火遊びは危ない話
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また当作品には、以下の描写が含まれます。
・戦闘シーン
・拷問シーン
それらを踏まえて、読後自らの感情に責任が持てる方のみお読みください。
オセロゲーム④ 火遊びは危ない話
誰もが寝静まった真夜中。逸る気持ちを抑えつつ、男はその場を後にした。誰もが、この仕事を一刻も早く終わらせたかったのだ。彼らは、無言でそれぞれの帰路につき、その中の一人であった男も同じであった。
車も人もいない街中をびくびくしながら通り抜けていく。それは、ちょうど暗いトンネルに差し掛かったときだった。
「……?」
男は怪訝そうな顔で振り返る。トンネル内の照明は切れかかっており、チカチカ、チカ、と不規則な点滅で辺りを暗くしたり明るくしたりしていた。その中で目を凝らす。チカチカ、チカ、チカ。その何度目かの明滅のさなか。突然、人影が現れた。
小柄な体躯。深緑色のポンチョのような上着を着ており、顔は目元につけられたゴーグルと頭から被ったフードでよくわからない。そして、両の手、その手の甲につけられたものを見て、男は恐怖でおののいた。それは、三本のブレード。一瞬ついた不規則な光をもしっかり反射させる殺傷能力の高そうな刃。それが猫の爪のように長く伸びていた。
次の瞬間。そいつが男の目の前まで迫ってきた。凶暴に光る三本の刃は、今にも男を切り裂かん、と迫ってきている。
「ひぃぃぃぃっ!!!!」
男は頑張って身をよじり、それを避ける。刃は今まで男の首があったところの空をひっかいた。自分を殺す気だ。そう悟りながら、地面に情けなくなだれ込む。体勢を崩してしまったのだ。刺客。先ほどの仕事。それに気づかれたか、いや、もしくは……。恐怖で冷や汗をだらだらかきながら、なぜか脳内ではこの刺客が何者なのかを考えつく。
刺客は、ゆっくりとした動きでこちらを見定めると、またもや襲い掛かってきた。男は悲鳴を上げながら四つん這いになって、それを避ける。避ける。逃げる。避ける。奇跡的に避け続け、やっとの思いで立ち上がると、まさしく脱兎のごとく走り出した。
「はあっ、はあっ、はあっ……!!!!!!」
トンネルを抜け、追撃がないことに疑問を感じ、初めて後ろを振り向く。すると、刺客はなぜか自分を見送るようにトンネル内に残っていた。それでも男は前を向いて走った。殺されないならなんでもよかった。まったくなんて日だ。悪行に加担し、その帰り道に口封じにあうとは。とにかく男は安全なところまで逃げてしまいたかった。
【とある刑事二人】
昼の十二時、時計塔の鐘が鳴った。今日は、〝ゲーム〟が夜行われるようだ。
ベテラン刑事が、隣を歩く新人にそのことを言うと彼は、物騒ですね、と笑った。この〝街〟に配属されたばかりだから、まだ実感が湧いてないのだろう。ため息をつく。
「これから、会う人ってどんな奴なんです? 情報屋、みたいな?」
「情報屋、ではないが……。似たようなところだ」
〝街〟の中心部、E地区の大通りを歩く刑事二人は、とある事件を追っていた。それの情報を得るため、ベテランはある人物に接触することにしたのだ。
待ち合わせは、大通りから一本入った裏道。風俗街であるH地区にも近い場所。二人はそこに現着した。
ベテランが胸ポケットから煙草を取り出すと、ライターを探した。すると、新人がえぇ、と声をあげた。
「職務中、っすよ、先輩」
「いいんだよ、これくらい。……いかん、ライター火つくかな」
見つけ出したライター、そのオイルはもう少なくなっていた。それでも諦めずに火をつけ続けていると、後ろから声がかけられた。ねっとりとした、艶のある青年の声だった。
「火ィ、欲しいの? はい、どうぞ」
その言葉と同時に、ベテランと新人の間からにゅ、と手が出てきた。よく見ると不思議なことに、その手の人差し指から、直接炎が一つ点いていた。もう片方の手は不躾にベテランの肩を後ろから組んでいる。
新人は、後ろから気配なく忍び寄られたことを悟り、焦って後ろを振り返った。
そこには一人の青年がいた。薄汚れた黄色のツナギを下半身まで着て、腕部分を腰に巻いている。上半身はTシャツを着ており、無造作にセットされた傷んだ茶髪の奥から切れ長の鋭い瞳がこちらを見ていた。瞳孔は灰色、〝烏〟だ。新人はついぎょっとしてしまった。こんな近くで〝烏〟を見たのは初めてだったからだ。すると、青年烏がにやりと笑った。
