9・訓練仲間と読み書きの先生ができまして!
殿下の剣術の先生は私と同じく、この国一番の剣の使い手グウェンさんだ。
魔力は少ないながらその高い実力から近衛騎士団長をしていて、かつ陛下の親友でもあるという、ハイスペック騎士さまである。
グウェンさんとの稽古は裏庭草原グラウンドで行うにも関わらず、私が来る前から殿下は渋ることなく外に出ていたという。それだけで信頼の厚さが分かるね。
ということは、私と殿下は同じ師に剣を教わる兄妹弟子ということになるわけで。
教わっている期間でいったら殿下の方が長いから私が妹弟子? 実力的には加護のこともあって私の方が上なんだけど、先に習っていた方を上とするなら妹だよね、うん。
「殿下、腕が下がっています」
「っ、はい! やぁ!」
「今のはいい打ち込みです」
木剣のぶつかり合う音が訓練場に響いている。私は殿下のためにタオルを準備しつつ、いい天気だなぁと空を見上げた。うん、空がとっても高い。
「エリナ!」
殿下の慌てた声が聞こえた。
私は飛んできた木剣を視認することなく、近くに置いていた木剣を取り、それを叩き落とす。腰に下げた真剣を抜いて真っ二つにすることも出来たけど、事故で飛んできた剣に罪はない。
「エリナ、大丈夫? ほんとうにごめんなさい」
謝りながら駆け寄ってくる殿下。今日も見事な天使っぷりに、自然と笑顔になってしまう。
「大丈夫ですよー、失敗は成功のもと! それよりも殿下の剣を弾き飛ばすとか、力加減間違えましたね師匠」
「うるさい」
自覚はあったのか、師匠は予備動作なくもの凄い速さで小石を投げてきた。避けることも出来たけど、あえて私は木剣で小石を両断した。その方が楽だし。
私に当たることなく地面に落ちたふたつの石を見て、殿下が目を丸くする。師匠は舌打ちしていた。高貴なお方の前で舌打ちはまずいですよ師匠。
「八つ当たりはみっともないですよ」
「いいですか殿下、これが剣の愛し子です。並の相手では傷一つつけられません」
「え、無視ですか? いきなり八つ当たりで小石を投げつけておいて無視ですか?」
「剣さえ持たせておけば、……悔しいですが、俺よりも頼りになる護衛騎士でしょう。ですから殿下、あいつに心配は無用です。するだけ無駄です」
「師匠ー、誉めるなら面と向かって誉めてくださいよー」
「うるさい」
ほらほらーと両手を広げて誉めて誉めてと主張したら、今度は木剣が飛んできた。反射的に木剣でたたき落とす。ひどい。
「エリナって本当につよいんだね」
殿下がとっても驚いた顔で言う。そうは見えないって? 可憐な女の子にしか見えないって? 照れるなー。
「そんな細っぺらい体型で、身の丈以上の大剣さえ軽々振り回す……そんな奴をか弱い女として認めるのは正直躊躇われるな」
「セクハラですか? ラフェスさんに言いつけますよ」
「せくはら、がどういう意味か知らんがやめてくれ」
口は災いの元ですからね師匠。
「あ、もしかして殿下は私の実力が不安だったっていう、そういう話です?」
「ちがう! そうじゃなくて……」
「ああ、女が剣で戦うのは如何なものかっていう話ですね」
殿下は幼いながらにして完璧な紳士なので、私のことをちゃんとレディ扱いしてくれる。可愛い天使に女の子扱いされて、おねえちゃん泣いちゃうくらい嬉しいです。でもそれはそれ、お仕事は別なのです。
「師匠……グウェンさんも言いましたけど、私は剣の愛し子なので剣を持っていれば無敵なのです。だからどーんと頼ってくださいな」
思ったままを伝えるけれど、殿下の顔は晴れない。分かるよー、殿下も男の子だもんね、女の子に守られるのって抵抗あるよね。でも殿下の護衛に一番適しているのは、魔力皆無で剣の愛し子チートを持つこの私だ。殿下の気持ちは分かるけど、こればっかりはどうしようもない。
