12.魔女、浄化の闇にさらされる
※魔女視点
溺れそうになるほど濃く冷たい闇。
(これは・・・夢よね?)
眼前に広がる真っ暗な世界に、私は最初そう思った。
けれど手足に感じる軋むような痛みが、これが夢ではないことを告げている。
「?!」
目の前にかざす手すら見えないほどの闇に、私はとっさに目を覆った。濃すぎる闇は簡単に恐慌を引き起こすからだ。私は右の手のひらに左手の爪を立て、しばらくその痛みに集中する。
(うそだ・・・どうしてまたここに私が・・・?)
私はこの場所を知っていた。僧侶の修行中に幾度か経験し、もう二度と来ないと思っていた場所だ。
意識的に深く呼吸をしながら、私はここにいたった経緯を思い出す。
アンナに部屋から連れ出され、教会の裏庭に連れていかれた。カロンさんがいると思っていたそこには馬車が用意されており、おかしいと思った時にはもう手遅れだった。身構えたけれどどうしてだか気を失い、そこからの記憶はない。言われたことをそのまま信じるだなんて、なんと愚かなことをしたのだろう。
(一体どうして・・・レオスくんが命じたっていうのかしら)
あり得るという思いとあり得ないという思いが交錯する。レオスくんがあんな乱暴なことを許すとは思えない。けれど、この特別な闇の空間に立ち入りを管理できるのは聖堂の長だけだ。
呼吸をするだけで分かる。息を吸うたびに身体の中に満ちる冷たく清らかな気配。澱みも穢れも許さず、清浄に消し去る空虚にして無の気配。
ここは聖堂の地下、『聖領』と呼ばれる神秘の間だ。各大陸の聖堂の地下に存在する深い竪穴。古より僧侶となる者に聖なる力を与える儀式の場所。聖堂の深奥にして最重要地であり、選ばれた者のみしか立ち入りを許されない禁域だ。
(どうしてこんなところに・・・)
閉じ込めるなら地下牢でも倉庫でもいくらでもあるだろうに、どうしてわざわざここに入れるのかしら。身体の鈍い痛みからして、長時間石畳の上に転がされていたようだけれど。
私は思いついて大声を出してみる。
「あのー!!すみませーん!!だれかいませんかー!!」
竪穴に空しく響く私の声。しばらく耳を澄ましたけれど、自分の呼吸や衣擦れの音以外に聞こえるものはない。それもそのはずだ。ここは聖堂の地下も地下、さらに禁域とくれば入ることができる人間も限られている。無関係の人に助けてもらえることはまずない。
「はぁ~・・・どうしよう・・・」
床の上に座りながら、膝を抱えて顔を伏せた。
頭の中ではレオスくんの言葉がぐるぐると回っていた。とどのつまりは世界均衡の歪みから派生する聖堂内の権力争い。魔物が激減したために需要と供給のバランスが崩れているだけのこと。破魔の聖堂が重視されなくなることを危惧したハイナク賢者の保身の争い。
そんなものに巻き込まれたくはない。けれど、ハイナク派のやり方は許せない。人の心の弱さに付け込むやり方はいずれ暴走する。
私は思わず胸を押さえていた。胸元にはカロンさんにもらったネックレス。それを痛いほど握り締める。
カロンさんに会いたい。一緒に森に帰りたい。でも、このまま新たな暴虐の種を見過ごして良いのだろうか。
(カロンさん、きっと心配しているだろうな)
住み慣れた魔物の森で薬草摘みに出かけるときでさえ心配するくらいの過保護なのだ。私のことを必ず守ると言っていた分、私が連れ去られたことに心を痛めていると思う。
(カロンさんならどうするだろう。立ち向かうのかな?強くて優しい人だから不幸な人を見過ごさないわよねきっと。私、どうすればいいのかな)
溜息をついたその時、遥か頭上から空耳のように蝶つがいの軋むギィという音がして私はハッとして上を見上げる。
「気が付きましたか」
ぐわんぐわんと若い女性の声が部屋に響いた。壁に打たれた杭の階段を降りる音と共に、遠いランプの灯りがゆっくりと近づいてくる。
「アンナさん・・・ですね?」
「ご名答」
アンナは短く答えた。姿はまだ見えない。この部屋は巨大な井戸のような形をしているから、底にいる私の姿もまたアンナには見えていないはずだ。
「私をここに入れたのはレオスくんですか?」
遥か彼方の星の光のようだった灯りが、遠くのかがり火くらいには見えるようになってきた。
「いいえ。ラザエルさまの命令です」
私は思いがけない人物の名に目を見張った。ラザエルさま、大聖堂の主でありながら、僧侶見習いの修行に付き添い各地を流浪する大賢者。かつて私を救い、育て、名まで与えてくれた恩師。
でも・・・。
「ラザエルさまが・・・?どうして?」
私の呟きにアンナは淡々と言う。
「貴女を捕らえたことを私から報告しました。まずは浄化の力を極めよと仰せです。上手くいけば再び巡礼し、いずれは治癒の聖堂を任せると」
「そんな・・・勝手すぎます!断固、拒否します!」
