あの夏のまほろば
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『何アンタ? ボッチなの? そんなとこ座り込んでないでアソボウヨ!』
夏が来るたびに思い出す。
ひまわり畑の隙間からひょっこりと顔を出した彼女のことを。
馴染みのない田舎の祖父母宅で過ごすことを突然強いられて、途方に暮れていた僕の手を引いて強引に連れ出した彼女のことを。
今でも……太陽に向かって高々を顔を上げるひまわりを見る度に……思い出すんだ。
「こんにちはー! 東京の悟ですー!」
相変わらず無施錠で開けっぱなしの玄関をくぐって、奥に向かって大声を出す。
はいよーという間延びしたあの声はばあちゃんだろう。
まるで時間が止まったかのような古ぼけた空気を、懐かしさのあまり胸いっぱい吸い込みながらばあちゃんの登場を待つ。
ばあちゃんは昔からばあちゃんだったが、最近はとみに腰が弱ったらしく、動作もゆっくりだ。
僕が預けられた小学生の頃と見た目は変わったような気がしないが、老いは着実にばあちゃんに降り積もっていた。
もはや絶滅危惧種、一周回って新しいと流行っているらしい、木の玉を数珠繋ぎしたものが何本も垂れ下がっている暖簾を潜り抜けて、ばあちゃんが顔を出す。
「おんや? 大輔さんじゃねぇか。悟が来るっちゅうてなかったかい?」
ゆっくりのんびりと近づいてきたばあちゃんが、僕の顔を見て訝し気な表情を浮かべた。
「何言ってんのばあちゃん。僕が悟だよ。父さんと間違えるなよ」
「あんれまぁ。悟かい。大きくなって……」
だからって父さんと間違えるなよ。なんて心の中で悪態を吐く。最近頭皮とメタボが気になる父さんに似てると言われても複雑な心境だからだ。
「まぁ、いいや。ばあちゃん、これから一週間お世話になるよ」
「はいよぉ。悟の部屋も用意してあるからねぇ。じいちゃんは今村の寄合にでってから……ゆっくりしてってー」
のんびりとばあちゃんが踵を返す。
その随分と小さくなった背中を追いかけて、僕も古ぼけた平屋の家へと入っていった。
この家は僕の母方の実家だ。
そして僕が小学二年生の夏休みを親元を離れ過ごした場所でもある。
いくら小学生とはいえ、夏休みの間ずっと血の繋がった祖父母宅とはいえ、自宅から遠く離れたこの場所に一人で来ていたのにはもちろん理由がある。
当時母親が弟を妊娠中だったのだが、早産で産まれてしまい、長期入院することになったのだ。
父親は仕事、母親は病院の弟に付きっ切りとなる必要があり、誰も僕の面倒を見ることができず、この家に預けられた。
急なことだったから、たいした事情も知らされず一ヶ月あまりここに滞在するように言われた僕は、わかりやすく拗ねた。
今となっては事情を把握できるが、当時は両親に捨てられたと本気で思っていたのだ。
突然のことで動揺しまくる僕を心配して祖父母はなにくれなく世話を焼いてくれたが、両親に捨てられたという思いが強過ぎて、それを素直に受け取ることができなくなっていた。
いつだって軒先に膝を抱えて座り込み、家へ帰れるはずの道の向こうを眺めていた。
降るような蝉時雨にさらされて、ただじっと静かに駅へと続く道を眺めていたのだった。
そんな日々に変化が訪れたのは、ここにきて何日経った頃だっただろうか。
家の敷地と繋がっている畑の境にばあちゃんが植えたらしいひまわりをかき分けて、見知らぬ少女がひょっこりと顔を出したのは。
突然の来訪者に俺はわかりやすく動揺した。
過疎化が進むこの辺りでは、隣人との距離も遠く、ここに来てから祖父母以外の人間を見たことがなかったのだ。
それすら世界から隔離されて捨てられたようで、僕の陰鬱な気持ちを煽っていたのだが。
そんな僕の毎日に変化をくれたのが彼女だった。
ピンクのワンピースに身を包み、長い髪をひとくくりにした彼女は、僕の顔を見て一瞬驚いたが、あっという間に破顔した。
『何アンタ? ボッチなの? そんなとこ座り込んでないでアソボウヨ!』
そう言って手を伸べた彼女に、何故か僕は逆らえず、気づけば彼女に手を引かれ田舎の道を駆けだしていた。
都会と違って遮るものが何もなく、どこまでも続いていそうな青い空に、もくもくとした入道雲。道沿いに続くひまわりは、まるで僕たちをどこかへと誘っているようで。
僕は彼女の手を離さぬままにただひたすら駆けていった。
たどり着いた先は小さな神社。
周囲を田畑に囲まれ、ぽつんと取り残されたように在った小さな林。
一歩足を踏み入れれば僅かな木々が日を遮り、まるで別の空間に来たような涼し気な空気を醸し出していた。
そしてその小さな土地のほぼ中央に在ったのは、これまた小さな社で。
ツンと突けば崩れ落ちそうな程ボロボロなのに、凛としてそこに佇んでいた。
そこで僕たちは少なくない時間を過ごした。
じいさんもばあさんも少しだけ不思議そうな顔をしていたが、ふさぎ込んで引きこもっていた僕が毎日楽しそうに出かけるのもを見て安心したのか、何かを言ってくることもなかった。