「……ぼく、もっとつよくなりたい」
ぽつり、殿下が呟いた。今のままでも同じ年頃の子供たちよりずっと強いのに、いきなりどうした。
「殿下はまだ幼い。これからの努力次第ですよ」
グウェンさんは訳知り顔で言った。この場で何も分かってないのは私だけのようだ。
「ただし、あれは規格外なので目指すだけ無駄です。殿下には殿下の強みがあるので、それを伸ばしていきましょう」
「はい、グウェン」
仲間外れにしないでほしい。私だってもっと強くなりたい! あ、そうだ。
「殿下殿下、師匠がいない時は私と稽古しませんか?」
「エリナと?」
「そうです! 剣を持っていなければ私はとっても貧弱なので、殿下と良い勝負になる! はず!」
ですよね、と師匠を見れば渋々ながら頷いた。
「近々、定例の魔物討伐遠征が行われる。その準備で俺が殿下のお相手をする時間が取りづらくなるのは確かだが……お前、指導が出来るのか?」
「剣の指導はあれですけど、基礎トレーニングなら!」
あれだけみっちり基礎トレさせられましたからね、師匠に!
「……お前のひ弱な体と成長途中の殿下なら、ちょうどいいか。いいだろう、許可する」
「やったー!」
「殿下、嫌になったらすぐご報告ください。即刻やめさせますので」
「……ううん、エリナといっしょにがんばる。それで、つよくなる」
「そうですか。何か困ったことがあれば言ってください」
師匠の許可も取れたし、殿下と一緒にがんばるぞー!
「よろしくね、エリナ」
「こちらこそ!」
「ほんとうに、ぼくはエリナに迷惑をかけてばかりだね……何か返せるものがあればいいんだけど」
「え、じゃあ殿下にひとつお願いがあるんですけど」
「なに?」
師匠、睨まないでください。変なことじゃないですから。
「殿下、私に文字を教えてください!」
「文字?」
「はい! 実は私、文字の読み書きができないんです」
さすがは王太子殿下、五歳にして文字の読み書きはマスター済という秀才っぷりだ。家庭教師さんが殿下の文字は綺麗だとほめちぎっていたので、私の先生になってもらいたい。
「私、読書好きなんですけど読めないから楽しさ半減だったんですよー。なので教えてもらえたら嬉しいなって」
「読めないのに、書庫につきあってくれてたんだ……ごめんね、気づかなくて」
「いえいえ、挿し絵を見てるだけでも楽しかったから問題ないです!」
「そういうことなら、教えてあげる。だから、ぼくにも剣のコツとか、教えてね?」
「私が教えられることなら、なんでも教えますよ!」
契約成立!
変なことじゃなかったでしょう、とグウェンさんを振り返る。間髪入れず頭をたたかれた。なんで!
「殿下、文字練習の教材はこちらで用意します。こいつが何か問題を起こしたら、すぐに連絡を」
その問題を起こす前提なの、やめてもらえませんか師匠。私これでも優等生だったんですよ、日本では!
「エリナ、殿下に変なこと教えたら……分かってるな?」
この目、本気で警戒している目だ。剣のことじゃなくて、本が読めるようになったあとのことを警戒してるっぽい。そんな、私だって弁えていましてよ?
そういえば男女が絡みあってる絵の本があったけど、あれってなんの本だったんだろう? 一番奥の本棚の一番上の段にあって、赤い判子が押してあった。
文字が読めるようになったら、一度きちんと読んでみたい。それで内容次第では、もうちょっと大きくなったタイミングで殿下にこっそり教えてあげようかな。
そしたらきっと天使が顔を赤らめて絶対にかわい……。
「……エ、リ、ナ?」
師匠の目が剣呑に光った。はい、肝に銘じます本気で。