「あれ、見ない顔だねェ。新人さん? はじめまして~」
「あはは……、はじめまして……」
ベテランは青年の指に付いた炎で煙草に火をつけると、どうも、と一言言った。
「後ろから馴れ馴れしく肩組むなや。驚くだろうが、レン」
「ごめんごめん、刑事さん」
レンと呼ばれた青年は、そう言いながらぱんぱんとベテランの背中を叩き、わざわざ二人の間に割り込むようにして前に進み出た。レンはそれからそこにあった室外機によいしょ、と腰かけると、何やら持っている紙片を見始める。見覚えのあるその紙片に新人が、あ、と思い、慌ててポケットをまさぐるとそこにあったはずの事件資料の写真が根こそぎ失われていた。そして、目の前のレンが持っている紙片こそ、その写真たちだった。先程刑事たちと接触した一瞬でスられたのだ。
「刑事さんなら、しっかり持ってなきゃ。不用心だなァ」
レンがケラケラと笑う。新人は苦笑した。ベテランはそんな新人にため息を一つつき、それからレンに対して口を開いた。
「その写真はな、」
「分かるよ、この前G地区の空きビルであった火事でしょう? あれ放火だったんだねェ」
レンがすばやくそう返したので、二人は驚いた。ベテランが続ける。
「あぁ、そうだ。そして黒焦げのホトケが一つ出た。けれど、生活反応はなかった」
「ふうん。死因は焼死じゃなかったわけだ」
新人はレンのその態度と言葉にさらに驚いた。レンの手には、その件の焼死体が写された写真があった。それは新人にとってかなりグロテスクなもので現場ではその惨さに吐いてしまったほどだったが、この青年はなんてことなさそうに眺めている。そして、生活反応についても知っている。人は火災で死んだ場合、呼吸をしているため気管に炭の粉や煤がつく。このことを生活反応と呼ぶのだが、レンはそれを知っていた。
よっぽど驚いた顔をしていたのだろう。レンは新人の顔を見てニヤニヤと悪い顔で笑った。
「そんなに驚くトコかよ? 平和な頭だなァ」
「……何?」
その言葉に苛ついて新人がそう返すと、レンは一本の煙草を取り出した。隣であっ、と声を上げるベテラン。どうやら写真だけではなく、ベテランの煙草までスっていたようだった。レンは慣れた手つきで煙草を口にくわえると、自分の右手、その人差し指から炎を出し、それに火をつけた。煙を深く吸い込み、一度煙草をつまみ、ふーっと天に向かって煙を吐く。
「簡単なハナシ。……見慣れてンだよ。オレっちの能力は炎、だからさ」
レンはそう言うと煙草を口にくわえ直す。そして空いた右手にもう一度炎を灯した。今度は指先だけではない。赤い炎が右手のひら全体から漏れ出し、あふれるようにメラメラと燃えている。それをわざわざ新人に見せびらかすように燃える手をひらひらと振った。
「熱くないのか?」
「熱くない。この赤い炎はオレっちを焼かない。けれどその代わり、すべてを破壊する。物も人も何もかも、物理法則関係なしに灰にする」
そう言って、足元に落ちていた空き缶をその燃えた右手で拾った。すると空き缶はあっという間に引火し、メラメラと燃え上がり、そしてすぐに灰になってしまった。そこでレンはようやく右手で炎を握りこむようにして消火した。
「オレっちは〝運び屋〟の炎使い、レン。……改めて、よろしくねェ新人さん♡」
レンがそう改まって自己紹介をすると、ベテランがううん、とわざとらしく咳払いをした。
「話、続けていいか?」
「あっ、そうだったねェ! どうぞ~」
レンが軽い口調でそう言うと、ベテランは一つため息をついた。
「……お前の言うように、その写真はG地区にある空きビルで起きた火事とそこで発見された遺体だ。火元は遺体があった部屋。そこには自然に点火するようなものは何一つないはずで、何者かがすでに死んでいたホトケを焼死体に偽装するための放火だと踏んでいる」
「うんうん」
「そこで訊くが、……レン、お前その日の深夜二時頃は何してた?」
ベテランのその質問に、レンは驚いたように一度写真から二人の方に顔を向ける。それから噴き出した。
「え。何。オレっち、疑われてンの?」
「……」
肯定する代わりに、ベテランが黙って目を伏せるとレンはいよいよ声を上げて笑い始めた。
「あはははは、おっかしい! ンなわけないじゃん! さっきも言ったでしょう、オレっちの炎は何もかもを最終的に灰にするって! 人間も死体も関係ない! こんなお粗末なことにはならないって!!」
