コスモス哀歌
若い頃、私は気ままで長い一人旅に出たことがある。
所謂『自分探し』だ。
その旅の途中で、私は彼女と出会った。
山道を行く。
その山へ登ろうとしたのに特別な意味はない。
麓から見上げ、気持ちよさそうな山だと思ったとか、その程度の理由だったろう。
誰が持ち込んだのか、山間の開けたところ一面にコスモスが花を咲かせていた。それに見惚れ、私はうっかり斜面から滑り落ちてしまった。
軸足を挫き、動けなくなる。
絶望した時、背負子を担いだ娘さんが現れた。
少し先にある集落の住人だとかで、肩を貸してもらいそちらへ向かう。
彼女に手当てしてもらった上、痛みが引くまで養生なさいと、彼女の家族が清潔な小屋と寝具を貸してくれた。
私は深く感謝した。
日が経つにつれ足の痛みはひいてきたが、別の痛みに胸が塞いだ。
コスモスの花のように可憐な、私を助けてくれた娘さん。
痛みが引くとお別れだが、別れがたい。
そう、私は恋をしていた。
すっかり痛みが引いた朝、私は彼女へ思いを告げたが……、彼女は瞳を曇らせて踵を返した。
「我々は余所者と一緒になれないんだ」
いつの間にかそばにいた彼女の父親が、渋い顔でそう言った。
言外に、今すぐ出て行けと告げている。
頭を下げ、荷物をまとめるしかなかった。
村を出る手前で、無言のまま彼女から封筒を渡された。
淡い桃色の便箋に綴られた、今にも消えそうな筆致の手紙。
『コスモスの花が咲く頃、縁あればまた、お会いしましょう』
以来コスモスの咲く頃になると私は、毎年のように集落へ向かった。
最初はすぐ追い返されたが、やがてあちらも諦めたのか、放っておいてくれるようになった。
ただ、どれだけ集落を探しても彼女はいなかったし、誰も彼女の消息を教えてくれなかった。
費やされる無為な歳月。苛立ちだけが募る。
この縁は諦めるべきと千回は思ったし、万回は他人から忠告された。
それでも秋風の香りをかぐと、私は愛用のリュックに荷物を詰め始める。
狂った執着だと叱ってくれた親友は、既にこの世にいない。
山道を行く。
若い日と違い、ストックを突いてゆっくり歩む。
もはや私はジジイで、ここへ来るのもこれが最後になるだろう。
眼下の景色はあの日と変わらない。
咲き乱れるコスモスへ意識をやった次の瞬間、私は斜面から転がり落ちた。
気付くと私は、コスモスの中で仰向けに倒れていた。
そういうことか、と覚る。
秋の空は青く、深い。
私はまぶたを閉じた。
あの日の彼女の微笑みが、見える。