03『強襲』
そこにいたのは、二人組の男だった。
片方は重めの鎧を着込んだ槍使い、対してもう一人は比較的軽めの装備の片手剣士だ。
「さすがにゲームよりはリアル……っていうか、普通の人間に見えるよなあ」
そういえば、今の自分はどんな顔をしているのだろう。
ゲームアバターの顔なのか、それとも実際の自分の顔なのか。
「ま、それは後で確認するとして……」
俺はもう一度、前方の二人を眺める。
「色は、……黄色と赤かな。わからないけど」
遠目に見ながら、なんとなくで呟いた。
《色》、とはSoCにおける、いわゆる職業のことだ。
大方のMMORPGと同じく、SoCでもゲーム開始時のキャラクターメイキングで、いくつかある選択肢の中から好みの職業……ならぬ色業を決めることになる。
色は全十色。それぞれの差は、基礎ステータスと覚えられる技の幅だ。
もっとも獲得したポイントを振り分けることで、ある程度は任意のステータス成長が可能だし、武器や防具の選択も色にかかわらず自由だ。同色だからといって、同一の戦い方をするとは限らない。もちろん幾つかのパターンというか、育成の定石みたいなモノは存在する。相手がどの色に属するかを見破る楽しみも、SoCでの戦闘における醍醐味のひとつだろう。
ちなみに俺の色は《灰》。他色に比べ圧倒的に多いスキル数と、絶望的に低いステータス平均値が特徴の、なかなかにピーキーな色である。まともなのはSPの数値くらいのものだ。
器用なので、それでも単体生存能力は高い色である。
ただし器用貧乏なので、パーティで重宝されることがほとんどない。
「……」
さておき。
俺は二人組の男に近づいて行った。
俺と同じく、今いきなりこの世界に飛ばされたのか。それとも何かを知っているのか。
どうであれ情報交換くらいのことはできるだろうと、そう思った。
「あの、……すみませーん!」
声をかける。
二人の男が、首だけでこちらに向き直った。
ゲームにも一応、マイクを通じて行えるボイスチャットの機能はあったが、さすがにこう、フィールドのど真ん中で突然叫ぶような真似はあまりしない。
そんなところもゲームとは違うよな、などと思いながら、俺は更に言葉を重ねようと口を開き、
「あの――えっと」
そこで言葉に詰まった。
さて、一体何を言ったらいいものか。というか、なんと言ったらいいのだろう、というか。
自分以外の人間を見つけたことに舞い上がって、不覚にもそれを考えていなかった。
……とりあえず、こちらから質問をさせてもらおうか。
そう思い俺は、
「すみません、ちょっと訊きたいことがあるんですけど――」
と。
そう口にして。
そこで初めて、彼らが武器を抜いていることに気がついた。
「……え、」
間抜けな声が――否、間抜けな音が、喉の奥から零れ出た。意味を持たない呼気の塊が、意味もないまま大気へ溶ける。
そして。
その瞬間には既に、男の片方――槍を持った方がこちらへ飛び出て来ていた。
着込んだ鎧の重さを感じさせない、稲妻のように素早い一撃。
気づいたときには、槍の穂先はもう目と鼻の先で。
襲われる意味など何一つ判らないまま俺は、
「――――っ!?」
ほとんど反射的に、俺は地面へ倒れ込むように身を捻っていた。
瞬き一つ分だけ遅れて、それまで俺の上半身が存在した空間を刃が通過するのがわかる。
――躱した。
それを理解する。
そして躱したことを理解して初めて、俺は自分が躱さなければならないような攻撃を受けている、ということに思い至った。
「なっ――」
わけがわからない。
わけがわからないまま、ただ顔面と地面の距離が徐々に近づいていく。
咄嗟の回避で、身体のバランスが崩れてしまっていた。
「――くっ」
腕を使って転倒の衝撃を殺す。
それは、どうしようもない隙だった。
頭のどこかに潜む冷静な自分が叫ぶ。
――追撃が来る!
