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予定よりずっと早い再会に俺は内心驚きつつ彼女を見る。艶のあるストレートの黒髪は肩より少し上で切りそろえられていて、その黒さと対照的に肌は病的と評したくなるくらい白い。切れ長の青い瞳はその肌と相まって少し冷たい印象を抱かせるが造形としてはとてても調和している様に思えた。
「俺がマルスですけど」
俺がそう告げると、彼女は少し目尻を下げて安堵した面持ちになる。そして深々と頭を下げながら口を開いた。
「昨日は助けて頂き有り難う。申し遅れたが私はクロエ・イスルギという者だ」
大変聞き覚えのある家名に思わず俺と親方は顔を見合わせる。イスルギ。王国で広く親しまれている剣術、イスルギ流宗家の名だ。伝説によれば数百年前、辺境の村にふらりと現れた見窄らしい黒髪黒目の男が特徴的な片刃の剣で村に迫っていたスチールゴーレムを一刀両断にしたのが始まりとされている。以後の英雄譚において剣士といえば決まってイスルギ流であるくらい有名である。
「どう思う?」
「…本物だろうなあ」
彼女の頭で周囲を探るように動いている犬耳を見ながら親方が答える。イスルギ宗家が犬人の家系である事は周知の事実だし、そんな彼等が自家のブランド力を非常に大切にしていることも有名だ。少なくともイスルギの名で騙りを働いた連中が死体袋の世話になった話は王国の住人なら誰でも一度は耳にしている。つまり目の前の彼女は余程の命知らずで無い限り本物だと言う事だ。
「まあそう気にしないでよ。ワーカー同士良くあることだしさ」
応急救護は義務ではないが俺は出来るだけ助けるようにしている。だがそれは褒められた理由なんかじゃなく打算によるものだ。彼女の様に助けたことに感謝をする奴は好意を持って便宜を図ってくれたりするし、そうでなくても装備を買い戻す為に俺の懐を潤してくれる。だからはっきり言って俺に頭を下げる必要なんて何処にもないのだ。尤も俺も感謝をされて悪い気分ではないし、また何かあったら彼女を助けても良いと思ってしまうチョロい奴なので、それを狙っているなら中々人を見る目があるかもしれない。
「知ってるみたいだけど一応名乗っておくよ。マルス・ログホートです、よろしく」
言いながら俺は最近の記憶を探る。イスルギ宗家の人間となれば良くも悪くも結構な話題になっている筈だと考えたからだ。何せイスルギは国軍と深く繋がっているから、宗家の人間が軍人以外になるなんてこと自体が珍しい。それに新人であっても間違いなく高い実力が期待出来る人材だから、登録すればギルドが喧伝しないわけがない。だが少なくともこの一ヶ月でそんな話を聞いた記憶は無かった。
「宜しく。珍しいだろう、軍人じゃないイスルギは」
俺の視線から何かを感じ取ったのか、クロエ嬢は自嘲めいた声音で事情を説明し始めた。
「私は宗家の落ち零れでな、手切れ金代わりにシュラクトを渡されて家を出されたのさ」
ほうほう。
「だが私はイスルギのやり方しか生きる方法を知らない。だからその、食うためにワーカーになったのだが」
そんで見事に死にかけたと。しかし何となくだが、多分この子重大な勘違いをしていると思う。そもそも家を出されたと言っているが、それならイスルギを名乗れているのはおかしい。家名を守る為にやったなら落ち零れに名乗られる問題を解決出来ないからだ。
更に手切れと言って渡したシュラクトはアンティークと呼ばれる高性能機だ。庶民の感覚からすれば家が全面的に支援していると誤解してもおかしくない。
「成る程」
イスルギの生き方しか知らないと言うのは大分世間ずれしていますという意味も含まれるのだな、なんて事を考えながら適当に応じていると、彼女は神妙な面持ちで本題を口にする。
「それで、だな。言った通り君が持っていったソウゲツ、ああ、私のシュラクトなんだが、あれが私の全財産なんだ」
ほほう。
「頼む!金は必ず支払うから、ソウゲツを返して欲しい!」
ちょっとイスルギさーん。お宅は娘さんにどんな教育してますの?こんなん悪い奴の格好の的じゃないですかー!
「ええとクロエさん?」
深々と頭を下げる彼女に声を掛ける。頭は下げたままだが耳はこちらに向いているから、俺の話は聞こえているだろう。
「聞いた限りだと、アンタは家から勘当されているんだよな?つまり返却後貴女が資金繰りに行き詰まっても、俺が支払いを求められる相手は居ないという事になる」
「……」
「後、売るのはやぶさかじゃないけど、この機体修理せずに使える状態なのか?素人目にも厳しそうだけど」
フレームは無事らしいが装甲の殆どが溶けて溶着してしまっている部分も多い。恐らくだが元通りに動かそうとするなら最低でも装甲を全て外した状態で運用するか、しっかりと復元する必要があるだろう。当然どちらも金が掛かる。
「クロエさん、出会って間も無い人にこんな事を言うのは失礼だが、計画性がなさ過ぎる。アンタの言っているのは完全に空手形だ、それで快くコイツを返すのはよっぽどのお人好しくらいだぞ」
黙りこくったままのクロエ嬢に対して俺がそう告げると、彼女はしたを向いたまま小さく呟いた。
「レベルを他人に譲り渡す程の人徳ある御仁なら有り得るかな、と」
言われた瞬間俺は彼女を引っ掴みトレーラーの影へ押し込むと、小声で問いかけた。
「なんで解った?」
「簡単な話だ、あの戦場で私は只の一匹もモンスターを倒していない。だからレベルが上がって運良く助かるなんて事は絶対に起きないんだ」
彼女の言葉に俺は漸く自分の失敗を理解する。
「じゃあ、あれは自爆魔法じゃなくて…」
「何かから受けた攻撃をソウゲツが何とか防いでくれただけだ、あの黒焦げのモンスターも恐らくそいつがやったんだろう」
そこまで言うとクロエはニヤリと笑い交渉を持ち掛けてきた。
「どうだろうマルス殿、この事は隠しておきたいのではないかな?レベルが上げられるスキル持ちなど、何処のクランでも諸手を挙げて歓迎するだろう。国軍から勧誘だってあるはずだ。にもかかわらずマルス殿はソロで活動している。察するにそのスキルはとんでもない代償が必要なのではないかな?」
こいつ世間ずれしてるくせに対人での考察は鋭いな!?本当に歪な育成しやがるなイスルギめ!
