ある姫の長い旅路
ある時、森の中の小さな村に一人の女性の旅人がやって来た。
僅かな田畑を耕し、獣を狩り、一年に一度ほどやってくる行商人には霊木の枝から削り出した像と引き換えに鍬や鎌といった農具を交換してもらうことで生活をしている、娯楽などほとんどない貧しい村のことである。外の世界からやってきた旅人の話を村中の人間が聞きたがり、ちょっとしたお祭り騒ぎとなっていた。
女性は歓待への礼のつもりなのか、乞われるがままにいままで旅をしてきた中で見た不思議な場所や面白い風習を語って聞かせ、また魔術の心得もあるらしく、旅の途中で習ったらしい魔法の技も惜しげなく村人たちに披露した。
村人たちは、一人の人間がここまで多くの話や技術を覚えられるものなのか、とただただ感嘆の息を漏らし、その技や話を大いに楽しんだ。
やがて夜も更け、村人の多くが寝静まった頃、長老が女性に向けて楽しませてくれたことに対して礼を言った。女性は、普段は村の収穫祭のときにしか出されない酒がなみなみと注がれた杯を傾けると、このような貴重なものを出してくれたことに対する礼に過ぎませんと答える。
その言葉に長老は苦笑いを浮かべると、それでは価値が釣り合わなすぎますと言った。
そして少し考えてから、あなたの話の対価になるとは思いませんが、と言ってから、懐から霊木から削り出した像を取り出し、なぜこの村ではこのような像を彫るのかという話を始める。
かつてこの場所には、大きな王国があった。輝くばかりの王城に、危険のない城下。そこに住む王も民も皆幸福で満ち足りていたという。
だがあるとき、その王国を災厄が襲った。戦禍だったのか、疫病だったのか、天災だったか、それとも魔物の襲来か。はたまたそのいずれでもないのか。
いずれにせよ王は斃れ、王城は崩れ、民は逃げ惑った。
そんな中、王の娘であった姫が神に民を助けるようにと祈った。すると知恵の神がその願いを聞き入れ、民は無事逃げおおせることが出来た。
しかし神は姫に代償を要求したのだ。
これより先、姫は死することなく旅を続け、この世にあるあらゆる場所を、あらゆる風習を、あらゆる技を、苦痛を、快楽を、不幸を、幸福を、余すことなくその身に覚え、そして神にささげよ、と。
姫はその代償を承諾したのだ。
長老は木彫りの像を撫でながら締めくくる。
我らは姫に助けられた王国の民の末裔。姫がこの世のすべてを覚えなければならないのなら、その負担を少しでも軽くするために姫を模した像を作り、それにこの世の出来事を覚えさせるのです、と。
その話を聞き終えた女性は、静かに涙を流していた。
驚く長老に女性は、姫はきっとあなた方のその思いを喜んでいるでしょう、と言い涙をぬぐった。
そして長老に、疲れてしまったのでと詫びてから、寝床へと消えていった。
翌朝早く、村人たちがまだ寝ている間に身支度を整えた女性が村を出ようとすると、村の入口で長老が女性のことを待っていた。
女性は昨日、長老を置いて先に寝てしまったことを再び詫びるが、長老は気にしてはいませんと返す。そして女性にこう尋ねた。
もしや、あなたは姫なのでは、と。
女性は人差し指を自らの唇に当て、ほかの人には秘密ですと言うように小さく笑みを浮かべてから長老に別れの挨拶をし、まだ暗い道を歩いて行った。
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