第二話 ボクの、私の。
修練場でエイナスと出会ってから、ウルニアの視界の端には、妙なものが映るようになった。まるでかくれんぼをしているかのように、ちらちらと姿を見せる謎の人影。それはどこからどう見ても、エイナスであった。
「……」
一日が過ぎ、二日が過ぎ、三日が過ぎ。それでもなおかくれんぼを続けるエイナスに、とうとう痺れを切らしたウルニアは、その日の夜、再び修練場に姿を現した。
お手製の木剣は腰に、背中にはウィズドの木から作られた一級品の杖を携えて。ウルニアはいつも通り修練場内に木のカカシを設置すると、木剣を正面に構えた。
——その隅の方に、ウルニアの様子を窺うエイナスがいた。隠れてはいるが、時折、その小さな顔が物陰から、まさしく顔を覗かせている。
(……相変わらず隠れるの下手だな、あいつ)
ウルニアは剣を振り下ろす振りをして、そっと、左手を杖に添えた。そして、カカシに切り掛かる直前、その手に構えたものを杖と交換して、エイナスが顔を覗かせていた方へと向けた。
「……簡易攻撃魔法」
杖の先端から放たれた光の球は、放物線を描きながらエイナスのいた方へ飛んでいく。極限まで威力を抑えたそれは、精々服に焦げ跡を作る程度でしかないが、威嚇のための攻撃ならばそれで十分だった。
ちょうど、発射した時は顔を出さずに隠れていたのだろう。エイナスはそんな攻撃が飛来していることにも気づかず、呑気にひょこりと顔を覗かせて、そして、ぎょっとした様子で目を見開いた。
あたふたとして逃げようとするエイナス。しかし、魔法が着弾するのはそれよりも早く。
「に゛ょ゛わ゛ぁぁあああっ!?」
……妙な奇声、いや、叫び声と共に、エイナスは小さな爆発に包まれた。
「う、うぇぇ、酷いよぉ……」
当てるつもりはなかった攻撃魔法が運悪く直撃したエイナスは、怪我こそしていなかったものの、土煙で全身砂まみれになっていた。口の中にも砂が入ったのか、『ぺっぺっ』とそれを必死に吐き出そうとしている。
若干の罪悪感を覚えながら、ウルニアはやれやれと首を振る。
「お前が覗き見なんてしているからだろう。されている側の身にもなれ」
「だからっていきなり攻撃魔法ぶっ放すのは酷いよ! かちくのしょぎょーだよ!」
「……それを言うなら『鬼畜の所業』だ」
『ズビシッ!』と、ウルニアに向かって指を差すエイナス。反省の意思が見られない彼女に痺れを切らしたのか、ウルニアは大きなため息をこぼした。
「……まあいい。それで? なんで私のことを監視してたんだ?」
「監視って……そういうアレじゃないよ。見てただけ」
「世間一般的にはそれを『監視』と呼ぶんだ。答えになってないぞ、天才剣士様」
「うぅ……」
どこか答えを濁すような話し方をするエイナスに、ウルニアは無言で杖の先を向けた。エイナスは焦って手を振り回すと、堪忍したようにしょぼくれる。
「か、観念するよぅ……その、ウルニアはボクと同じのかなって、ちょっと……ほんのちょっとだけ、そう思ったんだよぅ……」
「同じ?」
「うん……」
エイナスは黙ってその場に三角座りすると、抱えた膝に顎を乗せた。
「……キミはさ。たとえば、周りから与えられたものを全て投げ出して、全く別の道を行こうって人がいたら、どう思う?」
「なんだ。なぞなぞか?」
「多分そう、部分的にそう」
なんとなく聞き覚えのあるフレーズで返事をするエイナス。ウルニアは彼女の隣に座ると、静かに天を仰ぎ見た。
「……馬鹿なことをしているなと、そう思う。そんな風に違う道を行くより、与えられたものを享受して、整備された道の上を歩く方が、楽に決まってる」
「……」
エイナスは黙って、彼女の話を聞いていた。
『だが……』
突如、直前の発言を否定し、ウルニアはこう続けた。
「それはそれで……いいんじゃないか。人間の生き方なんて人それぞれだろう。ルールの範囲内で好きなように生きている限り、誰かに非難される謂れなどない」
驚きか呆れか、エイナスはぽかんと口を丸く開いてウルニアを見つめている。
「か、変わってるねぇ、キミ……」