「そうなんだがな……、他の連中は怪しいことをやっている〝烏〟だ、疑ってかかるべきだと聞かなくてな」
「……ふうん」
ひとしきり笑った後。レンはもう一度写真に目を向けて言った。
「……残念なことに? その日は調子悪くてさ。一人で寝てたよ。アリバイもそれを証明する人もいないね」
「なら!」
黙っていた新人がそう目をぎらつかせて、一歩前に出る。しかしそれをレンは言葉で制した。
「何回も言わせないでくれる? オレっちなら、もっと上手くやるよ」
その瞳には光はなく。レンは不気味な暗さを伴った眼差しをしていた。
黙った新人に代わり、ベテランが口を開く。
「俺もお前が犯人だとは思っていない。やり方も違うだろうし、能力のことも知っているからな。だから質問を変えよう」
レンは立ち上がり、写真を新人に返した。どうやら見終わったらしい。
「何か知っていること、今の写真を見て思いつくことはあるか?」
「……特には?」
レンは微笑みを絶やさないまま、小さくそう言う。新人には、その顔が隠し事をしているようにも、素直にそう言っているようにも見えた。
「ここからは依頼だ」
ベテランはおもむろに懐から封筒を取り出した。
「ちょ、金を渡すのは……!!」
焦り始めた新人を手で制しながらベテランは続ける。
「すべてを運び去る〝運び屋〟、レン。俺にこの事件の犯人、もしくはそれに類する情報を運んできてくれ。裏の情報屋、とも言われるお前ならできることだろう」
「……ムチャ言うなァ。捜査、犯人逮捕はそっちの仕事じゃないの?」
「お前の疑い、晴らさなくてもいいのか」
「うわ、卑怯じゃない? それ」
レンはそう言いながらも封筒を受け取り、中身を確認する。金貨が数枚入っていたようだ。
「……まァ? 頑張ってみるけどさ。あんま期待しないでよ?」
「よろしく頼む。……これは俺がまとめたこの事件の詳細だ。読んで頭に入れたら燃やして処分してくれ」
ベテランはそう言うと、さらに数枚の紙をレンに渡した。
レンはどうも、と言ってそれを受け取った。それを見たベテランはスーツの襟を正した。
「本当に」
「うん?」
封筒から目を離したレンに、ベテランは再度確認する。
「本当にお前は関わってないんだな?」
レンは黙って微笑を返すばかりだった。
【レン】
川を渡ったらすぐ風俗街であるH地区。けれどここはスラム街、G地区の外れ。そこに緩やかに地下へ下る坂道があった。コンクリートに舗装されることなく砂利や土剥き出しの地面の上に、枕木と地下へと続く二本のレールが伸びている。
その線路に沿って、レンは自分たちの住処である地下へと歩いていた。手には先程刑事から渡された書類。それを読みながらここまで来たのだ。だが。
「はい。読み終わりましたよーッと」
そう小さく呟くと手から炎を出し、瞬く間に書類を灰にした。風に舞う灰を手で払いながら、少し咳き込む。それから地下の入り口である黒い闇広がる穴に入っていった。
レンは慣れた道を炎ひとつも灯さず歩いていく。暗闇だろうが道が分かるのだ。地下は一本道から徐々に分岐を増やし、いくつものレールに分かれていく。それらを迷うことなく選び、進む。
すると、急に光が現れた。宙に人魂のように小さく揺れている。天井から吊り下げられた裸電球だ。電力は当たり前のように盗電している。その奥には炎が灯ったランタン、さらにその先にはひもで括りつけられただけの懐中電灯。続いてまた裸電球。次はH地区でかっぱらってきたデコレーション用の電飾。様々な明かりがばらばらの高低差で一つの道を示すように連なっている。それらが点いていることでレンは同居人がここに戻ってきていることを察した。
明かりが連なる道を抜ける。すると急に開けた空間が現れた。使われなくなった地下の廃駅だった。
天井は相変わらず少し低いままだが、レールの左側、ひとつ段を上がったところに少し広いホームがあった。段は少し高く、レンの胸元まである。それをレンはあらかじめ置いてある木箱を階段代わりにして上る。辺りはレンと同居人による手作りの電飾によってかろうじて明るくなっていた。
レンはそこで一度立ち止まって伸びをすると、だらん、と腕を下ろし、また歩き出した。向かう先はこのだだっ広い空間の奥、『駅員室』だったはずの部屋だ。そのドアを開ける。
「なんで拘束されなきゃいけないんですか!!」
「テメェが! ここに! 無断で! 入ってきたから! だろうが!」
