野良猫ファンタジー
ある春の昼下がりの事でした。
小さな町の民家の屋根の上で、一匹の黒猫が昼寝をしていました。
野良猫なので特に名前はありません。近所の人は「クロ」とか「漆黒の虎」とか色々な名前で呼んでいましたが、ここでは『クロ』としておきましょう。
お腹が空いて目を覚ましたクロは、いつものように人間からご飯を貰おうと身を起こすと、あくびをしながら身体を伸ばしました。
その時です。黒猫の頭上に突如虹色の渦が発生したかと思うと、クロをあっという間に飲み込んでしまいました。
気がつくとそこは見慣れない建物の中でした。
正確にはクロの居た世界とは別の、いわゆる異世界でした。
その中でも特に強い権力を握る、ディスト国王の居城の一室です。
普段は呑気なクロも流石に不安になったのか「にゃ~、にゃ~」と弱々しく鳴きはじめました。
「おおっ、召喚成功だ!」
急に大きな声がしたので、条件反射的にそちらの方を見るクロ。
そこには長身で少々痩せ型の男が扉の向こうで不気味な笑みを浮かべてガッツポーズをとっていました。
「ついに成功したのですね」
「流石は世界三大賢者のお一人」
「私は信じていましたよ。いや、ホントですって!」
扉の陰からは大勢の人の声が大きな足音とともに近付いて来たのが分かるとクロはすっかり興奮して「なあ〜ご、にゃあ~ご」と、甘え声で早速ご飯の催促をし始めました。
部屋に入ってきたのは城の警護をしている騎士たちのうちの3人です。
とにかくクロはお腹が空いていたので、多少相手の騎士達が怪しくてもお構いなしです。
「勇者様が何か仰っておられるぞ」
「賢者様! 勇者様は一体なんと!?」
「まさか、分からないのですか?」
世界三大賢者ことジニア=スピンは困ってしまいました。
(えぇ~、こんなん私だって分からんぞ。そもそも異世界語は詳しくないし……)
普段から周囲の人たちを「私は天才だ」とか、「お前たち凡人とは出来が違う」等とイキって見下しまくっている手前、「ごめんなさいわかりません」の一言が言えないのです。
「ディスト国王に報告しましょう」
「これで魔王軍に勝利出来る!」
「召喚を失敗していない限りは、ですが」
「にゃあ~!」
(だいたいこいつは……どう見ても猫だろうが!)
ジニアは心の中で激しくツッコミを入れました。あくまでも動揺を見せないように。
この世界は今まさに、強大な力を持つ魔王ガイラに降伏を迫られているのでした。しかし、ディスト国王は到底受け入れる事ができず、魔王を確実に倒せる者を求め、遥か古代からの伝承に希望を見出しました。
『異なる世界から現れる者あり。その者、人智を遥かに超越した力を与えられ、如何なる脅威をも打ち砕く勇者である。』
(確かに異世界召喚自体は成功したのだろう。しかし、これでは……。いや、伝承によれば異世界召喚された者には世界を救うための特殊能力が付与されるとの事。猫とはいえコイツにも何かある筈だ!)
こうなればもうヤケです。ジニアはこの猫を勇者という事にしました。
「聞け、お前達。このお方こそ魔王を打ち倒し、世界の闇を晴らすべく異なる世界より遣わされた勇者様にあらせられるぞ!」
言うが早いか、ジニアは早速、王に謁見を求めました。
ここは王の間。言わずと知れた王様のいる部屋です。
とても豪華な造りの玉座に腰を深々とおろして偉そうにしているのが国王で、その隣で1日中立っている人が大臣です。
「ほう、そなたが異世界の勇者か」
ディスト王は玉座から身を乗り出して、小さな黒猫をまじまじと見つめながら言いました。やはり、猫である事に何の疑問も持っていないようでした。
すぐ側に控える大臣でさえも、
「さすがは勇者殿、歴戦のつわものの顔をしていらっしゃる。いったいどれ程の死線をくぐり抜けてきたのでしょうな」
と、褒め称える始末。
(何でだよ! それとも私がおかしいのか!?)
