第8章「湊の声」
白い草原に、雨粒が静止していた。
律は裂け目の前で膝をついた。
水面が広がり、その奥に淡い光が揺れている。
「……湊」
律の声が、膜を通して遠くに響いた。
その瞬間、水面が震えた。
声が、文字のように浮かび上がる。
兄貴。
迎えに来てくれ。
律は息を呑む。
「湊……聞こえるのか?」
声が、雨に溶けて消えた。
でも、水面は再び震えた。
前へ進めない。
怖いんだ。
律の胸が軋む。
「湊、待ってろ。俺が――」
「連れ戻すのは救いじゃない」
灯の声が、背後から届いた。
その灰色の瞳が、静かに光を宿していた。
律は振り返った。
「どういう意味だ」
「境界は、選択を求める」
灯は淡々と答える。
「あなたが決めるんじゃない。湊が決める」
律は叫んだ。
「そんなこと言ってる場合じゃない! 湊は――」
「前へ進めないのは、あなたも同じ」
灯の声が、冷たく静かだった。
「だから、境界は開いた」
水面が再び震えた。
兄貴。
戻りたいけど、戻れない。
律は拳を握りしめた。
「湊、俺が迎えに行く」
「それは、あなたの救い」
灯の声が、雨に溶けて消えた。
「でも、湊の救いじゃない」
律の胸が軋む。
「……じゃあ、どうすればいい」
「選ばせて」
灯の灰色の瞳が、底なしの静けさを湛えていた。
「あなたが決めるんじゃない。湊が決める」
水面に、文字が浮かんだ。
兄貴。
俺は――。
その瞬間、境界が脈打った。
カチ、カチ――。
メトロノームの音が、逆流するように響いた。
時間が、崩れ込む。
雨粒が、一斉に震えた。
その震えが、選択の刻みを告げていた。
律は静かに息を吸った。
そして、水面を見つめた。
湊の声が、光に溶けて消えるまで。
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次回更新予定は2/27です。