部屋には二人、人物がいた。一人は部屋に元々あった椅子に座らされ、手首、足首ともに結束バンドで椅子に拘束されていた。身なりは汚く、灰色の作業ベストと黒い毛玉のついたスウェットというなんともアンバランスな上下の服装を着ている。足元に履いているスニーカーは元々白かったと思われるが、汚れのために黒っぽく変色し、右足の親指付近に穴が開いていた。年齢は五十以上で、顔中シミとしわが広がっており、実年齢よりも老けて見えた。
もう一人は同居人であるユウト、通称ゆっちだ。小柄だが、しっかりした体格で力なく暴れる老人を抑え込んでいる。丁度拘束が終わったところらしい。白いTシャツに黒い短パン、さらにその下に黒いスパッツをしている。靴は黒いゴツめのショートブーツだ。いつものオフの格好。仕事着じゃない。レンは少し安心した。
ゆっちがレンに気付いて声をかける。
「お。レン、帰ったか」
「…………え、何、そいつ」
隠すことなくうわあ、という顔をしながらレンはゆっちに訊く。ゆっちはあからさまにため息をつきながら、答えた。
「侵入者」
「えー……」
ゆっち曰く、買い出しを終えて帰ってくる途中、懐中電灯を片手に地下道を右往左往するこの人物がいたらしい。すぐさま無力化し、何をしていたか、何者かを問い詰めながら、この部屋に連れ込み拘束したところだった。
「……私の名前はガン、と言います」
ゆっちがレンに状況を話し終えると、それを見計らったかのように男は小さくそう言った。それを聞いたゆっちは、ふと片眉を上げる。
「ガンってまさかお前―――」
「ゆっち」
言葉を遮られたゆっちは、不快な顔でレンの方へ振り向く。レンはこれ、と足元を指差した。そこにはビニール袋に入った食材たちがあった。
「買い出しの帰りだったんでしょ? これ、腐っちゃうぜ」
「あ~、そうだったそうだった。わりぃ」
遮られた理由が分かり、けろっと機嫌を戻したゆっちは、買ってきた食材たちを抱え込むと駅員室から出ていった。盗電しやすさの関係で、駅員室には冷蔵庫が無いのだ。ゆっちによって乱暴に閉じられたドアがバタン、と強く鳴った。レンはやれやれ、という風に男――ガンの目の前の椅子に座った。
「……さて。なんでここに来たの、ガンさん」
静かに真っ直ぐガンのことを見ながらレンは問う。ガンは少し身じろぎしながら答えた。
「……運び屋に会うためです。あなたたちのことでしょう」
「いかにも。そうだよ」
目線を外し、腕を伸ばす。部屋に備え付けてある木製の棚の引き出しを開け、まさぐり、煙草の箱を取り出した。一本、いつものように煙草に火をつけた。
レンが指から直接能力で炎を点けたのを見て、ガンはやっぱり、と呟いた。
「あなたが、レン、さんなんですね。予想以上にお若い」
「レンでいいよ。で、オレっちに何の用なの?」
「……助けて、ください」
レンは少し黙ってから、ふはっと笑った。煙がもわり、と口から零れる。
ガンは慌てたように声を上げた。拘束されている椅子がギシリと鳴る。
「冗談じゃないんです!」
「分かってるよ。……続けて?」
ガンは、その言葉に少し安堵したようだった。落ち着きを取り戻したかのように話し始める。
「変な……、仕事をしてしまったんです。いや、変、じゃないな、……悪い仕事です。なのでその帰り道、人に見られないようにひっそりしていたのですが……、襲われたんです」
「誰に?」
「分かりません。変な武器を手に付けた人物でした」
「……ふうん」
レンは一つ、天井に向かって煙を吐いた。吊り下げられた裸電球の明かりに白く靄がかかる。少し考え込んでいると、ガンは続けて話し始めた。
「多分、仕事の口封じなんじゃないか、と思うんです。やった仕事が、……その、良くないことだったので……。一緒に仕事をした仲間もその日会ったばっかりの初対面で、私のようなホームレスや冴えない若者でした。金目当てだったのでしょう。けれど」
「代金が支払われなかった」
「……はい。当日に金を払う、と言われて行ったのですが、その際は用意できなかった、と……、思えばそこで逃げておけばよかったのですが、あとで支払う、と言われ……金が欲しくてつい……。そうしたら一緒に仕事をした仲間がその後……、死んだんです。誰かに襲われたんじゃないか、という噂でした」
「仲間は初対面だったんじゃないの? 連絡取り合ってた、とか?」
「いいえ。ただ、一人だけ見知った顔がいたんです。友人、というわけでもないのですが、私と同じようにホームレスで近くを住処にしていたので知っていたんです。顔を見かけなくなったので人に訊いたら殺された、って……」
