06『剣と鎌』
「でも、やっぱりここはゲームの中だと思うのですよ」
すたすたとこちらへ近づきながら意見を述べるのは、一人の小さな女の子だった。
「えっと……」
「わたしはツルギといいます。よろしく」
「……はあ、どうも」
差し出された手を、反射的に取ってしまう。
「で、あなたのお名前は?」
「アイリ……ですけど」
「そうですか。よろしくお願いします」
かなりマイペースに頭を下げられる。
この少女は誰なのだろう、という俺の疑問は、今のところ置き去りだった。
彼女は次いで、サイスとも自己紹介を交わしていた。だが俺と違いサイスの方はまったく動じず、にこやかに笑って彼女――ツルギに応えている。
握手をしているということは、知り合いというわけじゃないのだろうが……。
なんというか、動じない性格をしているらしい。
ツルギと名乗ったその少女は、背がかなり低く、俺の胸に届くかどうかといったところ。
長い髪をツインテールにして縛っており、動きに合わせてゆらゆらと揺れているのが特徴的だった。腰から提げている二本の刀が、彼女の華奢な体格とは酷くアンバランスに見える。けれど、か弱そうな外見とは裏腹に視線は意外なほど鋭く、芯の方は強そうな少女だ。
加えて言えばツルギは、少しキツめな印象はあるものの、なかなかに整った顔立ちをしていると思う。この手のゲームのプレイヤーとしては、かなり珍しいタイプだと言えよう。
SoCは割と女性にも人気があるが、やはり主流プレイヤーには男が多い。
……って、あれ?
でも、この姿はゲームアバターのものなんだよな?
すると、必ずしもツルギが女性とは、限らないということか……?
などと、こんがらがる頭を立て直している内に会話は進んでいた。
「それで、ツルギちゃんだっけ。どうしてここがゲームの中だって?」
十年来の友人だとでもいうように自然な流れで、サイスがツルギに訊ねる。
結構馴れ馴れしいよな、サイス。別に悪いとは思わないが。
「別に、大した理由はないのですが――」
対するツルギの方も、これまた非常に自然な流れで会話に加わっていた。
……なんなんだろう、俺が気にしすぎなのだろうか。
これがゲームだと考えるなら不思議でもないんだけど。こう現実味が増えてくると、そういう感慨は意識しづらくなってくる。
「恐らくですが、やはり全員が『SoC』のプレイヤーであり、かつ直前までプレイしていた人たちのようですから」
ツルギが言う。
「やっぱり、そうなのか」
「別に訊いて回った訳じゃないですが。そんなふうに叫んでる方が幾人か」
「まあ……みたいだな」
呟いたのは俺だ。
彼女とて全員を確認したわけもないだろうが、この状況で数人そうだと確認できるなら、もう全員がそうだと見なしてしまって問題ないだろう。
ツルギは続けて語る。
「それに何より、オプションウィンドウを確認できるのが大きいですね」
「……オプションウィンドウ?」
サイスが首を傾げる。
「気づいてませんでしたか?」
と、ツルギ。
「SoCと同じものですね。ステータス表といいますか。あれを見ることができるのですよ」
「どうやるんだい?」
「頭で念じる、というか、思い浮かべるといいますか。とにかくそうすると、何となく頭の中に浮かぶのですよ」
「そうそう」
と、俺も追従して頷く。
「能力値とか、HPとか、そういうの見れるんだよな」
ただ。
それが、『ここがゲームの中の世界である』という結論には、必ずしも結びつかないとは思うが。
「うわ……本当に見えたよ。面白いなあ」
頭の中で試してみたのだろう。サイスがそう言った。
そこで俺も、改めて脳内の画面(変な言葉だ)を確認してみることにした。
正直、先程まではそれどころじゃなさすぎて、そこまで詳しく中を検めてはいないのだ。いや、これ見ながら歩くの結構難しいんですよ?
