第11話 ミサイルパンチ
現代のオタク女子高生が80年代にタイムリープ!しかもなぜか男子大学生に!?
男子ヲタの歴史を知らない彼女は、次々とオタク文化の変化を目撃、体験していきます。
なぜ彼女はタイムリープしてしまったのか?
毎週火曜日更新予定です。よろしくお願いします!
ピピピッ、ピピピッ、ピピピッ……。
無機質な電子音が鼓膜を揺らし、紗菜の意識を浅い眠りの底から引き上げた。体を起こすのももどかしく、ベッドサイドのスマホに手を伸ばしてアラームを止める。画面には『7:00』の文字。そして、そのすぐ下に表示された昨夜のままのメールアプリの通知に、心臓が大きく跳ねた。
『君に直接会って話がしたい』
野口大輔からの、決定的すぎる一文。
昨夜、有紀と大騒ぎしながら『ぜひ、お願いします』とだけ簡潔に返信し、場所や時間の調整は今日の放課後に改めて連絡します、と伝えてあった。
(どうしよう、なんて言おう……。いや、その前に、どんな服を着ていこう……って、気が早いか)
高校生の自分と、父親よりも年上であろう、元・自分の対面。想像するだけで、現実感がどこかへ飛んでいってしまう。だが、これは現実だ。このボタンを押せばもう後戻りできない、と覚悟を決めたのは自分自身なのだ。
「よし……」
紗菜はベッドから勢いよく起き上がると、カーテンを開け放った。朝日が目に眩しい。今日、有紀と作戦を練って、完璧なアポイントを取るんだ。過去と現在が繋がる、その瞬間のために。
期待に胸を膨らませ、紗菜はゆっくりと目を開いた。
──はずだった。
視界に飛び込んできたのは、見慣れた自分の部屋の白い壁紙ではなかった。
ヤニでうっすらと黄ばんだ天井。古びた木製の梁。ふわりと鼻腔をくすぐる、甘いシロップと焙煎された豆の香り。そして、それら全てを包み込むように漂う、紫煙の匂い。低いボリュームで流れているのは、おそらく大瀧詠一のレコードだ。たまにパチパチとノイズが聞こえる。
「……え?」
状況が、まったく理解できない。紗菜は混乱のまま、ゆっくりと身体を起こした。ギシ、と年季の入ったベルベットのソファが軋む。目の前のテーブルには、飲みかけのコーヒーカップと、灰が山盛りになったガラスの灰皿。
そして、そのテーブルを囲むように座っている、数人の男たち。
自分のものではない、分厚いネルシャツ。履き慣れたはずのない、硬い生地のジーンズ。恐る恐る自分の手を見下ろせば、そこにあるのは、白く華奢な女子高生の手ではなく、骨ばって少し日焼けした、紛れもない男の手だった。
「どうした、大輔? 急に黙り込んで、寝ぼけてるのか?」
隣から、聞き覚えのある声がした。見れば、大学の友人である橘裕也が、面白そうにこちらを覗き込んでいる。その向かいには、生真面目そうな顔の柴本順三。そして、テーブルの奥には、以前この場所で会ったはずの面々──玩具店員の渡橋、郵便局員の北村、鍼灸医の東野、そして他大学の西田の顔があった。
場所は、純喫茶“れい”。
時が、巻き戻っている。いや、違う。また、来てしまったのだ。1981年の、野口大輔の中に。
「……いや、なんでもない。ちょっと考え事してた」
声帯から発せられたのは、自分のものではない、少し低い男の声。紗菜は必死に混乱を抑え込み、努めて平静を装った。一体、何が起きているの。現代の野口さんと会う、その直前に、なんで……。
「考え事してる場合かよ。ほら、サークル名、決めちまおうぜ。俺たちの城の名前をさ」
橘がタバコの煙を天井に向かって吐き出しながら言った。そうだ、思い出した。この光景には、記憶がある。これは、俺たちが自分たちのサークル名を決めた、記念すべき日だ。
「せやな。いつまでも名無しのままじゃ締まらんで」
一番奥の席で、玩具店『キディランド』で働く渡橋一郎が、分厚いカタログのようなものをめくりながら言った。
「俺ら、やっぱり超合金とかのマニアが多いやん? だから、いっそド直球に『ロケットパンチ』なんてどうや?」
「うーん、ちょっとひねりがないよね」