「なるほどねェ」
レンがそう相槌を打ったとき、ちょうどゆっちが戻ってきた。乱暴にドアを開閉する音が響く。レンは立ち上がると、彼にそっと何かをささやいた。また、ゆっちは再び部屋を出ていく。乱暴にドアの開閉する音。
ガンは少し不安になり、レンに訊いた。
「……何か、ありましたか?」
「いいや? 別に。……ところで、やらかした仕事ってなんなの?」
「それは……」
ガンは押し黙った。言いづらいのだろう。けれど、その様子になんら気遣いをすることなくレンは立て続けに訊いた。
「まさか、……死体を焼く仕事、とか?」
ガンがその言葉にうなだれていた顔を上げた。表情には驚きがあり、そして恐れがあった。見る見るうちに顔色が悪くなっていく。図星のようだ。レンは心の中でニヤリと笑った。
「なんで……」
瞬間、満面の笑みで言葉を紡ぐレン。それは、作り物めいた表情だった。
「この間のG地区の放火、焼死体! ガンさんだったんだ~! ラッキー!」
「え、ら、ラッキー?」
「そうそう! まっさか、さっき聞いた話の犯人が自分から転がり込んでくるなんてねェ! ラッキーでしかないよ~!」
大げさに喜んだレンは、戸惑うガンに教えてやった。先程刑事にその事件の犯人として自分が疑われていること、その疑いを晴らすために真相と犯人を探そうとしていたところだということ。
ガンは、急展開を見せる話にさらに戸惑いながらも口を開いた。
「じゃあ……、私をその刑事さんたちのところへ運び届けてください! 〝運び屋〟は中身の事情に関わらず、すべての荷や人を運ぶと聞きました。ならば、私を安全なところへ運んでください! 私は命までは捨てたくない、自首したいんです……! それならレン、さんの疑いも晴れますし、一石二鳥でしょう!?」
「そうだねェ……。ほんとにすごーい偶然だァ」
「なら!」
「でも」
笑顔になりかけたガンを制するように、レンは静かに言い足した。
「お代が必要です」
「……っ」
不気味な微笑を浮かべるレン。それに恐怖を感じたガンはつい言葉を詰まらせた。レンはふらりと立ち上がり、歩き始めた。ガンの周りを。さながら拘束された容疑者を追い詰める拷問官のように。
「ところで」
「……はい」
「金がない、ってのは嘘だね?」
「え……?」
そこでレンは持っていた吸いかけの煙草をボッ、と燃やして灰にした。後ろから優しく、そして逃げられないようにガンの肩を掴む。それは小刻みに震えていた。
「人はねェ、嘘言うとき目線が右上を向くンだよねェ。ガンさん、金がないって話してるときそうなってたよ?」
「あぁ、金、です、か。………そうだ、金ならある……! だからお代なら払おうと思えば払えるんだ、だから……」
ガンは震えながらそう撤回した。口調が敬語から横柄な物言いに変わってきていることに気付いて、レンは一瞬冷たい眼差しをした。けれどすぐニコニコ顔に戻す。
「まさか、金を持っていてホームレスだなんて! ……物好きだねェ? これまでにも悪い仕事をハシゴしてたんまり稼いでたんじゃないの~?」
「……っ、だったらなんだ! まさかホームレスが金を持っているとは思うまい! しかしそんなに金が欲しいのならくれてやる、お前らはいくら欲しいんだ」
怒鳴り始めたガンの口からは唾が飛ぶ。それでも構わずレンは再びガンの目の前へ回り込んだ。しゃがみこみ、拘束された彼の手首にそっと触れながら、たっぷりの笑顔で応える。
「いいや? オレっち達が欲しいのは、ただの鍵さ」
「か、カギだと⁉ そ、そんなもの私は……」
「指紋認証」
その言葉に、ガンは思わず口をつぐんだ。
丁度そのとき、またもや乱暴なドアの開閉音が響いた。ゆっちが帰ってきたのだ。無意識に助けを求めようとそちらのほうを見たガンは息を呑んだ。ゆっちは無表情で手元にある道具を見つめている。彼は小さな手斧を持っていた。
「な、んだ、それは……、なにを、する気だ……」
ガンは止まらなくなった震えを隠し切れないままそう呟いた。その様子を見ていたレンはそれには答えず黙ったまま、自分の手をガンの手首から指先へ移動させる。すーっ、と撫でられていくその感覚から逃げようと、ガンは身じろぎして抵抗する。が、椅子に拘束されている状態でそれは叶わない。
「小指」
レンはそう呟きながら、右の小指をつまみ上げる。ガンは固まったまま震えている。
「親指」
次は反対の親指をつまみ上げる。レンはうんうん、と頷いた。