もはや男の姿を確認している暇はない。俺はそのまま、突いた腕の力だけで強引に、転がるように襲撃者から距離を取った。
一刹那の後、槍の柄が風を切る音が聞こえた気がした。
地面を転がりながら、俺は身体をバネに見立てるように跳ね上げ、無理やり体勢を立て直す。その流れで、腰からナイフを抜き取った。
自分の動きに自分で驚きつつ、起き上がる。
二度目の追撃はない。
突如強襲してきた男は、無感情な、ただ相互の間に開いた距離を測っているだけのような瞳でこちらを見るともなく見ている。
「……いったい」
何が、どうなっているのか。
自分でもわからない。
男が襲ってきた理由もわからないし、何よりそれに自分が対応できた理由が理解できない。自身が持つ奇妙なまでの冷静さが、自分で一番、不気味に思える。
まるで予定調和の劇を演じたような気分だ。
――いや、違うか。
正確には人形劇だ。
自分の身体が、舞台の外から糸で操られているような。そんな気分がした。
「――――」
……まあ、構わない。それで助かったのだから。文句も不満もありはしない。
思えば、モンスターと戦っているときから、どこか自分はおかしかった。
身体能力が上がっているだけじゃない。戦う、という行為自体に対する反射や思考が、普段の自分からは考えられないようなレベルに至っている。
自分が自分でないようで、あまりいい気分とは言えなかった。
「――いや。今はそれどころじゃない、か」
まずは目の前の襲撃者をどうにかしなければならない。
「……PK、ね……。ったく、ホントに死んだらどう責任とってくれんだよ……」
PK。
プレイヤーキラー。
プレイヤーがプレイヤーを殺すこと。
MMORPGではそう珍しい概念ではないだろう。SoCでも、場所にはよるが、可能な行為に含まれている。
もっともあまり褒められた行為でないことも事実だが、多様なオンラインゲームのプレイヤーの中には、当然PK行為をプレイの主軸に据える者だって存在するわけで。
フィールドでいきなり殺される可能性は、“ゲーム”において、決してゼロではない。
そんな当然のことも、俺の頭からは抜け落ちていたらしい。
「――いきなり襲ってくるとは、なかなかご挨拶だな、オッサン」
油断なくナイフを構えつつ、俺は言った。
口調は半分くらい挑発のつもりで荒くしているが、もう半分は素が出たようなものだ。
さすがに、いきなり刃物を向けられてはいい気分がしない。
「あー……っと、別に争うつもりはなかったんだけどなあ。少しばかり話を聞きたいだけだったんだけど、嫌なら諦めて、街で他の人を捜すよ。――だからそこ、通してくれないかな」
「……」
果たして。
返答は――なかった。
男はまるで感情らしきものを発さず、ただ決められた作業だからとでもいうように槍を構えた。
その肩越しに、相棒らしき男が剣を持って向かって来るのも見えた。
「問答無用かよ……」
呟きながら、しかし違和感を感じる。
その感覚を、果たしてどのように言語化すれば伝わるだろうか。
考えている暇はなかった。
先に来たのは槍の方だ。穂先をまっすぐこちらを向け、突撃兵よろしく猛進してくる。
けれど、
「同じ手が二度も効くか――!」
叫び、俺も敢えて前へ走り出した。
単調なその突進を、くぐり抜けるように躱す。長柄の武器は、そのリーチが長所にも弱点にもなり得るのだから。
一気に懐まで潜り込んだ俺は、そのまま相手の勢いすら利用するように、カウンターとしての一撃を相手の胸へと叩き込んだ。
「ぐっ……!」
だが――硬い。
刃は胸当てに阻まれ、硬質な金属音を打ちならした。
かなりランクの高い鎧らしい。通常攻撃でまともなダメージを与えるのは難しそうだ。
……平気で突進して来れるのは、この防御力があるからか……!
今更ながらに俺は悟る。その間に、
「――、っ!」
相手の槍が引き戻されていくのがわかった。――二撃目が来る。
まともな近接では分が悪いだろう。
槍が引き戻されるより早く、俺は腕へと思いっ切り体重を乗せ、相手を押し倒すように力を込めた。体勢を崩すことで槍の動きを止めようと狙う。
だが相手もさるもの。先までの低レベルなモンスターとは次元が違った。
男は、身を強引に打ち倒そうとする俺の力を、逆らわずに受け流すことでいなす。
押され半身になった男は、それによって回転の力を身体に得ることになる。
――やばい……!
