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その日は朝から晴れていてとても気持ちの良い陽気だった。普段は寝心地の悪さを感じる安宿のベッドでも思わず出るのを躊躇う心地よさに、つい朝食が買えるギリギリの時間まで粘ろうかなんて気持ちが芽生えたが、そんな安らかな時間は秒も続かなかった。
「起きろマルス!いつまで寝ているんだ!」
元気な声と共に雨戸が開かれて部屋に陽光が差し込んだかと思えば、直ぐに上掛けが剥がされる。顔を照らす光に瞼をゆっくり開ければ、そこには日曜日の朝を迎えた子供と同じ顔をしたクロエが立っていた。
「おはよう、クロエ」
「おはようマルス!さあ支度をしろ食事を済ませろ早くしろっ」
圧が、圧が強い!
「解った、解ったから少し落ち着け」
「何を言っている、私は冷静だぞ」
その割には尻尾がちぎれんばかりに振られていますけどね、まあ無理もないか。
「そんなに焦らなくてもシュラクトは逃げないぞ」
今日は彼女のソウゲツが修理から戻ってくる日だからな、親方には午前中に取りに行く旨も伝えてある。
「確かにシュラクトは逃げないだろうが良い依頼は早い者勝ちだ。折角ソウゲツが戻ってくるのに依頼が無いなんて私は嫌だぞ」
そいつはご尤も。
「了解、直ぐに行くから下で待っていてくれ」
そう言って彼女を部屋から出すと手早く服を着替える。寝間着と普段使いの服を分けている人間は庶民ではあまり見かけないが、前世の記憶が残っている俺には少し厳しい。一般的な平民が着る様な服はまだ我慢出来るが、ワーカーの服は戦場での機能を重視しているから実に寝心地が悪いのだ。こんな服に装備まで付けておまけに野外で寝る事もままある軍人さんには敬意を払わずにはいられない。
「まだかー?」
上着に手を掛けた辺りで扉の向こうからクロエがそんな声を掛けてきた。最早日曜の子供どころか散歩待ちのワンコである。
「ほいよ、お待たせ」
そう言って彼女を伴って1階へと降りる。普段ならちゃんと朝食を食べるのだが、今日は空気を読んで包みのサンドイッチを注文する。ついでに自前の水筒へお茶を入れて貰って一緒に受け取り駐車場へ向かう。さっさと運転席へと座り、エンジンを暖気しながらサンドイッチの包みを開いた。
「……」
「落ち着けって」
助手席でそわそわとこちらを眺めるクロエをそう窘める。それなりのお値段で買ったこのキャリアーも俺のシュラクト同様古い軍の払い下げ品で、しっかりオイルが回るのを待たないとエンジンが痛んでしまうのだ。
「…っ、…っ!」
殊更ゆっくりサンドイッチを食ってやったらどんな顔するだろうなどと悪戯心が芽生えるが、それを実行するほど俺は気遣いの出来ない男ではない。もしくはブラッドラーテルを殴り殺せる相手をおちょくれる度胸が無いとも言う。大口でサンドイッチを飲み込むとお茶で強引に流し込む。そうして両手を空けると咀嚼を続けながらキャリアーを発進させた。
「先にギルドか?」
「いや、先ずはソウゲツを受け取ろうぜ。ちゃんと調子を見てから決めた方がいい」
彼女と組んでから今日で2週間。力量は十分理解しているが、それでも修理直後のシュラクト、それも原状復帰されていない機体ではどんな事が起こるか解らない。最悪今日は慣らしだけでとも考えている。
「むう、手頃な依頼が残っていれば良いのだが」
「まあ焦らずにいこう。クロエの腕なら焦らなくてもすぐ取り戻せるだろうしな」
接近戦に偏っているが彼女の技量は凄まじい。正直エルザ女史の懸念だった彼女の才能を埋もれさせてしまうと言うのは正しい分析だったと言わざるを得ない。
「…だが、そろそろ稼がないとマルスが厳しいだろう?」
パーティーを組んで以降一番実入りの良かったスカベンジャーをやっていないから、確かに収益は減っていた。パーティーの取り決めで討伐なんかでは獲物を歩合制にしているから俺に入ってくる金額は彼女に比べて少ないのも気にしている要因だろう。
「新人に心配されるほど刹那的に生きてないっての。じゃなきゃこんなの買えないって」
言いながら俺はキャリアーのハンドルを小突く、まあ購入には多分に運が絡んでいたのは否定出来ないし、同期と言えるイルムのヤツはもっと良い機体とキャリアーを揃えているが、それと俺の計画性は別問題だ。こんなヤクザな仕事をしているのだから万一の蓄えくらいはちゃんとしている。…まあ絶賛目減中であるが。
「ちゃーんと投資分は回収させて貰うから安心して投資されてろって」
「それはそれで後が怖いな…」
「はっはっは、良く解ってるじゃないか。しっかり取り立ててやるから覚悟しとけよー」
言いながら通い慣れた路地を曲がり、親方の工房へたどり着く。ガレージの前にはシートを被せられたシュラクトらしきものが置かれていて、親方はその横でしかめっ面で立っている。え、準備良すぎない?