「つまりスキルのことを黙っているから借金を認めろと。問題外だ」
「え?」
「確かに俺はスキルを隠している。だがそれを黙っているから返せるか解らない借金をさせろと言っている意味がアンタ解ってるか?それはもう借金を返さないと言ってるのと同じだぞ」
「なっ!?馬鹿にするな!金が出来ればちゃんと支払う!」
あ、この子解ってませんね。
「あのなぁ、弱味を握ってそれを交渉に持ち出した時点で対等な関係じゃないんだよ。例えば返す期日に金が間に合わなかったとしても、アンタはこう言えばいい。秘密をばらされたくなかったらもう少し待てってな。つまりそれは借金をアンタの都合でどこまでだって引き延ばせるって事だ。それこそどっちかが死ぬまでだってな」
勿論彼女はそんなつもりは無いだろう。だがそれが出来る交渉をした以上、された側としてはそうなる事も織り込んで交渉に応じなければならない。何故なら最初から弱味を背景に不平等な交渉を成立させようとしているのだから。俺の言葉でそこまで漸く思い至ったのだろう、クロエ嬢は唇を噛んで沈黙すると恨みがましい目でこちらを睨んだ。その顔で彼女の手札が尽きた事を確信した瞬間、俺の脳が悪魔的な提案を閃いた。
「と、言うわけで本来ならアレは別の誰かにでも売り飛ばす所だが」
「ま、待って…」
弱々しく待ったを掛けるクロエに意地の悪い顔で俺は続ける。
「まあ聞きなよ。本来なら売り飛ばすが、アンタが俺の条件を飲むって言うならアレはタダで返してやってもいい」
「本当か!?」
「ああ、けどアンティーク級のシュラクトをタダでだ。それなりに厳しい条件になるぜ?」
「解っている。私が出来る事なら何でもすると約束する」
出来る事なら何でもするね、随分と都合の良い安請け合いもあったもんだ。どうせ返還された後に家の矜持とかを持ち出して自分のやりたくない事は拒否出来るとか思ってんだろう。そういう甘ったれにはこのマルス容赦せん!
「そうか、それを聞いて安心した。じゃあクロエさん、アンタ今日から俺の奴隷な?」
「…は?」
笑顔で告げてやるとクロエ嬢は表情を凍らせ、たっぷりと間を置いた後にそう声を漏らした。やっぱり俺の事をギルドでちゃんと調べてなかったみたいだな。
「いやあ困ってたんだよ。ほら、こんなご時世だろ?気楽にその辺で買い付けるなんて訳にもいかなくてさ」
「ま、まて!待ってくれ!?ど、奴隷!?」
クロエはこんらんしている!だが俺のターンはまだ終わっていないぜ!
「俺のジョブを調べなかったのか?奴隷商人、人を物として見ているクソ野郎のジョブさ。レベルが上げられるなんてレアスキル持ちが嫌われてソロで居るには十分過ぎる理由だな?」
スキルは個人の切り札なので大抵は秘密になっている。尤もギルドに登録する際は申告義務があるし、クランに所属すれば秘密にしているわけにも行かないが。ギルドは守秘義務があるし、何より一昔前と違ってワーカーの生死も国からの評価に繋がっているのでワーカー同士のマッチングにも今は慎重だ。少なくともレベル上げを重視しているような武闘派クランに戦闘能力皆無といっても過言で無い俺を放り込まない位の倫理観はある。お陰様で俺は本日まで慎ましく生きて来られたわけだが。
「いや、しかし…それは」
「奴隷が無理だって言うならこの話はなしだ。悪いがこっちも生活が掛かっているんでね」
俺が背を向けて離れようとした瞬間、彼女は咄嗟に手を伸ばして俺の腕を掴む。
よし、釣れた。笑いそうになるのを堪えて振り向くと、彼女は涙目で頬を染めながら口を開いた。
「解った。ど、奴隷になる」
クロエ嬢がそう口にした瞬間、明るい8bitなファンファーレと共に俺の目の前にメニューウインドウが開いた。
“クロエ・イスルギ が ドレイになりたそうにこちらを見ている! ドレイにしますか? はい/いいえ”
「いやゲームかよ」
あまりにも軽いノリに思わず俺はそう突っ込まずにいられなかった。