「そうか? まあ、私自身がそうやって生きているから——自分を擁護するために言っているだけかもしれないな」
ホルダーに納められていた剣を抜き、その剣身をじっと見つめるウルニア。そんな彼女の様子に、なんとなく察しがついたのか、エイナスはごくりと生唾を飲んだ。
「……ねえ、ウルニア」
「なんだ?」
ウルニアが振り向くと、エイナスはじっと、彼女の瞳を見つめていた。正座をして、ウルニアの手を取ると、それを覆うように手で包み込む。
「ボクね——魔道士になりたいんだ」
突然の告白。ウルニアは驚きで空いた口が塞がらず、思わず目を泳がせている。
「誰にも言ったことない、ボクの秘密。もしかしたら、ウルニアはボクと同じかもしれないって、そう思ったから……それが、ボクがキミを見てた理由だよ」
「魔道士に……それは、なんでまたそんな……ニルヘイドは、剣士の名門だろう? それが……」
ニルヘイド家。名だたる剣士を輩出してきた名門。その名は魔道士であるウルニアもよく知るところであった。
そんな名門の生まれであるエイナスが、魔道士を目指している。まさしく対極の存在に。そこまで考えてから、ウルニアは気が付いた。先ほどのたとえ話の意味に。
「……与えられたものを全て投げ出して、別の道を行く、か……つまり、そういうことだな?」
つまり、そういうことである。あれは、エイナス自身の話だったのだ。剣士の家に生まれ、剣術の才能に恵まれながらも、それを投げ出して魔道士を目指す。たとえ話の通りだった。
彼女の問いに、エイナスは首を縦に振る。そうして、再びじっと、その瞳を見つめた。
「ねえ、ウルニア。ボクの見立てが正しければ……キミは、ボクと同じなんじゃないかって、そう思うんだ。違うかな……?」
「それは……」
思わず目を逸らし、地面を見つめるウルニア。実のところ、エイナスの指摘は図星そのもので、彼女は返答に困っていたのだ。
しかし……彼女は思い出した。エイナスが言っていたことを。『誰にも言ったことのない、ボクの秘密』だというその言葉を。
剣士の名門の娘、それも、天才剣士と持て囃される者が魔道士を目指すなど、家門からすれば言語道断だろう。家の面汚しにもなりかねない。だからこそ、彼女はそれを秘密にし続け、夜中の学園で一人、こっそりと訓練を続けていた。
それを打ち明けたということは……少なくとも、今この段階で、エイナスはウルニアを『仲間』だと判断し、信用したのだ。その信用を、ウルニアは、裏切りたくなかった。
それに、エイナスの話は決して……他人事ではなかったのだ。
「そうか……確かに、私たちは似たもの同士なのかもしれないな」
「それじゃあ……」
今度は震えることのない瞳でエイナスを見つめるウルニア。そうして、彼女もまた、うち明けた。
「……白状するよ。私は、剣士になりたいんだ。魔道士の名門に生まれたくせにな。誰にも話したことのない、私の秘密だ」
決して許されることのない秘密。ウルニアが夜の学園で一人、剣を振るっていた理由。
「やっぱり……そうなんだね」
「ああ」
納得したように頷くエイナス。彼女の手をゆっくりと引き剥がすと、ウルニアは両手を広げ、大の字に寝転がった。満点の星が広がる夜空が、美しい。
「私は馬鹿な人間なんだ。魔法の才能はあっても、剣術の才能はからっきし。まともに剣を振ることもできない。魔道士になった方が、絶対に成功できるはずなのに……」
「「夢を捨てきれない」」
続く言葉に、エイナスが全く同じ言葉を被せる。驚いて彼女の方を見ると、エイナスは三角座りをした膝の上に顎を乗せて、にこりと微笑んでいた。
「分かるよ、ウルニアの気持ち。ボクも同じだから」
「……そうか」
なんだかほっとした気分で、ウルニアは静かに目を閉じる。風の音がびゅうびゅうと響いているのが分かる。静かな夜だった。
「あー……それで、ボクがウルニアを追いかけてた理由がもう一つあって……」
「なんだ、まだ何かあるのか?」
話が終わったと油断し切っていたウルニアは半身を起こし、両手で体を支える。見れば、エイナスは両手の人差し指と人差し指を合わせ、もじもじと体を揺らしていた。