「違うね。……じゃあー、人差し指」
漂う沈黙に身を固まらせるガン。
突然、レンが何も言わずに左の薬指をつまみ上げた。
びくり。大きな震えがガンを襲った。隠し切れない。レンはガンの顔を覗き込みながら確認した。
「鍵は………、これだね?」
ガンは今更ぶんぶん、と首を横に振ったが、レンは既にゆっちから手斧を受取っていた。もはやガンは何も言えなくなっていた。が、震えながらも椅子ごと逃げ出そうと暴れる。けれど、無言のままのゆっちにしっかりと抑え込まれる。
「暴れない、暴れなーい! 嫌がってないで左手パーにして~。……薬指なんて結構難しい位置なんだからズレたら無駄に痛いことになるよ~? 一発で終わらせたいでしょ~?」
レンは注射を嫌がる子供に言う調子でガンに話しかけながら、そこにあった木の机を引き寄せた。角にガンの左手の薬指をあてがうようにはめ込む。
「これがお代。だいじょうぶ、だいじょ~ぶ! ちゃーんと刑事サンの元に送り届けるからさ! 安心してよ!」
「やめ、やめて……! やめてく、れ……!」
ついに泣き出したガンに少し笑いながら、レンは手斧を振り上げた。
「はーい。歯ァ、食いしばってね」
次の瞬間。男の絶叫と肉と骨が断ち切られる音が響いた。
午前0時。時計台から音程の悪い鐘の音が聞こえた。〝ゲーム〟の開始だ。
辺りが不気味なほど静寂に包まれる中、三人の男たちがG地区の外れにある地下道の入り口に入っていく。彼らはガンを追ってやってきた刺客だった。
地下には〝運び屋〟と言われる烏たちがいる。その情報を持っていた彼らは、ガンが地下へ逃げたと伝えられても不用意に昼に入ることはせず、元々地下から出てきたところを仕留めるつもりだった。しかし、出てこない標的にしびれを切らし、のこのこと入っていったのである。夜、〝ゲーム〟が行われる物騒な空気に乗じて、ガンを殺す気だった。場合によっては烏もろとも殺すつもりだった。
だが、彼らは殺し屋でもなんでもない、素人に毛が生えた程度のゲーム参加者だった。だから、術中にまんまと引っかかった。
男たちは暗闇の中、懐中電灯を頼りに進んでいく。なぜか道中の明かりは一つも付けられていなかった。そのまま進み、あの廃駅の空間にたどり着く。そこにも明かりは一つもついていなかった。
「いたぞ!」
男の一人がそう叫んで、懐中電灯でガンの背中を照らし出す。見つけられたガンはひぃっ、と悲鳴を上げた。ガンは男たちのいる線路の奥、入り口とは反対方向に逃げ込んでいく。男たちはそれをにやけた面で追いかけた。たかだかホームレスのおっさん一匹だ。それを殺しさえすれば、上から報酬が手に入る手はずなのだ。余裕ぶって、駅を横目に奥の道へと飛び込んだ。
しかし、次の瞬間。ガンの背中が凄まじい速さで遠ざかった。人が走って出る速度ではなかった。乗り物か何かに載って移動しているのか。そう思ってガンの足元を照らし出した男の一人は唖然とした。
ガンは走っていなかった。代わりにガンを背負っている小柄の青年が走っていた。その青年は目元にゴーグルをはめており、瞳の色は見えなかった。が、これが烏、〝運び屋〟の一人なのだろう。それにしても、人を背負った状態で走っているくせに早い。若い世代である男たち三人でも追いつけない。みるみるうちに二人の背中が遠ざかっていく。
「くそっ!」
しびれを切らした男の一人が銃を取り出した。遠くても一直線上に奴らの背中がある。狙える、と思った男は安全装置を外し、構えた。
しかしその時、構えた銃が後ろから伸びてきた手に掴まれた。そう思ったと同時に銃が発火する。真っ赤な炎が噴き出し、着火するはずのない銃を包み込んだ。
「熱っ! だ、誰だ!?」
「どうした!? なにがあった!?」
炎の熱さに思わず銃を取り落とす男。それを見た他の二人も混乱のあまり声を上げる。それでも、手が伸びてきた背後から距離をとる。
すると、どこかからパチン、と何かのスイッチが入る音が聞こえた。目の前が明るくなる。眩しさで目を細めながら見てみると光が灯った裸電球が揺れていた。と思うと、その横のランタンに火が付いた。次に、懐中電灯。次々と吊り下げられた電飾や電灯が点いていく。辺りが明るくなる。何かの幕が開いたかのような、そんな雰囲気だった。
そこに茶髪の青年が立っていた。黄色のツナギに、切れ長の瞳、灰色の瞳孔。〝運び屋〟レンだ。
レンは、大げさに両腕を広げて見せる。
「いらっしゃ~い。……オレっちたちの縄張りへようこそ♡」