さておき。
改めて検めてみると(別にギャグではない)、まったく、驚くほどよくできたウィンドウだということを強く思わされる。ログアウトが出来ないこと意外、利便性はゲームとなんら遜色ないだろう。
あとまあ、画面の彩度がどうたらとかいう、諸々のコンフィング機能も消えてはいるが。
少なくとも、情報面ではほぼ遜色ない。
「……」
ふと思いつき、俺は《フレンドリスト》の画面を呼び出してみた。
友達登録をしたプレイヤー同士は、互いに連絡を取り合ったり、ログイン状況を確認することが出来る。
まあ、MMOならばほぼ必須と言っていい機能だろう。
見る限り、フレンドリストの中にいる全員がオンライン状態になっているわけではなかった。率にして四割ほどだろうか。
サイスもツルギも、この世界に飛ばされる直前までゲームをプレイしていたという。
それがこの世界へ送られてしまうことへの、ある種の条件になっていると考えるのであれば、恐らくはこの“オンライン”という表示は、即ち“今現在この世界に存在している”という意味合いになっているのだろう。
「アイツは、……来てないか」
俺は呟く。
このゲーム内における友達の中で、唯一現実でも友人であるヤツの名前を見る。
その名前の横には、ログイン状況を示すマークがあるが、今は点灯していない。オフラインだということだ。
……巻き込まれては、いなかったか。
そのことに、素直に安堵している自分が、なんだか奇妙だった。
「まったく、徹底してるね。徹底してるよ」
サイスが言う。
「それになんて言うか、いかにもゲームっぽい。いかにも、だよ。ほんと、どうなってるんだろうなあ……」
「それがわかれば苦労しないさ」
「技とかも実際に使えるのかな?」
サイスがそう呟くと、ツルギが我が意を得たとばかりに身を乗り出し、
「それを試しに行きませんか?」
と、言った。
「お二人に声をかけたのも、実はそのためでして。突然で恐縮なのですが、わたしとパーティを組んでいただけませんか?」
「いいよ」
即答で返すサイス。
いやいや、もうちょっと考えろよ。
仕方なく、俺が詳しい話を伺う役割を担うことにした。
「それってつまり、フィールドに出るってことか?」
「その通りですが?」
「いやいや、止めとけって。あそこスゲェのいんぞ」
「……、その口ぶりからして」
と、ツルギがじとっとした視線を俺に向ける。
「アイリさんは、既に一度、フィールドへ出たんですか?」
「いや、出たっていうか――」
……あれ?
そこで俺は、ようやく一つの疑問に至った。
確かめるために俺は、二人へ視線を向けて、訊く。
「二人は、最初っからこの街にいたのか?」
「……? 当たり前じゃないですか」
「みんな、気づいたらこの街の中にいたんじゃないのかな。アイリは違うのかい?」
「……俺は」
違う。
俺だけが――違う?
「最初に気がついたのは、フィールドの上でだった。そこから街まで歩いてきたんだ」
二人が目を瞠る。
それほど驚くようなことを、俺が言ったということだろう。
「でも、そっか。考えてみりゃ、そうなのか」
この街に人がいるのは、初めからこの街に送られていたから。考えてみれば、それは考えるまでもないことだ。
だけど――。
なら、なぜ俺だけがフィールドに投げ出されていたんだ?
「どこにいたの?」
サイスが訊ねてきた。
俺は答える。
「《草原》だけど」
「うーん……。僕が覚えてる限り、最後にいたのは街だったから。ゲームで最後に居た場所に飛ばされた、とかじゃないかな?」
……いや。
「確か俺も、最後は街にいた」
「ていうか、わたしが《火山》から街まで飛ばされてますから。それはないですね」
俺とツルギが、口々に反証を出した。
サイスもあまり本気で言っていたわけではないらしく、
「だろうね」
と、すぐに撤回していた。
「バグか何かじゃないですか?」
ツルギが言う。
「いや、バグって……」
「しかし興味深いですね。やはりこの街には、転移晶石で戻ってきたのですか?」
聞いちゃいねえ。
「……うん。まあ」
「へえ、てことは、アレなんだ。ワープしてきたってことかい? どうだった?」
どうもこうも気持ち悪かった。
できれば二度はやりたくないくらい。
「なんていうか……世界が揺れる感じ?」
「世界が揺れる、ですか。面白い表現ですね」
「いや、そんないいモンじゃないよ、あの感覚……」
「それで、先程言っていた『スゲェの』とはなんですか?」
聞いちゃいねえ、その2。
本当にマイペースな方ですね、ツルギさんは。
別にいいけども。
俺はフィールドで気がついてからのことを二人に話す。
モンスターとの戦闘や、NPCに襲われたこと、そしてリンに助けられたことまでを。
……ただし、リンに関してはぼかして伝えた。通りすがりのプレイヤーに助けてもらった、と。それだけしか言わないでおいた。
理由は特にない。ただ、なんとなく隠しておくべきだと、俺は考えた。
「それは災難でしたねえ」
まったくそう思っていなさそうな、見るからに動きのない表情で、ツルギが言った。
「でも、楽しそうな経験したんだね」
サイスは笑っていた。
「しかし、やはり今の身体には、ゲームの能力値が反映されているんですね」
「あ、ツルギちゃんもそう思ってたんだ?」
「ええ。でなければ、わたしがこんな重たい刀を、二本も持って歩けませんから。サイスさんも気づいてたんですね」
「僕あんまり体力ないからねー。歩いてたらすぐ気づいたよ」
平然と会話を続ける二人。
この感性には、若干ついて行けない部分があると思うのは俺だけなのだろうか。違うと信じたい。
「とにかく、戦闘に行くのはいいけど、NPCモンスターを見かけたら、まず逃げたほうが無難だろうな」
「相手のレベルにもよりますよね? 三人でパーティを組めば勝てないこともないのでは」
意外と好戦的なことを言うツルギ。
いや、案外意外でもない気もするが、ともかく。
「とりあえず、最初は低層で、一撃で倒せる相手だけを相手にすべきだと思う」
同レベル帯になってくると、フィールドに湧く雑魚モンスターですら侮れなくなってくる。
危険は可能な限り避けるべきだ。
「なにせ、わかってないことが多すぎるからな。もし死にでもしたら――」
――もし死んでしまったら。
「…………」
どうなるというのだろう。
現実の自分も死ぬ? そもそも現実の自分って何だ。ここは現実じゃないのか?