「……残念ながら、ボクには剣術の才能があっても魔法の才能がない。見たところ、ウルニアには魔法の才能があっても剣術の才能がない。つまり、ボクたちは表裏一体、対になるような存在なんだ」
「まあ……そうだな。綺麗に正反対の存在だ」
魔道士を目指している天才剣士と、剣士を目指している天才魔道士。確かに、それは運命も驚くほど、綺麗に正反対の存在だった。
『だったらさ』
エイナスがパンと手を叩き合わせると、両手の人差し指を立てて、交差させた。
「こう……お互いが、お互いの『師匠』になって、支え合えないかな」
「支え合う?」
ウルニアが首を傾げると、エイナスは満足げに頷いた。
「ほら。ボクもウルニアも、将来の夢のことは秘密にしてるでしょ。だから、先生や家族に教えを乞うことも難しい。だけど今、ボクたちの目の前には、先生以上に素晴らしい力を持った人が立ってる」
エイナスはそう言って立ち上がると、ウルニアに向けて、手を差し伸べた。
「ウルニア。ボクがキミを、最高の剣士にしてみせる。だから、ボクを……最高の魔道士にしてほしいんだ」
「……!」
それは、ウルニアが考えたこともない、理想的な提案だった。
彼女には剣術の才能がない。それはもう、恐ろしいほどにない。木製のカカシに斬りかかって、剣が弾き飛ばされるほどには、才能がない。だからこそ、剣士になるという夢を叶えるためには、『先生』が必要だった。
だが、学園の教師に相談をすれば、それは瞬く間に噂になり、家族の耳に届くことになる。そうすれば学園には通えなくなり——最悪の場合、ウルニアは魔道士ではなく、政略結婚の道具として使われることになるだろう。だからこそ、彼女はこの夢を秘密にし続けてきたのだ。
魅力的な提案だ。それはもう、喉から手が出るほどに。しかし、それ故に、不安もあった。秘密を共有するということは、リスクを増やすということ。もしエイナスがなんらかの拍子に口を滑らせれば、それはそのまま、ウルニアの破滅に繋がることに——、
——パァン
ウルニアは、思い切り、自分の両頬を叩いた。
「……お前、馬鹿だな」
「えっ!? 馬鹿って言った!? 今!? このタイミングで!?」
エイナスは突然の発言に驚いて素っ頓狂な表情をしている。そんな彼女の手を握り、ウルニアは立ち上がった。バランスを崩したエイナスは倒れそうになったが、ウルニアがそれを支え、抱き抱えるような形になる。
「……安心しろ。必ず、お前を最高の魔道士にしてやる。約束だ」
彼女がそう告げた途端、エイナスは表情を明るくした。そして、先ほどの『お前は馬鹿だ』という発言を照れ隠しの一種だと誤解したのか、によによと口角を吊り上げ、ウルニアの胸元を指でツンツンとつつき始める。
「……ウルニアってば、照れ屋さんだね」
「うるさい、馬鹿」
「あ、また馬鹿って言った! 馬鹿って言った方が馬鹿なんだよっ!?」
「はいはい、分かったよ。私もお前も馬鹿だ」
「あー! また言う!!」
そんなやり取りをして、エイナスを引き剥がしたウルニアは木剣を拾い上げると、ホルダーに仕舞い込んだ。彼女の後ろの方で抗議を続けるエイナスに、やれやれと首を振ると、再び満点の星空へと目を向けた。
(そうだな。私は……馬鹿だな)
秘密をうち明けたエイナスの信用を裏切りたくないと言っておきながら、リスクのことを考えた。一瞬でも、自身の破滅のことを考えた。そんな自分の馬鹿さ加減に呆れ返る。
「ねえ、ウルニア! 聞いてる!?」
「聞いてる聞いてる。屋台の焼き魚が美味かったって話だろ」
「そんな話これっぽっちもしてないけど!?」
やいやいと騒がしいエイナス。これから少しの間、そんな彼女と人生を共にする——想像した未来は賑やかで、騒々しく、問題ばかりが起きるようなものだった。それでもきっと、なんとかなるだろう。そんな予感が、根拠もない自信が、ウルニアの中にはあった。
きっと——大丈夫だ。
頭の片隅に残る、焼け焦げた街と死体の山。それから、傷だらけのエイナス。あんなものはきっと夢だと……そう、吐き捨てた。