胸の中にわき起こる言い知れない恐怖を隠しながら、私は己を奮い立たせるように声を荒げた。私にとって、ラザエルの名において命じられたことに抗うのは容易ではない。
かつて、ラザエルさまの決定は私にとって絶対だった。魔物と親しむ者の烙印を押されていた私にとって、ラザエルさまの庇護と勇者に選ばれるかもしれない僧侶候補という立場は私が身を守るために是が非でも必要なものだった。ラザエルさまに必要とされることだけが私の生命線だったのだ。
けれど、レオスくんが僧侶に決まった時、私は必要のないモノになってしまった。だから逃げた。再び責められて清めだの祓いだので痛めつけられるのはもうたくさんだった。
「レオスくんが僧侶に選ばれた時点で、私の責務は果たされたと思っています。何かしらご協力はしても良いですが、もう聖堂へは戻りません」
自分に言い聞かせるように言う。そうだ、聖堂にはもう戻らない。私の居場所は別にある。
話している間に、アンナが底までやってきた。ランプに照らされた竪穴の底は細かい祝詞が刻まれた石が敷き詰められているほかは本当に井戸の底と大差がない。
目の前に立ったアンナは白いフードをかぶり、動きやすい尼僧服姿だった。ランプを片手に無表情に私を見返し、感情のない声で言う。
「まぁ、私も同意見です。貴女は聖堂へ戻ってこなくていい」
「え?」
「なんなら私がここから逃がして差し上げます」
意外な申し出に私は逆に身構えてしまった。ラザエルさまの部下ならば、ラザエルさまの命令に絶対服従だろうに。ありがたい申し出のはずがどうも信用できない。
「あの・・・どういうおつもりですか?」
「言ったとおりです。私は貴女が聖堂へ戻らなくてもいいと思っています。貴女のことは知っておりますので」
そう言うと、アンナはランプを床に置いた。床が照らされるとともに、アンナの顔に影が差す。ポケットから何かを取り出し、それが灯りに閃いたのを見た。
「この世から、永遠に逃がして差し上げます」
その言葉の意味を理解する前に、私の胸へと容赦のない突きが繰り出された。
「ぐっ・・あァ・・!」
(急所を・・・!)
胸を押さえる。治癒を、いや、回復?とにかく、突き立てられた短剣を慎重に抜かないと。
全身が緊張していくのを必死に治癒魔法で癒しながら私は膝をつく。そんな私を見下しながらアンナは平然と言った。
「貴女を重用するラザエルさまが分からない。人の味方のふりをして、魔物を従えられる貴女がどんなに危険な存在か、分からないはずはないのに」
「う・・・」
見上げるアンナの顔は、悪意も敵意もなかった。自分の行いに間違いはないという狂信じみた確信の光すらない。彼女は彼女の、当然の行いとして私を刺したのだ。
「私は知っていました。貴女が修行中、何度となく魔物を逃がしていたことを。貴女は他人が襲われる可能性を考えなかったのでしょうか?貴女自身が襲われずとも、他人がその牙に、爪に、その身を裂かれて命を落とすかもしれないのに」
アンナは私に近づくと、頭からパラパラと粉のようなものを振りかける。そして小瓶を取り出し、私の髪を掴んで持ち上げ、私の口に突っ込んだ。
「貴女のお友達の魔物から採れた毒ですよ。貴女はきっと初めてでしょう?沢山の人がこれで苦しみ、死にました。経験できて良かったですね」
苦しい、焼けるような痛みが口の中から喉を焼くのがわかる。手先から急速に感覚が失われ、私は床に倒れ込んだ。
「当然の報いです。ああ、大切な人を魔物に殺された人の気持ちも、出来れば経験して欲しかった。貴女の夫が勇者ヴェセルでさえなければ、目の前で刻んで差し上げたのに」
アンナがランプを取り上げる。揺れる影。立ち去る足音。私の死を確信した行動。
(死ぬ・・・・?)
それにしては感覚が遠い。何度も経験した飢えや疲労の死の恐怖とは比べ物にならない、ただただ身体が遠のいていくような感覚。
(そうか・・・痺れ粉・・・)
痺れと毒で弱らせ、治癒できなくさせようということだ。急所を治癒の効果によってぎりぎりの状態で保っているのだから、魔法が切れた瞬間にきっと私は死ぬだろう。
(死・・・)
何度となく死んでしまいたいと思って生きてきた。今ここで諦めればこのまま死んでしまえる。
(やっと終わる・・・?)
でも・・・。
(カロン・・・)
柔らかい金色の髪、見上げてくるたびハッとしてしまうきれいな青い目、大きくて温かい体、穏やかで優しい声、愛しさを告げてくれる言葉。
魔物と共にある私を嫌悪せず、私のことを受け入れてくれる人。
私を救ってくれた彼を置いて、私だけ逃げるように死を選ぶわけにはいかない。
(帰る・・・生きて・・・カロンさんのところへ・・・!)
諦めない。私はあの人のところへ帰るんだ。
かなり期間の空いた投稿になります。
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いつか読んでいただけることを願って更新させていただきます。




