江藤くんと住田さんは5000円分握手する
南雲 皋さんの『匿名短文胸キュン企画』に触発されて書きました。
※参加はしていません。
「金を貸してくれないか」
ダメもとでクラス全員に聞いて回ったけど、誰も貸してはくれなかった。
けれど「いいよ」と住田さんだけは貸してくれた。
住田さんはいつもクラスの隅に一人でいて、友達といるのを見たことがない女子だった。
「代わりにひとつお願いがあるの。これから一ヶ月、毎日握手を十秒だけしてくれない?」
突拍子もないお願いだったが、まあいいかと俺は軽く引き受けた。
まずは初日。十秒だけ握手する。
女子の手を触ったことのない俺は少し緊張したが、別に好きでもないやつだったのでなんてことはなかった。
「じゃあ、また明日ね」
住田さんが去っていく。彼女の手は普通の手だった。熱くも冷たすぎることもない普通の手。
俺は借りた5000円(住田さんは期間中約束を守ってくれるならあげるとのことだったが)と自分の右手を見比べて「これにこんな価値があるのか?」と不思議に思った。
翌日も俺は十秒だけ握手をした。他に会話はなかった。
住田さんは女子にしては口数が少なく、表情もそんなに豊かな方ではなかった。何を考えているのか分からない。それでも、特に嫌な感じはしなかった。
まさか大事なライブのチケットを買うためにこんなことになるなんて、思ってもいなかったが、これはこれで面白いことになったと思うようになっていた。
一週間が経った頃、クラスの何人かがさすがに気付いて話題にしはじめた。女子も男子も。どういうことなんだと俺に聞いてくる。
俺は正直に答えた。
「じゃあわたしも借りてくるわー」と悪ノリして住田さんに突撃していく者もいたが、住田さんは「あなたに貸すお金はない」とにべもなく断っていた。
その態度を見て、みんなはさっそくあることないこと噂しはじめたが、俺は住田さんから「嫌になったらやめていい。その代わりすぐお金を返してね」と言われていたので、握手を辞めることはなかった。
どうしても、推しのライブに行きたかったのだ。
住田さんは俺の恩人だ。俺は今日も、その恩人の手とありがたく握手する。
ある日、俺は重大なことに気付いてしまった。住田さんと握手する手は、俺が俺の「物」を触った手でもあるということを…。
今までそんなこと考えもしなかった。以後は妙に意識してしまうようになり、いつもより念入りに手を洗ったりするようになった。
住田さんはその間もずっと変わらぬ調子でいた。
俺ばかりが気にしすぎている。
それは何だか不公平な気がして、ある日ぎゅっといつもより強めに握ってみた。
住田さんは一瞬俺の手を見たが、十秒経つといつものように手を放すだけだった。
拍子抜けして、ますます住田さんが何を考えているのかわからなくなった。
そうこうしているうちに一ヶ月が経とうとしていた。
俺は最後の日に、住田さんにサプライズをしかけることにした。これで最後だ。なにかしらの爪痕は残したい。よくわからないプライドが俺を突き動かしていた。
最後の握手。俺は十秒経ったあとも、手を握りつづけてみた。
「えっ、何してるの。江藤くん」
住田さんがじっと俺の手を見ている。
「もう終わったのに、なんで……」
この一ヶ月、住田さんは握手している間、ずっと俺の手を見ていた。俺の顔は一切見ないで。
俺はというと全然関係ない方向を見ていた。だってなにか気まずかったから。でもある時から気付いたんだ。
「住田さん。キミは、きっと『手』が好きなんだろ?」
「えっ」
ようやく顔を上げた住田さんが俺を驚いたような目で見る。
「『手』自体が好きなのか……。それとも『俺の手』が好きなのかはわからないけど」
すると、住田さんは初めて笑顔を見せた。
今まで見たことがなかった表情なので、ドキリとする。
「ええそうなの。わたし手が好きなの。手にしかキョーミないし、手にしか恋ができないの。フフッ、今まで付き合ってくれてありがとうね、江藤くん」
そう言って離れていく住田さんに、俺はあわてて声をかけた。
「ま、待ってくれ! あの……また5000円貸してくれないか?」
「えっ。でも……江藤くん、いいの?」
「いいよ」
そうしてまた一ヶ月、俺たちの握手生活が始まった。
今回はお金が欲しかったわけじゃない。また、あの笑顔を見たくて。
(了)