そう言うと、男たちに両の手を向けた。他二人が構え始めていた銃が瞬く間に発火して灰になる。
男たちは熱と灰を残して消えた銃を探すように手を見ていたばかりだった。
その時、遠くの方から声が聞こえた。男たちが目をやると、そこにはガンを背負ったゴーグルの青年――ゆっちがその場で駆け足をしていた。
「レン、テメェ! こんな重労働させてくれるとは良い度胸じゃねぇか!! これでしくじったらただじゃおかねぇからな!!」
「うるさいなァ、ゆっちは」
すると、我に返ったように男たちの一人が声を上げた。
「すぐに追いつくからそこで待ってやがれ、クソガキ!! たかだか足が速いだけだ、人背負って走るなんざ、すぐにへばって速度が落ちるに決まってる!!」
レンはその言葉を聞いて、声を上げて笑った。何がおかしい、と吠えた男が尋ねると、笑いすぎて出てきた涙をぬぐいながらレンが答えた。
「追いつくって、……誰に?」
その時、怒号のような音が地下道じゅうに響いた。見てみると、ゆっちたちが土埃を残して消えている。あの怒号のような音が地面を蹴った音だと男たちが気づくころ、レンは言った。
「ゆっちの能力は、莫大な脚力とそれに付随する俊足。この街なんか五秒もあれば三周できる。………まァ、音速まで出すと周りに被害が出るのと足が壊れるとかなんとかで抑えてるみたいだけどね。今は人背負ってるし。それでもお前らに追いつけるような速度じゃないよ? さっきまでは囮らしく適当な速度で逃げていてくれたしね」
さてと。レンはそう言って伸びをした。男たちは冷や汗を浮かべながらレンの方へ振り向く。
「すべてを破壊するオレっちの炎。それからどれだけ逃げてくれるんでしょーか! ……鬼ごっこの始まりだねェ」
レンの手から炎が噴き出す。それを避けたところで号砲が鳴ったように、男たちは駆けだした。ガンを追いかけるためじゃない。
レンから逃げ出すために、走り出した。
「あはははははは! ほらほらァ! 追いついちゃうよォ!!」
レンがそう大きく叫ぶと、その声は地下道じゅうに反響した。出した炎は一人の背中をかすめ、服の表面を焦がした。それでも男はぎりぎりそれを躱し、無様に走る。
男たちは、迫りくるレンからの火炎放射を避け、逃げ惑っていた。元々、地下道の構造なんぞ知らない連中だ。今どこにいるのか分かるはずもない。ただただ、レンの炎から逃げ惑っていた。
レンはというと、余裕がありそうだった。わざと、男たちから一定の距離を保ちつつ、時たま炎を噴出させ、男たちを脅かす。ゆっくり歩いたかと思うと、時たま走って距離を詰め、悲鳴を上げる男たちの反応を楽しんでいるようだった。
三叉路に差し掛かる。男のうち二人は一番左の道へ向かっているが、一人だけ一番右の道へ入ろうとする。
「おっと、そっちはオススメできない」
すると、レンはその一人が向かう道の先に大きな火球を放った。男はそれに驚き、他二人が走りこんでいった左端の道へ方向転換をした。
「……よしよし、イイ子だ」
レンはそう小さく呟いた。
そうやって時折、男たちの行く道をレンは限定し、制限し、誘導した。男たちはそれに気づかぬまま、いや気づいていても地下道の奥へ奥へと逃げこんでいくことしかできなかった。男たちはあっという間にへとへとになった。足をもつらせ、転び、レンに煽られ、悲鳴を上げながら起き上がり、また逃げ惑った。〝ゲーム〟では、烏が命を狙う奴等に追われるものだったが、その場では明らかに立場は逆転していた。
男たちが立ち止まった。目の前で道が二つに分かれていた。まっすぐ行く道と直角に曲がる道。息を切らし、後方、まだ遠くにいるレンの動向を気にした。
まっすぐ行く道には明かりは無かった。電飾が途切れているのだ。もう一方の直角に曲がる道には灯りが一つだけ灯っていた。どちらにせよ、ここからは本当に暗闇に飛び込むしかなかった。
「ど、どうする……?」
息を切らせながら、男の一人が言った。どちらがこの地獄から抜け出せる出口なのだろうか。
灯りが点いている方を覗き込むと、うっすらとその先が見えた。線路が走る今までの道ではなく、小さく狭い水道管のような構造をしていた。小さく狭いと言っても、男たちがギリギリ走りこめる高さの道だった。地下道の横についた大きなパイプ。そう表現できておかしくない。またパイプの奥になぜかブルーシートのようなものがカーテンのようにかかっていた。そのせいで道の奥が見えない。ゆらゆらとはためくそれは少し不気味だった。