――――――――本当に?
「……まあ、どうなるかわからないからな」
お茶を濁すように、俺は言った。
もっとも、戦闘訓練自体はしておくべきだろう。
これから先、何が起こるかは本当にわからない。この世界で生き延びていくには、戦闘を避けることはできないだろう。そう思う。
「アイリさんの危惧ももっともです」
ツルギが言う。
「もちろん、安全マージンは十分に取っておくべきでしょう」
「そうだね。僕も、いきなり身体を上手く動かす自信はないよ」
サイスも肩を竦めて答えた。
それに頷きつつ、ツルギはこちらを見上げながら問う。
「装備から察しますに、お二方、レベルは高いほうですよね?」
「僕は100だよ。レベル100だ」
ツルギの確認に、隠すこともなくサイスが答えた。
「アイリさんは?」
「俺も100だ」
「それは重畳。わたしもです。レベル100が三人いれば、いや仮に一人だったとしても、最低レベルのフィールドならまず死なないはずです。スキルが使えるのなら、なおさら」
ツルギはそこで言葉を切った。
後の判断を俺らに問う、と、そういうことだろう。
……困ったことに、特に反対する理由がなかった。フィールドから街に来るのには一時間近くかかったが、それでも身体の疲れはほとんどない。これからまた戦闘だとしても、特段の不安はない。
三人揃って初対面同士というパーティには些かの不安が残るが――、
「……あれ、何で俺らなんだ?」
ふと、気になったことを俺は訊ねた。
「はい? 何がです?」
「だから、何で俺らに声かけたんだ? フレンド登録してる奴とかいるだろ。思ったんだけど、これフレンドリストの奴に連絡とかできるんじゃないか?」
「いえ――」
ツルギはかぶりを振って言う。
「フレンドリストの連中とも何人か会ったんですけどね。誰も彼も皆、恐慌状態でして。どいつもこいつも早朝のニワトリみたいに騒ぎ立てるしかしておらず、路傍の石ほどにも使えそうになかったんですよね」
「……………………」
「それなら知らない人とでも、冷静な人と組んだ方が、いくぶんマシというものでしょう」
「ああ、……そう」
「……? 何か?」
「いや別に」
――どうやらこのツルギという少女。
なんというか、結構な毒舌をお持ちのようだった。
「それで――」
と、ツルギ。
「アイリさんも、一緒に行きませんか? 既にフィールドの外へ出たことがあるというのなら、是非いろいろとご教授していただきたいのですが」
「――わかった、俺も一緒に行くよ」
俺は言った。
ツルギはにこりともせず、
「それは重畳です。……訊きたいこともありますし」
「…………」
逃さねえぞコラ、とばかりに瞳をキラめかせるツルギ。まるで獲物を狙う狩人が如き視線だ。
目の色が強い。恐ろしく剣呑な瞳だった。
冷たい何かが、ぞっと背筋を走った気がした。……なんなんだ。
「……で、訊きたいことって?」
俺はそう問うた。
「まぁそれは後ほどで」
ツルギは俺の追及を容易くかわすと、さて、と一言呟き、
「とりあえず、移動しましょうか」
「どこへ行こうか?」
訊ねたのはサイスだ。
SoCにおけるフィールドは全部で10種類ある。
ツルギは一瞬首を傾げ、
「そうですね……。別にどこでも構わないのですが、まあ、あまりクセのあるフィールドは避けるべきでしょう。何があるかわかりませんからね。――アイリさん」
「ん、……何だ?」
「そのNPCモンスターとやらのレベルは、どれくらいだったのですか」
「あー……」
そういえば、わからない。
リンが言う通り、彼らが《モンスター》というカテゴリーに属すのであれば、見ただけでレベルが確認できたはずだ。
だがあのときの俺は、奴らのステータスを確認などしていない。
初めはプレイヤーだと思っていたので考えもしなかったし、襲われた後にはもはや確認する余裕すらなかった。
なにせ脳内画面を見ると、意識がそちらに削がれる。脳内ではあるわけなので、実際に視界を阻害されることはないのだが、それでも頭と瞳を両立して意識し続けるのは難しかった。慣れれば可能になるのかもしれないが、――少なくとも今の俺には。