そんなジニアの心の内をよそに、王はふと、遠い目をして呟きました。
「ワシにあの頃の力が残っていれば、異界の者に御足労願う事もないのだが……」
ディスト王は悔しそうに、顔を歪めました。
王もかつては救世主として幾度となく侵略者を打ち倒してきた勇猛果敢な戦士でした。だからこそ、年老いてかつての力を失ってしまった事が人一倍悔しいのです。
「にゃあ~! にゃあ~!」
「むっ? 勇者殿、いかがいたした?」
突然激しく鳴き出すクロにディスト王は些か困惑した。
「にゃあ~!」
クロは前足を顔の前で合わせながら二足でぴょんぴょん飛び跳ねました。
これは人間に食べ物を貰うときのおねだりポーズです。もとの世界でこれをやれば、人間が可愛いがってくれるので味をしめているのです。
「賢者殿、これは一体!?」
「えっ?」
問われて一瞬、ギクリとしたジニアでしたが、自分が無能だとは思われたくない一心で意を決して一言。
「……お、おお〜! さっすが勇者様! 早く魔王を倒したくてウズウズしておるようですぞ!」
全身から冷や汗が噴き出すのを感じながら彼はさらに適当な事を言うのです。
「わ、私がっ、せせ責任を持ってえぇ~、魔王の城にお連れしますっ! 吉報をっ、お待ちくだされぇい!」
「賢者殿。大丈夫か? 顔色が真っ青だが……?」
凄く心配そうな王におそらく自分史上最高の作り笑顔で、
「問題ありません! では言ってまいります!」
そう言い残すとクロを抱え、逃げるように王の間をあとにするジニアでした。
外に一歩でも出るとそこは魔王配下のモンスター達が襲いかかる危険な場所に。
幸い、魔王の城は徒歩5分の場所にあるので、魔法で姿を消してしまえばそこそこ安全に着く場所でした。
無事、魔王城の門に辿り着いたジニアはクロの首根っこを掴むや、半開きだった門の隙間に向かってポイッと投げ入れました。
「そら、いけ、もっと奥へ入っていってしまえ!」
門をそっと閉じて、ジニアはさっさと魔王城から逃げていきました。
「さらばだ勇者様。上手く魔王を倒せればそれで良し。失敗した時は、そうだな……。なんとか魔王に取り入って見るかな」
そう呟くと、もと来た道を全速力で引き返すのでした。
ご飯を求めて城の中を走り回るクロは、身体の小ささ故に誰にも見つかりません。そしていつしか特別薄暗い大きな部屋に入り込みました。
「ククク……。よくぞここまで来たな。貴様が報告にあった勇者か」
魔王ガイラがあらわれました。とてつもない魔力を放ち、全てを滅ぼす。まさに究極最強の魔王です。
でも、クロにとっては些細な事です。とにかくお腹が空いて仕方が無いのですから。そして、クロの特殊能力がついに発動。
「うぅ~にゃあぁぁ~!!」
鳴き声とも唸り声ともつかない声を上げ、クロからとてつもない魔力の波動が魔王ガイラに放たれ、直撃したのです。
《ハングリーシャウト》
お腹が空けばすくほど、対峙した相手の魔力を吸収し、何百倍にも増幅して相手に跳ね返す能力。まさに魔王特化型能力です。
「なにっ!? ぐあああぁっ…………」
まともに食らった魔王は耐えられず、絶叫とともに消えてしまいました。
魔王の消滅に伴い城は崩壊。クロも行方知れずになりました。
ある夏の昼下がり。
小さな町の民家の軒下で一匹の黒猫が昼寝をしていました。
「クロ〜、ご飯食べるか〜?」
民家の住人が呼ぶ声に黒猫は、
「にゃあ~」
と、のんきに応えました。