第10章「背負う癖」
白い草原に、わずかな風が生まれた。
律は裂け目の前で息を呑む。
雨粒が止まったまま、空気に細い亀裂が走る。
境界が、軋んでいる。
「……何が起きてる」
律の声は膜を通して遠くに響いた。
「御厨が、境界を安定化しようとしてる」
灯の声が、背後から届いた。
その灰色の瞳に、冷たい光が宿っていた。
律は振り返った。
遠景に、男の影が立っていた。
白衣の裾が、風に裂けて揺れる。
その手には、紙束が握られていた。
「御厨!」
律は叫んだ。
「何をするつもりだ!」
御厨は笑った。
「境界を閉じる」
その声は、風に裂けて響いた。
「そのために、置く」
「置くって……何を?」
律の声は震えていた。
「俺の未来だ」
御厨は紙束を掲げた。
「観測者としての俺を、ここに残す」
灯が一歩前に出た。
「それで、何が救えるの」
「世界の歪みを止める」
御厨の声は、狂気と決意の境界にあった。
「この世界を、閉じるんだ」
律は駆け出した。
「やめろ! そんなことしたら――」
「戻れなくなる?」
御厨は笑った。
「構わない」
その瞬間、紙束が風に舞った。
文字が光の粒に変わり、空気に溶けていく。
境界が脈打つ。
カチ、カチ――。
メトロノームの音が、逆流するように響いた。
「御厨!」
律の叫びは届かない。
御厨の瞳は、境界の奥を見ていた。
その奥に、何があるのか。
救いか、破滅か。
灯が律の肩を掴んだ。
「無駄よ」
その声は、冷たく静かだった。
「彼は、もう置いた」
律は振り返った。
「……どうしてそんなに冷静なんだ」
灯の唇が、わずかに動いた。
「私も、置いたから」
律の胸が軋む。
「……何を」
「姉の記憶」
その声は淡々としていた。
「戻るために、選んだの」
律は息を呑む。
「そんなこと……できるのか」
「できた。だから、ここにいる」
灯の笑みは、静かすぎて怖かった。
その瞬間、境界が軋んだ。
雨粒が、一斉に崩れ落ちる。
静止していた世界が、音を取り戻す。
その音が、選択の重みを刻んでいた。
御厨の影が、光に呑まれていく。
その背中が、律の視界で反転した。
未来を置いた代償が、境界を裂いていた。
「背負う癖を、半分手放した」
灯の声が、雨に溶けて消えた。
律は、ただ立ち尽くしていた。
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次回更新予定は3/13です。