「…日が明ける明けねえかって時間にそっちの嬢ちゃんから連絡があってな?」
不機嫌そうな親方の言葉に視線を向けるとクロエは素早く横を向き目を合わせない。コイツやっぱ狼じゃなくて大型犬じゃね?それも大分自制心が足りないタイプの。
「ごめん、こっちにも話が来てなかったんだ。次から気をつけるよ」
「おう、気をつけろ。じゃなきゃ二度とお前らのシュラクトは見てやらん」
「んで?ソウゲツはどんな感じ?」
完全にクロエの尻尾がたれてしまったのを見て慌てて俺は話題を変える。あまり責任感を感じられて暴走されたら困るからだ。
「注文通りだ。後はライダーが乗って確かめろ」
その一言で再び上向くクロエの尻尾、実に解りやすい。
「了解。んじゃ、これね」
そわそわとシートを見つめるクロエを横目に、俺は親方へ修理代を支払う。勿論現金で一括払いだ、渡すときに親方が一瞬渋い顔をしたけれど見なかった事にする。こいつは俺なりの矜持ってやつだからな。
「あの、見てもいいか!?」
待ちきれないという風情のクロエに親方が手を振って許可すると、彼女は振り切れそうになる尻尾を最早隠しもせずにシートを引張る。
「おっ、おおぉぉぉ?」
最初は歓声を上げそうになったクロエだったが、その声は途中から戸惑いに変わる。まあ仕方ないだろう、何せ出て来たのは表面の大半を防水シートで覆っただけのシュラクトだったからだ。透明なラップのようなものでぐるぐる巻きにされている姿は正直やっつけ仕事に見えなくもない。
「ご注文通りバイタルパート意外は最低限の処置だ。一応雨くらいは大丈夫だが水の中に突っ込んだら保証は出来ん。後良く燃えるから注意しろ」
あ、本当にラップみたいな物なんすね。
「どの位まで持ちます?」
「熱湯ってところだな。火属性は基本的に駄目だと思って良い」
ファンタジーな世界だけあって割と生き物について前世の常識は通じない。例えば親方が言うように火属性の魔物なんて奴らは平気で体温が数百度なんて奴も居るし、そもそもこの世界にはフェニックスが実在する。まあ物語の様に不死なのかどうかは強すぎて討伐された事が無いので不明だが。
「了解、注意します。クロエ!」
「なんだ?」
「キャリアーに載せるからちょっと移動させてくれ」
「解った!」
俺の意図を察した彼女は耳を立てると手慣れた仕草で機体に登るとコックピットへ収まった。少ししてシュラクトの動力である魔導炉から独特の駆動音が響き、台車の上でソウゲツが起立する。その動きは俺の機体に比べてずっと滑らかで、改めて性能の違いを認識した。
「どうだ!?」
『問題無い!』
スピーカーから聞こえて来る声は真剣で、その声に合わせたようにソウゲツは慎重な動きで台車から降りる。
『…うん』
「ふん」
更にキャリアーに戻るまでに僅かに機体を揺らしてバランスを見るクロエの様子を満更でも無い表情で親方が眺める。
「流石はイスルギ?」
「教育もあるだろうがあの嬢ちゃんの性格だろうな」
長年シュラクトと関わっている親方曰く動きを見れば大体ライダーがどんな奴か解るらしい。その親方の鑑識眼によれば、クロエは真面目で一途な努力家との事だった。
「ちょっと抜けた所はあるようだが、性根も良い。なんせお前さんとパーティーを組むくらいだからな」
親方とはギルドに入った頃からの付き合いだから、俺がどんな扱いを受けているかも知っている。そんな彼からすれば俺は実に危なっかしいひよっこなのだろう。
「この上ねえ良縁じゃねえか。…大事にしろよ」
渋い笑みを浮かべてそう親方が言ってくる。…所で俺、そんな彼女と初日で奴隷契約とか結んでいるんですよ。ついでに今後強くなろうと思うなら、十中八九その大事な良縁相手にエロイ事をかます事になります。
「……」
俺は表情筋を総動員して無表情を貫き、背筋を伝う冷や汗を自覚しながら黙って頷いた。