と、思う頃には遅かった。
引き戻された槍が、その終端で再び勢いを獲得し、
「――――!!」
突きではなく、薙ぐような払いが、左側から俺の身体に叩きつけられた。
「ず――――ぁ」
咄嗟にナイフでガードするが、速度重視の軽装である俺では防御力が足りない。
俺は右足で、思いっ切り地面を踏み抜いた。
だがそれは、堪えるには足りない力だった。なんとか直撃は免れたものの、恐らく筋力パラメーターでも敗北していたのだろう。俺は押し負け、強く吹き飛ばされる。
HPの数パーセントを削られたことが、脳の片隅で理解できていた。
――だが。
攻撃は、まだ終わっていない。
敵は一人ではないのだから。
「――――――」
視界の端で剣士の方が、小声で何かを呟いてのが辛うじてわかった。
遠く、遥か間合いの外にいるはずの剣士。その剣の先から、しかし、青白い光がスパークするのが見て取れた。
瞬間、切っ先から何かが飛来する。
生み出された攻撃は衝撃波となり、槍ですら及ばぬ間合いの外から、こちらを正確に狙い撃つ。
――脇腹に直撃した。
「が――――、っは」
血を、吐いたと思った。
実際に漏れたのは空気だけ。だが鈍い痛みが臓物を大きく響かせる。衝撃は内臓にまで直に伝わり、肺の奥から一気に空気を押し出していた。
槍に吹き飛ばされていた俺の身体は、衝撃波によって更に軌道を変えられる。俺は受け身すら取れずに背中から地面へと墜落した。
それでも――、
それでも俺は、あえてニヤリと、笑ってみせた。
まるで感情の片鱗を見せない二人の男を、嘲笑うように口角を歪める。
次の瞬間、槍の男の足許から、猛烈な勢いで草が伸びあがり、まるで縄で縛り上げるように男の脚へと絡みつく。
「――――!」
その一瞬、俺は男の顔に、驚きの表情を見た気がした。
だがそれも、激しく成長する蔦の動きに固められていく。
灰属性のスキル――《蔦縛り》。
罠のように設置できるタイプのスキルであり、名前通りに蔦が対象の身体を絡め取り、短い時間だが移動を阻害することができる、使いどころを見定めればなかなかに有用なスキルだ。
……俺とて何も、わざわざ無為に吹き飛ばされたわけではない。
槍を避けきれないと理解した瞬間に、罠を残していくぐらいのことはやっておいた。
《火山》なんかの草木が生えにくいフィールドだとほとんど使えないスキル(SoCのスキルは、総じて結構、フィールドの影響を受ける)ではあるが、ここは《草原》フィールド。使用に支障はない。
そして――、
俺は駆け出した。目指すは剣使い――の先にある街への転移晶石だ。
そう、別に倒す必要はない。というか、いくら襲われたとはいえ、さすがに人間を攻撃するのは気が咎める。ましてHPをゼロにしてしまおうなどとは考えられない。
ならば、要は逃げてしまえばいいのだ。
SoCでは、ある特定の条件を除けば、街の中では一切の攻撃手段が使用不可能になっている。その仕様が今なお適用されている保証などどこにもないが、ここで2対1のまま戦い抜くよりは、街の中へ逃亡するほうが遥かに楽に違いない。
遠距離技を使用した剣士へと距離を詰めていく。
剣を持っていながら、わざわざ遠くからの射撃を選んだのだ。恐らく、近接戦闘の技能はそう高くあるまい。少なくとも、捕縛した槍使いよりは下のはずだ。
ならば逃げ切れる。
俺は成功を確信する。
まっすぐ走りながら、転移晶石への道を塞ぐ剣士を退かそうとナイフを振り上げ、
「――――――――、え」
ふと、背中に強い衝撃を感じた。
脚が止まる。筋肉が弛緩し、全身から力が抜けるようだった。
そのまま俺は、もつれるように膝をついた。目の前には剣士。その姿に向かって、俺はまるで、赦しを請うて頭を垂れるような格好になってしまう。
――何、が……?
疑問が脳を埋めていく。
目の前の剣士は何もしていない。槍使いの動きも止めている。
ならばなぜ――?
疑問のままに、首だけで背後へ振り返ると、
「……そういう、こと、か……!」
痛みに歪む俺の視界に映ったのは。
こちらへ向けて、静かに弓を構えている――三人目の男の姿だった。
※用語集※
○転移晶石【施設】
街の至るところや、ゾーンの途中などに設置されている、水晶球の置かれた台座。触れることによって、設定された場所へ瞬間移動することが出来る。
SoCにおいての利用頻度は、各施設の中でも最多と言えるだろう。
また設置場所の近くのエリアは、待ち伏せを防ぐために戦闘禁止エリアとして指定されている。
その中ではパーティ以外のプレイヤーは不可視に設定され、そもそも発見さえできない。
○蔦縛り(つたしばり)【スキル】
灰属性のスキル。設置型。
地面に向かって種子を植えつけ、それを踏みつけた者を問答無用で捕縛する。
効果範囲も縛る時間も短く、また阻害されるのは移動のみでスキルの使用などに制限はないので使い勝手はよくないが、解く方法が時間経過以外に皆無なのが利点の一つである。
なお緑属性にはほぼ上位互換で、縛ると同時にダメージまで与える《茨縛り》がある。
○草原【ステージ】
緑色に対応した、三番街から行けるステージ。
出現モンスターの多様性と、フィールドの広大さが特徴。
SoCのステージの中では最もクセが少ないステージである。