すると、レンが走ってくる音が聞こえた。ガンガンガン、と強く線路から足音だと思われる音が響く。と同時に熱波が襲ってきた。レンの炎が迫り来ているのだ。今までよりはるかに熱を感じる風だった。殺意のこもった大きな炎が一直線にやってくる。男たちは一同そう悟ることが出来た。
「ええい!」
男の一人がパイプの道に飛び込んだ。レンの炎は今まで直角に曲がって迫ったことが無かったからだった。他二人はあまり考えず、その一人に続いて飛び込む。
巨大な炎が迷っていた別の道を焼く。めらめらという炎が壁じゅうを舐める音と焦げた匂いが正解を選んだ三人の元にも漂ってきた。三人は炎の餌食にならなかったことに安堵した。
しかし。
「……ここに隠れたのかァ」
目を爛々と輝かせたレンがパイプの奥、こちらを覗き込んでいた。
「逃がさないよ」
そう言ったのと同時にレンは炎を繰り出そうと右手を構えた。
それを見るや否や、男たちは一目散に振り返り、走り始めた。一度安堵してからの恐怖。それに襲われた男たちは今まで以上に思考を奪われていた。あんなに不気味だったブルーシートの先へ走りこむ。
漆黒の暗闇。そこは光が一条も射さない暗黒の空間だった。今まで感じなかった冷たい風が頬を撫でる。おかしい。そう思ったがもう遅かった。
男たちの足が宙を切る。地面がなかったのだ。
「うわああああああああああああ」
男たちは暗闇の中を落下していった。
男たちの悲鳴が聞こえなくなったところで、レンはその顔から笑みを消した。無表情。ブルーシートをそっとめくり、暗闇が広がるばかりの穴を覗き込む。
「……ゴール」
そう一人呟くと、クツクツと笑った。道にも反響しないほどの小さな笑いだった。
「…………殺したのか?」
その声にレンが振り向くと、ゆっちが立っていた。あらかじめ時間指定した刑事二人にガンの身柄を渡し、帰ってきたのだ。これで〝運び屋〟としてガンから与えられた任務と刑事に頼まれた任務の両方を遂行できたことになる。
「おかえり、ゆっち。今回の荷は大きかったねェ」
「はぐらかすな」
レンの茶化しにゆっちは動じず冷たく制した。レンは、ハァ、と大きなため息をついて少し笑んだ。
「……殺してないよ? ただあいつらはここが穴だと気づかず落ちただけ。そんで、オレっちはあいつらとここで追いかけっこしただけ。今夜は〝ゲーム〟だしね。この下は下水。運が良ければ生きてるでしょ。流れ着く先も警察署の脇だ。男たちのことは刑事さんにあらかじめ言ってあるし、ガンの証言もある。生きててもお縄でしょ」
「そういう問題じゃない」
「そういう問題だよ」
レンは少し苛つかせながら、そう言った。ゆっちは目元に嵌めていたゴーグルを上げた。その顔は怒りをあらわにしている。
「それに……、俺にあの日、ガンのことを襲わせたのは……! わざわざガンのいる界隈に『運び屋は身柄がグレーな者も助けてくれる』、『中身に関わらず物や人を運ぶ』って情報を流したのは……!」
「ガンの指が欲しかったからねェ」
そのなんでもないように言うレンを見て、ゆっちはすべてレンの手のひらの上で踊らされていたことを悟った。思わず、舌打ちが出る。
ゆっちは数日前、ガンという男を襲え、とレンに命令された。殺さないように、恐怖を植え付けるように、とのことだった。それが、ガンの犯行当日、死体を焼いた後のことだった。ガンを最初に襲ったのはレンから命令されたゆっちだったのだ。
「そうすればガンは助けを求めてオレっち達の元へ転がり込んでくる。最初にゆっちと出会ったのを見て、襲った奴だとバレないか少し心配したけど……まぁ、大丈夫だったね」
レンはその時のことを思い出してケラケラと笑った。穴から離れ、ゆっちの元へ戻ってくる。レンはわざと甘ったるい声を出した。
「もしかしてゆっち、心配してるの?」
「っ! テメェなぁ………」
怒り、言い返そうとしたゆっちを制するように、レンはポン、とゆっちの肩に手を置いた。一つ灯った灯りがレンの顔を不気味に照らし出していた。レンは暗い笑みをゆっちに投げかける。
「大丈夫。大丈夫だよ、ゆっち。ゆっちはね、なあんにも心配しなくていいんだよ。なんにもしなくていい」
肩に置いた手をそっと下ろす。レンはもうゆっちを見ていなかった。
「代わりに全部オレっちがするから」
帰ろう。そう言われたゆっちは、歩き出したレンに黙ったまま付き従った。ふと立ち止まって、振り返る。
道の先はまっくらだった。