そう冷静に返したのは、郵便局員の北村健一だ。彼は几帳面な性格で、何事もきっちりしていないと気が済まない。
「安直すぎるってことか。じゃあ、鍼灸医の東野くんにちなんで、『健康第一』とか」
「誰が興味あんねん、そんなサークル!」
橘のボケに、柴本が間髪入れずにツッコむ。店内に、どっと笑いが起きた。この空気、このテンポ。懐かしい。紗菜の意識とは別に、野口大輔の身体が、心が、この場の空気に馴染んでいくのが分かった。
現代でメールの返信を待っていた時の緊張が嘘のように、今はただ、目の前の仲間たちとのくだらないやり取りが心地よかった。
「じゃあ、西田くんはどう思う?」
橘が、少し離れた席で皆の会話をニコニコと聞いていた西田和彦に話を振った。西田は、紗菜たちとは違う大学に通いながらも、その異常なまでのオモチャへの情熱で、いつの間にか輪の中心にいた男だ。
「そうですねえ……」
西田は少し考えると、悪戯っぽく笑った。
「『ロケットパンチ』が安直なら、ちょっとだけ変えて、『ミサイルパンチ』っていうのはどうです?」
「ミサイルパンチ?」
その単語に、皆の視線が西田に集まった。
「ロケットパンチは、もちろん偉大です。日本のスーパーロボットの原点、マジンガーZの魂ですから」
西田は一度言葉を切り、熱を込めて続けた。
「でも、俺たちはただの懐古主義で集まってるんじゃない。Zのその先、より強力で、より洗練された『グレートマジンガー』の魂を受け継ぐべきじゃないですか? だから『ミサイルパンチ』なんです。Zを超えたグレートのように、俺たちもただのマニアの集まりを超えていく。そういう決意を、この名前に込めたいんですけど、どうですか?」
西田の熱弁に、皆が「おお……」と感嘆の声を漏らした。単なる言葉遊びではない。そこには、彼らの世代にとっての明確な思想と哲学があった。
「なるほどな……Zやなくて、グレートか」
渡橋が、その深い意味を噛みしめるように呟いた。
「ただのパンチじゃない。俺たちは『偉大なる勇者』の魂で行くってことか」
橘の目も、先ほどまでのからかいの色から、尊敬のそれに変わっていた。
「ミサイルパンチ……」
渡橋が、その名前を口の中で転がすように呟いた。
「なんか、語感がええな」
「うん、カッコいいかも!」
「ロケットパンチより、ちょっとだけマニアックな感じがするのもいいな」
北村も、橘も、柴本も、次々に賛成の意を示していく。空気は一気にその名前に傾いた。そうだ、こうやって決まったんだ。俺たちの、くだらなくて、最高に楽しかったサークルの名前。
「よし! じゃあ、決まりだな!」
橘がバン、とテーブルを叩いた。
「俺たちのサークル名は、今日から『ミサイルパンチ』だ!」
「おおーっ!」
男たちの歓声が、狭い喫茶店に響き渡る。誰かが「マスター、クリームソーダ全員に!」と叫び、皆がグラスを掲げて、未来への希望に満ちた、無責任な乾杯を交わした。
その熱狂の中心にいながら、紗菜の意識だけは、どこか冷静にその光景を俯瞰していた。
現代にいる野口大輔は、この光景を覚えているだろうか。この、どうしようもなく青臭くて、希望に満ちていた瞬間を。そして、この『ミサイルパンチ』という名前を。
もしかしたら、これは、ただの夢じゃないのかもしれない。
現代の野口大輔に会う前に、もう一度思い出せと。忘れてしまった大切な記憶のピースを、ここで拾っていけと、誰かが自分をここに送ったのかもしれない。
仲間たちの高らかな笑い声が、だんだんと遠くなっていく。クリームソーダの鮮やかな緑色が、視界の中でゆっくりと滲んでいく。
(そうだ、これも伝えなきゃ……)
あなたのサークルの名前は『ミサイルパンチ』だったんだよ、と。
そう思った瞬間、紗菜の意識は、ふっと糸が切れるように途絶えた。
あなたにもありませんか?
体験したことがないはずなのに、なぜか残っている記憶が。
デジャヴ。
この言葉を聞く度に頭に浮かぶのは……「デブジャ」
どーせ太ってますよ!(笑)
次回をお楽しみに!




