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短編集

コスモス哀歌

挿絵(By みてみん)


たんばりん様が本作のイラストを描いて下さいました。

ありがとうございます。

 若い頃、私は気ままで長い一人旅に出たことがある。

 所謂『自分探し』だ。

 その旅の途中で、私は彼女と出会った。



 山道を行く。

 その山へ登ろうとしたのに特別な意味はない。

 麓から見上げ、気持ちよさそうな山だと思ったとか、その程度の理由だったろう。


 誰が持ち込んだのか、山間の開けたところ一面にコスモスが花を咲かせていた。それに見惚れ、私はうっかり斜面から滑り落ちてしまった。

 軸足を挫き、動けなくなる。

 絶望した時、背負子を担いだ娘さんが現れた。

 少し先にある集落の住人だとかで、肩を貸してもらいそちらへ向かう。

 彼女に手当てしてもらった上、痛みが引くまで養生なさいと、彼女の家族が清潔な小屋と寝具を貸してくれた。

 私は深く感謝した。



 日が経つにつれ足の痛みはひいてきたが、別の痛みに胸が塞いだ。

 コスモスの花のように可憐な、私を助けてくれた娘さん。

 痛みが引くとお別れだが、別れがたい。

 そう、私は恋をしていた。


 すっかり痛みが引いた朝、私は彼女へ思いを告げたが……、彼女は瞳を曇らせて踵を返した。


「我々は余所者と一緒になれないんだ」


 いつの間にかそばにいた彼女の父親が、渋い顔でそう言った。

 言外に、今すぐ出て行けと告げている。

 頭を下げ、荷物をまとめるしかなかった。


 村を出る手前で、無言のまま彼女から封筒を渡された。

 淡い桃色の便箋に綴られた、今にも消えそうな筆致の手紙。


『コスモスの花が咲く頃、縁あればまた、お会いしましょう』



 以来コスモスの咲く頃になると私は、毎年のように集落へ向かった。

 最初はすぐ追い返されたが、やがてあちらも諦めたのか、放っておいてくれるようになった。

 ただ、どれだけ集落を探しても彼女はいなかったし、誰も彼女の消息を教えてくれなかった。

 費やされる無為な歳月。苛立ちだけが募る。

 


 この縁は諦めるべきと千回は思ったし、万回は他人から忠告された。

 それでも秋風の香りをかぐと、私は愛用のリュックに荷物を詰め始める。

 狂った執着だと叱ってくれた親友は、既にこの世にいない。


 山道を行く。

 若い日と違い、ストックを突いてゆっくり歩む。

 もはや私はジジイで、ここへ来るのもこれが最後になるだろう。


 眼下の景色はあの日と変わらない。

 咲き乱れるコスモスへ意識をやった次の瞬間、私は斜面から転がり落ちた。



 気付くと私は、コスモスの中で仰向けに倒れていた。

 そういうことか、と覚る。


 秋の空は青く、深い。

 私はまぶたを閉じた。

 あの日の彼女の微笑みが、見える。

 

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― 新着の感想 ―
[良い点] コスモスに抱かれながら、いずれ彼の肉体は彼女達と同化していく‥‥いいですね(*´Д`*) 誰かを愛し続けた人生は、おそらく幸せなものだったのではないかと。手に入らなかったからこそ、美しい思…
[良い点] 聊斎志異を想起させつつ、それをさらに捻った「群花の精」のお話で、最後の終わりかたも合わせて気持ち良く読ませていただきました。年老いてからやっと覚るというのも良いですね。
[良い点] 悲しい人生と見るべきか、充実した人生と見るべきか。 自分探しが、彼女を探し続ける一生の旅になるとは。 でも人生を賭ける価値のある笑顔だったんでしょうね。
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