ちょっと前の僕なら、その態度を祖父母にすら見捨てられたと思っただろうが、その時の僕はそんなこと微塵も考え浮かばなかった。
ただ彼女と過ごす時間が楽しくて、楽しくて。夢中になっていた。
彼女と過ごす時間に。
……彼女自身に。
だけど別れは唐突にやってきて。
弟が退院して落ち着いたのか、ようやく僕のことを思い出したらしい両親が僕を迎えに来た。
その頃には当然夏休みは終わっていて。
小学校に戻った頃には僕の居場所はすっかりなくなっていた。
それでも腐らず生きてこれたのは、彼女との思い出があったからだ。
彼女と会ったあの頃を徒然と思い出しながら前回滞在した時に使っていた部屋に入れば、ばあちゃんが用意してくれたのか一組の布団がぽつんと置かれていた。
それと今ではレトロな押しボタン式の扇風機。
かちりと音を立てるスイッチを押せば、青い羽根がくるくると回り出した。
生温い風に吹かれながら、僕はほとんど中身の入っていないリュックを部屋の片隅に落とす。
ついでにジーンズのポケットに入れていた財布とスマホも投げ捨てる。
ささくれのある色あせた畳にごろりと大の字に寝転んで、そっと目を閉じた。
彼女が迎えに来てくれるまで。
どれくらいそうしていただろうか。
もはや意識にすら登らなくなっていた蝉の声が止んだ。
不自然なほどに静まり返った部屋。そして……天井を仰いでいた僕の顔を覗き込むようにふっと影が差した。
「アンタ、相変わらずボッチなの? だったらアタシとアソブ? ずっとずーっとさ」
目を開ければ僕を覗き込む小さな顔。
頭の方に立っているからか、さかさまに見えた。だけど緩く上がっている口角が笑みの形をとっているのは見間違えようもない。
「……あぁ、そうしよっか」
僕のいっそ素っ気ないほどの返事に、彼女が目を瞬いた。
あの頃と変わらないピンクのワンピースの裾を揺らしながら、彼女が僕の枕元に座り込む。
「……お前さん、ナニを言ってるかわかっておるのか?」
さっきまで浮かべていた無邪気な表情を一変させ、彼女の黒目がち……を通り越して白目の無い真っ黒な瞳が僕を射抜く。
こくりと頷いて、もう一度言葉でも是を返す。……僕の覚悟が伝わるように。
「あぁ、理解ってる。でも君にとっても都合がいいだろう? だから……連れてってくれよ」
もう……疲れたんだ。
そう呟けば、彼女の小さくて冷たい手が僕の目元を覆う。
ひんやりとした手に包まれて、熱くなっていた瞼が冷やされる。じんわりと移る彼女の冷たさが心地よい。
「……ほう。弟に結婚を約束していた相手を奪われたと。それを其方の両親も是とした……と。ほうほう。これが初めてではないのだな。前の恋人もその前も奪われて……。おやおや……其方ずいぶんと……」
そう、僕はずいぶんと憐れな男に成り下がっていた。
出生時生きるか死ぬかの瀬戸際を生き延びた弟は、両親にとって溺愛の対象だった。
目をかけ手をかけ、それでも飽き足らず全ての愛を弟に注いだ。彼は生まれた時死にかけて身体が弱いのだからと。
だけど僕は知っていた。彼が既に健康であることを。それを告げても両親は寵愛を止めず、二言目には『お兄ちゃんなんだから』と様々なことを奪い去っていった。奪い去っていく弟を赦していった。
それは初めてできた僕の恋人を奪われた時も、結婚を約束した恋人を奪われた時も。
『お兄ちゃんなんだから……我慢しなさい』と。
結婚を約束していた恋人に妊娠を告げられ、相手が弟だと告げられた時だろうか。
いや、違うな。そう言って僅かに苦笑を浮かべる僕の恋人だった女性の腰を抱いて、弟がとても、そうとても愉しそうに顔を歪めた瞬間。
僕は諦めた。……全てを。
「なぁ……だから連れてってくれよ。もう疲れたんだ……」
目元を覆っていた彼女の冷たい手を掴む。
それは人の体温をしていなかったけど、だけど僕が今まで関わってきた誰よりも温かい気がした。
「そうさのぅ。其方なら……楽しそうだ……」
ぐっと手を引かれ、僕は慌てて身を起こす。
くるりとピンクのワンピースの裾を翻して彼女が走り出した。僕と手を繋いだまま。
つられて僕も走り出す。
都会と違って遮るものが何もなく、どこまでも続いていそうな青い空に、もくもくとした入道雲。道沿いに続くひまわりは、まるで僕たちをどこかへと……いや、あの場所へ誘っているのだろう。
だから僕は……。
彼女の手を離さぬままにただひたすら駆けていった。
「おんや? 悟ぅ? ……どこかへ出かけたんかー? あれ、扇風機付けっぱなしで……。まったくどこにいったんかいな」
スイッチを切られた扇風機の羽根が名残惜し気にゆっくりゆっくり動きを止め、ただ蝉時雨だけが響いていた。
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夏ですね!ホラーですね!
ホラーと言えば神隠しエンドですね!
果たして少女は神なのか物の怪なのか……。
改めて、最後までお読みいただきありがとうございました!