際のエフェクトであるあの発光は、ちょうど俺の足許の部分までが効果範囲だったようだ。ツルギもサイスも、光の外側にいたような気がする。
その証拠に、周囲に自分以外の誰かが存在する様子はない。
つまり飛ばされたのは俺だけで、あの二人は巻き込まれていなかったのだと考えられる。多分。
「よかった、……と、素直に喜んでやりたいところだがなあ」
残念ながら、心細く思う気持ちがあることは否定できない。変わった奴らだが、同時に頼りになりそうでもあったのだから。
「……」
俺は目を閉じ、脳内の画面を確認する。
二人と組んだパーティ設定が、いつの間にか解除されていた。二人が解いたのか……いや、これは転移の際に強制的に解除された、と見るべきだろう。
フレンド登録はしていない。街に帰ったら申し出るつもりだったのだが、判断が遅かったようだ。もし登録していればメッセージを送れたのだが。……まあ、過ぎたことを悔いても仕方がない。
とりあえず、今は自分のことをどうにかしよう。
俺は静かに息をつき、そしてから、ようやく周囲の様子へと目をやった。
「……どこだ、ここ……」
呟く。
眼前の光景は、まったく見覚えのない景色だった。
それは、現実で、という意味だけではない。
俺は、ゲームの中ですら訪れたことのない場所にやって来てしまったようだった。
たとえるならば、ゴーストタウン、とでも言うところか。
上層が朽ちた高層ビル、錆びつき折れ曲がってる鉄柵、夜のように黒く暗い空。地面の塗装は至るところが崩れ剥がれて、元は何かの部品だったのだろう瓦礫が、今は無造作に打ち棄てられている。
そこは、まるで生命の気配が感じられない、無機的な灰色が広がる世界だった。
「そうだ、マップ……」
ふと思い至り、俺は脳内画面の地図を確認した。
表示される文字を読む。
「《廃都フィールド・第5ゾーン・第9エリア》……だと?」
聞いたことがない。
そんなフィールド、ゲームのSoCには存在していなかった。
「……いや、」
違う。
思い出す。脳裏に、確かに引っ掛かるものがあった。
「そうだ、もしかして捌、玖、拾番街の、未解禁フィールドか……?」
俺は言った。
SoCは、正式サービス開始からまだ一年半ほどしか経過していない、割と新しい部類のネットゲームである。最近はまた新規の利用者も増加していて、サービスとしては、むしろこれからが本番といったところだろう。
そんな中、まだ一般開放されていないフィールドが存在した。
SoCのフィールドは、今のところ全七種だ。
即ち《火山》、《海》、《草原》、《砂漠》、《沼》、《荒野》、《雪山》である。
これはそれぞれ、SoCに存在する職業として色に対応している。
つまり《赤》、《青》、《緑》、《黄》、《紫》、《橙》、《藍》の七色だ。
しかし、これでは残る三色、即ち《白》、《黒》、《灰》に対応するステージがない。その三フィールドは未実装なのだ。
だが、その三フィールドも公開間近だったらしい。
運営から正式アナウンスがあったわけではないが、近々リリースされるという噂は色濃かった。
「で、《廃都》か……。つまり、これが多分、灰色に相当するステージってことだろうな」
周囲の色合いから、俺はそう推測する。
自分も灰色属性であるだけに、灰色フィールドの開放はそれなりに待ち焦がれていたイベントではあるのだが――
「いやまさか、こんなふうに訪れることになるとはね……」
さすがに予想だにしていなかった。
つーかまあ、ゲームの世界に閉じ込められた時点で既に、予想外以外の何物でもないのだから、今さらではあるが。
ともあれ。
いい加減、行動を開始するとしよう。
今いる場所はフィールドのど真ん中だ。当然、戦闘禁止区域などではまったくない。つまり、いつモンスターに襲われてもおかしくないということだ。
あまり長々と留まっているわけにはいかない。
俺はゆっくりと立ち上がり、
――瞬間、すぐ背後の瓦礫が音を立てて崩れ始めた。
「うおぉぉぉうっ!?」
――なんだ、モンスターかっ!?
と俺は、慌てて叫んだ。
「ひゃああぁぁっ!?」
すると、なぜかそれに呼応する声が聞こえる。
声というか、悲鳴というか。
それは甲高い女性の絶叫だった。
「……ん?」
俺は用心のため腰のナイフに手をかけつつ、後ろを振り向く。
そこにいたのは、
「い、痛っ……、転んだ、……ああ、もうイヤ……」
ひとりの、女性プレイヤーだった。
俺はそれを見て一度驚愕し、
すぐさま開いた脳内のフレンドメニューを見て、二度驚いた。
俺はナイフから手を離し、目の前でへたり込んでいる女に向かって声をかける。
「……おまえ、ウラ、か?」
「へ? ……あ、アイリ……?」
「……やっぱりか」
それは。
現実でも友人であり、
付き合いの長い幼馴染みであり、
そしてSoCのプレイ仲間でもある――
逆井心夏――アバターネーム“うら”の姿だった。
※用語集※
○白【属性】
十色の一。プレイヤーの言うところの、特殊系三色。
長期戦に特化した色。一度の戦闘で、使えば使うほど個々のスキルが強化されていく。SP効率もよく、長丁場のボスクエストなどでは重宝される色。
スキルの連続使用回数は、街に戻ったり、エリアの中の回復施設を使ったりするとゼロに戻る。
○紫【属性】
十色の一。プレイヤーの言う壁系二色。
全色中で敏捷の伸びが最もいいが、その反面として防御が紙。壁役なのに薄い防御なのは、防ぐのではなく躱すことで攻撃をいなすため。プレイヤースキルが問われる色。
ちなみに憎悪値集めを無視して攻撃特化にする育て方もあり。ツルギはそのタイプ。