「……確認はしなかったけど、攻撃を喰らった限りでは、低く見積もっても、多分90よりは上だろうと思う」
結局、俺は勘に近い推測を述べるだけしかできない。
もっとも“レベル”という、ある種絶対と言ってもいい強度への指標があるのだから、そう的外れな推理という訳でもないはずだ。SoCのようなゲームにおいて、レベルの差というものはそれだけ絶対的だ。それがこの異世界においても同じであることを、俺は既に学んでいた。
……というか、恐らく。
彼らのレベルは、最高である100に設定されているような気が、俺にはするのだが。
エリアのレベル設定にまるで噛み合わない強さだ。
けれどそれを今言ったところで、二人が街から出るのを止めるとは思えなかった。
「では――とりあえず、ここは参番街ですし、向かうフィールドは《草原》でよろしいですか?」
ツルギが言う。
10ある各フィールドは、それぞれ対応した10の街の内の一ヵ所から跳べる。――逆を言えば、対応してないフィールドからは跳ぶことができない、という非常に面倒な仕様だ。
たとえば参番街はから転移可能なフィールドは《草原》だけ。それ以外のフィールドに、参番街から直接跳ぶことはできないのだ。
まあ言っても所詮は転移晶石による瞬間移動なので、移動は一瞬で済んでしまう。何番街から何番街へでも自由自在。その辺りの無駄なこだわりと、そのクセ妙に無節操な世界観がSoCの特徴だったりする。
賛否両論あるところだけれど。
さておき。
「――いや。他の所にしないか?」
俺は言った。
「どうしてです?」
「あー、……ほら、俺さっきまで草原にいたし。別のところに行きたいかな、って」
――嘘だ。
あそこにはリンがいるから、咄嗟に行き先を逸らしてしまった。
「…………」
ツルギは数瞬ほど怪訝そうに眉根を寄せていたが、やがて静かに頷いた。
勘づかれただろうか。わからない。
そもそも俺は、どうして二人をリンに会わせたくないと考えているのだろう。それもわからない。
「まあ、構いませんけれど。では隣の《海》フィールドでは?」
「そうだね……じゃあ海で。――サイスもそれでいいか?」
「うん? そうだね、僕は別にどこでもいいよ。どこでもいいさ」
大してこだわる様子もなくサイスは笑う。
「では弐番街に向かいましょうか。露店を出してるプレイヤーはいないようですけれど、NPCのショップが普通に営業されていることは確認しています。回復薬なんかの準備をしていきましょう」
「そうだね」
俺も頷く。
回復アイテムにも効果があることは、俺が自分で確認済みだ。
俺たちは互いに一瞬、視線を交わし合った。
押し殺したような無表情のツルギ。
塗り隠したような微苦笑のサイス。
二人とも、正反対の感情を顔に浮かべているようで、その根底は共通している。
――二人して、何考えてるのかわからない。
たった今そこで偶然会っただけの俺たちが、互いに命を預け合う。
これがゲームだったのなら、それは別段、珍しがるような話ではない。
けれど――これはゲームじゃない。
少なくとも俺はそうは思えない。
いくらゲームに近くても――それでもゲームだとは思えなかった。
まったく奇妙な展開になったものだ。
俺はそう思う。
二人はどう思っているのだろうか。
「…………」
まあ、追々知っていけばいいことだ。
ゲームじゃない。
だからと言って、出会いを大切にしてはいけないわけじゃないはずだ。
俺は気取るように肩を竦めてから、転移晶石へと歩き始めた二人の背を駆け足で追った。
※用語集※
○レベル【システム】
たぶん言うまでもないもの。最大値は100。
キャラクターレベルとスキルレベルの二種があり、このうち前者のほうは、比較的簡単に最大まで達する。
後者をどう割り振るかが、このゲームにおける育成のキモ。
○火山【ステージ】
壱番街から転移できるステージ。対応する色は赤。
火系の敵が多いので火傷に注意。
上のほうのエリアに進むと、熱によって体力を奪われるようになる。耐熱アイテムや特殊装備は必須。